絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

小公女セイラ

2009-10-25 | 新ピカソ
昨日、小公女セイラを見ていたら、最後の場面でこのようなことがありました。

「校長先生は、私が嫌いですか?」とセイラが尋ねました。
すると、校長は、「嫌いよ、大嫌いよ」と答えました。

そして、その後、セイラは、「私は、校長先生も、この学校も大好きです」と言いました。とても自信を持って、明るく輝いた表情で、得意そうに言ったのです。
笑っているようにも見えました。
校長先生は、意外なことを言われて、戸惑っているような感じでした。

校長から嫌いだと言われて、泣いたり、がっかりしたりするのではなく、校長先生が私を嫌いでも構いません。私は、校長先生が好きなのです。と。

これが、何を意味するのか、その後の展開がどうなるのか、私にはわかりません。

しかし、私も校長先生が大嫌いです。と答えた場合と、好きですと答えた今回の場合とでは、展開が違ってくるだろうなあと思いました。少なくとも嫌いと言われるより、好きだと言われる方がいいだろうと。

ーーーー

実は、私が生徒を叱るときによく使った手です。手と言っても、決して嘘ではありませんが。

それは、生徒を叱るとき、そんなことをしてはいけないという意味で注意をします。そのときに、そんなことをするなんて、お前なんか大嫌いだと思うときがあります。そんなときに、使いました。
かなり、激しく怒った後で、きっと私が嫌だろうなあと思う時があるのです。
先生なんか大嫌いだと思われてもしかたがないような怒り方をした後です。

お前が、私をどう思っているか知らないけど、俺はお前が大好きだよと言いました。
好きだから、放っておけないんだと。そんな奴だと思いたくないから叱るんだと。

これは、お前なんか大嫌いだというより、ずっと効果があることがあります。
嫌いだと言えば、「嫌いで結構です。先生に好かれたくなんかありません」と開き直られることもあると思います。「どうせ私は先生から嫌われていますから」とひねくれられることもあります。

だから、好きだというんです。

だって、本音なんですよ。好きだから注意するんですから。どうでもいいなら叱りません。

俺は、お前のいいところをたくさん知っている。だから、そんないい人がこんなことをするとは思いたくない。とか。見かけで間違って見られたくないとか言いました。
服装、髪形などを直させる時は、特にそう言いました。俺はお前のいいところをたくさん知っているけれど、それは付き合って分かることで、ただ、見ただけでは分からない。そんないいやつが、見かけで悪く評価されるのは悔しいと。

世間の人には、見かけしか見えない。そして、見かけで判断される。見かけは第一印象だからとても大事だ。それが分からなければならない。と。

そんなことが、懐かしく思い出されました。
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もっといいのは、

大嫌いだと言葉では言うけれど、その意味は大好きだという意味だと分かれば、尚いいのでしょうね。目に涙をためて、大嫌いだと言う方が、効果的かな?
本気なら、そうなるかな。

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よくよく考えてみたら、初めは、

「先生なんか、大嫌い!」と言われた場面で、使ったように思います。
俺だって、お前なんか嫌いだというところを、「お前が俺を嫌いなのはわかった、でもな、俺はお前が好きだ」と言いました。
言った後、意外だったのは、反発していたのに、変化が生じたことでした。
泣き出したのか、意外な顔をしたのか、色々ありすぎて忘れましたが、とにかく、言っている私は気持ちが良かったし、生徒にも効果があると思いました。

だから、セイラの場面で思い出しました。そういえば、俺もこういう場面があったなと。セイラの場合と先生と生徒が逆ですが。

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美術部での教育

2009-10-25 | 新ピカソ
作品コンクールの文章の最後のところで、書いたことから、少し書いてみようと思うことが出て来ました。

これは、保護者会でもお話しましたが、物事は考え方次第で、180度違うということです。

いろいろな体験をさせていただいて有難いと思うか、こんなことまでさせやがってと思うかで、180度違うという話です。

そう考えると、美術部での取り組みが全く違ってきます。

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私は、以前テレビを見ていたら、とてもきれいな品のいい女性が着物姿で出ていて、ある先生に美術館に連れて行って頂いたことがあると話されていました。そして、そういう経験がなかったので、とても有難く、感謝していると言っていました。
私は、品の良い人は違うなあと思いながら、しかし、その程度のことでそんなに感謝するのかなあと思いました。あまりに美しい人だったので、こんな女性から感謝されたらうれしいだろうなあなどと、不謹慎な考え方をして見ていましたが、それにしても、たかが展覧会に連れていくというそれだけのことです。
そんなら、私なんか何人の生徒を展覧会に連れて行ったかしれません。

