すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

ロボット熊の夢

2018-05-15 | 心で生きる
先週の数日間 体調を崩したときがあって
立て続けに怖い夢や気味わるい夢や変な夢を見た

ほとんどは後味の悪さだけですぐ忘れてしまったけど
ひとつ印象に残った夢がある。



屋根裏になにかケモノがいるような気配がしたので、覗いてみたら
アライグマがたくさん入り込んでいた
(アライグマは野生化して今や普通にいる)

アライグマたちは私が感づいたことを察知して
ゾロゾロとうちから出ていくところだった。

私は「あー・・・ アライグマが出ていくー」と思いながら見ている。
(しかし2本足で歩く、どう見てもクマのぬいぐるみ、テディベアだ)

ヒソヒソ… コソコソ… その中の一匹が後続のやつに話しかける風に振り返ると

目が赤く光っている

他のやつも胸のところが
四角に毛皮が剥がれて、中から
赤く光る回路みたいなのが覗いている

アライグマたちはじつはみんなロボットだったのだ…!
全部で25頭くらいいた。
私の生活を屋根裏から監視していたらしい・・・!

いま思い出すと笑えるけど
その時はぞっとした。 

起きた時にすごくいや~な気分だった



なんだこの夢・・・???






その時はわからなかったけど
体調が回復して
なんとなく思ったのは

他人にどう思われるか?っていう不安とか
「私はこう思う」と表明することの怖さ
表明することで
だれかに否定されないか、だれかを傷つけないか
そういう思いが
私の底のほうから
意識の上のほうまで
浮き上がってきたのだと思った。


ちょうどこんなことをぼんやり感じてた時に
弥彦さんがこんなこと言った。

例えば私が「書くとき」
(畑のこと自然のこととか)
答えがわかっていることだけを
きれいにまとめて出してる
自分の思ったことでも誰かの言葉を引き合いに出して書いてる
だけど
ほんとは君はキャッチしてる。
オリジナルの感受性があるのに
それを自分のは価値がないと思ってる。
もっとそのまま、
それが何になるのかわからなくても
感じることを
かっこわるくても
そのまま
出したっていいんじゃない?
(文章でも作品を創ることでも、表現することにおいて)



ドキッとした

「そうかも
なんでかって怖いんだよ
出すのっていつも怖いんだよ」
「だからまとめてしまう
だれに向けても間違ってないようにって気にしてる」

話しながらぽろぽろ剥がれてくる


そんなことを話していたら、思い出した。
そういえば同じことを私言ってた…!
「まとめないで
私の話しを勝手にまとめないで
出してるだけなんだから
聞いてるだけでいいの!」
って、会話してるときに苛立って言ったことがある。

あれは、自分に言ってたんだねー😲

お互い妙に納得した。


洗濯ものを干す時とか
タコ足物干しがちょっとでも傾くと気持ちが悪いほど
なんでもまとめたがる
きっちり揃えたがる(掃除は苦手なくせにw)
バランスを気にする
そういう癖があるけど
それも個性だけど
そこを破りたい欲求もある
だけど怖い


夢っていう内側からと
外側からのメッセージがシンクロ



だれに向けても間違えないように だと~う? 笑

ムリに決まっとるし

どんなに仲がよくても
みんな、違う世界の住人なんだから



怖いとか不安とか、
浮き上がってきたから
よかった

フタしてたら腐るから

空気入れみたいなもん♪

ぬか床みたいなものだ

醸してこ



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5月13日の日記

2018-05-13 | 日記
昨日はパートナーの弥彦さんの誕生日で家呑み


イノシシのヒレカツ(パン粉がなくて天然酵母パン削って衣にしたら極上カツになった(*´▽`*)) 自家野菜と春雨の生春巻き これに野菜スープ


海月食堂にオーダーして作ってもらったバースデイケーキ すごーく美味しかった!


いつになく話がヒートアップして
深夜というか明け方近くまで盛り上がった

いつも喋ってるのによく話すことあるよねー
話が尽きない



弥彦さんは私のアクセルでありブレーキだ


アクセルは、
私が自分で気付いてない私の持ち味、個性の、その価値を指して
それ資質だよ、なにそこ遠慮してんの?もっとどんどん出していいんじゃない?
結果なんか気にしなくていいから、思ったようにやればいいよって
無言の後押しをしてくれる

ブレーキは、
私が自分で決めた思い込みに縛られて
本望からではなく「ねばならない」で突っ走って
止められなくなっているときに
「そうでなければならないってことはないんじゃない?」って言葉を横から投げかけてくれるので
ムリヤリに事をコントロールしようとしてたことに気付かせてくれる


