風船花(ホウセンカ)です! 元気です!

教育系ポップスバンド 風船花(ホウセンカ)の活動日記
日常の中であれこれ思ったことなど

続 ひまわりのころ 3

2015年08月27日 04時08分43秒 | 続 ひまわりのころ

友達と会って話した。楽しかった。友達と電話した。うれしかった。そして、ひまわりのころを書いた。
これが見たい。「人生スイッチ」http://www.theaterkino.net/?news=news-334
今夜、行こうか!

では……第3話

先生の住む教員住宅も開校と共に建てられたものだから、まだ新しい。舞鳥の住宅とは大違いだった。一棟に四家庭が住む二階建て、先生の部屋は二階だった。
日差しが入らず、冷んやりした階段を上る。

「さおりさん、くるみちゃんに会うの楽しみだあ」
「あと、一時間もしたら帰ってくると思うけど、今、買い物に出てるんだ。何だか、張り切っていたぞ」「わぁー、ますます、楽しみだなあ」
先生は、鍵を開け、今は、だれもいない部屋に向かって、
「ただいま!」と挨拶して、
「ほらほら、入れ。朝日川からの長旅、疲れただろう?少し休むといいさ」
僕を部屋の中へと促した。

きれいに整頓された部屋。黄色のソファ。その前のテーブルには、出かける前に遊んでいたのか積み木の箱が置いてある。
外装も舞鳥の住宅と大違いだが、部屋の中も同じ人が住んでいるとは思えない雰囲気だった。 「先生、これ!」
腰の高さほどの本棚の上にたくさんの写真立てが飾ってあった。そのほとんどが、くるみちゃんのものだったが、その中に「舞鳥シーガル」の集合写真を見付けた。写真の中央に先生、その左右に僕と広人。広人は、寿ファイターズのユニフォームを着ている。
「そうだ!最後の試合に後に撮った集合写真。舞鳥シーガルは教員生活の原点だからな。ハルキたちはおれにいろんなことを教えてくれた。一生忘れられないな」
先生は、その写真立てを手に取り、手のひらでなでて、ぽつりぽつりと話した。
「先生、この試合覚えているかな?」
「ああ、よく覚えているさ」




続 ひまわりのころ 2

2015年08月25日 23時53分14秒 | 続 ひまわりのころ

「さあ、行くか!」
今夜は先生の家に泊まる。あの夏休み以来だ。
「車で十五分くらいだな。緑川でも街はずれの学校だからな」
先生の車の助手席に座って、緑川の街並みを見ていると、父さんの病気のことを思い出す。
『平田さん、元気かな?千石さんももうベテラン看護師だろうな?』
そんなことを思い出していると、「お父さんは、その後も元気なのかい?お母さんはもちろん、元気だろうけど…」
先生が聞いてきた。

「ええ、おかげさまで…父さんの病気はあれきりです」
「さすがだなあ、ハルキのお父さんはやっぱり強かったんだなあ」
「そうですね。ヒロトやカホに『ハルキの父さんは強いから!』って、あの時、励ましてもらったけど、本当に強い。今でもバリバリ仕事してるし、太鼓の方でも小学生の指導をしているみたいです」

車は、緑川の街の真ん中を流れる川沿いの道を進む。川の両岸には柳の木が植えられていて、これがあの時、病室から見えた緑の太い線だ。あの夏、何度か、母さんやじいちゃんに乗せられて、この道を通ったはずなのに、そんなことを考えたことがなかった。
街の繁華街を抜け、新しい家の建ち並ぶ住宅地の小さな小路へとに入っていく。「まもなくだぞ。あそこが第二小学校だ」と、フロントガラス越しに先生が指をさした。たくさんの住宅に隣接して学校はあった。それでも、十分広いグランドがあり、校舎も新しく見えた。
「新しい学校なんですか?」
「そうそう、開校して、五年。この辺りの子どもが増えたからね。第一小学校から分かれたの。周辺の町や村はどんどん、子どもが減って学校もなくなっているけど、緑川は別だな」
先生の言うとおり、舞鳥もすべての学級が複式学級になっているらしい。寿町も三校あった小学校が今は一つになっている。


開かれた学校

2015年08月25日 23時38分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、空知の局長が来校、子供たちのまじめに学習する姿を見ていただいた。
また、4月からのあれこれ、取組について聞いていただいた。

4月から、市議会議員の方々など、多くのお客様をお迎えしている。
大歓迎!とっても素敵な子供たちの姿を見てもらいたい。そして、「頑張っているね」と声をかけてもらいたい。

