絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美術を通しての教育5

2009-10-20 | 新ピカソ
礼儀作法の話をしてきましたが、私が部員によく注意をしたことの例をお話しします。

例えば、先生に声をかけるときの注意です。

例えば、私が職員室に居て、生徒が用事があって来たとします。
そのときに、何も考えず「先生」と呼んで、いきなり要件を言う生徒がいます。
私はそんな時、すぐに返事をしません。

「なぜ、『先生、今、ちょっとよろしいでしょうか』と言えないのか?」と言います。

まず、先生が今どういう状態なのかを見て、声をかけても大丈夫かを判断して、いいかなと思ったら、「ちょっとよろしいでしょうか」と言って、許可をもらってから、要件に入れと教えます。

生徒は、先生が何をしていても、平気で声をかけてくる場合があります。
例えば計算をしている時に、声をかけられたら迷惑です。
他の人と、話をしているときに割って入られても困ります。
大事な考え事をしている場合もあります。

だから、それを全く考えずに、自分の要件を突然のように言ってきたら、「お前を中心に地球が回っているんじゃないぞ」と言ったこともありました。

まず、近くによって、先生が何をしているかを様子をみて、立って待つという気持ちが必要だと教えました。
ちょとよろしいですか以外には、「お忙しい所、すみませんが」を付けて、いまよろしいでしょうかと言うことを教えました。

ーーーー
こんなことも、教育の一つです。私の礼儀作法の項目で言えば、気配りですね。
相手の立場に立って考えるということです。

一番、わかりやすいのが、電話中です。電話で話している人に、横から話しかける人はいません。そのことは誰でもわかるでしょう。しかし、本当にそういう配慮のできる生徒は少ないですね。こういうことは教えないとだめですね。

ただ、教えたことの応用が利かないと、私が寝ていたときに、「お忙しい所すみませんが」と言った子がいました。「嫌味か?」と聞き返しましたが、そういう時は「お休み中のところすみませんが」というんだよと教えました。

ある新任の先生が、事務長先生に「先生、いま暇ですか」と言って怒られたことがありました。

暇ですか?とは何事だ!ということです。口のきき方を気をつけろということです。いま、よろしいですかといいたかったのですが、それを気さくに暇ですかと言ってしまったのです。

そういう場合は、「お忙しい所誠に恐縮ですが、いま話しかけてもよろしいでしょうか」というのが、本当だということです。

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挨拶は、難しいですが、運動部の生徒はよく挨拶をしてくれます。
しかし、こんにちはの「こ」が聞こえない場合が多々あります。
「に」も省略されて、「んちは」なのです。酷いのになると、「こんに」まで聞こえないで、「ちは」です。
すればいいという挨拶は、きれいではありません。それなら何も言わないで、頭を下げるだけで通り過ぎた方がきれいかなと思う場合もあります。

また、すれ違うところまできてから「こんにちは」と言われる場合があります。言われて挨拶を返そうとすると、もう通り過ぎているのです。答えるには後ろを振り向かなければなりません。それも失礼だと思います。
もう一つ、気がつくのは、挨拶をしてくれた生徒が私の方を見ないのです。これは失礼です。挨拶を返そうと思っても、こちらを見ていないのです。挨拶をしたときは、私を見ていたのかもしれません。しかし、その後すぐに目をそらせてしまいました。これも失礼にあたります。自分が挨拶をした後、その人が気づいて自分を見るまで、その人を見ているべきなのです。こういうことは現実にあるんですよ。驚きますね。せっかく挨拶をしたのに、しないより失礼になってしまいますね。


やはり、挨拶をするには、それなりの距離があるのです。挨拶をして、相手が気づいたら、相手が自分を見て挨拶を返せる距離です。
挨拶をされた人は、どの人が挨拶をしてくれたのかを知りたいし、その人に自分も挨拶を返したいと思うのですから、それができる状態を作ることが必要です。

それなのに、気付いた時は通り過ぎていたというのは、相手に対して失礼なのです。もし、通り過ぎてしまいそうな状況なら、止まって待つ必要があるでしょう。

よく、歩いていて、きちんとしている子は、立ち止まって挨拶をしてくれました。
立ち止まって挨拶をされると、こちらが恐縮してしまいました。しかし感激して、あの子は立ち止まって挨拶をしてくれたよと他の人に話したこともあります。
立ち止まって挨拶というのはとても丁寧なことなのです。

でも、校長先生や理事長先生には、私も立ち止まって挨拶をしたと思います。

また、挨拶をするときには、笑顔を忘れずにと教えました。無表情でするより、笑顔でということを教えました。表情一つで印象がまるで変わります。その笑顔が自然にできる子もいれば、できない子もいます。不思議ですね。たかが、挨拶一つでもいろいろ配慮する点があるのです。

私は、部活の終わりの時に、生徒たちにいろいろな話をしてきましたが、このような話もその一つでした。

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昨日と今日のテレビ

2009-10-20 | いろいろ
昨日のさんまさんの出ているテレビ番組で、豚に人間のDNAを入れて、臓器をつくるという話がありました。
見ていて、驚きました。そういうことができる時代になったのでしょうか。

豚の体を使って、人間の内臓がほとんど作れるようになれば、それを取り出して、移植することが可能になるということです。

そして、更に驚いたことは、代理出産が可能になるというのです。今は、代理出産が日本では認められずに、アメリカへ行ってお願いしたという話がありましたが、それが、豚にできるようになったら、すごいですね。もしかして、人間はそのお産の大変さから、逃れるために全ての女性がそれを望むようになるのではないかなと
想像しました。

