昨日、小公女セイラを見ていたら、最後の場面でこのようなことがありました。
「校長先生は、私が嫌いですか?」とセイラが尋ねました。
すると、校長は、「嫌いよ、大嫌いよ」と答えました。
そして、その後、セイラは、「私は、校長先生も、この学校も大好きです」と言いました。とても自信を持って、明るく輝いた表情で、得意そうに言ったのです。
笑っているようにも見えました。
校長先生は、意外なことを言われて、戸惑っているような感じでした。
校長から嫌いだと言われて、泣いたり、がっかりしたりするのではなく、校長先生が私を嫌いでも構いません。私は、校長先生が好きなのです。と。
これが、何を意味するのか、その後の展開がどうなるのか、私にはわかりません。
しかし、私も校長先生が大嫌いです。と答えた場合と、好きですと答えた今回の場合とでは、展開が違ってくるだろうなあと思いました。少なくとも嫌いと言われるより、好きだと言われる方がいいだろうと。
ーーーー
実は、私が生徒を叱るときによく使った手です。手と言っても、決して嘘ではありませんが。
それは、生徒を叱るとき、そんなことをしてはいけないという意味で注意をします。そのときに、そんなことをするなんて、お前なんか大嫌いだと思うときがあります。そんなときに、使いました。
かなり、激しく怒った後で、きっと私が嫌だろうなあと思う時があるのです。
先生なんか大嫌いだと思われてもしかたがないような怒り方をした後です。
お前が、私をどう思っているか知らないけど、俺はお前が大好きだよと言いました。
好きだから、放っておけないんだと。そんな奴だと思いたくないから叱るんだと。
これは、お前なんか大嫌いだというより、ずっと効果があることがあります。
嫌いだと言えば、「嫌いで結構です。先生に好かれたくなんかありません」と開き直られることもあると思います。「どうせ私は先生から嫌われていますから」とひねくれられることもあります。
だから、好きだというんです。
だって、本音なんですよ。好きだから注意するんですから。どうでもいいなら叱りません。
俺は、お前のいいところをたくさん知っている。だから、そんないい人がこんなことをするとは思いたくない。とか。見かけで間違って見られたくないとか言いました。
服装、髪形などを直させる時は、特にそう言いました。俺はお前のいいところをたくさん知っているけれど、それは付き合って分かることで、ただ、見ただけでは分からない。そんないいやつが、見かけで悪く評価されるのは悔しいと。
世間の人には、見かけしか見えない。そして、見かけで判断される。見かけは第一印象だからとても大事だ。それが分からなければならない。と。
そんなことが、懐かしく思い出されました。
ーーーーーーーーー
もっといいのは、
大嫌いだと言葉では言うけれど、その意味は大好きだという意味だと分かれば、尚いいのでしょうね。目に涙をためて、大嫌いだと言う方が、効果的かな?
本気なら、そうなるかな。
ーーーーー
よくよく考えてみたら、初めは、
「先生なんか、大嫌い!」と言われた場面で、使ったように思います。
俺だって、お前なんか嫌いだというところを、「お前が俺を嫌いなのはわかった、でもな、俺はお前が好きだ」と言いました。
言った後、意外だったのは、反発していたのに、変化が生じたことでした。
泣き出したのか、意外な顔をしたのか、色々ありすぎて忘れましたが、とにかく、言っている私は気持ちが良かったし、生徒にも効果があると思いました。
だから、セイラの場面で思い出しました。そういえば、俺もこういう場面があったなと。セイラの場合と先生と生徒が逆ですが。
「校長先生は、私が嫌いですか?」とセイラが尋ねました。
すると、校長は、「嫌いよ、大嫌いよ」と答えました。
そして、その後、セイラは、「私は、校長先生も、この学校も大好きです」と言いました。とても自信を持って、明るく輝いた表情で、得意そうに言ったのです。
笑っているようにも見えました。
校長先生は、意外なことを言われて、戸惑っているような感じでした。
校長から嫌いだと言われて、泣いたり、がっかりしたりするのではなく、校長先生が私を嫌いでも構いません。私は、校長先生が好きなのです。と。
これが、何を意味するのか、その後の展開がどうなるのか、私にはわかりません。
しかし、私も校長先生が大嫌いです。と答えた場合と、好きですと答えた今回の場合とでは、展開が違ってくるだろうなあと思いました。少なくとも嫌いと言われるより、好きだと言われる方がいいだろうと。
ーーーー
実は、私が生徒を叱るときによく使った手です。手と言っても、決して嘘ではありませんが。
それは、生徒を叱るとき、そんなことをしてはいけないという意味で注意をします。そのときに、そんなことをするなんて、お前なんか大嫌いだと思うときがあります。そんなときに、使いました。
かなり、激しく怒った後で、きっと私が嫌だろうなあと思う時があるのです。
先生なんか大嫌いだと思われてもしかたがないような怒り方をした後です。
お前が、私をどう思っているか知らないけど、俺はお前が大好きだよと言いました。
好きだから、放っておけないんだと。そんな奴だと思いたくないから叱るんだと。
これは、お前なんか大嫌いだというより、ずっと効果があることがあります。
嫌いだと言えば、「嫌いで結構です。先生に好かれたくなんかありません」と開き直られることもあると思います。「どうせ私は先生から嫌われていますから」とひねくれられることもあります。
だから、好きだというんです。
だって、本音なんですよ。好きだから注意するんですから。どうでもいいなら叱りません。
俺は、お前のいいところをたくさん知っている。だから、そんないい人がこんなことをするとは思いたくない。とか。見かけで間違って見られたくないとか言いました。
服装、髪形などを直させる時は、特にそう言いました。俺はお前のいいところをたくさん知っているけれど、それは付き合って分かることで、ただ、見ただけでは分からない。そんないいやつが、見かけで悪く評価されるのは悔しいと。
世間の人には、見かけしか見えない。そして、見かけで判断される。見かけは第一印象だからとても大事だ。それが分からなければならない。と。
そんなことが、懐かしく思い出されました。
ーーーーーーーーー
もっといいのは、
大嫌いだと言葉では言うけれど、その意味は大好きだという意味だと分かれば、尚いいのでしょうね。目に涙をためて、大嫌いだと言う方が、効果的かな?
本気なら、そうなるかな。
ーーーーー
よくよく考えてみたら、初めは、
「先生なんか、大嫌い!」と言われた場面で、使ったように思います。
俺だって、お前なんか嫌いだというところを、「お前が俺を嫌いなのはわかった、でもな、俺はお前が好きだ」と言いました。
言った後、意外だったのは、反発していたのに、変化が生じたことでした。
泣き出したのか、意外な顔をしたのか、色々ありすぎて忘れましたが、とにかく、言っている私は気持ちが良かったし、生徒にも効果があると思いました。
だから、セイラの場面で思い出しました。そういえば、俺もこういう場面があったなと。セイラの場合と先生と生徒が逆ですが。