自宅の近くのお家のさくらの花が咲きました。
空も雲一つなく真っ青です。
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第474回(2023年4月3(月)配信)・・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
古民家旅館 雲海の宿 月星亭 / 足立泰司 / ものづくり・工場改善 会社編
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今回は5年もの歳月をかけて古民家を旅館に大改造された足立泰司さんをご紹介したいと思います。
◆古民家を大改造中
足立さんと初めてお会いしたのは2019年6月8日。実家の松の木が大きくて素晴らしいとほめていただきました。聞けば、造園業をされており木については大変お詳しいとのこと。さらに聞くと、東京の町田市に住んでおられるが、今は、故郷である但馬の古民家を大改造中で旅館にされるとのこと。造園業や建物の改造に興味があった私は大改造現場を早速見せていただきました。
見せていただいた古民家は竹田城に近い朝来市山東町迫間にありました。江戸時代に建てられたものでかなり古く、現場を見てこれを改造するんですかと思わず聞きたくなりそうなほど、その改造の大変さが感じられました。
↓ 大改造中の屋内①
・・・畳は無く、脚立が立ち、工具等が散乱し、工事中です
↓ 大改造中の屋内②
・・・庭も工事中で整備されておらず、障子の紙も貼られていません
◆過去の様子と現在の様子の比較
今回、5年の歳月をかけ、さらにコロナ禍を乗り越えられて、古民家の大改造を達成され、
「古民家旅館亭 雲海の宿 月星亭」を開業
されました。同時にお食事処も開業されています。
その苦闘の様子がわかりやすいように、2019年当時の様子(大改造開始から1年目)と完成した現在の2023年の様子を比較してご紹介したいと思います。
①建物の正面の様子
⇩建物の雰囲気は変わりませんが、玄関の石畳ができて、提灯が掲げられ、
松の木の根元が庭らしくなっています⇩
②室内からの庭の眺め
⇩障子には紙が貼られ、
ガラス越しに見える庭もきれいに整備されました⇩
③趣のある丸い窓
⇩丸い窓(こんな窓がまだ残っているんですね)には障子が取り付けられ、
幻想的な雰囲気になりました。⇩
④囲炉裏周辺
⇩暖炉の備品も取り付けられ、周囲に屏風が置かれ、
楽しく歓談できる素敵な雰囲気になっています。⇩
◆自慢は露天風呂
最初の訪問時に一番びっくりしたのは、大きな岩がくり抜かれて屋外にドカンと置かれており、何をされるのですかと聞くと露天風呂にされるとのこと。その時は、どんな風になるのか全く想像もできませんでしたが、自慢の露天風呂ができていました。右上のお湯の出口の石が個性的です。
こちらはお庭の灯篭です。人の背丈以上でとにかく大きいです。足立さんは庭師をされていた関係で、木や石やを常に扱っておられました。
灯篭の後方の庭からの眺めも素晴らしいです。
◆お食事処もやっています
旅館は一棟貸しで、寝室2部屋や囲炉裏付きの居間があり、室内風呂と露天風呂が利用できます。8名までの利用が可能です。とにかく、周囲の自然環境と調和した、落ち着ける古民家旅館に仕上がっています。
予約は 古民家旅館 雲海の宿 月星亭
079-666-8155 へ
朝来市山東町迫間字大林213番1
(竹田城と雲海を見ることのできる場所まではすぐそこです)
お食事処もやっておられます。自家製の野菜をふんだんに使ったお昼の「おまかせランチ」(1480円)は要予約で1日15食限定になります。定休日は月曜と火曜です。上の写真の石燈籠の右側にランチやっていますという旗が立っています。
↓ 建物全体の外観
↓ あたらしくいただいた名刺
↓ おまかせランチの一例
(後日、ランチの写真を挿入予定です)
◆ご苦労様でした
コロナ前の2019年に最初に訪問させていただいたときは、とにかく改造の程度が大きくて大変そうで、いつ完成するのだろうかと思いましたが、コロナ禍を乗り越えて今回ついに完成されました。
初志貫徹!
大変ご苦労様でした。
井上直久
京セラ創業者、元京都商工会議所会頭の稲盛和夫様が8月24日に逝去されました。
享年90歳。
筆者は直接のご指導などをいただいたことはありませんでしたが、ある著書を読ましていただたときの直接指導の場面での質問への回答にたいへん感動した覚えがあります。詳細な内容は覚えていないのですが、質問の目的である本質を見抜き、広い視野を持っての的確な回答であったと記憶しています。
フィロソフィーを経営の前面に出されており、日本航空のあれだけ早い再建は、その賜物のように思われます。
また、得度をされたのは自宅に近い京都府八幡市の円福寺であり、その円福寺を私は何度も訪れています。
ご冥福を祈り合掌。
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第459回(2022年9月5日(月)配信)・・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 会社編⑬ー2 豊岡市工業会 ~会社展示編~
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今回は、豊岡市工業会の2回目で、会社展示にスポットを当てて記事を書いてみました。
(1)豊岡市工業会
まず、豊岡市工業会の紹介資料になります。
①7月23、24日に実施された
「おっとろっしゃ!とよおかのものづくり7」のパンフレットです。
会員企業の一覧が左側のページにあります。多いいですね。
②「豊岡市工業会」のパンフレットです。
金属加工業とばね製造業の写真が2つずつ入っており目立ちます。
会員企業を確認すると、純粋な製造業と言える会社以外に、
建設業や設計サービス業などの会社さんも含まれています。
また、豊岡市以外の企業さんも目立ち、「但馬工業会」といった雰囲気です。
③豊岡市工業会の「10周年記念誌」です。
設立から、もう10年たったのですね。
(設立時の地域外の会社さんへの視察は京都地区で、京セラとオムロンだったと
ある方からお聞きしました。オムロンの草津工場にも来られたみたいです。
その当時は私は見学路から数mのところにデスクがありました。)
「世界に羽ばたく 豊岡のモノづくり」
(2)兵庫県立但馬技術大学校
展示をされていた企業さん等の中から2事業者さんを選びました。
最初の事業者さんは但馬技術大学校さんです。
2つ目の事業者さんは前野紙業さんです。
①大学校ですので製造業とは言えないかと思われますが、
機械工学科や建築工学科や自動車工学科などがあるとのことです。
関連性はありますね。
学習・訓練後には但馬地区の事業者さんに就職される方が多いようです。
②こちらが実際の展示になります。
③展示パネルの横にはこんなものが。競技用の車です。
車体に書かれた宣伝から車と分かるのですが、1リッターの燃料で
どれだけ長い距離を走れるかという競技に参加されたいます。
毎年、優秀な成績を挙げられています。
その理由は、優秀な指導教官の方の熱心な指導によるもののようです。
(学生の方から熱心な説明をいただきました。ありがとうございました。)
豊岡病院に行くときに大学校の横の道を車で走っています。
しかし、何をされているかわかっていなかったのですが。
写真ついては、展示説明者の方のご了解をいただき、撮影して、掲載しています。
(3)前野紙業
旧日高町にある紙箱などを製造されている会社さんです。
常に会社の横の道を車で走っています。
①展示パネルの前に製造されている箱の説明が。
「前野紙業株式会社では こんな箱を作っています」
②展示台には、「玄さん」ができるペーパークラフトが
早速、家に帰って組み立ててみました。
③台紙からのピースの切り離しが難しい
ピースは2つなのですが、まず台紙から切り離すのが難しい。
特に切れ込みが鋭角の部分が。
カッターも使って破れないように工夫しながら切り離しました。
④各ピースを切り離した状態です。
さすが紙業屋さん!と納得したのは、鋭角の切れ込み(下の写真の下側
の玄さんの顔のピースの下部に複数個所あり)部分はちぎれてピース側
に残らないように先端を少し太くしたうえで、先端は丸みをつけられて
いました。
⑤玄さんの胴体ブロックを組み立てた状態です。
簡単にできました。(糊付けしていません)
⑥顔の組み立てを始めると、説明書はありませんので
どう組み立てたらいいのかわからなくなりましたが・・・・
さすが紙業屋さんですね、①②③④⑤⑥と順番に組み立てると
⑦顔のブロックが出来上がりました!!
