12月になっちまいましたね。今年も残すところあとわずか。
自分にとってはそれなりに変化に満ちた1年でした。うまく言葉に表せないけど、手応えのようなものがあったというか。いい本にも、いい音楽にも出会えました。なにより自分を振り返る機会がたくさんありました。
この記事をお読みのみなさんはいかがでしたか。私としては、当ブログがみなさんにとっていい本、音楽と出会う手助けになればと切に願っています。
さて今日はKIRINJIの最新作「cherish」。この単語は「大事にする」とか「かわいがる」という意味です。タイトルはM2の歌詞から取ったと高樹氏がインタビューで答えていましたね。前作「愛をあるだけ、すべて」もそうでした。
キリンジ時代も含めて、意外にもアルバムのタイトルが小文字なのは初めて。”I want to cherish my tune”と歌詞の途中から取ったと言えばそうなのかもしれません。でもなにか、小文字にすることでささやかに大事にする意味が含まれているようにも思います。大文字にすると微妙にニュアンスが違ってくる気がする。
自分がアルバムを通して聴いた第一印象は「すんなり」「あっという間」。しかし内容が薄いわけではなく。他のアーティストともフィーチャリングしていて、M2で韓国語も聞こえればM4でHip-Hopがあり。「雑務」や「Pizza VS Hamburger」などクセのある曲(でもすごく好き)、「善人の反省」みたいなドキッとする歌詞の曲もあります。こう考えるとばらばらに聞こえてもおかしくないのに、実によくならされている感覚があります。まるでモンゴルのだだっ広い草原みたいに。曲間に起伏はあるものの、とても自然なのですね。今作の作詞作曲がほぼすべて高樹氏だからかもしれません。
高樹氏がインタビューで触れていましたが、今作では楽器隊のバランスよりも曲の完成度を取ったとのこと。前作でもドラムはほとんど打ち込みでしたが、より徹底されています。弓木さんのギターも、曲単位で登場しないことがあるし、存在がささやか。それに代わるようにDODECAGONの頃のようなエレクトロな音や鍵盤がーささやかでありながらも-ふんだんに盛り込まれている。
かといってバンドサウンドが損なわれているかというと、そういう印象も受けません。実に不思議。キリンジ時代でもドラムが生っぽいと思ってたら打ち込みだったこともあるし、生音と打ち込みの匙加減が本当にうまいのでしょう。絶妙なバランスでモンゴルの草原が成り立っているのです。
歌詞にも少し触れてみましょう。
1曲目の「「あの娘は誰?」とか言わせたい」は世代間の差、立場の差を描き出していると思います。「地上の星」の皆さんと敢えてカッコつきで書いているのは、中島みゆきの「地上の星」で歌われていた団塊の世代の人たちのことでしょう、某TV番組の主題歌でした。「呪いの言葉も聞こえない」と歌っているのは、法政大学の上西先生が政治批判をするなかで「呪いの言葉」というアイデアを提唱したことに影響を受けているのかもしれません。この歌詞の中には、インスタを気にする若い女性や凋落した富裕層、団塊の世代、ネカフェ難民と様々な背景をもった人が登場します。「クールじゃない」「美しい国はディストピアさ」と珍しく政治批判的な箇所もある。
この曲を聴くとと彼らの5枚目「For Beautiful Human Life」の1曲目「奴のシャツ」を連想します。あの曲よりも俯瞰的な視点に立っているけれど。「奴のシャツ」はただニートがくすぶっている不幸な話でしたが、この曲では本当にいろんな視点が語られている。様々な幸福や不幸の(どちらかと言えば不幸の)あり方が描かれている。
飛んでM8、「休日の過ごし方」がこのアルバムのハイライトになるでしょう。とにかくいい曲。千ヶ崎さんのベースがいい味を出している。
Life is too short
なぜ、持て余す?
Life is beautiful
そうさ、その通りさ
ここでも、この”Life is beautiful”という歌詞で彼らの5枚目「For Beautiful Human Life」を連想してしまう。しかしあの作品で描かれていた人物は、それなりにやることを持っていたと思います。上述した「奴のシャツ」はニートですが姪の歯医者に付き合うし、「ハピネス」では退屈に感じつつも舞台を見に行くなどして、一応「やることがある」。そしてそれに伴う不幸が歌われている。しかしこの曲では「やることがない」「何をしたらいいかわからない」不幸が歌われています。
誰かに会いたい 誰かは知らない
何処かに行きたい 何処へも行かない
さりげなく歌われていますが、こういった歌詞にぞくっとします。最高。KIRINJI好きでよかった。
今作の歌詞を聴きながら考えるのは「欲望の主体」について。
難しく聞こえるかもしれませんが、要するに「誰が」「何を」欲しているのかということです。自分が何をしたいか、彼が、彼女が、人が何を欲しているのか。それを考える行為。
前作ではあれもしたい、これもしたいのに「時間がない」という歌があったけれど、今作は「そもそもなぜそれを欲望したのだろう」という疑問が1つのテーマになっているように思います。インスタ映えするか気にして、せっかく時間があっても持て余して、結局何処にも行かなくて。自分が本当は何をしたいのかわからない。自分自身が「欲望の主体」として成立していない、そういった状態を切り取って描写しているのではないか。
欲望を素直に歌っているのは「Pizza VS Hamburger」で食いたいだけ食おう、「隣で寝てる人」で寝たいときに寝ようと歌われている箇所。そこで出てくる欲望は「食事」と「睡眠」です。ものすごく原初的で、乳幼児的な願望が語られるだけにとどまっています。
ここで先ほど触れた、今作で「いろんな人が描かれている」という箇所に立ち戻ってきます。立場が違えば、欲望することも異なります。現代社会では多様化が進みすぎて、みんなに共通する欲望と言えば「食欲」や「睡眠欲」。いわゆるマズローの欲求階層ではほとんど一番下の部分です。そういった話しか語りづらい時代なのではないか。昨今メシが美味い系の漫画が席巻していますが、そのあたりも関係あるのかな、なんて思ったり。
閑話休題。
率直に言って、前作から1年半というスパンがすごいと思います。こんなにクオリティの高い作品を1年半で出す、恐ろしい子…!!(ピシャー)
インタビューでは「現代社会の雰囲気からズレないように出した」と語っていました。確かにそうなのでしょう。現代社会は移り変わりのスピードが速い、とても速いのです。10年前に流行っていたものはもうとっくに時代遅れ。1年後、2年後に何が話題になるか見当もつきません。
そういったものをどこまで高樹氏が意識して、計算して作っているのかはわかりませんが、社会の欲望をうまくキャッチして作った作品なのでは、と思います。
そう考えると1年後、2年後に自分が何しているかわからないものです。昔のような終身雇用制度は失われ、電車の広告ではむやみに転職を勧めてくるし。離婚も増え、人々は腰を落ち着けていられなくなりました。私たちは幸せになっているのだろうか。いや、いかなるありようになれば幸せになれるのだろうか。そんなことを考えさせられる1枚でした。しかしながら、少なくともこのアルバムを聴いているあいだは幸せな気分になれるのです。
過去のキリンジ作品のレビューはこちら。
「ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック」
「メスとコスメ」
「For Beautiful Human Life」
「愛をあるだけ、すべて」
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