歩 い て 世 界 一 周 2月26日(火) 晴れ
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日 数「日」
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総歩数(歩)
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総距離(m)
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平均歩数(歩)
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今 日
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1
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17,156
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12,009
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今 月
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26
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437,840
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306,488
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16,840
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今 年
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57
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948,385
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663,870
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16,638
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2005年から
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2,988
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42,267,104
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29,586,973
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14,146
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70歳の誕生日から
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6,520
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124,217,240
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86,952,068
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19,052
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ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 355,890m
今から77年前、昭和11年の今日、2.26事件が起きた。私が西神田小学校5年生の時の事だ。雪の朝、学校に行くと、「宮城を兵隊が守ってる」「総理大臣が殺された」など何か大変なことが起きた様子に「学校はお休みだ」と云うので帰宅した。年上の餅菓子屋の大渕さんに誘われて竹橋へ行ったら兵隊が土嚢を築いて機関銃を据え付けて居た。着剣した兵隊に怒鳴られて逃げ帰った思いがある。あの時の実相を見た者はもう数少ないと思う。忘れない裡に伝えて置きたいし、真相も知りたいので振り返って見た。
事件の概略
昭和11年2月26日、陸軍の一部皇道派将校に率いられた1400名の兵が首相・陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃、陸軍省・参謀本部・警視庁などを占拠した。この事件で斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、首相官邸でも岡田啓介首相は難を逃れたものの義弟の松尾伝蔵陸軍大佐が身代わりになって殺された。
昭和天皇は「彼らは賊軍である」と断定、「反乱軍をただちに鎮圧せよ。お前達にできぬなら自分が近衛部隊を率いて鎮定に当たる」と激怒したと云うのだ。翌27日になってやっと東京市に戒厳令が施行、28日になると戒厳司令部の香椎長官は次のような「兵に告ぐ」というビラを撒いた。
今からでも遅くないから原隊へ帰れ。抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する。お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。
兵や下士官たちに動揺が起き、やがて大勢は帰順することとなった。、一部の幹部は自決し、残るものは全員逮捕された。軍法会議により香田清貞ほか17名が死刑に処せられて事件は終わった。
(ウィキペディアより転載)
蹶起趣意書 [編集]
反乱部隊は蹶起した理由を「蹶起趣意書」にまとめ、天皇に伝達しようとした。蹶起趣意書は先任である野中四郎の名義になっているが、野中がしたためた文章を北が大幅に修正したといわれている[注釈 8]。1936年2月13日、安藤、野中は山下奉文少将宅を訪問し、蹶起趣意書を見せると、山下は無言で一読し、数ヵ所添削したが、ついに一言も発しなかった[注釈 9]。
また、蹶起趣意書とともに陸軍大臣に伝えた要望では宇垣一成大将、南次郎大将、小磯国昭中将、建川美次中将の逮捕・拘束、林銑十郎大将、橋本虎之助近衛師団長の罷免を要求している。
蹶起趣意書では、元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、ロンドン条約と教育総監更迭における統帥権干犯、三月事件の不逞、天皇機関説一派の学匪、共匪、大本教などの陰謀の事例をあげ、依然として反省することなく私権自欲に居って維新を阻止しているから、これらの奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳を竭す、と述べている。
要望事項 [編集]
26日午前6時半ごろ香田大尉が陸相官邸で陸相に対する要望事項を朗読し村中が補足説明した。
- 現下は対外的に勇断を要する秋なりと認められる
- 皇軍相撃つことは避けなければならない
- 全憲兵を統制し一途の方針に進ませること
- 警備司令官、近衛、第一師団長に過誤なきよう厳命すること
- 南大将、宇垣大将、小磯中将、建川中将を保護検束すること
- 速やかに陛下に奏上しご裁断を仰ぐこと
- 軍の中央部にある軍閥の中心人物(根本大佐(統帥権干犯事件[注釈 10]に関連し、新聞宣伝により政治策動をなす)、武藤中佐(大本教に関する新日本国民同盟となれあい、政治策動をなす)、片倉少佐(政治策動を行い、統帥権干犯事件に関与し十一月事件の誣告をなす)を除くこと
- 林大将、橋本中将(近衛師団長)を即時罷免すること
- 荒木大将を関東軍司令官に任命すること
- 同志将校(大岸大尉(歩61)、菅波大尉(歩45)、小川三郎大尉(歩12)、大蔵大尉(歩73)、朝山大尉(砲25)、佐々木二郎大尉(歩73)、末松大尉(歩5)、江藤中尉(歩12)、若松大尉(歩48))を速やかに東京に招致すること
- 同志部隊に事態が安定するまで現在の姿勢にさせること
- 報道を統制するため山下少将を招致すること
- 次の者を陸相官邸に招致すること
こんな感想を記した記事もあった
2・26事件はとても難しい事件です。平均年齢27歳の若者たちが捨て身の覚悟で起ったことだけでも知ってもらいたいです。特に今の若い人は5・15事件と2・26事件の区別もつかないなどと云うとても情けない状況です。政治や歴史に無関心な人が増えていますが、もう一度歴史を振り返り、現在の日本と似たような社会情勢を生き、国に殉じた若者の無念を思うことが重要です。私たちは、彼らに顔向けのできるような時代を築き次の世代へバトンタッチ出来るように努力をする・・・。彼らに感謝しながら日々生きていければいいなと思います・・・。