10月30日、公開研究会。とにかく、たくさんの人に来てもらいたい。
そして、何より子供たちのよさに拍手をもらいたい。

そう、40年前、僕が卒業した栗山町立南学田小学校がそうであったように……。

これは、僕が小学1年生だった時の担任の先生の週案。
数年前に、先生からいただいた。


続 ひまわりのころ

2015年08月24日 21時54分38秒 | 続 ひまわりのころ

少し間が空いたので、初回分も含めて~一緒に登場人物たちを育てましょ!感想をお待ちしています。前回も、今ではコメントがなくなりましたが、「よしいさん」に支えられ書き上げることができました。
今回も、そんな素敵な読者が現れないかな~期待です。
先日、コメントをくれた、Cさん、ぜひ、お読みくださいね。

「よーし、食べろよ、たくさん食べろよ。ここのミートソースは格別なんだ!」
ミートソースのたっぷりかかったスパゲティーが運ばれてくると、南先生はこう言った。話すリズムや声の色、言葉の種類、すべてがあの時のままで、懐かしい。もしかしたら、変わっているのかもしれないけれども、先生の顔を見ると小学生のころの自分に戻り、そう感じてしまうのかもしれない。
「坂田君、大学生活はどうですか?楽しくやっていますか?」
今度は、明らかに気取った口調で聞く。
「先生、『坂田君』なんてやめてくださいよ。『ハルキ』でいいですよ」
「立派な大学生になったんだ、『ハルキ』なんて呼ぶのは申し訳ないからさ」
「いいんですよ、先生はいつまでも僕の先生ですから…」
「すまないなあ。勝手な思いで、時々、メールして。でも、ありがたいなあ、こんなふうにわざわざ会いに来てくれて。ありがとうな、本当にうれしいよ」
緑川市のレストラン。僕は朝日川から舞鳥に帰省する途中、緑川の駅に降りた。

薄い黄色の壁にひまわりの大きなポスターが貼られている。僕らの他に、お客さんは二組。高校生の男の子と女の子が仲良く、一つのパフェを食べている。
もう一組は、小さな男の子を連れた若い夫婦。男の子が、僕らと同じミートソースのスパゲティーを食べ、ソースの色で口が顔の半分になっている。お母さんがその顔を見て、笑いながら、小さなタオルを鞄から出して拭いている。

南先生に最後に会ったのは、中学の卒業式の日。舞鳥中学校は、卒業式の日に小学校時代の先生方を招待する。当時、広人が転校して行った寿町の小学校に勤務していた。
僕は、中学卒業後、高杉君との約束どおり、北城高校へ進学した。卒業式当日は、まだ、合格発表前で、僕は入試の自己採点の結果が満足いくものでなかったので、随分、落ち込んで、先生に、
「落ちたらどうしよう?」と相談したことを覚えている。
「ハルキ!大丈夫だ。落ちたって、命を取られるわけじゃなし、やり直しはいくらでもきくから」
南先生らしい励ましの言葉と大きく口を開けて笑った表情に元気をもらった。
今日は、三年ぶりの再会の日だった。丸いテーブルを挟んで向かい合い、懐かしい笑顔に再会して僕はたまらなくうれしい気持ちだった。
「くるみちゃんは、元気ですか?」
「もちろんさ、時々、メールで写真も送ってたけど、元気さ。二歳になった。さおりに似て美人になるぞ。まあ、まあ、話は夜にでもできるから、冷めないうちに食べるといい」
僕は、スパゲティーを思い切り頬張った。美味しかった。美味しくて涙が出た。




前へ、一歩でも前へ

2015年08月24日 20時58分11秒 | 人生

「自分なりの答えを一生懸命考えて、努力を」と話した。「しかし、失敗もある」と話した。そして、「それはそれでいい」と。「一生懸命には多くの味方ができるから」

8月10日のライブで、「はじめのボタンを~」のエピソードを話し、高校時代の仲間が「一杯かけ間違ったぞ」と声をかけてくれたこと。「かけ間違ったら、かけ直せばいい」という投げかけに共感を得たような気がして、元気がでた。
だから、今日もしっかり伝えたかった。

過去は変えられない。しかし、変えられない過去に縛られていては何もできない。(人に迷惑をかけた、人を傷つけたようなことは別、それは心に留め、忘れてはいけないが)自分ごとの過去ならその事実は忘れていいと。その過去の失敗等の思いや経験は人生の肥やしになっているからね。


大切なのは今、そして、これから。
前へ、一歩でも前へ。

ほら、先日、「ひまわりのころ」に素敵なコメントももらったからね。もっと元気に!
そうそう、次回、続編を進めます。