絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

だめ男子 続2

2009-10-17 | 新ピカソ
続きを書きます。

だめ男子とは、朝練のさぼりと掃除のいい加減さで説明してきましたが、それは、制作にもつながりました。
美術部の活動は長いので、やる気のある生徒には自分の力を伸ばすのにこれ以上良い環境はないくらいなのですが、やる気がうせている生徒にとっては、あまりに長くて大変なのです。

それで私は、以前は工夫をして、生徒を飽きさせないようにいろいろな取り組みをしましたが、最近の生徒たちは、私があまり工夫をしなくても、絵に専念する真面目な生徒が増えたため、つい私もそれに合わせてきてしまいました。

また、私が足が悪くなってしまったことが原因で、生徒と一緒に遊んでやれなくなってしまったのも、工夫ができなくなった理由です。

以前なら、飽きると生徒を連れて利根川に散歩に行き、ドッジボールをして遊びました。また、体育館が借りられるときは、生徒を集めてバスケットをしました。
スポーツ以外では、生徒に将棋を教えたり、ギターを教えたりしました。

遊びでなくても、風景の場所を取材しようと言っては、いろいろな場所へ連れていったり、時には、ファミレスに連れて行って、なにか冷たい物でも食べようと随分御馳走もしました。

そんなことを、頻繁に行いましたが、真面目な生徒たちは、絵を描く時間が足りないとまで言いだすほどで、私が遊んでやることが、いけないかなと思わせるほどになってきました。だから、やる気のある子とない子ではギャップが激しいですね。

それと、最近はポスターやコンクールなどの挑戦をする生徒もいて、出せるコンクールは全て出すんだという意欲的な人もいて、作品作りに忙しいという状況が生まれていたのです。

だから、やりたい生徒は時間が足りないのですが、やる気のない生徒は時間を持て余しているという状態でした。

私がだめ男子などと名付けたのは、その時間を持て余している男子たちでした。

それを見た真面目な先輩たちは、頭にきてサボっている子たちに何度も注意をしました。最後は言うことをきかない男子たちに腹を立てて、パニックになり、病院騒ぎを起こした先輩もいました。

ーーーー
だから、私は、その男子たちを集めて、日曜日などは職員室で絵を描かせたこともありました。私が仕事があるので、職員室にいなければならないので、私のいる部屋で描かせたのです。職員室では騒ぐわけにはいきません。しかも私のいるところで描くのですから、無駄口一つできません。
そんなことをやらなければならない状態でした。

しかし、いくらだめといっても、県展までには絵を仕上げます。だめ男子4人の内、3人は県展に入選しています。

だから、他の学校のだめな部員とはわけが違います。他の学校の美術部の顧問が聞いたら、どこがだめなの?と言うかもしれません。あれだけの絵を描いていてだめなの?と。

私は一番だめな子でも、県展に出品するところまで持っていくのは、私の責任だと思っています。いくらだめでも連れていく。見捨てているわけではないということです。私がだめと言っているのは、ハートの問題だからです。

ーーーーーー
本当は、Hくんのことを書きたいのです。
私がだめ男子などという名前をつけた原因はこのHくんがいたからです。
このやろうと思うことがたくさんありました。

朝練習、掃除、制作態度など、どれもが該当してしまう生徒でした。それと、初めに話した併願で来たということもあり、本庄第一高校のやりかたに素直に従えない部分もあったのだろうと思います。

だから、何かというと私はHくんのだめさを例に挙げていたと思います。

しかし、そうは言っても、見放してはいなかったのです。

実は、八木橋で展覧会を開いたときに、彼の絵をほしいと言ってくれた人がいました。県展には落ちてしまったのですが、彼の絵が一番いいと言ってくれて、売ってほしいというのです。
私は、彼の絵をそこまでいいと言ってくれる人がいたことに感激して、彼にメールで知らせました。そして、少なくとも30万以下では売るなよと冗談みたいに話したことを思い出します。
彼はとても喜びました。見に来ていい絵ですねという人は多いけれど、お金を出してまでほしいという人はなかなかいない。だから、それはすごいことだぞといってやりました。

