百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

忘れられぬ2.26事件(2)

2013年02月27日 17時41分39秒 | 随想

 

歩 い て 世 界 一 周  2月27日(水) 晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

16,322

11,425

 

今  月

27

454,162

317,913

16,821

今  年

58

964,707

675,295

16,633

2005年から

2,989

42,283,426

29,598,398

14,146

70歳の誕生日から

6,521

124,233,562

86,963,493

19,051

イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 344,465m

 昭和の初期日本は政治の混乱と経済の不況の中で、青年将校たちは政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や大恐慌から続く深刻な不況などの現状を打破する爲、「昭和維新」「尊王討奸」を唱えた。君側の奸を除いて天皇親政による政治体制を目指して立ち上がった純粋な主張には共感を覚えるし、クーデターが成功して居たら…と思う一念もある。そこで諸説に接して見た。

(NEWSポストセブン) 
 2.26事件は青年将校が天皇の大御心を実現するために「君側の奸」を排除しようとしたクーデター(未遂)事件だった。しかし天皇は蹶起軍を終始「反乱軍」と見做して動じなかった。内大臣斉藤実らを殺した蹶起将校に対して、直ちに武力討伐を命じた。君主の立場からすると、あのご聖断以外に正しい処置は無かったと思う。もし逡巡すれば、国を二分する内乱に発展したかもしれない。昭和天皇は理性的な政治判断を即時に下すことによって国家を守ったのである。
 
事件に関する質問と回答(一部)
 
〇 226事件でなぜ反乱軍は天皇を手中にしなかったのですか?反乱軍は天皇を尊崇していたからではではないですか?
 
回答1 彼らが天皇を尊崇して居たのは事実と思いますが、それは実在した昭和天皇ではなく、彼らが理想とする政治を行ってくれる【理想の天皇】なのです。勿論、【昭和天皇=理想とする天皇】と信じていた連中も居たようですが、本当の首謀者クラスは冷徹だったはず。
 
回答2 蹶起部隊の若手将校たちは内閣を君側の奸と決めつけ、これを倒して昭和天皇による親政を行えば、日本は良くなると信じていた。内閣を倒したのち、彼らの目的は昭和天皇が彼らを支持し、自ら政治を行って呉れればいいわけなので、天皇を確保する必要はなかった。ところが実際は天皇はこの事件に激怒し「反乱軍と決めつけられた。
 
 昭和天皇が自らの意志で政治を動かしたのは、この時と第二次大戦の終戦を決断した時のみと云われている。
 
 


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