絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美術を通しての教育4

2009-10-16 | 絵画指導
批評会の話をしようとして、なかなか批評会になりませんね。

それでは、批評会の話をします。

普段、学校で行う批評会は、先生が話して生徒が聞くという形をとりますが、この写生旅行では、3年生が行います。ある程度、当番を決めて実力のある3年生が交代で批評をしますが、会場に並ぶだけ並べて、それを一区切りに、交代していきます。大体、一回に7~8点です。

そして、一通り言い終わると、指摘しなかったことで、気がついたことがあれば、他の3年生から意見を求めます。場合に寄ると、2年生から意見が出ることもあります。質問も同様です。

そして、言い終わると、最後に「先生何かありますか」と意見を求められるので、先輩たちが言わなかったことや、言っていた内容に問題がある点などを指摘します。

その場合学校と違うのは、時間が限られているので、一つの絵にじっくり時間をかけて批評をするわけにはいきません。そのため、この時点で言わなければならないことだけを考えて指摘します。

この方法でやると、先生が一人でやるよりも時間がかかるのですが、それでも、生徒たちにはとても勉強になります。

また、批評する生徒がどのようにアドバイスをするのかを見て、その子がどのくらい絵が分かっているかを知ることにもなります。

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この場合、生徒は割と問題点を言うことが多くて、良い点を言ってやることを忘れています。だから、先生は、「先輩たちの厳しい意見がたくさんあったけれど、なかなか良く描けたと思うよ」と、一年生を励ますことが多かったと思います。

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ここで、大事なことは、全員が黙って聞くということです。批評する人は、全員に聞こえる大きさの声で、内容が分かるようにしっかり話すということです。
絵を見ながら、描いた本人にも視線を向けて話しかけるようにやること。他の人にもわかるように、自分が邪魔にならないように立つ位置を移動したりしながら、話すこと。どの部分のことを言っているのか、はっきりわかるように棒を持って、示しながら話すことなど、まるで、教育実習の大学生に教えるようなことを教えました。

60人が一つの絵に注目して、無駄口一つ言わずに、一つの話題を共有するということです。これができると、全員の気持ちが一つになります。同じことを全員で考えて、どうしたらいいかアイディアを出し合い、おかしいことは全員で一緒に笑い、みんなで勉強するという形にするのです。

本庄第一高校美術部のレベルアップの秘訣は、このような全員で力を高めあう形が作れることではないかと思います。

この辺が、運動部みたいだと言われた原因でしょう。

批評をする人のやるべきこと、批評を受ける人の返事の仕方や態度など、いろいろな場面で叱られながら、この批評会が展開されて来ました。

私は、特に難しいことを言っているわけではありません。割と当然のことを言ってきたつもりです。しかし、全員が注意されずに気持ちよく、できるようになるには、かなり多くの注意を受ける場面が繰り返されました。

そして、歴史をたどると、最高の批評会は、芸術コース1期生が3年生だった年の批評会だったと思います。リーダーは副部長でしたが、その子が実にうまく批評会を運営しました。本当に上手で、面白く学ぶことができました。あんなに楽しい、内容の豊富な批評会は今までにないとさえ思いました。

実は、それ以前に、初めて男子が3年生になった学年の批評会がありましたが、そのときも面白い批評会だったのです。しかし、それ以上にうまい展開の批評会が行われました。これも、歴史ですね。

「全員で気持ちを一つにして、気持ちよく学ぶこと」簡単そうでなかなかできません。それも教育の一つなのです。そこには、多くの気配り、目配りが必要とされるのです。

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余談ですが、
私は、「部活は生徒たちの自主運営でやるもの」という気持ちを持っています。
だから、先生がいなくてもできるという形を作ってきました。
一番良いのは、先生が寝ていても、見ていなくても、留守でも生徒だけで活動できるというものです。なぜなら、絵を描くというのは、みんなばらばらでいろいろな所へ行って描くのです。一人の先生で目が届くわけがありません。余程、しっかりとしたハートを育てておかないと、いいかげんにサボる生徒が出て来ます。サボるだけならまだいいですが、しなくもいい悪さをする場合もあります。
だから、ハート作りが一番大切なのです。

