邦画ブラボー

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「砂の器」デジタルリマスター版

2021年01月10日 | ★人生色々な映画

 

「砂の器」を「日本映画専門チャンネル」

でフル再見し、

改めて今回 主人公の子供時代を演じた少年の演技に注目しました。

父親役、加藤嘉との別れのシーンは緒形拳ではなくても

もらい泣きです。

 

この子に一切台詞を言わせなかった野村芳太郎監督の演出は

素晴らしい。目が、哀しく鋭い眼差しがすべてを語っているんです。

 

加藤剛にも心の中を吐露する台詞は全くありません。

全て回想シーンと丹波哲郎の語り、そして音楽で表現されています。

 

この少年春田和秀君はその後・・?と調べてみたら

衝撃的なインタビュー記事をネットで見つけました。

中学3年で引退、そして子役だった華やかな(我々から見たら)過去を消すように

名前も平仮名に変えていたとか・・

 

椿三十郎、素浪人春夏秋冬、そして和賀英良もそうですけど

匿名 偽名を使うのには

その人にしかわからない理由があるものなのですね。

 

日本映画専門チャンネルにて

 

 

 

 

 



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2 コメント

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mirageさんへ (ブラボー)
2023-03-01 11:45:08
mirageさんの素晴らしい感想を拝読させていただいて
この作品を再び観終わったような感慨に
浸りました。
ほんとうに素晴らしい作品だと
思います。 野村監督と橋本忍が
それほどまでに情熱を燃やして創り上げたとは
知りませんでした。しまったままの橋本忍の本を今一度本棚から引っ張り出して読みたくなりました。

和賀の三木巡査への
複雑な思いの
ご指摘にははっといたしました。
親身になってくれた巡査を何故・・と
思うところですが、確かにそうだったのかも
しれませんねえ・・・・
出演者の渾身の演技、
音楽 風景の美しさも素晴らしく
映画の醍醐味を味わえる、歴史に残る作品ですね。
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「砂の器」は日本映画史に残る名作です (mirage)
2023-03-01 10:07:34
ここでご紹介されている「砂の器」は、まさに日本映画史に残る名作だと思います。
そこで、この映画を初めて観た時の感動を思い出しながら、感想を述べてみたいと思います。

野村芳太郎監督の「砂の器」は、松本清張の原作の小説を遥かに凌駕している、まさに日本映画の歴史に残る名画の1本で、宿命のもつ哀しみを打ち破ろうとする人間の栄光と挫折を描いた作品です。

映画「砂の器」の冒頭の画面一杯に広がる、北辺の夕焼けを背景に、襤褸をまとった幼児がただ一人、濡れた砂を手に一杯盛って、無心に作り続ける砂の器は朝の陽光を浴びて、ただひたすら崩れ去るしかないという寓意を込めた、このタイトルシーンに我々観る者は、映画的陶酔感に酔いしれ「砂の器」という映像的世界に引き込まれていきます。

親と子の貧困と宿命のどうしようもないしがらみを、あらゆる手段で振り切り、天賦の音楽の才能で人生に立ちはだかる壁を打ち破ろうとする、一人の人間の成就するかに見えた栄光と、その後に訪れる残酷な挫折を、砂の器に盛られたものを人生のもろさに重ね合わせ、深い哀惜と共感をもって映画「砂の器」は描いていきます。

裕福で家柄も良い出自の人々にとって、その人間の持つ才能は恵まれた環境を後ろ盾として、順調に育ち、そして自然と評価され、頑丈で壊れない"鉄の器"の中でその人間の人生は例えそれが一抹の虚像であっても、容易にぐらつくものではありません。

しかし自分自身ではどうしようもない自己の出自による、宿命のもつ哀しみとつらさが音楽の才能に恵まれたばかりに、宿命からの脱却が、やむなく犯罪へと突き進んでいくというアイロニーになっています。

