すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

苦しみと私のあいだに隙間をつくる

2018-04-20 | 心で生きる
「ピンチはチャンス」って言うけれど
私自身を振り返ってみてほんとうそうだなと思う。

転機はいつも
どん詰まりの苦しい状況が続いて、
もうダメかも、自分危ないかも・・!っていうときにやってきた。


苦しみの渦中に巻き込まれて余裕がないときは
出口が見つからなくて途方に暮れている。

だけど
苦しみの日々だと本人は思っているときにでも
いつも、ずっと、そこらじゅうに自然はうつくしいものを見せてくれていて
ふと、そんな「今、ここ」にあるものに気が付けたときに
ちょっとゆるむ。
そんな、ほっとした瞬間に
なにか、ヒントのようなものが流れ込んでくる気がする。

追い詰められているときには
現状に対処することでいっぱいいっぱいになっている。
そういう時は頑張っても頑張っても、先に光が見いだせない。

いったん、そういうこと横に置いて
ほっとしたときに
「私、なにやってんだろ・・・???」ってなる。


苦しみと同化していた自分から
苦しみと自分に隙間ができた状態になる。



そうすると、ちょっと見渡せるのだ。

「解決すべき問題」対「私」がいたのではなくて
そういう「ストーリー」があって
「そのストーリーの中に組み込まれて一緒に演じている私」がいただけってことを。

すっかり演者になりきってたけど
そんなに苦しいストーリーの中に私を置いておいて良しとしてたのは、私だった。
私がこの役を降りればいいんだ。



それから
「じゃあ、本当はどうしたいのか?」ということを明確にさせて

それと同時に
今あるものを丁寧に扱う。
うまくいかなかった相手にも正直に接するようにした。

これで実際に状況が変わった。激変した。


苦しみばかりと思っていた場を去るときにも
最後は円満に退けるというオマケまでついた。


これは私のことだけではなく
いじめやパワハラや夫婦関係や親子関係や
いろんなことに共通するんじゃないかなーと思う。


苦しい時ほど
そのお題が解けた時の
そっかーーー!!!ピコーン!!!
っていうのが隠されているんですよ
私はゲームやらないけども、まるでゲームなのだ☆



外に探しに行かなくても
答えはぜーんぶ、自分の中にある。
誰の中にも。

その人のお題はその人のゲーム。
外注は実のところ不可能だし
モッタイナイ


だってそこにはその人だけへのギフトが隠されているから(*´▽`*)




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