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今でもたまに思い出す光景がある
母におんぶされてる私が見ている世界
背中の体温
母は後ろ髪をゴムでとめていて(輪ゴムだった😆)
頭が動くたびに結んだ髪が左右に動くので
そのクリンクリンしたくせ毛があっちにこっちに動くのをただ見てる。
母はニットを着てたのかな、
ニットの上で髪の束がチクチクこすれてる感じをただ見てたのを覚えてる。
たぶん1~2歳くらい
覚えている中でいちばん古い記憶
あれを経験していたのは私だけど
「私」以前の私
「私はこういう者だ」ということを取り入れる前の私だった。
次の記憶が
私は台所の椅子の背もたれに両手をかけて
料理をしている母の後ろ姿を見ている。
母に尋ねる
「ねーおかーさーん、ともちゃんさんさい?」
母「そうよー、ともちゃんは3さいよー」
っていうそれだけの記憶
その時はもう私は「ともちゃん」で「3さい」というふうに
わたしは何者であるかの材料を外からどんどん集め始めている
それから
何歳の頃かわからないけど
(おそらく3~6歳のあいだくらい)
祖母の家の裏の薪置き場で、下屋の白いビニール波板を通した、やわらかい日の光
それを下から、ただ見ている。
同じく祖母の家 物置部屋(頂き物のお菓子とかがしまってある)の高い窓から
擦りガラス越しに入ってくる柔らかい光をただ見ている。
穏やかで安心感に包まれていて
どうしようもなく退屈な感じ
それからたぶん6歳くらい
夜寝る時、布団の中で考えている。
お母さんが死んでみんな死んで私も死んだら
「私」ってどうなるんだろう????
空をずーーっとずーーーっと行ったら、どうなるんだろう???
もし終わりがあるなら
その終わりの向こうはどうなってるんだろう???????
これを今の言葉に変換するならば、
私を私と認識しているこの「意識」は、死んだらどこに行くのだろう?
肉体の死と共に消えてしまうのか?
消えるってどういうことなんだろう?
消えることを認識する意識はあるのか?
空間には限りがあるのか?
あるとしたらその限りの外側はどうなっているのか?
これを考えて考えて
考えすぎて怖くなって、泣き出した。
泣きながら母の寝床に入れてもらいに行ったら
なんば言いよっとか~、おかしか!と追い返された。_| ̄|○
(母は超ドライな人なのだ 笑)
大人になって
そんなことはくだらないことだと
忘れ去ったかのようにして
そのことはずっと根底にあって
その問いと共に生きてたのかなと今になって思う。
なぜ
そんな、取るにたらないような記憶を
忘れずに覚えているんだろう?って思ってた。
でも、あの感覚は何だったんだろう?とも思ってた。
何十年も持ち歩いていたこのことについて
最近、なにか書けそうな気がしていて
書いている。
長くなったので今日はこの辺で。。
続く。。。
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