(糊付けしていません)
⑧顔のブロックを、胴体のブロックに乗せて
出来上がり。
思ったより簡単にできました。その理由は、紙業屋さんのノウハウ
が入っているからでしょうね。
井上 直久
おもしろい形ですね!!セファランサスという花だそうです。実家の庭に家内が植えています。
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第456回(2022年8月1日(月)配信)・・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 会社編⑬ー1 豊岡市工業会 ~ものづくり体験~
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今回は、但馬地域のものづくり企業さんの集まりである、「豊岡市工業会」さんのご紹介をしたいと思います。
豊岡市工業会は約11年前に設立されたものづくりに関する団体です。10周年の記念誌等によると、地域の経済をものづくりの現場から何とか元気にしていきたいと願う企業の集まりで、豊岡市というより但馬地域のものづくり企業が参加されている団体で、業種も製造業だけではなく建設業そして専門技術・サービス業まで幅広く企業さんが参加されています。
今回、7月23日(土)、24日(日)に豊岡稽古堂で、「ものづくり体験」と「事業紹介展示」をされていました。
この記事では、まず、会員企業の製品や技術を使った「ものづくり体験」について紹介したいと思います。当日の「ものづくり体験」場では、将来の職人さんが活躍されていました。2企業さんをご紹介したいと思います。
(尚、写真撮影にあたり、当日の現場におられた企業様の担当者にご了解をいただ上で撮影し、ブログへの記載についてもご了解をいただいています。)
株式会社 川島建設 様
出石町に本社がある総合建設業の会社さんです。最近は独自プロジェクト「古民家蘇生」にも力を入れられており、今回は木造建築で使用する木材の端部を使ったロボットの組み立てをされていました。
完成品はこれ!
穴が多数開いていますが、ここに木でできた丸ピンを打ち込んで、頭と胴体、胴体と手、胴体と足をつなげていきます。
このガラスのツボに木でできた丸ピンが入れてあります。
そこから丸ピンを取り出し、胴体と手などをくっつけます。写真は胴体と手がつながったところでしょうか。
さらに、足をつけるようです。
木の丸ピンを挿入するために、木槌で何回もたたくので、現場は大変うるさい状態になりました。
でも、完成したら、皆さん大満足のようでした。
株式会社 東豊精工 様
豊岡市でばねを製造されています。記念誌の従業員数110名を見て、わー大きな会社さんだと思いました。精密ばね(板ばね、薄板ばね)を製造されており、線経Φ0.02mmのコイルスプリングなどを製造されています。(ちなみに、線形Φ0.02mmは髪の毛よりも細いですから。)
完成品はこれ!
左側のばねの箱からばねを取り出して、中央のハンドルが付いた機械はハンドプレス(と思われます。詳しくはエキセンプレスといったと思います)で、ばねの端部の処理をするために、お兄さんが左手でばねを固定しています。
ハンドルを回して、ばねの端部を変形させているようです。
ちゃんとできたかな?
この後、子供さんの前にあるカラーボウルを入れて組み立てるようです。
最終的には、このばねを使ったアクセサリーが出来上がります。
できたー!
井上 直久
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第453回(2022年3月21日(月)配信)・・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 会社編⑫ 但馬ちりめん 丸源太田
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はじめに
今回の但馬のものづくり企業の訪問は、豊岡市但東町の丸源太田の太田源一様を訪問しました。
おじい様が丹後地方で丹後ちりめん(縮緬)の製造技術を取得され、但馬でちりめん製造を始められました。
源一様は7年前に但馬に帰ってこられて、家業である但馬ちりめんの製造を継承されています。
ちりめんとは何?という方もおられと思いますので、説明をしますと、絹で織られた織物で緯糸(よこいと)に回転(捩じり)をかけたものを使うことで織物の表面にシボ(凸凹)が出たものです。
品のある光沢と独特の風合いと手触り感があります。まさに芸術品です!