もし、世の中の人みんなに誤解されることがあっても
一人だけでも私のことをわかってくれる人がいれば
それでいいじゃないかって思える

臆病で無謀な私の心強い味方

いつもありがとう






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「たわわごはん」のこと

2018-05-10 | 日記
もう1年くらいになるかな、
月に一度の「たわわごはん」の料理教室に通っている。


これは去年の6月(車麩ソテー・グリーンソース、蒸しなす・海藻ドレッシング、コーンスープ、玄米サラダ)

講師のまつみちゃんとは
じつは知り合ってからもう15年くらい(!)たつけど
お互い、いろんな人生の経験を経てからの
再び縁が近づいた感じがおもしろい 
共感したり刺激を受けたり、しきり


「料理」という型に乗せて伝えているのは
たんに「方法」ではなく
食材という「いのち」を
料理をすることで
私たちの「いのち」に移していくこと
「料理は命の移し替え」とは辰巳芳子さんの言葉だったかな?まさにそれを感じた。





たとえば
「待つ」ということを学んだ。



鍋に入れる順番がある。
鍋に入れたら火を点ける。
火を点けたら何分、ではない。
その時見るのは時計ではなく
鍋に耳を傾け、微かな音の違いを聴く
それとか匂いを感じたり、、

そうやって感覚を使って
見えない中の様子を推しはかる。(フタを開けても、素材どうしの間でいま何が起こっているかは見えないから)


まつみちゃんの料理は静かに進んでいく。
むやみに蓋を開けたり
かき回したりしないのです。
(教室はデモンストレーション形式です)


「鍋の中の調和を崩さないように」

って最初聞いたとき
そうなのかー!って思った。
鍋の中に調和があるという発想がなかったから。
料理をモノとモノが混ぜ合わさってるだけと捉えてたら、
そうゆうことには気が付かない。


最小限の必要な手を加えれば
あとは「待つ」という時間がある。

待っていると
自ずと鍋の中に調和ができてくる

その「最小限の必要な手」とは、
素材を選んで触れた時から
料理をする中で
素材を感じながら決まってくる

「野菜も生きものなので
いつも同じじゃないですから」

そういう、見方(向き合い方)と
素材を生かす料理の方法を学ぶ。



そうしてできた料理は
シンプルな味付けで
素材のもってる味がギュ~っと引き出されていて
しみじみ、美味しい。。




まるで茶道とかの「道」のようだ。
料理「道」だ。
「道」は型を倣うことで「今ここ」に戻るシステムとおもうから。
感じる料理、生きてる料理♪
おっと、マニアックな感想になってしまった

そんなことはさておき
料理はとてもシンプルで
シンプルだからこその外せない基本を
しっかり教えてくれるので
応用が利く。

料理と一緒に旬のものや季節の話し
陰陽五行のことを教えてくれて
人間も自然の一部ということを思い出させてくれる。



家で時々、気持ちが焦り気味でガチャガチャ料理しているときは
あ、って気が付いて、思い出す。
料理してるときの
まつみちゃんの空気を思い出す。

すると先走っていた気持ちがここに戻り
感覚を起こして
今している料理をひとつひとつ、感じながらやり始める。

いつもいつもそうできたらいいのだけど忘れてる時もある。
思い出したときはそうやるようにしている。




先月(赤飯、畑のお肉のから揚げ ひじきサラダ、たけのこの炒め物)


たわわごはんの料理教室は毎月(希望日を選べます)佐々の古川公民館でされています。
興味のある方はこちらをごらんください☞たわわごはん



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答えはすべてここにある

2018-05-09 | あめつちfield
自然の法則にならって、人が役立てていることっていろいろあるよね~とか考えていて
ふと耳にしたのが「サイフォン」
それってどんなのだったっけ?って検索してたら思い出した
鹿島時代のブログに書いてた。

これこれ↓  2014年だって
もやもんツアー☆レポート(前半)

佐賀県伊万里市の「馬ノ頭」と呼ばれる水路


この写真
なんか変でないですか?

手前の2本の水路、
川っぷちに向かってプッツリ切れて見えます。
この水路は
なんと下から上に上ってます。
水路右の水は下から上に流れてます!
(水路左は田んぼシーズンが終わってたので水が止まってました)

どういうことかというと
水路の向こう、低いところを大きな川が横たわってますね。
この水路は
この大きな川の向こう岸の高いところから降りてきて
大きな川の川床を潜り抜けて
こちら側の岸に上りあがってきてるのです。

この時も下から上に
とうとうと水が流れていました。
(これでも少ないほうで、田んぼの時期はもっと水位が高いそうです)


これは、上流で水が落ちるときの重力で
下流で押し出している、逆サイフォン方式です。




すごいよな~
いま読んでもすごいよな~
(このレポートよく書けてるな~ 笑)