いままで、私が声をかけると、いやそうな顔をすることが多かった彼が、私がかけた言葉で嬉しそうな顔をした数少ない経験でした。なぜなら、叱られることばかりで、ほめられるようなことが無かったからです。

ーーーー
その後、まただめな状態が続くのですが、三年生のある時期に他の部員からこのような話を聞きました。

「先生、Hくんがね、最近変わってきたんですよ。掃除の時なんか、ここやらなくていいのと聞くようになったんです」と。

「ほうう、そうか、それはいいことを聞いた、どうも有難う」と私はその生徒に言いました。

それは、中学生作品コンクールの準備の時でした。私は、もう休職していて、たまたま審査や飾り付けを手伝いにきていたのでした。
そこで、その話を聞いたので、姿を見つけて、声をかけました。

「まあ、そこへ座れよ。」と私は言いました。
急に声をかけられた彼は、少し躊躇するようなしぐさをしながら、また、何か叱られるのではないかと、身構えているようでした。
「最近、お前が変わってきたとある女子部員から聞いたぞ」と私は言いました。

彼は、「何て?ですか」と問い返しました。

今までの彼なら、人が自分のことをなんと言おうが関係ないと開き直るかもしれないという可能性を私は考えたのですが、そのときの彼は、私のその言葉に興味を持ったようでした。

それで、「お前が、掃除を一生懸命するようになったと聞いたよ」と言いました。

彼は、少し照れたように、「そうですか、そんなでもないですけど」と返しました。

私は、「自分ではわからないかもしれないけど、お前の中の何かが、変わってきているのかもしれないぞ」と言いました。
そして、「まあ、少なくとも、そんなお前をきちんと見ていてくれる仲間がいることはうれしいことだな」と話しました。

そして、「先生はな、実は、そういう話は一番うれしいんだよ。展覧会に入選したという話も嬉しいけど、それよりももっと嬉しい」と付け足しました。

「ここは、もしかしたらチャンスかもしれないぞ、人は気持ち次第でいくらでも変われるんだからな」と話しました。

ーーーーー
この時は、それだけ話しました。

そして、幾日か経って、美術室を訪ねたとき、彼がいたので、次の言葉をかけました。私はときどきこのような手を使います。

「おい、Hくん、ちょっと来てみ」と呼びました。

「あのな、お前はこの美術部の中では、一番才能がある人間なんだよ、それなのに県展に2回とも落ちちゃっただろ、それはな、お前のハートの問題なんだ。いいか、この間も言ったけど、いま、お前の中の何かが変わろうとしているようだから、ここがチャンスだと思うんだ。今度、麓原展があるだろ?そこで、これがHだという絵を描いて見せてみろ。みんなが、あっと驚く絵を描いて見せてやれ!」と私は、言いました。実は、周りに他の部員がいましたが、私はわざと耳打ちして、こそこそとその言葉を囁きました。

彼は、私と内緒話をしている状態をみんなに見られているので、少し照れながら、しかし、嬉しそうに聞いていることがわかりました。

私のしたことは、それだけでした。

そして、次に彼のことを気にかけたのは、麓原展の審査の後でした。
彼の絵が特選になったのです。私は、彼がどんな絵を描いたのか知りませんでした。審査が終わってみて、初めてその絵が彼の絵だとわかりました。
私は、審査員です。私は知らないで、彼の絵に投票していました。

その後、顧問の竹内先生に聞く話では、Hくんがある日から急に変わったとのことでした。
振り返ってみれば、私が声をかけたその日辺りからでした。普段なら我先と帰っていく彼が、残って描いて行っていいですかというようになったのだそうです。
また、家にも絵を持ち帰って、夜中まで描いたりしたそうです。
今回のこの絵にかける彼の取り組みは周りの者が目を見張るものがあったということです。