(これは家内が持っているちりめんの写真です。
左は白生地で、右は白生地上に染色が施されています。
どちらにもシボ(凸凹)がきれいに出ています。)
このシボ(凸凹)は下記のように、
まず、右回転の緯糸(よこいと)を2本、それから、左回転の緯糸(よこいと)を2本
順番に入れていくことで出来ています。
製織の工程
今回の訪問では、4000本の経糸(たていと)と回転をかけた緯糸(よこいと)で織る
「製織」の工程を見学させていただきました。
①経糸(たていと)が入荷
中央のビームというドラム缶のようなもの👆 に、経糸(たていと)が巻かれた状態で入荷します。
②経糸(たていと)を引き出す
ビーム(陰に隠れていますが)から適切なテンションをかけて経糸(たていと)4000本を引き出します。
③糸羽(いとば)
縦方向の糸羽👇 で、
4000本の経糸👆 をわずかに上げたりそのままだったりコントロールします。
④経糸(たていと)を上げるコントロール
糸羽(いとば)の上にはこんな大きな機械👇 があり
経糸を上げるかどうかのコントロールはパターン紙👆 でされます。
パターン紙には下の写真のように穴が開いていて👇 上げるコントロールがされます。
⑤緯糸(よこいと)を通す(別の織機になります)
上がっている経糸(たていと)群と上がっていない経糸(たていと)群の間に
シャトルを使い緯糸(よこいと)を通します。
シャトルは動きがとても素早くてなかなか見えません。
真っ白い部分👆 が織りあがった部分
今、手に持っておられるのがシャトルです。2か所を右に行ったり左に行ったりして
往復するので、シャトルバスの語源にもなっています。
⑥出来上がったちりめん
綺麗にシボ(凸凹)が出来ています。
おわりに
シボ(凸凹)できたからこれで終わりというわけではありません。
この後、精錬というお湯に付ける作業をして、縮ませ、
よりシボがはっきり出るようにされて出来上がりです。
訪問し、見学させていただいて、つくづく思うことは、
縮緬の製造工程は実に複雑で工程数が多く、たいへんな仕事です。
技術的にも難しく繊細な工程がいくつもあるようです。
しかし、過去の色々なノウハウが詰まったその結果、
今の芸術的な但馬ちりめんが出来上がっていることを実感できました。
井上直久
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ご紹介
高級絹織物 ちりめん 製造販売 丸源太田 さんの連絡先等
住所 :兵庫県豊岡市但東町中山764-1
電話 :0796-56-0038
FAX :上記に同じ
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2024年5月6日神戸新聞電子版の但馬地域のページに、
<たじまの音めぐり>(3)で丸源太田様が織機の音で登場されています。
懐かしいなという思いで見させて・聞かせていただきました。
よろしければごらんください。
<たじまの音めぐり>(3)但馬ちりめん織機 重厚な機械、リズムは軽快|但馬|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)
ご参考
(どの工程も専門的で説明が難しいです)
製織までの経糸(たていと)の製造工程
①原料(生糸) ②ソーキング(下漬け) ③乾燥 ④糸繰り ⑤ワクたて ⑥整経、巻き取り ⑦経継ぎ ⑧機掛け
製織までの緯糸(よこいと)の製造工程
①原料(生糸) ②糸繰り ③合糸7本、合糸3本 ④緯煮(むきたき) ⑤下管巻き ⑥8丁撚糸(この工程で緯糸にスピンをかける) ⑦3本の下撚り済み揚げ返し ⑧カベ撚り用合糸 ⑨イタリー撚糸(カベ撚り) ⑩カベ撚り揚げ返し ⑪上撚り ⑫上管巻き(うえくだまき)
製織以降の工程
①検反 ②精錬 ③幅出し ④検査 ⑤白生地出荷 ⑥染め
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第398回(2019年 10月 7日(月)配信)・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 会社編⑩ 石匠六代 但馬石材
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はじめに
昨年の9月に父が亡くなり、今年のお盆が初盆でした。
初盆までには墓をつくりたいということで、但馬石材さんにお願いをしました。
今回は、ものづくりの視点から、
・墓地がきれいになっていく様子 と、
・石材やさんで一番難しいと聞いた墓石への文字の彫り込み を、
ご紹介したいと思います。
但馬石材さんの紹介
但馬石材さんは、写真の看板にあるように、なんと、
墓石専門に200年6代に渡り石匠をされています。
また、出身中学校の日高西中学校の前に石の加工工場があることから、
わりかし身近な感じがしていました。
今回、父のお墓をお願いすることにしました。
墓等に関しては全く経験・知識が無く、いろいろと困りごとも出ましたが、
いろいろと相談に乗ってもらいながら進めました。
墓地をきれいにしました
①荒れ放題の墓地
我が家の墓地は、約140年前に現在の位置に移転してきたようで、
また、その後あまり不幸が無かった為、3基のお墓を追加で作っただけで、
写真のように荒れ放題になっていました。
・お盆の花が飾ってあるせいでしょうか、遠目に見ると悪くはなさそうですが・・・
・近づいてみると、墓地の後ろ側は草ぼうぼうですし、
・右側の墓石の列は、苔が付き、傾いたり、壊れたりしていますし、
・左側の墓石の列では、墓石がつくられずに放置されています。
②まず、後方の石垣をつくり墓地の区域が明確になりました
・墓地の工事が始まると、この蜘蛛のような機械が据え付けられ
・墓石自体が後側と左側にどかされ、(写真は後ろ側にどかされた墓石)
・中央部分はきれいさっぱり何も無くなりました。
・そして、まず後ろ側に石垣がきれいに積まれました。
(え、まず石垣をつくるのですかとびっくりしました。)
左右の石垣とも違和感なくマッチしています。
(とてもきれいに積まれているので、素晴らしいですねと社長さんに言うと、
いつもやっていることですからとのことでした。)
③左右の墓石の列つくり(左側を例に取り上げています)
・土を掘り、墓石が傾かないように、地盤をコンクリートで固め、
・一直線に伸びた縁石が設置され
・墓石のレイアウトを確認して、
・墓石が整然と設置されました
④全体の出来上がり
・出来上がった全体の状態はこんな感じです。
・父の墓もできました。
墓石で一番難しい墓石への文字の彫り込み
技能・技術が必要なポイント
墓石に刻まれている戒名の文字は、よくよく見てみると、
太い部分は深く彫られています。
(「大」の右下のはねる太い部分は深く彫られています。)
(尚、太い部分は後で書いていますサンドブラスト工程で、長時間サンドを吹き付け、
細い部分は短時間のサンド吹き付けになります。難しそう。)
かつ、周囲が掘られた島のようになった部分は欠けたり取れてしまわないように
しないといけません。
(「姉」の「女」の中央に残った島が取れてしまわないようにしないといけません。)
(これを防ぐには、後で書いていますが、マスクとなるゴムシートの石との
密着を確実にしておくことが大切です。)
この2点が一番技能・技術が必要なポイントだそうです。
(失敗が許されないので、難しそうですね。)
(また、文字にも楷書とか草書とか行書とかいろいろあり、
楷書と草書は特に難しいそうです。・・・この部分、豊岡市商工会
会報のスマイルの数森石材様(豊岡市但東町)の記事を参照)
墓石に戒名を刻むには、
①まず戒名を普通はパソコンソフトでプリントアウト
ただ、今回は母が習字の心得があり、自分で書きたいということなので
戒名の文字は人が書きました。
(母は上手に書かれていると褒められ、ご満悦のようでした。)
②戒名を書いた紙を墓石に貼り付け
温めた墓石に厚さ約4mmのゴムシートをまず貼り、
ゴムシートをゴムハンマーでたたいて密着性を高めます。
さらに、その上から戒名を書いた紙を貼り付けます。
紙の周囲を養生テープで剥がれないように貼っておきます。
下の写真の左側が習字で書いた文字です。
右側が墓石に紙を貼り付けたものです。グレーの文字が転写された状態です。
③ゴムシートの文字の部分を彫刻刀で切り、剥がす