松本清張の大ベストセラーの原作の「砂の器」は、彼の初期の代表作だと言われていて、社会と人生を投影させた、静かで哀愁に満ちたサスペンスの高揚は、人生の深淵を垣間見せながら、栄光と破局が同時に訪れる最終章へとなだれ込んでいきます。

この原作の発表当時から、その映画化に執念を燃やし続けた野村芳太郎監督と脚本家の橋本忍の名作「張込み」のコンビは、この構想を15年間も温め続け、共同でプロダクションを設立してまで映画化にこぎつけたそうです。

橋本忍は「一人で生まれることはできない。一人で生きていくこともできない----しかし魂はみんな孤独なのだ」というコンセプトのもと、この優れた砂の器のシナリオを完成させました。

推理小説の映画化は難しいとよく言われますが、橋本忍のシナリオは原作を換骨奪胎し、推敲を重ね六稿目でようやく納得のいくシナリオが完成したそうです。

原作の小説は、犯人が幼年期の人生の恩人である元警察官の三木巡査(緒方拳)を殺害する動機に説得力が欠けるとの書評が数多くありましたが、橋本忍のシナリオは、その弱点をカバーしようとする優れた内容になっていると思います。

模範的な巡査で人に対してもひたすら親切であったという三木巡査が、あるきっかけで成人した和賀(加藤剛)の存在を知り、懐旧の念から上京して和賀に対して、現在もなお生きているハンセン氏病の父親(加藤嘉)との再会を強硬に迫った事が、成功を目前にした和賀にとって、自己の出自の発覚を恐れた、打算的な殺意を生んでしまったという一般的な解釈に対して、橋本忍はそこから更に深く突っ込んで、三木巡査の善意からの和賀への説得であるとはいえ、それだからこそ耐えられない人間の心に、ある意味、強引に踏み込んでくることへの反発・抵抗する気持ちが殺意へと向かっていったとする解釈へもっていきます。

また、この時の和賀の心理的な深層心理を考えてみると、人目には哀れだと見える親子の巡礼の旅が二人にとっては、何事にも代えがたく嬉しく懐かしいものであり、その状況を引き裂いて、父親を療養所へ送ってしまった三木巡査への幼い日の恨み・憎しみが根付いたままであったとも言えると思います。

だからこそ、この父子の永遠の別れになる、亀嵩駅の停車場で列車を待つ父親のもとへ必死に走り、父親へすがりついて泣きじゃくる和賀のシーンが、この映画の中でも最も感動的なシーンになっているのだと思います。

この亀嵩駅での別れのシーンは、映画史に残るまさに名場面のひとつとして長く記憶に残り、思い出すたびに目頭が熱くなってきます。

そしてこの映画の白眉ともいえる、ピアノ協奏曲「宿命」の新作発表会と新進作曲家として脚光を浴びる和賀を追い詰める警視庁の捜査会議、そしてそこに回想され、掘り起こされる和賀の思いがけない暗い宿命的な過去。

この三つの演出上の同時進行と交錯する場面が、流麗で悲愴ともいえる「宿命」という演奏される曲によって、胸を締め付けられるように盛り上げていく最後の40分間の長いワンカットは、野村芳太郎監督と脚本家・橋本忍のこの映画に賭ける思いが全精力で注がれており、小説では味わえない映画という表現媒体のもつ強み・素晴らしさが最大限に発揮されていると思います。

この映画での現地ロケは17,000km、フイルムの使用量は20,000メートルで通常の映画の約10本分ということで、厳しい冬の竜飛岬、早春の信濃路、初夏の北関東、真夏の奥出雲、紅葉の阿寒と日本全国を漂泊していく親子の巡礼の旅を、撮影監督の川又昴は格調高く日本の四季の風景の美しさ・たたずまいを丹念に心を込めてカメラに収めていて、この映画にある種の風格を与え、より感動的なものにしていると思います。

まさしくこの「砂の器」という映画は、後世にまで長く語り継がれる価値のある名画だと思います。
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