百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

帰休兵除隊

2014年02月28日 18時01分02秒 | 随想

      百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 28日(金)曇り

 昭和20年2月28日、私は班長に呼ばれ、帰休除隊を命じられ、金沢から汽車に乗って飯山に帰ってきた。今考えても不思議な思い出だ。終戦の年で《一億玉砕》を叫び、日本帝国興亡の瀬戸際の時、60名の教育兵の内、命令を受けたのは私一人だ。

 2~3日前の夜の点呼で、「戦地へ行きたいものは手を挙げろ!」と班長が言った。直ぐに手を挙げた者は少なかったが、周りの者を見て、段々と手が挙がった。手を挙げてない者が私一人だと気がついたときは遅かった。直ぐに班長室に連れていかれた。「なぜ、戦地へ行きたくないのか」と質問された。「行きたいかと言われましたので、私は外地に行って働くより、学校で子供の教育をした方がお国の為になると思いました。戦地へ行け!と言われれば、何時でも悦んで行きます」と答えるとそれ以上は詰問されなかった。殴られることを覚悟して居た私は班長を見直した。

 襟章と軍帽の星を取れと言われ、軍服は家に戻ったら送り返せ、と言われたが、その時の兵隊とはそれ以後誰とも会っていない。外地へ行ったのか、どうかは判らない。私はその後、再び《現役復帰》を命じられて松本の補充隊に終戦まで勤務した。医務室の事務室で、机に座って応召兵の即日帰郷兵の判定とその報告事務が主たる任務だった。《軍隊は運隊だ》と云われた事ことがあったが、そのとき、しみじみとそう感じた。

      百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 28日(金)    

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

20,538

14,377

 

今  月

28

510,608

357,426

18,236

今  年

59

1,074,178

751,925

18,206

2005年から

3,316

47,990,702

33,593,491

14,472

70歳の誕生から

6,848

129,940,833

90,958,583

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後79,565


論語を読む 学而第一 ⑤

2014年02月27日 19時25分33秒 | 四書五経

       百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 27日(木)曇り

 子曰。道千乗之国。敬事而信、節用而愛人。使民以時。

 子、曰(のたま)わく、千乗の国を道(みちび)くに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす。

 先生(孔子)がおっしゃった。兵車千台を戦争で用いる諸侯の国を治めるには、政治を行うのに慎重にして民の信頼を得、国費を節約して民を愛し、民を使うには農閑期を利用するように心掛けることだ。

 ◎ 今日は一段と春めいて今迄手袋に入れて居たホッカイロも使わず、マスクも無しで、スニーカーで歩いた。道路も乾いていて気楽に歩けた。心配なのは、通学の小学生の安全指導をして居た老女がここ4~5日、交差点に姿を見せないことだ。それまで、一日も休んだことが無かったのに、風邪でも引いたのだろうか?

          百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 27日(木)    

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

18,439

12,907

 

今  月

27

490,070

343,049

18,151

今  年

58

1,053,640

737,548

18,166

2005年から

3,315

47,970,164

33,579,115

14,471

70歳の誕生から

6,847

129,920,295

90,944,207

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後93,941


嗚呼 2.26事件は忘却の彼方

2014年02月26日 18時03分20秒 | 随想

         百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 26日(水) 晴れ 

 我が家を訪ねてきた二人の婦人に聞いてみた。「今日は2月26日。226事件を覚えていますか?」と。1人は私と同じ88歳、もう一人は81歳。老婦人だが、二人とも健康で、教養もあり、現在も所属する団体の役員を務めている人達だ。

 ところが私の質問した意味が判らない。確かに今日は2月26日だということは判るが、《2.26事件》については全く判らない。何が有ったのかさえ知らない。私はこれには驚いた。驚いたというより腹が立った。こんな大事件を日本人なら忘れてはならない筈だ。そこで話すことにした。

 いまから78年前の昭和11年2月26日、私は西神田小学校の5年生男組。その日は東京も雪が降っていた。学校へ登校すると教室には5~6名の生徒しか居ない。先生も来ない。すると,誰かが「内閣総理大臣が殺されたって・・・」と言う。「それで学校は休みだって」と言うことになって家に帰った。

 そもそも2.26事件は陸軍の中に《統帥派》と《皇道派》とがあって《皇道派》の影響を受けた青年将校の一部が「昭和維新」「尊皇討奸」のスローガンを掲げて、元老重臣を殺害して天皇親政を実現し、政治腐敗と農村の困窮からの脱却を目指して26日の未明、部下1400名を伴って決起した事件だ。