写真のような彫刻刀を使い、ゴムシートの文字の部分に切れ込みを入れてゴムを剥がします(カッティング)。
丁寧にきれいに剥がさないと文字がゆがんだり変形するなどの問題が出る可能性があります。
作業終了後、再度ゴムシートをゴムハンマーでたたき、密着性を向上させ、
後工程のサンドブラスト工程で問題が発生しないようにします。
(今回は手書きでしたが、今はゴムシートに印刷して専用の機械が切り抜きが
一般的だそうです。)
④文字の部分を機械で荒彫りする
荒彫り機械で文字の部分をざっと荒彫りします。
荒彫り機械は、ドリルのようなものが回転して、石を削るイメージです。
(素人目には既に出来上がっているように見えますが。)
⑤サンドブラスト機械で文字をさらに深く彫る
サンドブラスト機械は、文字の部分にサンド(砂という意味ですが、社長さんによると鉄を使うそうです)を一方向から吹き付けて(ブラストは風という意味です)ゴムシートをとった部分の石を削り彫る機械です。
ゴムシートがマスクの役割をすることで、きれいに文字が深く彫れます。
むかしはこれをいちいち人が手でやっていたのですから大変な手間ですね。
また、出た石の粉を肺に吸い込み病気になられる職人さんが多かったそうです。
以上の工程をまとめると以下のようになります。
⑥必要により、文字に色を付ける
墓石自体が白っぽいので、文字(の彫った部分)は黒色に、
まだ生存している母の戒名の一部分は赤字にします。
⑦ゴムラバーを剥がす
ゴムラバーを剥がして出来上がりです。
良い石匠さんは掘られた文字が「きれい」とのことなのですが、
素人の私にはなかなかその「きれい」の違いが分かりませんが、
但馬石材さんには父の立派なお墓をこしらえて頂きました。
ありがとうございます。
井上 直久
◆但馬石材さん連絡先等
本社
所在地:豊岡市日高町十戸滝ノ前
TEL:0796-44-0777
工場
所在地:豊岡市日高町十戸西中学校前
TEL:0796-44-0227
サッカーのワールドカップが始まりました。
ユーロッパでの開催なので、眠れない日を過ごされる方が多いいのではないでしょうか。
ゴールの瞬間の中には、芸術的な美しさがあるものがありますね。
今回は、芸術的な美しさのある伝統工芸品等のご紹介になります。
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第369回記事(2018年6月18日(月)配信)・・・・・毎月第1第3月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 会社編⑨ エンド―鞄 嘉吉郎の部屋
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兵庫県豊岡市の伝統工芸品の3つの内、麦わら細工と出石焼は既にご紹介しました。
今回は、残った杞柳製品(きりゅうせいひん)についてご紹介したいと思います。
杞柳は聞き馴れない言葉ですが、柳と思っていただいたら結構です。
この杞柳製品の歴史は約1200年あり、国の伝統的工芸品に指定されています。
この長い歴史があったからこそ、今、豊岡は日本一のかばんの街と言えるのです。
1.家の蔵の中を探してみました。そしたら、使い古した柳行李鞄(やなぎごおりかばん)が見つかりました。
柳行李鞄は、柳を材料に使った鞄です。構造は、現在の鞄の形状ではなく、行李(こおり)に取っ手とバンドをつけたものでした。
2.上の柳行李鞄を探しに、豊岡市のエンドー鞄さんの嘉玄というショップの2階にある
「嘉吉郎の部屋」を訪れました。
エンドー鞄さんは創業が文政7年(1824年)。
約200年の歴史があり、鞄屋さんでは一番歴史がある老舗さんになるそうです。
嘉吉郎という名前を継がれた、先々々代、先々代、先代が集められた杞柳製品が
「嘉吉郎の部屋」に展示されています。
看板の中に、創業文政7年とあります。
3.ショップ嘉玄の玄関には、お目当ての柳行李鞄がしっかりと書いてあります。
4.嘉玄の明るい店内、その少し奥の小さく見える階段が
5.嘉吉郎の部屋への階段です。
6.階段を登りきると、そこは全く異次元の世界です。
色々な杞柳製品が所狭しと並んでいます。
しかも、そのどれもが傷みがほとんどないものです。
7.さて、柳行李鞄はどこ??
8.右側の奥にありました。全く同じですね。3本のバンドで束ねられています。
9.外にも、柳バスケットや飯行李が並べられています。
柳バスケットは、現在の皇太子が子供のころ愛用されたようです。
飯行李はこれにご飯を入れていました。
この落ち着いた部屋中に座って杞柳製品をながめていると、
杞柳製品の良さ、職人さんの手仕事の良さが伝わってきて、
なぜかたいへん落ち着いた気持ちになります。
皆さんも一度訪問されたらいかがですか。おすすめです。
井上直久
PS
杞柳製品の購入はネットでも可能なようですが、
①但馬地域地場産業振興センタ内の売店や、
②玄武洞近くの売店
でも可能なようです。
(確認はしていませんが、嘉玄さんでは販売されていないと思います。)
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さて、ここからは、杞柳製品の作り方の紹介です。
「ものづくり」をタイトルに掲げているので、ぜひ書いておきたいことです。
1.夏に長く長く伸びた柳(こりやなぎ)を、
2.秋に刈り取り、春に皮をむいて、乾かして、下のようにします。
白柳(しろ)というようです。
3.そして、以下の写真のような道具を用いて
4.以下の順番で、柳を編んでいきます。
行李が出来上がりました。
5.その時には、こんなしんどい姿勢で作業をされていることもあります。
ご参考になったでしょうか。
(資料は、但馬地域地場産業振興センタにある杞柳歴史資料室のものを一部使用しました。)
最後に、ブログへの掲載に関し、わざわざお電話をいただき、心よくご了解いただいたエンドー鞄の遠藤社長様に感謝します。
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下記記事は、「晴耕雨読 in 神鍋高原」では、経営の本棚のジャンルに入れていますが、このブログでは、「ものづくり・工場改善 地元企業編」という別のジャンルに入れています。
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第280回記事(2016年3月14日(月)配信)・・・・・毎週月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 (9) 「マックアース」 一ノ本達己
~異色のスキー場再生人~
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今回は、タイトルに「本棚」という言葉が入っていますが、「テレビ番組」からの企業・経営者の紹介です。
紹介するのは、TV東京をキー局として放送されている経済番組の日経スペシャル「カンブリア宮殿」(司会は作家の村上龍さんと女優の小池栄子さん)に2016年2月25日(木)に出演された
株式会社マックアース 代表取締役CEO 一ノ本達己さん
です。番組のタイトルは
「斜陽産業にチャンスあり!異色のスキー場再生請負人」
です。このカンブリア宮殿は2006年からの放送ですから今年で約10年、約500社の企業の経営者の方が出演されていますが、
初めての生粋の「但馬人」・「但馬企業」の登場
です。一ノ本さんの育たれたのは兵庫県の北部の但馬地方にある鉢伏高原スキー場です。私の生まれはその近くにある奥神鍋スキー場です。大変近くのスキー場の出身者ということで、TVの予告編を見たときから放送までの1週間、私は一ノ本さんの番組登場を心待ちにしていました。
◆プロソーグ(出会い)◆
株式会社マックアース。
私がその会社名を聞いたのは、数年前のお盆の前の墓掃除の時だったと確かに記憶しています。神鍋高原でスキーの民宿を営み、スキー指導員の資格を持っていた叔父さんから、「鉢伏高原スキー場で大変業績を伸ばしている会社がある。」とのことでした。長い間、スキー関連産業の栄枯盛衰を見てきて、現在の斜陽産業化したスキー関連産業でそんな会社があるのかとびっくりした記憶があります。
