富岡駅を出た電車は、数分後に夜の森駅に停車しました。
夜の森駅は、私が「ツツジの名所」にリストした花の名所で、訪問したいと思っていた矢先に東北大地震と原発事故に見舞われました。
あれから12年の最月が流れ、どうなったかと、ずっと気になっていました。
心配していたツツジですが、車窓から、ホーム両側の土手に再生されたツツジを確認することができました。
それ以外にも、富岡町には数多くの桜が花を咲かせましたが、富岡町観光協会のホームページで確認すると、桜は今も花を咲かせるようです。
電車は程なく、帰宅困難区域に指定される場所に入りました。
電車が大野駅に着いた頃から、意識して地域の状況を観察しましたが、そんな目で見た為なのか、駅を包む草の密度が濃いように思います。
電車が双葉町に入ると、前田川の畔に建つ民家は屋根の高さ程の木々に埋もれ、田畑があった筈の場所は灌木や雑草が生い茂っていました。
川を越えた先で見た民家は、完全に木立に埋もれていました。
双葉駅へ向かう車窓に同様の景色が続きました。
帰宅困難区域を、名も知れぬ草木が覆っていました。
そして電車は双葉駅に停車しました。
双葉駅周辺は、大震災から11年後の2022年8月30日に、町の面積の約1割に当たる555ヘクタールが特定復興再生拠点区域に指定されて、定住できるようになりました。
しかし住民が震災前と同じ生活を取り戻す為には、多くの困難が待ち受けています。
電車が双葉駅を離れると程なく、先ほどの大野-双葉駅間の景色と異り、田に稲が育つ風景が車窓から確認できました。
そして次に、普通電車は浪江駅に停車しました。
27人の行方不明者の捜索が今も続けられています。
駅周辺の様子を見ると、今も駅前に空き地が広がっていました。
私は現在、東京都内に居を構えますが、誰もが、東京は必ず直下型大地震に見舞われると案じています。
私は既に70歳を越えましたが、子や孫や、将来ある人々の為に、何かできることはないかと常に考えます。
近隣住民との絆や避難先確保も含め、せめて、あの日の記憶を語り継ぐことだけは続けたいと思います。
常磐線普通電車はその後も北上を続け、緑に包まれた桃内駅、小高駅に停発車し
長閑な磐城太田駅の侘しい駅舎を確認しながら、
時刻表通り、10時44分に原ノ町駅に終着しました。
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