4年前も今とおんなじようなこと書いてるー
萌えるポイントは変わってないね

「アザメの瀬」のレポートより~
************

ほぼ毎年おこる川の氾濫。
洪水を防ごうという発想からみたら「災い」だったけど
自然が行きたい方向に行ってもらう、そのサポートを人がやったら
洪水によって上流から植物の種が流れてきて根付いたり
魚が湿地に産卵に来たり
洪水が「恵み」となりました。

************



この馬ノ頭は、全体の完成までに60年以上もかかったらしいけど(それでも400年後の今も使ってるからすごい!)
これほどの大掛かりなものじゃなくても
「自然のはたらきはこうしたらこうなる」っていう
自然の土や水や風や生きものたちの法則、ふるまいを
よく観て
些細に思えることでも
意識に上げてみる。
どうしてこうなってるんだろう? と拾ってみる。
そんなことあたりまえじゃない、とか知ってるよ、って思ってても
見てるようで見ていない。

そうしたなかで思いついたことをやってみる。

そして、自然から返ってくるものから
また次の道を教えてもらう。


炭素循環農でも、矢野さんの大地の再生でも
やってる基本はそこだろうと思う。

誰か(人)が正解を知っているのではなく
真ん中に「私」という受容体がいて
私の位置から観て、感じて、働きかける。
そのうえで、人どうし繋がることは
大きな力になるし成長になるのだろう。

答えは自然が教えてくれる。
そして「私」もまた自然。
私の感覚を聴く
感じること。

これが基本だから
方法について書くのはタイヘンなので書いてないけど
いつも庭や畑で
ゴソゴソゴソゴソ

ゴールデンウィークはほとんど敷地から出ずに
ゴソゴソやってました。
楽しくって、感謝です。


ちなみにこのレポート、後半の「石井樋」も昔の人の智慧の賜物、すごいです。→もやもんツアー☆レポート(後半)



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お知らせ

今月のそらいろガーデンは5月20日(日)です!



生かす草刈り

2018-05-08 | あめつちfield
先日お会いした矢野さんが提唱されてる「風の草刈り」というのがある。
(検索してみたら解りやすい図解があったのでシェア→風の草刈り図解
(こちらの記事も参考になった→水脈整備と風の草刈りで変わったこと

風の草刈りのことは前にチラッと読んでやってみたけど
風にそよぐくらいの丈を残して草を刈るとなると
後で見てどうもやった気がしなくてついつい刈りすぎてた。
その時はあまりきれいでないと感じた。
理屈で理解してた時はそうだった。


矢野さんにお会いして
矢野さんの、自然を読み解く視点とか
言葉ではない「在りよう」みたいなものを
それをわずかな時間でも皮膚で感じることができてよかった(→これを勝手に「ダウンロードした」と思ってる)
それで後日
もう一度やってみた。


草払機って、使ってる時はガンガンやれるけど、後ですごく疲れるので嫌いだった。
けど、風の草刈りは
力まずスイスイ刈れた。
刈りながら思った

あぁ・・・ これは 「生かす」草刈りなんだなぁーって

今までのは 殺す草刈り してたんだなぁー
だから疲れたのかも。。

殺す草刈りは、うりゃりゃりゃーーー!こいつめこいつめ~!って、
例えば何度刈ってもしつこく生えてくる茅(チガヤ)の大株なんかは容赦なく株もとを切り刻んだり 笑
だからいつの間にか力が入ってガチガチになってて後でぐったり疲れた。

生かす草刈りは、撫でていく感じ。肩の力も抜けていて疲れない。
背の高い草を短くするだけで
光の入らなかった根本の他の草が元気になって
いろんな種類の草が共生するようになり
大きかった草も姿がコンパクトになっていくそうだ。

それに、「もう殺さなくていいんだ」って、
とてもラクで
しぜんと優しい気持ちになる。
これは前に畑で気付いて「もう虫を殺さなくていいんだ」って解ったときと同じ感覚。



農薬や除草剤を使っても使わなくても
排除しようという意識であれば
やってることは同じこと
(良い悪いではなく、起こってることは)

肥料という「考え方」もまた
逆のようでいて
根っこは同じ。
全体を見ないで部分を肥やそうという行いが
余剰分の有機物の滞りをつくり腐敗を招いたり
微生物と植物のやり取りを分断させる。

どちらの方法・考え方もやってることは同じ、命のリレーを分断させること。



「ない」という勘違いからの、辿る道は苦しみばかりだけど
「ある」という信頼からの道は明るい

人間だけが、全体を見わたして、自然が行きたいほうへと手助けすることができる。


ということを踏まえての、庭の再生
できるところからやり始めている。
どんな変化があるか、楽しみ


4月の終わりごろ 夕暮れ時なので暗いけど


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今月のそらいろガーデンは、5月20日(日)です!