私の2回目のマックアースさんとの出会いは、2015年10月3日の但馬産業フェアの会場でした。展示会のブースで見せていただいた会社案内から、日本全国に散らばった事業所の数にびっくりしました。その数96箇所。また、奥神鍋スキー場(山田区)の周辺にもマックアースさんの事業所が多数できており(神鍋高原カントリークラブ(東河内区、北隣りの区)ブルーリッジホテル(栗栖野区、東隣りの区)、万場スキー場(万場区、南隣りの区))、私の実家は既に包囲されているように思ってしまいました。
会場でその時にいただいた会社案内の一部です。
会社案内表紙
代表挨拶・企業理念
(一ノ本さんの顔写真も小さいですが載っています)
会社概要・会社沿革
スキーリゾート展開
(北は北海道から南は四国まで、多くの事業所があります。)
「カンブリア宮殿」でのマックアースさんの紹介は、私にとっての3回目の出会いです。中小企業診断士の資格を持ち、会社経営に関心のある私としては、どのようにして斜陽産業であるスキー関連産業で業績を伸ばしておられるのか知りたいと思っていた中での、願ってもない放送となりました。
◆メインローグ(番組の中身の紹介)◆
株式会社マックアースさんは、スノーリゾート事業や旅館業等を行う会社で、
会社設立は2008年、(ただし、それ以前から旅館業等をされていた)
この8年間で急成長されて売り上げは約160億円になります。
マックアースさんの一ノ本さんの実践されている(スキー場)再生術は2点あり、
そこにしかない役割を与える
変化を恐れず新たな景色をつくる
です。
「そこにしかない役割を与える」の事例は、北海道小樽市のスノークルーズオーンズスキー場が挙げられました。近隣に多数有名・有力なスキー場がある中で、フィットネスクラブ的役割を与える事で(具体的にはシーズン券の価格を3分の1にした)、需要を掘り起こされています。
「変化を恐れず新たな景色をつくる」の事例としては、岐阜県郡上市のダイナランドスキー場が挙げられました。スキー場の景色はこの20年間変わっていないとのことですが、夜間のLEDのイルミネーションがなされ、とっても幻想的なスキー場にかわりました。若い人がとっても来やすい雰囲気になっています。
素晴らしいですね。
これらの再生術の原点にあるものはと考えると、番組の冒頭近くに出てきた、次の言葉に集約される思います。
スキー関連産業はサービス産業である
◆エピローグ(番組を終わって)◆
私が番組を見て感じた点をまとめると、2点に集約されます。それは、スキー関連産業をサービス産業ととらえるなら、サービス産業としての(それは経営では共通のことでもあるのですが)基本に忠実ということです。具体的には、
1点目が、「ドラッガーの顧客の創造そのもの」、
2点目が「近江商人の三方よしの世界の実践」
です。
まず、「ドラッガーの顧客の創造そのもの」ですが、スキー人口が減少して斜陽化したスキー関連産業を嘆いてみても仕方がない。むしろ、どんな需要が掘り起こせたり、新たに創造できるか考えて、そのターゲット市場に向かった企画・宣伝をされています。その点で、基本に大変充実です。
また、「近江商人の三方よしの世界の実践」ですが、自社と顧客(スキー客)とスキー場のある地元の3者が上手くいくようにされています。スキー場が無くなれば、地元は打撃を受け、ますます寂れますから。企業は利益を追求するものですが、むしろより企業経営の基本となる部分をしっかり認識されて経営をされています。
これらの基本に忠実な経営術をどこで身につけられたのだろうと想像していた時、経歴の中に思い当たるものがありました。(私の想像ですが。)
「経営学部出身」
◆モノローグ(私の独り言)◆(想像して書いている部分があります)
スキー関連産業は斜陽産業ですかと問われれば、「YES」と答えるしかないだろう。
私も、同じ兵庫県の神鍋高原で、約55年間スキー関連産業を見てきたから。
確かにスキーブームは過去のものになっている。
株式会社マックアースの本社のある兵庫県養父市丹戸(鉢伏高原スキー場)は中山間地域ですかと問われれば、「YES」と答えるしかないだろう。
私の生まれた神鍋高原も、同じ中山間地域だから。
むしろ、中山間地域というより、「ド田舎」(大変な田舎)と言う方が正しいだろう。
しかし、ド田舎のスキー関連産業から出発して、株式会社マックアースは約160億円もの売り上げを挙げている。
ド田舎と言われるような土地で生まれた会社が、約160億の売り上げとなるまでには、多くの壁があったと想像される。
たとえば、
冬の1シーズン営業から、夏を含む多シーズン営業へ、
家族とアルバイトで運営する家業から、社員を雇う必要のある企業へ、
経営者の目が届くワンロケーション企業から、目が届きにくいマルチロケーション企業へ
一ノ本さんは色々な壁を破ってこられたからこそ、今のマックアースがあり、世界をめざすマックアースがあるのだと思う。
顧客の創造 × 三方よし = マックアース
これからの更なるマックアースさんの発展を祈念したい。
井上三右衛門
PS
長年赤字だった長崎のハウステンボスを見事に再生されたHISの沢田会長の言葉に次のような趣旨の発言があります。
売り上げを2割アップし、経費を2割下げれば、再生できない案件は無い。
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第262回記事(2015年10月26日(月)配信)・・・・・毎週月曜日配信予定
ものづくり・工場改善 地元企業編 ⑧
出石焼窯元 上田製陶所
~「一品入魂」で、純白の出石焼の伝統を今に伝える~
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◆はじめに◆
豊岡市の旧出石町の観光客で賑わう市街から出石川を渡り、西に少し離れた福住地区を車で走っていると、山側に「これは何?」と思ってしまう奇妙なオブジェが見えてきます。それはレンガで組まれた徳利の形状をしたもので、なぜか屋根までついています。さてこれは何でしょうか?
それは出石焼を焼く窯でした。形状から徳利窯と言われます。かつて使用していたころは、徳利の先端には煙突用の土管が付いていました。焼き物を焼く窯と言えば、登り窯が有名ですが、全く形状が異なります。窯の中央部での外形は3.2m、残存する高さは4.75mと登り窯と比較すると小さめのように思われます。しかし、少ない燃料で高温に出来たようです。つまり、独特の形状は効率を考えたものなのです。
この窯は昭和14年に築かれ、昭和45年まで使われていました。新聞記事にあるように、まさに「近代産業遺産」です。
左側は、保存整備される前の窯
この徳利窯で出石焼を焼いておられたのが「上田製陶所」さんです。そして今もこの場所で出石焼を焼いておられます。
◆出石焼の特徴と歴史◆
出石焼の特徴は磁器の肌の「純白」さにあります。あるホームページには「その神秘的なまでの白さは他に例を見ないほどです。」とまで書かれています。また、「白磁の中の白磁」ともいわれることがあるそうです。白さの理由は、磁器原石である柿谷陶石が「白過ぎる白色」であるためです。我が家にも出石焼の焼きものがありますがその白さが際立っています。
出石焼のもう一つの特徴が表面に施された精巧な彫りです。下記の写真では絹のような風合いの表面に実に精巧な花の模様が施されています。
現在、出石焼は出石そばの小皿・そば猪口などとして多くの出石そば屋さんで使用されています。
出石焼と上田製陶所さんの歴史をまとめると以下のようになります。
①1789年 肥前の国の石焼職人の兵左衛門により磁器石焼が創始される
(それまでの出石焼は土焼陶器でした)
②1876年 盈進社を中心に出石焼の改良が始まる
(盈進社は明治維新の失職士族対策で設立された会社)
③1890年 上田製陶所創業(初代上田直蔵氏)
(ちょうどその時に国会が開設されたので国会窯という)
(参考資料②より。大正末から昭和初期の上田製陶所。中央に国会窯との記載がある。)
④1918年 出石焼隆盛を誇る(輸出が前年度の2倍に増加)
⑤1939年 徳利窯構築
⑥1980年 出石焼が国の伝統工芸品に認定される
⑦1994年 第4代上田実生氏が国の伝統工芸士に認定される
◆出石焼のつくり方◆
出石焼は一般的には、
土つくり→形つくり→加飾→素焼き→加飾蝋さし→施釉→本焼き→完成
の順番に行われます。(以下は参考資料③より)
(1)土つくり・・・採石、砕石、脱鉄、脱水の工程があります。
掘り出した柿谷陶石の中から良品を選別し、クラッシャー等で砕いて泥状にし、鉄分を除いて乾燥させます。
とてもとても白いですね!