「へええ、そうでしたか」と私も驚き、声をかけて良かったと思いました。

後日談ですが、彼の心に火をつけたのは、やはり私の一言だったようです。彼自身が語りました。あのとき、声をかけてもらわなかったら、ここまで頑張れなかったと思うと。

そして、有難うございましたと言ったのです。私は涙が出そうでした。

だめ男子なんて言って悪かったなと思いました。
言いませんでしたが。

よく、教師の一言が子供を変えたというような話を聞きます。もし、私の一言が彼を変えたのなら、それに該当するかなと思いました。

でも私は、ただちょっと声をかけただけなのです。きちんと面倒を見てくれたのは、顧問の竹内先生です。竹内先生の指導がなければ、彼もあの絵はできなかったでしょう。

ただ、もうひとつ面白いのは、彼が本庄第一高校に来て良かったと何度も言いだしたことでした。お母さんが麓原展に来て、開口一番に言ったことは、そのことでした。
「先生、内のがね、本庄第一高校へ来て、本当に良かったと言ってるんですよ」と。

実はお母さんは、本庄第一は内の子には向いてないのかなと思っていて、進路を間違ったかなと感じていたというのです。それは、彼が1年生のときでした。保護者会でお母さんがそのように発言したのです。

それを聞いた他の保護者が、そんなことはないですよ、3年間いればわかりますからと、いろいろ声をかけてあげたことを思い出します。

顧問の私は、よくわかりもしないのに、生意気なことを言う保護者だなと少し腹が立っていました。
そして、こんなとき思うのは、よし、それなら、お母さんに本庄第一へ入れて良かったと絶対言わせてやるぞと、いうことでした。

それが、今回叶ったことになります。

しかし、お母さんの発言は、その後の彼の様子を見ていると、時間が経てば経つほど、だめになっていき、お母さんの言うことが当たりだなとさえ思う日々でした。

それが、どうでしょう。ここへきて、大どんでん反しです。
Hくん本人が、来て良かったと言いだしたのです。

実は私は、彼が特選と決まった日に、彼にメールを入れました。

今回頑張れたのは、誰のお陰だ?一番感謝しなければならない人は誰だ?と。
すると、彼は、「先生です」と答えました。
だから、私は、「違うだろ、お母さんだろ」と言いました。
「一回でいいから、お母さん、有難うと言うんだな、今回の結果を一番喜んでくれているのはお母さんなんだから」と。

無理に思ってもいないことを言う必要はないけど、もし、お前がそう思うなら、お母さんに、本庄第一へ来たことを後悔してないよと言ってやれよ、お母さんは、間違いだったかもしれないと言ってたんだから。お母さんの本音は、どこであっても、お前が自分を生かせるように生きてほしいということだと思うよ。と。


私は彼から、聞いた言葉の中で、一年生の時のことが気になっていました。
自分は男兄弟の末っ子で、二人のお兄さんたちはかわいがられて育ったのに、俺だけ虐げられて来たんだと言っていたのです。
お母さんに聞いてみると、そんなことはなく、むしろかなり力を入れて面倒をみてきたのだと聞きました。

どちらが、本当かは、私にはわかりませんが、少なくとも一番心配して応援してくれているのは、お母さんなんだから、今は、有難うというチャンスだろうと話しました。


でも、このことで、Hくんは変わりました。
送別会での、彼の挨拶は、忘れられません。
「おれ、一体今まで何をしていたんだろうと思います。時間を無駄にしていた。だから、卒業したくありません。もっと、ここで学びたいです」だった。
一年からもう一度やり直したいとも言ったかもしれない。

その言葉通り、彼は卒業しても絵を描いています。県展にも高校時代に描いた絵が入選しました。その後の県北展でも入選して、お母さんと一緒に見学に来ていました。卒業したらなかなか描かなくなってしまう生徒が多い中、彼は言葉通り、絵を続けて学んでいます。

これは、サクセスストーリーになりました。

だめ男子の冗談みたいな話から、ちょっと感動的なドラマになったと思います。

この学年は、そのだめ男子がみんな良くなります。本当に気持ちの良い送別会になりました。それは、真面目な女子がいたからです。そのことも忘れられません。
そして、だめだといいつつ、良いところを見て報告してくれた仲間がいたからでもあるのです。

よく、学園ドラマがありますが、一つ一つの問題が1時間以内に解決します。しかし、現実はそんなに簡単ではありません。このHくんのように3年間かけて、一つのことを教えるのです。とても簡単なドラマにはなりませんね。

