問題があれば、活動停止などということも考えられます。運動部なら試合出場停止でしょう。だから、部員としての自覚や仲間を大切に思う気持ちを育てる必要があるのです。

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美術を通しての教育3

2009-10-16 | 絵画指導
写生旅行の続きを書きます。

批評会について

写生旅行では、生徒は二日半で、20号の絵を描きます。
三日目の夜が批評会なので、それまでに見せられる絵になるように、がんばります。美術部のこうした行事は、いつもコンクールなので、批評会が終わった後、審査をして賞を出すのが恒例です。

部活は、先輩後輩の関係がありますから、常に先輩は後輩のお手本にならなければなりません。それは、制作態度についても必要です。
批評会までに、或る程度仕上げればいいので、途中は遊んでいても構わないのですが、この批評会では、さすが先輩だなと思われるような絵を描かなければならないという心理は働きます。

だから、必然的に先輩は頑張ることになります。
勿論、先生の私はもっと大変です。生徒の絵を見て周りながら、自分の絵も描いて、しかもさすが先生と言われないとまずいのです。

よく考えてみてください。

この美術部には、県展に入選してしまうレベルの絵を描く子が20名もいるのです。下手をすると生徒に負けてしまいます。

その意味でも、大変です。また、私は写生旅行でみんなのお手本になるには、一枚だけ描いていたのでは、だめなのです。そのため、10号以下の小さい絵をたくさん描くことにしています。

一番たくさん描いた時は、13枚描きました。色をつけたのは、4枚くらいですが、その他に鉛筆描きで、構図を示すつもりで8枚くらい描きました。そして、それらの絵は、学校に帰ってから色をつけて、後日生徒に見せていました。

とにかく、この批評会までに、先生はお手本を先輩はさすが先輩と言われる絵を描かなければという気持ちで取り組みます。

生徒の最高は、20号を4枚描いた子がいました。私は一枚を完成させることを目標にさせましたが、この子は、私の望むこと以上の取り組みをしました。それは、その年の部長でした。
或る意味で、挑戦だったと思います。生徒はこの美術部の歴史の中で、今までの先輩にできなかったことをやるという競争意識があるのです。この子は、そういう意味でチャレンジしたのかもしれません。

20号を4枚描くというのは、とても大変です。それにチャレンジしたこと自体すごいことなのに、その時の最優秀賞も取ってしまいました。だからただたくさん描いただけではないのです。


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長くなるので、つづきは、また。
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Tさんの絵2

2009-10-16 | 絵画指導
Tさんが見せてくれた2点目は、これです。

この絵は、やはり私が指導をするまえの絵です。
形はよく描けています。枯れ木の感じも中央の松の山も池の感じもよく出ています。一つ一つについては、かなり上手に描けていると思います。

しかし、残念なのは、それぞれの関係が描けていません。
それから、大きく分けると右側の枯れ木、左側の枯れ木、中央の松山という集団に分かれますが、それぞれが平面的です。
どうも団扇のような平面に感じてしまいます。それに比べて、水面は普通に感じる奥行きが出ています。だから、統一していません。

それぞれの関係という言い方は、分かりにくいと思いますが、極端に言うと、中央の松山が前に飛び出して、両サイドの枯れ木が引っ込んでいます。
これは、色の強さの問題でそうなっているのですが、もう一つは、光と影の問題でもあるのです。
その両面から直さないと、自然な空間は描けません。池の表現が普通の空間で、なかなかよく描けているので、それに合わせて描くには、枯れ木と松山の前後関係やそれぞれのボリュームを出す必要があるでしょう。

池に浮かぶ鳥たちは、すこしやり過ぎかなという感じがします。鳥の数と位置を検討するといいでしょう。また、池に写る枯れ木の色も紫がきつすぎる部分があるので、それも自然描写をしたいなら、色を抑えた方がいいと思います。