 その結果、岡田総理の身代わりとなって松尾大佐・内大臣の斎藤実・大蔵大臣高橋是清・教育総監の渡辺錠太郎が死亡、侍従長の鈴木貫太郎は重傷を負ったが一命を取り留めた。

 事件は26日から29日にわたったが、天皇陛下から反乱軍とみはなされたので、首謀者は決起した部隊を原隊に帰し、自らは自決または自首して終息した。

 首謀者の将校は軍事裁判の結果死刑となったが、天皇親政を目指して、国民の為にとの想いで決起した其の赤誠心は忘れられるものではない。

       百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 26日(水)    

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

16,986

11,890

 

今  月

26

471,631

330,142

18,140

今  年

57

1,035,201

724,641

18,161

2005年から

3,314

47,951,725

33,566,208

14,469

70歳の誕生から

6,846

129,901,856

90,931,299

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後106,849


神田・神保町を読んで ②

2014年02月25日 17時41分19秒 | 随想

         百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 25日(火)晴れ 

 西神田・東神田 内神田・外神田

 私は子供の頃から《西神田と外神田は知っていたが、東神田や内神田は”火保図”を見て初めて知った。西が有れば東があり、外が有れば内があって当然だが、今日は”火保図”で確認出来た。

 私は西神田小学校の卒業生だから西神田は神保町の隣にあって当たり前だったが、東神田が神田川の下流で岩本町や日本橋馬喰町に隣接していることを初めて知ったし、外神田が電気街で神田明神の辺だとはうすうす知っていたが、神田駅の北辺が内神田だとは知らなかった。

また神田駅の東に鍛冶町と岩本町の間に大変小さな町、神田美倉町・神田西福田町・神田紺屋町。神田北乗物町・神田富山町等が混在しているのも見られ、大いに勉強になった。そう云えば、神保町にさえ13もの町内会があったと幸ちゃん聞いたことがある。嘗ての家は《北神》という名前の町内会で、安ちゃんも何年も町会長をやって居た。もう二人はこの世に居ない。

               百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 25日(火)     

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

19,650

13,755

 

今  月

25

454,645

318,252

18,186

今  年

56

1,018,215

712,751

18,182

2005年から

3,313

47,934,739

33,554,317

14,469

70歳の誕生から

6,845

129,884,870

90,919,409

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後118,739


神田・神保町を読んで ①

2014年02月24日 18時00分42秒 | 随想

          百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 24日(月) 晴れ 

 昨日妹から貰った「あの日の神田・神保町」にのめり込んで今日1日を過ごしてしまった。私の神保町での歴史は10歳から18歳までの」僅か10年足らずではあったが、人格形成に当たっては最も大切な成長期であったので、私の全人格はこの地で形作られたものと、自覚している。それだけに忘れられない沢山の思い出がある。

 今日は二つの疑問が解けた。

 一つは秋葉原を私は「あきばはら」と呼んでいるのに、駅のアナウンスは《あきはばら》である。私はその駅員をいつも《田舎っぺ》と軽蔑していた。今日見た秋葉原の記事にこんな事が書かれていた。

 ”秋葉原の名前は、そもそも秋葉神社に由来する。あまりにも火事が多かった神田の一帯。東京に遷都してすぐの明治二年大火があった。これを受けて翌三年に日除け神様として祀られたのが秋葉神社であった、場所は現在のJR秋葉原駅構内のあたりで、社殿周辺にあった日除け地を「秋葉の原」「秋葉ツ原」と呼んだ、
神社は秋葉原駅の設置に伴って、明治20年に当時の下谷区入谷町に移転した。この「アキバハラ」から転じて「アキハバラ」となる。”

 二つ目は私の住んでいた神保町2丁目には偶数の番地ばかりだし、1丁目には奇数の番地ばかりと覚えていたが、地図で見ると靖国通りを挟んで北が偶数番地で南が奇数番地に仕分けされている。このような分け方は「火保図」によれば結構有る。

 ※ 「火保図」とは《火災保険特殊地図》の略で、昭和20年後半に作られたという。 

                百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 2月 24日(月)     

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

16,463

11,524

 

今  月

24

434,995

304,497

18,125

今  年

55

998,565

698,996

18,156

2005年から

3,312

47,915,089

33,540,562

14,467

70歳の誕生から

6,844

129,865,220

90,905,654

18,975

北大西洋グリーンランド島からカナダに入国「 カートライト」に向かって後132,494