(2)形づくり(鋳込み成形)
鋳型に泥を流し込んで成型します。量産に向いています。
他に、ろくろ成形の方法もあります。
中央が成型品。両端が鋳形。
(3)加飾(彫り)・・・・模様を彫り込む
出石焼き特有の工程です。
乾いた生素地を水で湿らせ専用の彫刻刀で模様を彫り込みます。
右下に彫刻刀が見えています
(4)素焼き
約850度でゆっくりと時間をかけて焼成します。
少し茶色っぽくなった?
(5)加飾蝋さし
削られた図柄に溶かした蝋を塗り、その部分だけに釉(うわぐすり)が付かないようにします。
黄色い所が蝋です
(6)施釉
壷のなかにある釉を柄杓でかけます。
(7)本焼き
器を磁化させるて純白の器肌を得るため還元焼成をします。約1300度の温度で焼成します。
(8)完成
やっと完成です。ここまで1~2ケ月かかります。
◆出石焼の伝統の継続と革新◆
一般的に伝統工芸品の伝統の継続は厳しいものがあります。出石焼でも平成20年に8軒あった窯元も現在(平成27年)4軒に減ってしまっています。理由は、需要自体の低下と、土器よりも高価格になる点と、後継者がいないといった事です。
出石焼も江戸時代に興隆期がありましたが、明治初期には衰退していました。それを再度の隆盛に導いたのは桜井勉氏(日本の各地に気象測候所を設置するよう働きかけ、気象観測網の基礎を築いた人)を中心に盈進社という会社を興し、各地の陶工を招いて技術の向上を図ったからです。その結果、1904年開催のセントルイス万博博覧会では金賞を獲得するまでになりました。
現在は、景気が厳しい中で、事業をされている窯では上田製陶所さんが一番長く(明治23年から)事業をされています。現在の第4代目の上田実生さんは、現在61才で、1994年には国の伝統工芸士の認定を経済産業省から受けられました。つまり、40才の若さで伝統工芸士に認定されたことになります。
上田さんに作陶に当たっての信条をお聞きしてみると、
「出石焼の一番の良さはその白さです。この白さにこだわっていきたいと思っています。」
との答えが返ってきました。
また、
「私自身、鋳込み成形よりも、ろくろ成形が好きで、鋳込みで同じ形のものを作るのではなく、ろくろで一つ一つの器の形にこだわって成形していきたいです。」
とのことでした。
この2つのこだわりから、私は一つの言葉が浮かんできました。
「一品入魂」
これからも出石焼の火を絶やさず、出石焼の伝統を継続して、出石焼の技術を後世に伝えていっていただきたいと思いました。
作業場での上田さんの作業風景
作陶をされている作業場とは別に、出石町の市街地の店舗(下記地図参照。大変有名な辰鼓楼の近くです。)で色々な出石焼を販売されています。店舗に伺ってみると、出石焼の白さを生かしながら、現代の二―ズにマッチするように、新たな出石焼にも果敢にトライされているようように感じました。
店舗内の商品陳列(1)
店舗内の商品陳列(2)
よろしかったら、一度立ち寄ってあげてください。
井上三右衛門(記)
参考文献
①出石焼:豊岡市商工観光部商工課、H20年3月発行
②出石焼の徳利窯:豊岡市立出土文化財管理センター、H25.3
③出石焼陶芸館(ドライブイン出石敷地内)展示
④「ザ・たじま」但馬辞典:但馬ふるさとづくり協会、2013年版
⑤出石焼:フリー百科辞典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PS
「上田製陶所」さんは、現在は「上田陶磁器店」さんの名前で事業活動をされていますが、歴史的な点や伝統を守るといった点を考慮して「上田製陶所」さんの名前を今回は使用させていただきました。
上田陶磁器店さん住所・連絡先など
住所:兵庫県豊岡市出石町田結庄21
TEL:0796-52-2002(FAXも同じ)
代表:上田実生
地図
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第240回記事(2015年5月11日(月)配信)・・・・・毎週月曜日配信予定
タイトル ものづくり・工場改善 地元企業編 ⑦ かみや民芸店
~約300年の伝統を持つ麦わら細工を今に伝える~
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今回の記事は半年に1回の豊岡市のものづくり関係の会社さんの紹介です。
<はじめに>
旧城崎町は志賀直哉の「城崎にて」で有名なように、温泉の町です。もっと言えば、温泉のみの町です。その旧城崎町で「ものづくり」をしている会社さんを探すのは一苦労でした。そんな苦労の中でやっと見つけたのは、約300年の伝統を今に伝える職人さんです。
今回は伝統工芸品の「麦わら細工」を製作されている「かみや民芸店」さんをご紹介したいと思います。
<始まりは約300年前>
我が家には写真のような麦わら細工のきれいな箱があります。
(幾何学模様がきれいな麦わら細工作品)
結婚時に家内が旧城崎町出身の上司の人からいただいた結婚のお祝いの品で、兵庫県の伝統工芸品の「麦わら細工」の箱です。約25年前に製作されたものなので、少し色あせてはいますが、当時は麦わら細工とは思えない鮮やかな色で、とても美しい幾何学模様の細工が施されています。
この「麦わら細工」は、今から約300年前の江戸時代の享保のころ(将軍徳川吉宗の時代です)、因幡の国(今の鳥取県東部)から湯治にやって来た半七という人が、湯治の手なぐさみに、竹笛やコマに麦わらを貼り付けて売り、旅館代の足しにしたのが始まりといわれています。
製造技術はその後長足の進歩を遂げ、箱や絵馬にもこの技術が使われました。そして、明治以降、城崎温泉に来遊する文化人の支援で、芸術性が格段の進歩をしました。明治35年(1902年)には万国博覧会で最高名誉賞牌を得ています。しかし、現在では日本の中で麦わら細工技術が残っているのは城崎温泉のみといわれており、兵庫県の伝統工芸に指定されています。
(温泉寺内にある半七の顕彰碑。墓とも言われている。)
<技術が見られる麦わら細工伝承館>
この「麦わら細工」の作品は、麦わら細工伝承館(TEL0796-32-0515)で見ることができます。
(川ぶちに建つ白い土蔵の麦わら細工伝承館)
1Fでは現代の職人さんが作り上げた作品が、2Fでは過去の職人さんがつくられた作品が展示されています。それはそれは、繊細な加工が施された芸術作品そのものです。また、ボール状の球面に模様の描かれた作品もあります。(どうして作製するんでしょうね。)さらに、シーボルトにより江戸時代にヨーロッパに渡った麦わら細工の復刻版も展示されています。
