すべてのみちはここに

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宝物は 
いつもここにある

「たわわごはん」のこと

2018-05-10 | 日記
もう1年くらいになるかな、
月に一度の「たわわごはん」の料理教室に通っている。


これは去年の6月(車麩ソテー・グリーンソース、蒸しなす・海藻ドレッシング、コーンスープ、玄米サラダ)

講師のまつみちゃんとは
じつは知り合ってからもう15年くらい(!)たつけど
お互い、いろんな人生の経験を経てからの
再び縁が近づいた感じがおもしろい 
共感したり刺激を受けたり、しきり


「料理」という型に乗せて伝えているのは
たんに「方法」ではなく
食材という「いのち」を
料理をすることで
私たちの「いのち」に移していくこと
「料理は命の移し替え」とは辰巳芳子さんの言葉だったかな?まさにそれを感じた。





たとえば
「待つ」ということを学んだ。



鍋に入れる順番がある。
鍋に入れたら火を点ける。
火を点けたら何分、ではない。
その時見るのは時計ではなく
鍋に耳を傾け、微かな音の違いを聴く
それとか匂いを感じたり、、

そうやって感覚を使って
見えない中の様子を推しはかる。(フタを開けても、素材どうしの間でいま何が起こっているかは見えないから)


まつみちゃんの料理は静かに進んでいく。
むやみに蓋を開けたり
かき回したりしないのです。
(教室はデモンストレーション形式です)


「鍋の中の調和を崩さないように」

って最初聞いたとき
そうなのかー!って思った。
鍋の中に調和があるという発想がなかったから。
料理をモノとモノが混ぜ合わさってるだけと捉えてたら、
そうゆうことには気が付かない。


最小限の必要な手を加えれば
あとは「待つ」という時間がある。

待っていると
自ずと鍋の中に調和ができてくる

その「最小限の必要な手」とは、
素材を選んで触れた時から
料理をする中で
素材を感じながら決まってくる

「野菜も生きものなので
いつも同じじゃないですから」

そういう、見方(向き合い方)と
素材を生かす料理の方法を学ぶ。



そうしてできた料理は
シンプルな味付けで
素材のもってる味がギュ~っと引き出されていて
しみじみ、美味しい。。




まるで茶道とかの「道」のようだ。
料理「道」だ。
「道」は型を倣うことで「今ここ」に戻るシステムとおもうから。
感じる料理、生きてる料理♪
おっと、マニアックな感想になってしまった

そんなことはさておき
料理はとてもシンプルで
シンプルだからこその外せない基本を
しっかり教えてくれるので
応用が利く。

料理と一緒に旬のものや季節の話し
陰陽五行のことを教えてくれて
人間も自然の一部ということを思い出させてくれる。



家で時々、気持ちが焦り気味でガチャガチャ料理しているときは
あ、って気が付いて、思い出す。
料理してるときの
まつみちゃんの空気を思い出す。

すると先走っていた気持ちがここに戻り
感覚を起こして
今している料理をひとつひとつ、感じながらやり始める。

いつもいつもそうできたらいいのだけど忘れてる時もある。
思い出したときはそうやるようにしている。




先月(赤飯、畑のお肉のから揚げ ひじきサラダ、たけのこの炒め物)


たわわごはんの料理教室は毎月(希望日を選べます)佐々の古川公民館でされています。
興味のある方はこちらをごらんください☞たわわごはん



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