また、皮膚まで人間になるようになったら、本当にミノタウロスのようなことがおこるのでしょうか。頭だけ豚で、後は人間の体です。ミノタウロスの場合は牛でしたね。大変なことですね。

今日は、人間の寿命がわかるという話を聞きました。あれ、混乱しています。今日の「わかるテレビ」という番組がありましたが、昨日のさんまさんの番組とごちゃごちゃです。
また、とにかく、染色体を調べると、どんな病気になりやすいかがわかるので、それに注意して生きると、その人が長生きできるということでした。
そうしたら、生命保険の会社が、それを調べて、その状態によって、掛け金が変わってくるとかそういう問題が起こるとか。やはり、昨日の番組でしたね。
今日は、アレルギーにならないようにするには、1歳までの赤ちゃんを動物園につれていくといいとか、そういう話を聞きました。
免疫をつくるのかな?綺麗過ぎる生活をすると、アレルギーになりやすいそうです。
不思議な話ですね。

今日のわかるテレビはとてもいい番組でしたよ。
週間子供ニュースでお父さん役をしてくれた池上さんが話してくれましたが、民主党が政治を行うとどうなるという話をわかりやすくしてくれました。
池上さんは、「そうだったのか、現代史」を書いた人です。これもわかりやすく世界のことがわかりました。パート2も出ているので、それも読みました。
みなさんにお勧めしたいです。


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ベネチア派2

2009-10-20 | 美術
昨日は、ベネチア派のティツィアーノの絵を紹介しましたが、今日は、チントレットとベロネーゼの絵を紹介します。

上の絵は、チントレットの「キリストの磔刑」です。
ベネチアのサンロッコ同信会館聖堂にある絵です。

私は、生徒を連れて行って来ました。サンロッコは、上がっていく階段の壁にも絵がありましたが、それは、キャンバスに描かれたものでした。しかも、階段の斜めの線に合わせてキャンバスの形が合わせてあります。あれはどのようにしてキャンバスを作ったのかなと思いました。斜めになっていたり、真っすぐになっていたり壁の形通りなのです。壁画ならわかりますが、キャンバスですからね。

このチントレットのキリストの磔刑は、大きさに驚きました。横幅12メートルですから、レオナルドの最後の晩餐(880×640)より大きいですね。
それと、テーマのせいもありますが、チントレットの絵は黒いという印象ができました。ベネチア派というのは、色彩の豊かさが強調されるのですが、チントレットはモノクロ調の絵です。

階段を上がって行って、大きな広い部屋に入ったかと思ったら、そこにも絵がありましたが、そこをぐるっと回って、階段の入り口からみると、180度向きなおった部屋に、このキリストの磔刑がありました。一番奥の部屋と言ったらいいのでしょうか。

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ベロネーゼの絵は、「カナの婚礼」です。
この絵は、パリのルーブル美術館にあります。私の記憶では、以前モナリザがあった部屋にありました。今は、モナリザが移動してしまったので、それでは説明がつかなくなりました。
とにかく、ルーブルで一番大きな絵です。あのダビッドのナポレオンの戴冠(979×621)よりもちょっとだけ大きいです。
この絵は、色彩豊かな絵です、絵の中に、ティツィアーノやベロネーゼ自身が描き込まれているらしいです。

横幅、990センチ。縦666センチ。

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Yさんの絵、完成

2009-10-20 | 絵画指導
Yさんが、絵を額に入れて持ってきました。

風布川清流という題にするそうです。

二点描きました。一点は、私が描いて直してやったりするので、それを展覧会に出すわけにはいかないから、それを見ながらもう一点描くと言って、二点になったのです。
しかし、その両方で、私は描いて示してやる部分ができてしまったので、どちらも手が入っています。だから、展覧会にはまずいかなと言いました。
でも、その後、私が直したところを更に描き進めたので、最終的には、自分で描いた状態になったのだから、出してもいいでしょうと私はいいました。

私も、直してやるときに、完成の状態にまではしません。一部を描いて示し、その後はそのようにやってみてくださいというケースが多いです。

Yさんも、私の描いたところをまた、更に描いたので、自分の絵になっていると思います。せっかく良くしたのに、また、だめにしちゃったなと思うところもあるのです。まあ、それが、自分の今の実力だから、それでいいだろうと思います。

でも、よく頑張りました。

これまでは、単調だとかいろいろ批評されるけれど、じゃあどうすればいいかを教えてくれる人がいなかったと言っていました。
どうすればいいかは、いろいろ手段があるので、これが答えというものではないのです。だから、自分で考えろということだったのでしょう。

私は、一つの答えを示したのです。それが絶対ではありません。

しかし、81歳とは思えませんね。
自分でも、生涯学習のつもりで、始めたけれど、絵は奥が深いのですねとしきりと感心していました。
私も、「そうですね、趣味のおけいことは違いますね」と答えました。

よく、ちぎり絵とか、絵手紙とか、文化刺繍とか、切り絵とかありますが、お手本があって、そっくりに作らせる講座があります。そういうものとは、全く違いますねと話しました。創造の世界ですから。

二枚目の絵はこれです。どちらも以前にご紹介しましたが、このように完成させました。まだ、いろいろあるのですが、もう展覧会が近いので、一旦終わりにして、また、展覧会で気になるところが出てきたら、直すようにするのがいいと思います。飾ってみて、気が付くこともあるからです。
答えが一つではないということです。そのときに、他の方法もありうることがわかれば、それを選ぶのは本人ですから。





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