と、考えている内に、そうか、物事は受け取り方次第なんだなと思いました。

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同じことをしていても、不満に思う人もいる。展覧会に行きたくなくても連れて行かれる。行かなきゃいけないの?なんて思う人もいる。しかし、そうしたことに感謝する人もいる。たかが展覧会に連れて行っただけで、感謝の気持ちになる。この違いはなんだろうと。

それは、考え方次第なのだと。その代わり、大人ならそれが分かっても子供では教えないと分からないかもしれないと思い、これは教えてやろうと思ったのです。

ーーーーーー
それで、このテレビで見た話を生徒にしました。

ついでに、私の気持ちも話しました。

私は、いろいろなことを生徒にさせるけれど、それは、いずれは生徒のためになると思ってやっていることなのだと。それをさせやがって気に入らねえなのか、それともこんな体験をさせていただいて有難うなのか、それによって全く違ったものになるんだと。

どうせやるなら、やって良かったと思ってほしい。それには、信じてついて行くという気持ちを持ってほしいと。


まあ、後悔させないから、信じてついてこないかという投げかけでした。
もっと、激しいかな?黙って俺についてこい!だったかもしれない。

大松監督みたいですね。(東京オリンピックの女子バレーの監督です)

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それで、自分の考え方次第で180度変わるなら、どうせなら不満の塊よりも、感謝にした方がいいだろうと思ったのです。

だから、具体的には、信じてついて行ったら、高校生にはとても無理な県展に入選しちゃったよとなればいいなあと思いました。

信じてついて行ったら、ヨーロッパにも行くことができたよ。
埼玉県の代表になって、全国大会にも行けたよ。
コンクールで、全国一位になっちゃったよ。
新聞やテレビにも出ちゃったよ。
と、高校生ではなかなか経験できない体験をたくさんさせることができたと思います。

実現するまでは、本当にただの夢だったのです。そうなればいいなあと思うことが、いつの間にか実現しました。

後から、入ってきた部員は、それらのことを先輩たちが平然としているので、それが当たり前のようになって、本当になかなか体験できないことができたと思います。
要するに、信じてついて来て良かったと生徒に思わせたかったのです。

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作品コンクールについては、展覧会を企画する側の大変さを知ることができました。このノウハウを学ぶと、いろいろな企画をする能力が身に付きます。人を動かすという能力もつきます。どんなことに配慮する必要があるのか、気配りや目配りが学べます。事前準備から、展覧会の運営、表彰式の展開、最後の搬出まで、本当に様々のことで、いろいろな人の手が入ることがわかります。

この勉強は、美術部にとっては、一年間のたった一つの行事です。

このような勉強は、さわらび展でも、文化祭でも、各展覧会の搬入搬出でも、中学生の体験入学や技術講習会でも学べます。美術部の活動は、そういう意味では、かなり沢山の勉強ができるのです。だから、全部をこなしていると、いろいろな意味の専門的知識が学べます。これらは、机に向かって9教科を学んでいても身に付きません。

だから、私は部活動がとても意味があると思うのです。
同級生だけではなく、上下関係も学べますし、その集団の中での自分の位置や役割を学ぶことにもつながります。

それらのことの、一つ一つを良い経験をさせていただいて、と感謝できるようになるといいと思いました。



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中学生作品コンクール6

2009-10-25 | 新ピカソ
表彰式について

中学生作品コンクールの表彰式は、二日目、日曜日の午後行ないます。
しかし、その前に、絵を批評してもらいたい人は、その前にお出でくださいという案内を出しておきます。入賞した人は、表彰式でコメントをもらえる可能性がありますが、それ以外の人は、なかなかアドバイスをもらえないので、何か参考になるアドバイスをしてほしいという人は、表彰式より前から来てくださいということにしてあります。

それは、約1時間前からアナウンスをして行ないます。(もちろん、それより前でも、申し出があれば、批評を行ないました。)

見学者は、200名くらいだったと思います。やはり、賞をもらった人でないと、わざわざ見に来る人はいません。それが、残念でした。
出品者は、美術と書道で、毎年1000名を越えましたので、やはり500名くらいの入場者がほしかったですね。新聞に載せてもらったこともありますが、学校内での展示だと、一般の人は入り難いのでしょうか。

それでも、表彰式の時は、会場が一杯になりました。本校の体育館はバレーコートが3面取れる広さなので、かなり広いですが、ステージ前のバレーコート一面くらいの広さを表彰式で使いました。表彰式の前になると、椅子を並べて、会場をつくるという形にしました。初めから並べてあっては、見学の邪魔になるからです。

メインは、レクチャーテーブルを置いて、マイクをセットします。
両脇に長机を二台づつ並べて、向かって右にはトロフィーや楯を置き、左側は校長と私と高橋先生が座りました。司会進行はもう一人の書道の先生に頼んだり、男子が入ってきてからは、男子部員にやらせたこともありました。