とにかく、地平線はしっかりしているので、安心して見られる形にはなっています。形は良いので、奥行きの問題を解決してほしいと思います。

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ここまで、書いて、画像を取り込んでないことに気づきました。
すみません。帰宅したら、絵の写真を入れますので、お待ちください。



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美術を通しての教育2

2009-10-16 | 絵画指導
美術は、個人競技なので、集団の中で考えるべきことや取るべき行動を学ぶ機会が少ないと思います。そのため、割と勝手気ままな行動をしてしまう人が多いようです。

この点については、美術の先生自身がそのタイプなので、集団をまとめることが苦手なのではないでしょうか。

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私は、美術の指導をするにも、集団で学ぶことの意義を感じていますので、美術教師は、集団をまとめる指導力が必要だと考えています。

私は、運動部の顧問もした経験があるので、そのノウハウを持っています。というか、私はどちらかというと、その方が向いているタイプの美術教師としては珍しい存在でした。

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前回のところで、絵を見てもらうときの例を話しましたが、それに関連する話はたくさんあります。

今回は、写生旅行での例をあげてみます。

写生旅行などの集団行動では、普段と違った行動をするので、いろいろな注意点があります。集合して、連絡して、何時に何をするという日程が告げられます。そのときに、みんながばらばらでは、上手く伝わらなかったり、必要以上の時間がかかったりします。

私は、だらだらしているのが、大嫌いなので、全員がリーダーのつもりでやるように話します。

例えば、集合の時は、リーダーの「集合!」の声がかかったら、全員が「はい」と声を出して集まります。これはたぶん、それだけで珍しい美術部でしょう。

しかし、そういう集合の仕方を普段からしていると、リーダーの声が聞こえなかった場合でも、他の人の「はい」の返事で、あっ集合がかかったんだなと分かります。
しかし、いつでもどこでもこれがいい訳ではありません。場所や場合によっては、みんなで「はい」を言うと他の人に対して迷惑になる場合もあるからです。
そんなときは、「はい」を言わないで、集まることも必要になります。

集合がかかって、集まったのに叱られたというケースがありました。

なぜでしょう?

それは、自分のことしか考えなかった場合です。自分は聞こえたので集まった。何も悪いことはしていない。しかし、叱られた。これは、不可解ですよね。

しかし、私は、そういう場合に、聞こえなくて集合に気が付いていない人がいないかどうかに気を配れ!と教えました。

もし、気がついていない人がいたら、「ほら、集合がかかっているよ」と伝えてやるのです。それができて初めて、リーダーの意識なのです。全員がリーダーのつもりでというのは、そういうことです。

集まったら黙る、リーダーの声に注目する。これは、当たり前です。だめな集団は、集まったらうるさいという状態です。勝手なおしゃべりをしてがやがやしている集団をよく見かけます。私に言わせれば、話になりません。

集まったら黙るは、常識です。そして、私は生徒に求めたのは、自分がリーダーだったら、ここで何を考えて、自分だったらどういう指示を出すかを考えさせました。そうすれば、もし、リーダーに手落ちがあった時に、大切なサポートができるからです。また、自分がリーダーになったときの模擬体験にもなって、リーダー性が磨けるのです。

生徒の中には、こういうことを教えなくてもできる生徒がいます。運動部の顧問をしていると、そういう子は、キャプテンに向いているなと思うものです。

気配り、目配りのできる生徒です。

私は、これを全員ができるようになったらいいなあと思いました。誰に任せても大丈夫だと思える生徒を作ることです。要するに、リーダーを育てるのです。

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まあ、なかなか理想どおりには、行きませんが、教えておくことは、いつかどこかで生きるだろうと思って、いろいろな場面で試みました。
ここでは、リーダーならどうするということを考えさせる経験です。

目配りについては、部長は常に先生の指示が受けられるように、目を向けていること。副部長は部長の代わりがいつでもできるように目を配っていること。班長は部長の指示が得られうように、部長に目を配っていること。班員は班長の指示が得られる体制でいること。などです。

そして、報告、連絡、相談が常にできる体制をつくることです。

集団を動かすという場合のリーダーの目配りと気配りのお話でした。

つづきは、また。









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