KADOKAWA発の文芸情報サイト「カドブン」で、
自閉症の作家・東田直樹さんのエッセイ(毎週水曜更新)
「東田直樹の絆創膏日記」
第49回 記憶の点を跳び回る が掲載されました。
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2018年10月18日
毎日は、慌ただしく過ぎていく。予定がない時間というのは、ある意味、贅沢な時間といえよう。
そんな時間が出来たら何をしたいか、旅行や映画、ライブやゲーム、人によってさまざまだ。一日中ごろごろ寝ていたい人もいるだろう。何をしても許される時間だからだ。
僕が小学生の頃、時間の過ごし方で、いちばん困っていたのが、休み時間である。
「好きなことをすればいいんだよ、自由にしていい時間なんだから」
そう言われたが、今やれる僕の好きなことは何だろう……と考えている内に、休み時間は終了した。
僕がひとりで運動場を走り回ったり、砂に字を書いたりしていると、「友達は、あっちにいるよ」と誘われた。手を引いて連れて行かれることもあったが、みんなの所に行っても、僕は自分が何をすればいいのか、わからなかった。
僕の目に映るみんなは、楽しそうだった。きらきらと輝いて見えた。
「何がやりたいの?」と聞かれれば、僕の答えは「ブランコ」。頭には、この単語しか思い浮かばなかったのだ。
休み時間に何をするか、当時の僕には、かなり難しい課題だった。
「自由に」と言われたとたん、不自由さを感じる。
それは、自由が何かを知らなかったせいではない。自由になっている自分の姿を、うまく想像できなかったからだと思う。
現在の僕も、他の人がうらやむような自由時間を過ごしているとは言い難い。でも、僕なりに自由を満喫することは出来るようになった。
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> 「自由に」と言われたとたん、不自由さを感じる。
私も子供の頃、このように感じることがありました。
「作文、何でも自由に書いていいよ。」と言われると、何を書いて良いのか途方に暮れるくせに、
課題を出されると、かえって、自由に作文が出来ました。
ある意味、規制の中でしか自由に書けない自分。
そんな自分に、不甲斐なさを感じることもなく、大人になってしまいました。