マイクのセットや、司会については、事前に担当の先生に頼んで置きました。日曜日なので、放送部も顧問もいないため、やり方を聞いておき、体育館の上の方にある放送室の使い方も教えてもらいました。親切な顧問のときは、日曜日なのにわざわざ来てくれて、手伝ってくれることもありました。有難かったです。
マイクは、司会進行もありますから、二本ですね。

座席は、中央に空間を空けて、右側に書道、左側に美術としました。特別賞の19名は、全て座席に生徒の個人名を書いて貼りました。座席指定です。

欠席者も数名ありましたが、かなりの人数が出席してくれました。これは、事前に電話連絡した効果だと思います。また、団体賞は顧問や担当の先生に来ていただくことにしましたが、いない場合は、生徒でも良いということにしました。

ステージの前には、本庄第一高校の生徒の作品を並べたので、表彰式の時は必然的に、その作品がバックにあることになります。

ーーーーーー
式次第は、まず、校長の挨拶、続いて賞状授与、審査講評と進めます。校長先生には、事前に頼んで置き、時間前になったら、迎えにいくという形を取りました。会場は土曜日に見てもらうようにしました。

始めた当初は、土曜日も授業がありましたから、今のようにお休みではありません。だから、体育の授業で体育館が使えないわけです。そのためもあって、体育主任には事前の挨拶が必要なのです。

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私のメインの仕事は、審査講評でした。これに一番時間をかけました。
出品総数、参加校の数、水彩と油絵の割合、特選の数などの通り一辺の話は当然ですが、出品された作品の傾向やどういう観点で審査を行なったかの説明を行ないました。次に参加される時は、どのような点に注意して描いたら良いかをアドバイスしたのです。なぜなら、出品者は中学一年も二年もいるので、来年も参加できるからです。また、指導する先生方にアドバイスする気持ちもありました。

そして、そのアドバイスの具体的な参考例は、ここに並べた高校生の絵を見てくださいという形で、本校の生徒の絵を紹介しました。そして、それらの絵が県展に入選したとかの実績も少しPRさせてもらいました。

審査は、麓原会の中村先生にもお願いしていましたから、審査の時に先生からいただいた言葉を紹介するのも大事なことでした。

表彰式は、賞状授与も時間がかかりますが、この審査講評がメインです。
19名全員は取り上げられませんが、審査の時に良いと思った作品を取り上げて、作品を外して生徒に持たせ、表彰式で全員に見せて、具体的に批評をしました。
なるべく良い点を示して、一つか二つ気を付ける部分を示してやるということをしました。参加している中学生が分かるように話しました。

一通り、終わってからは、特選の賞状を渡すという作業があります。これは学校ごとに渡しました。一人一人は、渡せません。なぜなら、美術だけで100名以上になるからです。また、トロフィーの箱も最後に渡します。だから、かなりの時間がかかりました。全部で一時間ちょっとかかりました。

表彰式が終わると、少し間を置いて、搬出という流れにしました。その方が出品した中学にとって、楽だからです。時間が空くとそれだけ待たされることになります。

ーーーー
問題は、搬出に来ない学校です。何日か待ちますが、来ない場合は郵送して返しました。こちらの気持ちとしては、出品していただけることが嬉しいのですが、出品したら見学には来てほしいですね。せめて搬出に来るついででもいいですから、少しは見てほしいです。

ーーーーー
搬出が一通り終わると、片付けになります。部員全員で行ないますが、ホワイトボードを片付けること、シートを片付けること、掃き掃除、モップ掛けと結構な作業です。しかし、大体一時間で片付きます。飾りつけとは雲泥の差です。

日曜日のスクールバスは、5時が最終なので、ほとんどの生徒をそのバスで帰します。しかし、作業は終わらないので、残ってくれる生徒を選んで行ないます。
ほぼ20名くらいは遺したと思います。作品コンクールの責任者とそのスタッフはもちろんですが、それ以外にも家で迎えに来てくれる生徒や近くに住む生徒にお願いしました。

全てが終わって、その残った生徒たちで、打ち上げをしましたが、祭りの後の寂しさを一緒に味わいました。反省点を言って、リーダーが挨拶をしました。
私が言わなければならないようなことを、リーダーが言いました。みなさんのお陰でとても良い作品コンクールになったと思います。到らないリーダーでしたがご協力有難うございましたという挨拶です。

毎年行なっていると、やるのが当たり前になるのですが、このような貴重な経験をさせていただいて有難うございましたという気持ちがあるのです。

なんでもそうですが、私は、生徒のためになると思っていろいろやらせました。
それを、こんなことをさせやがってと思うか、こんな経験もさせていただいたと思うかで、やったことが不満になるか、感謝になるか180度変わります。

美術部では、そのような話を常にしているので、感謝する生徒が多いです。それがハートのレベルなのですが。

今日は、この話題は、ひとまずここまでにします。









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