絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

Nさんの絵

2009-10-24 | 絵画指導
Nさんの絵が進みました。

かなり色が着いて、描き込んでくれました。密度が着いて良くなりました。

ここでの問題点を挙げます。

1、全体的に青く染まった感じがします。人形の足元の青などが派手すぎる気がします。

2、後ろのカーテンのタッチがきになります。ただでさえ縦線が着くので、タッチは横にするくらいの気持ちで描いたらよいと思います。

3、人形の端が輪郭線が見えてしまうので、立体感が出ません。もっと端はバックと溶けて、わからない部分があってもよいと思います。

4、左からの光を全体に統一して感じるように、少し強めに表現したら良いと思います。特に、影の始まりの部分を強調して、しっかりと対比を作ったら良いとアドバイスしました。

5、植物の葉の白い部分が白けています。一度グレーで潰してから、新たに白を付ける方が良いでしょう。本当に白い色は一番明るい部分なので、それ以外は真っ白ではないのです。

6、植物の中の暗い部分をもっとしっかり描くこと。ボリュームを持たせるためです。暗い中の奥にも葉っぱがあることを感じさせたいです。

7、人形の服の明るい部分をもっと明るくして、立体感を出したいです。

以上の点を注意して、更に描き進めてくださいと話しました。
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エコールド・パリ

2009-10-24 | 美術
これは、ユトリロの白の時代の絵です。

以前、エコールド・なかまちという文を書きましたが、本家のエコールド・パリについて書いてなかったきがします。

すこし、書いてみます。

エコールド・パリと聞いて、きちんと答えられる人はいるでしょうか。
私は、なかなか掴めないでいました。

しかし、或る時テレビで、「パリ物語」という番組を作ってくれて、それを見たら良く分かったという思い出があります。

これは、もう20年くらい前です。竹下景子さんと柄本明さんと財津一郎さんが出ました。売れない出版社がエコールド・パリの画家たちのことを取材して、本を作るというもので、実際にパリに行って取材するのです。

約二時間の番組でした。私は、これを見てサロンに反発した印象派の画家たちのことやその後の後期印象派からエコールド・パリの画家たちへの流れをかなり詳しく知ることができました。
NHKの日曜美術館などを見ていると、専門家の私でも眠くなってしまいますが、この番組は楽しくて、見ていて飽きません。だから、生徒に見せるにはうってつけだと思いました。
その頃の私は、3年生7クラスに美術を教えていましたから、その7クラスの生徒に、この番組を見せました。7階のスタジオに連れて行き、外部の音をシャットアウトして、まるで映画館の中にいるような状態の中で、二時間缶詰状態で見せました。
生徒も飽きることなく、メモを取りながら、見てくれました。視聴覚教材というものは、見せ方で、生徒は飽きてしまい、寝てしまうことがあったり、酷いのになると、がやがやとして聞いてないという状態が起こるものだと思いますが、生徒があまりに真剣に聞くので、視聴覚の担当の先生も感心していました。

尤も、その頃の私の授業は、まるでお通夜みたいにシーンとしてやっていましたから、無駄口をする生徒はほとんどいませんでした。それでも、このような教材は、飽きればそわそわしてしまう可能性を考えながら、見せた記憶があります。

生徒が、二時間真剣に見てくれたのは、やはり教材が良かったのだと思います。

このビデオは、その美術の授業だけで、一年に7クラス、美術部で見せたりしますから、私は一年に8回見ています。
それを10年は、続けましたので、私は少なくとも80回は見たでしょう。そのため私は、俳優さんのセリフまで覚えてしまいまいた。

近年、特別進学クラスがヨーロッパに修学旅行に行くようになり、事前勉強を頼まれて、美術史を教えたことがありますが、ぜひ、見てくださいとこのビデオを渡したところ、その後、どこかに行ってしまって、とうとう見つからなくなってしまいました。

それ以降、このビデオはもう見られなくなりました。あまりに良い番組なので、テレビ局に問い合わせたり、竹下景子さんの事務所や柄本明さんの事務所に電話をしてみましたが、分からないと言われて、だめでした。

誰かご存知の方がいたら、どうにかして、この番組のビデオが手に入らないかなと思っています。

その番組は、まだ、オルセー美術館ができていなくて、印象派美術館でした。
人気があって、行列ができるという話でした。

ーーーーーー
なかなか、本論に入らなくて、すみません。

エコールド・パリとは、簡単に言えば、

1910年代~1920年代にパリに集まった画家たちのことです。

特別に「~派」という主義主張はなく、パリが絵を学ぶ学校のつもりで、集まったという画家たちです。

一時期、パリ帰りが幅をきかせるということがあったと思います。フランスで絵を勉強してきた人だというと、それだけで凄いと思われた時代がありました。
それに近い感覚でしょうか。しかし、実際は売れない貧乏画家の集まりです。

中心的存在は、ユトリロとモジリアニです。
その他には、スーチン、シャガール、バンドンゲンです。日本の藤田嗣治もその一人に数えます。

特徴的なのは、外国人が多い。ユダヤ人が多いことです。

ユトリロだけ、パリ生まれのフランス人ですね。ピカソもその一人に数えられることがあります。その当時にパリに集まってきた外国人という枠に当てはめれば、入るからです。そして、ピカソの住んでいたのは、洗濯船とあだ名されたボロアパートである点も共通しています。売れない画家の仲間入りもしていましたね。

ラ・リュース(ハチの巣)というボロアパートに住んで、売れない絵を描き、飲んだくれて、芸術論を戦わせ、喧嘩しながら若い時を過ごした画家たちです。

それぞれの画家たちのことは、以前、画家のエピソードで書きましたので、見てください。

ただ、キーワードは、若い芸術家が「それぞれの歌を歌うために」パリに集まって、青春時代のある時期を過ごしたということです。もちろん、この場合は、絵ですが、歌を歌うという例えで語ると分かりやすいと思います。

アカデミックな売れる絵を描くのではなく、自分の個性を生かした絵を描くという意味です。もちろん、それが認められたら嬉しい訳ですが、認められるにはかなりの時間がかかった。ユトリロは、晩年パリの名誉市民賞をもらうので、報われましたが、モジリアニは結核で37歳でなくなります。奥さんが天国でモデルをすると言ってアパートの6階から飛び降り自殺を謀ったのは、有名な話です。

また、思い出して、書きたいと思います。









コメント (2)
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