私が特に注目したのは、麦わら細工の製作工程のビデオです。面白くて、ついつい約30分も見入ってしまいました。麦わら細工の技術ことが実によくわかります。
(麦わら細工伝承館のパンフレット)
<技術の種類と製作工程>
麦わら細工の技術の種類は3種類があります。
①編組物・・・ストロー状の麦わらを立体的に編み込んだもの
②模様物・・・麦わらのさやを開き、花鳥などの模様を桐箱などに張ったもの
(左:麦わらと編組物の作品 右:模様物の作品)
③小筋物・・・麦わらのさやをきり開き、平行に並べ、幾何学模様を作り、張ったもの
模様としては、市松模様やざらし模様があります
具体的な作品は、冒頭の写真の箱の作品です。
具体的に小筋物のつくり方を紹介しますと、
・麦わらに色々な色を付ける
・麦わらを貼り付けるのりをつくる
・麦わらを開き平面にする
・麦わらを筋状にカットする
・筋状にカットした麦わらを横に並べて平面状にする・・・・①
・直角な方向からカットする・・・・②
・模様をずらし、幾何学模様をつくる・・・・③
・桐箱などに張り付ける
<技能の継承の危機>
城崎温泉のお土産として好評を得ている「麦わら細工」ですが、技術の継承の危機に瀕しています。危機に瀕している理由は、どの伝統工芸でも同じなのですが、技術者が高齢化し、後を継ぐものがいないからです。明治末期には約30人もいた職人さんは、2015年1月に職人の方が一人亡くなり、残る職人は3人まで減少しています。(その後新たに認定があり、職人さんは5名まで復活したようです。)また、時代の変遷の中で、ニーズとのミスマッチが生じており、売り上げが上がらないという問題もあります。そんな中で、かみや民芸店(TEL0796-32-3259)の神谷勝さんは「麦わら細工技術者の会 会長」として、伝統工芸の継承に取り組まれています。
(かみや民芸店さんの玄関)
お父さんの元治郎さんも麦わら細工職人で、麦わら細工をつくられていました。そして息子の俊彰さんも麦わら細工職人をされています。つまり、親子三代で麦わら細工を支え続けておられます。
初代:神谷元治郎
二代:神谷勝(画号「麦椿」)
三代:神谷俊彰
写真の土鈴は神谷さんの作品で、「椿」が描かれています。右下に落款が押されています。私はこの落款に職人の心意気を感じてしまいました。
↑「勝」が落款
また、普通ならば「貼る」という言葉を用いるところを、麦わら細工では「張る」という言葉が用いられています。これは、「一面を覆う」「緩みなく引き締める」といった意味を含めています。(かみや民芸店ホームページ(HP)より)この言葉の中にも、職人の方の気持ちがにじみ出ているように思います。
参考
麦わら細工関係のマップ(本文記載分以外)
・城崎文芸館(TEL0796-32-2575)・・・麦わら細工の製作体験ができます(4月から、
城崎麦わら細工伝承館に移管されているそうです)
・まるさん物産店(TEL0796-32-2352)・・・写真の編組物を販売されています
・麦わら細工 神(TEL0796-20-1460)・・・神谷俊彰さんの作品が販売されています
(木屋町小路内)
・みなとや(TEL0796-32-2014)・・・・家内の麦わら細工の箱が販売されていたお店?
大きな箱物の作品が多数ありました
井上三右衛門(記)
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ブログ 「晴耕雨読 in 神鍋高原」
第213回記事(2014年10月13日(月)配信)・・・・・毎週月曜日配信予定
タイトル ものづくり・工場改善 地元企業編 ⑥ しょうゆの花房
~モーツアルトを聞きながら熟成されるさしみしょうゆ~
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◆お宅ではどこのメーカのしょうゆを使われていますか?◆
突然ですが、お宅ではどこのメーカのしょうゆを使われていますか?しょうゆの味なんてほぼ同じと思うので、メーカにはこだわらない?私の実家では1年前までは自家製のしょうゆを使っていました。保存性を上げるためでしょうか、とにかく塩分が多かった。
しかし、さしみしょうゆだけは竹野の浜の花房商店さんでした。まったりとしてさしみによくからみ、うまみ豊かな、そのさしみしょうゆは一度知ってしまったら手離せません。
花房商店さんは、
しょうゆの 花房
として但馬地方では有名ですが、我が家ではもっぱら
さしみしょうゆの 花房
さんのイメージです。今回はその花房商店さん(住所:豊岡市竹野町竹野375。)のさしみしょうゆのおいしさの秘密をうかがいに訪問してきました。
(工場玄関のしょうゆの花房のロゴマーク(左上)と、社長の花房さん(右)と奥様(中央)。)
(尚、取材の当日デジタルカメラが故障し、この記事に使用している写真は全て花房商店様からご提供いただきました。有難うございました。)
<しょうゆのおいしさの秘密は、①材料、②製法、③愛情>
社長の花房さんに開口一番、
「御社のしょうゆのおいしさの秘密は何ですか?」
とお聞きすると、
「それは、”材料”と”製法”と”愛情”ですね。」
との即答。それぞれの項目について詳しく説明する前に、まずしょうゆがどんなにシンプルな方法でつくられているか説明する必要があります。
下記の資料にあるように、
①蒸した大豆と
②炒った小麦を
③混ぜ合わせ、
④これに麹菌を混ぜて温度管理された室で麹菌を増やし、
⑤さらに塩水を加えて(この状態をもろみという)、
⑥蔵の中で長期間寝かせます(仕込)
⑦発酵がすすみ熟成したもろみを1年後に絞り、
⑧加熱(これを火入れという)をして、
⑨ボトルにつめてしょうゆが出来上がります。
つまり、材料は大豆と小麦と塩と水だけでとにかくシンプル、後は醸造する時間などが違う程度です。このシンプルな製造方法の中でどう他社と違うと言われるおいしいしょうゆを作るのか?工夫がいるところです。
(しょうゆの作り方)
<おいしさの秘密 その①材料・・・安全・安心な国産丸大豆を使用>
花房商店さんは「安心・安全・おいしさ」をモットーにされており、その中の「安心・安全」の実現のために国産丸大豆を使用されています。
