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百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

元帥 山本五十六大将 戦死

2013年03月06日 11時10分23秒 | 随想

  

歩 い て 世 界 一 周  3月6(水) 曇り

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

17,988

12,592

 

今  月

105,844

74,091

17,641

今  年

65

1,087,611

761,328

16,732

2005年から

2,996

42,406,330

29,684,431

14,154

70歳の誕生日から

6,528

124,356,466

87,049,526

19,050

 イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 258,432m

                                        

                    

 昨日、養気集の話をしたが、養気集は二松学舎が出した漢詩吟詠の小本で常に携帯して居て、気が向けばどこでも詩を吟じたものだ。私が芝商の吟詠部長の時は、毎月第一日曜には部員一同、明治神宮か靖国神社に参拝して時に得意になって蛮声を張り上げたもんだ。

 今、表紙を見ると、拙い字で塩谷温先生の「聞山本元帥戦死報慨然有作」と題した七言絶句と斉藤茂吉先生作の短歌が記されてあった。

 (塩谷 温) 山本元帥 戦死の報を聞き、慨然として作有り

  将軍一死 君恩に報ゆ 赫々たる武勲 万古に存す 挙国慨然 涙を揮って起つ 必ず仇敵を殲して 忠魂を慰めん

 (斉藤茂吉) 

 悲しみは さもあればあれ 元帥の たましい継ぎて 撃ちにし撃たん

 山本五十六は越後長岡の藩士 高野貞吉の六男で、父親56歳の子で五十六とつけられたという。大正になって。旧長岡藩家老の山本家を継いで山本五十六となった。山本五十六はやがて海軍大将となり、聯合艦隊司令長官となり日米開戦の緒戦にはハワイ真珠湾の奇襲攻撃で大戦果を挙げ、一躍名将となった。

 奇襲攻撃で選果を挙げた日本海軍はミッドウェイ攻略を夢見て、作戦を展開したが、作戦はアメリカの知る所となって、空母四隻、多くの航空機を失うという壊滅的な敗北となった。大本営はこの敗戦を糊塗して「我が方の被害は軽微なり」と発表していたが、聯合艦隊司令長官としてその責任は深く感じただろうし、これが戦争の帰趨を決定づけるであろうことも認識した事と思われる。

 山本五十六は無謀にも前線視察と称して自ら航空機に乗り前線に向かったが、この情報も米軍にキャッチされて同乗機は敢え無く撃墜され戦死してしまった。日本では国を挙げて名将の志を悲しみ、戦意の高揚を図るため、国葬の礼を以って遇したが、真珠湾にしてもミッドウェイにしても前線に出ない者が敢えて最前線に向かったのは何故だろうか。私は、来るべき敗戦を予期して、その責任をとっての行動としか思えない。

 

 

 



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