「安全・安心」の為に国産丸大豆にこだわられる理由は、その対極にある遺伝子組み換え大豆と脱脂加工大豆について説明する必要があります。遺伝子組み換え大豆は遺伝子が操作変更されている為、それを食べたひとに将来何らかの問題が出てくる可能性が完全に否定されているわけではありません。また、脱脂加工大豆は丸い形状の大豆をつぶしたものですが、人体に有害な物質があるとの報告もあります。これらはあくまでも可能性についてのことですが、人が口にするものを製造するメーカだからこそ、安全について不安が無い材料を使うことで、消費者や子供に安心して口にしてもらえるしょうゆをという強い思いがあります。
しかし、国産丸大豆を使用することはそんなに簡単なことではありません。一つ目に入手の問題があります。しょうゆ用の大豆の内、国産は約2.3%しかないため、入手には大変困難が伴います。二つ目に、国産大豆は輸入大豆に対してコストが高くなります。これらの困難があるにも関わらず、「安心・安全」のモットーを実行するため18年前の平成8年に仕込み材料を全て国産丸大豆に変更され、それ以来コストダウンの企業努力を継続されながらしょうゆづくりを継続されています。
(各材料 左:天日塩 中央上:国産丸大豆 右:国産小麦)
<おいしさの秘密 その②製法・・・・再仕込み天然2年醸造>
しょうゆの熟成・醸造には長い歳月をかける必要があります。もろみを発酵が進行しやすい適温状態に置く適温醸造では、通常半年程度が醸造期間ですが、但馬の気候に熟成・醸造を委ねた約1年間の天然醸造が花房商店さんではされています。だから、出来上がったしょうゆは自然・気候が作り上げたしょうゆになります。また、しょうゆつくりには但馬の自然・気候を把握した職人の勘と経験が欠かせません。
そして、さしみしょうゆにはこのしょうゆにさらにひと手間加えます。1年間天然醸造した加熱前のしょうゆ(これを生しょうゆという)を国産丸大豆と国産小麦と混ぜてさらに1年間熟成させ、合計2年間もの熟成をします。つまり、作業的には再度仕込みをすることから、再仕込みしょうゆとも言われます。2年間の熟成の結果、その再仕込みしょうゆは実に濃厚な味で豊かな香りを持ち、塩分は控えめとなります。(この再仕込みしょうゆの割合は全国的には約1%であり、たいへん貴重なものです。)
最終的なおいしさは、材料を国産に変更された翌年に開催された第24回全国醤油品評会で2つもの賞を受賞されており、折り紙つきです。そしてその時の製法を今まで伝え守られています。
(国産小麦・麹菌と混ぜ合わせた、丸丸とした大豆)
<おいしさの秘密 その③愛情・・・・醸造中にモーツアルトを聞かせる>
醸造は人がするわけでなく、しょうゆ麹菌という微生物による発酵の働きでできるものです。人間にできることはただ麹菌が活動しやすいようお膳立てをするだけです。しかし、同じように微生物で発酵させてつくるお酒でも、銘柄によって味が大きく変わります。なぜ?いろいろ調べてみると、水の違いが大きいようですが、杜氏の腕・人柄も影響するようです。お酒の味に杜氏の人柄が出てくるというのは科学的には信用しにくいのですが、微生物やお酒への愛情が大切なことは間違いありません。お酒と同様にしょうゆに対しても、いっぱいの愛情が大切です。
花房商店さんでは、麹菌への毎日の愛情いっぱいの声掛けが行われています。醸造期間中は朝の7時から1時間ほど、モーツアルトの曲が醸造蔵に流れます。「波動理論」なるものがあって、この理論を応用して音楽を聞かせるとおいしいしょうゆができると言われている方もあるようです。しかし、花房社長さんは「科学的な根拠が不明確なので、この波動理論を私は信じていません。しかし、親が子供にすくすくと育ってもらいたいとの気持ちで胎教に良いと言われているクラシック特にモーツアルトを聞かせている方がいます。私も同様の気持ちでモーツアルトを毎朝流してしょうゆつくりをしています。」との事でした。
曲の最初の部分を実際に聞かせていただきました。曲を聴いていると、麹菌に「おはよう。今日も一日しっかり頑張って発酵してね。」という愛情のこもった声掛けをされているように感じました。
(蔵の中の両脇の6つの丸いタンクの中で、毎朝モーツアルトを聞きながら発酵が進みます)
◆花房商店さんの本当の強み◆
花房社長さんからお話をうかがって、花房商店さんのさしみしょうゆのおいしさの秘密は分かりました。①厳選した国産材料(丸大豆・小麦)。②再仕込み製法。③しょうゆへの愛情・モーツアルトの音楽。その他にも、有機材料の使用、地元材料の使用(特に兵庫県豊岡市産のこうのとり大豆の使用)、原材料からの一貫生産などなど。
しかし、これらは商品のおいしさの理由であり、花房商店さんの企業としての強みはなんだろうか?という疑問が出てきます。価格が高い材料を使用し、長期間醸造すると資金の回転率が悪くなり、製品自体は高価格になります。国産大豆は海外産大豆の約3倍という話をどこかで聞いた記憶があります。コスト低減も企業の努力範囲を超えるのではないか?これでは、どうしても競合他社商品と比較して高価格となり、いくら「安全・安心・おいしさ」を訴えても、いくら希少なしょうゆであっても、スーパーなどの店頭では消費者は選ばないのではないのか?そんなことを考えながら花房商店さんを後にしました。
そしていろいろ考えて、結局行き着いた花房商店さんの強みの結論は、
但馬地方で一番早くさしみしょうゆを手がけた
ことと
さしみしょうゆのおいしさを支持し選び愛してくれる消費者がいる
ことではないかと思い当たりました。
詳しく説明します。但馬地方には海岸に近いしょうゆメーカもあれば、山間地にあるしょうゆメーカもあります。竹野の浜という魚介類が豊富に水揚げされる浜にある花房商店さんは、その魚介類にあったしょうゆを浜の住民・消費者から求められ、「再仕込み天然2年醸造」のしょうゆを但馬地方で最初に醸造した。そのしょうゆが住民・消費者に支持され、城崎温泉・湯村温泉などの旅館や香住・竹野などの民宿の宿泊客に支持された。つまり、おいしいさしみしょうゆを提供したいという花房商店さんのモットーからつくられた「再仕込み天然2年醸造さしみしょうゆ」が、提供した浜の住民・消費者・宿泊客によって支持され、選ばれ続け愛され続け、その結果、現在があるのである。
消費者から選ばれ続け愛され続けるさしみしょうゆ 花房
だから、花房商店さんのさしみしょうゆは当然おいしいのである。
井上三右衛門(記)
☆ ご参考 ☆
花房商店さんの「(天然2年熟成再仕込み)さしみしょうゆ」おいしいですよ。
一度お試しください。
また、お友達にもお勧めください。
HPアドレス:http//:www.syouyuhanafusa.co.jp/
もしくは「しょうゆの花房」で検索。