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だめ男子 続1

2009-10-17 | 新ピカソ
カテゴリーを新ピカソにしてみました。

だめ男子の続きを書きます。

だめ男子とは、なぜそんな名前になってしまったのでしょう。
それは、絵がだめということではありません。言ってみれば、ハートがだめなのです。要するに、部活に取り組む心のあり方です。

それは、朝練習をさぼるということから、始まります。
始業の1時間前から来て、朝練習のクロッキーをするのですが、それに遅刻します。たまに遅刻が、たびたび遅刻になり、そのうち、ほとんど来ないということになっていきます。
その度に、先輩たちが問題点として、取り上げ、どうしたら朝練習をさぼらないようにできるかと、工夫するのです。
私も、その問題を私の力で解決せず、生徒の工夫で解決させようとするので、顧問としては我慢の日々となるのです。

ある時は、部活運営委員で相談して、罰を与えるということにしたり、最後は、朝練習をさぼった生徒は、午後の練習のときに、正座をしてクロッキーを描くということも行われました。
また、そのモデルは各班の班長にやってもらい、班長に申し訳ないという気持ちも持たせたらどうかという取り組みをしました。
班長が怖ければ、その班は遅刻者がなくなります。班長がなめられていれば、いつまでも朝練習をさぼる生徒がなくなりません。

これも、生徒から出されたアイディアでした。

厳しいと言いながら、私はなんと甘い顧問かと思います。その裏には、部活は生徒が運営するものという私の姿勢でもあるのです

しかし、あまりに言うことをきかないだめな状態が続くと、雷を落とすこともありました。

ーーーーーー
だめ男子というのは、まず、朝練習をさぼるということが、一つです。

その他のことは、掃除のやり直しがありました。
美術部は、男子職員トイレの担当が多かったのです。それを男子が担当しました。

美術部の掃除は、班別行動で行われるので班長が責任者です。もし掃除のやり方が悪いと、班長の責任で、班長が一人でやり直しをすることになっています。しかし、あまりに続くと、私が班全員を集めて、全員でやり直しを命じることがありました。
ことがありましたというのは、そんなやり直しをさせられるのは、男子だけなのです。他の女子たちは、真面目の上に馬鹿が付くくらい真面目ですから、その必要はありません。女子は、やり直しをさせられたことは一度もなかったと思います。

夕飯になってしまいました。

まだ、つづきます。

ーーーーー
美術部の掃除というと、思い出すのは、私が望む以上にきれいにするということが多かったことです。
どこを使っても、終わりには使う前よりきれいにして返しました。赤城青年の家の研修などでよく言われた「来た時よりも美しく」というフレーズがありますが、まさにそのことでした。私は、生徒に、「そんなにきれいにしなくてもいいよ」と何度も言っていました。

それが、当り前のようになっていたので、この男子たちの掃除の取り組みには、頭にきました。

掃除のことで、エピソードを話せば、ピカソがライバルで紹介した話がありますが、ある一年生が階段の掃除をしていて、「どうしたの?」と尋ねたら「あまりに汚いので」と答えたという話です。

いつも使っている階段が、あまりに汚いので、見るに見かねてその子が雑巾がけをしていたのです。
掃除担当のクラスがあるのだから、そのクラスの責任です。また、監督をする先生もいるのだから、その先生の責任でもあるわけです。
ということは、先生も生徒も掃除に対する意識が足りないことになるわけです。それを、担当ではない美術部の子が見ていられなくて、掃除をしていたのでした。

実は私は、学校を回っていて、どうにも汚くて我慢できない時は、私が自分で掃除をしてしまうことが多かったのです。よく調べて、どのクラスか?掃除の責任者である先生はだれか?と追及して、その先生に言うことも必要なのですが、それは後でするにしても、私は自分で気がついたときにやっていました。

すると、それを見た美術部員は、先生にやらせてはならないと判断するので、「先生、私がやります」と言って、やってくれるのです。だから、美術部員は、私が掃除をやりだすと、どこの場所でも私に代わって掃除をしてくれました。もちろん、私も一緒にやりましたが。

そういう習慣がついていたので、その一年生は私がやりだす前に、自らやってくれたのでした。

そんな状態でしたから、美術部の掃除に対する意識はかなり高い物がありました。

ーーーーー

ただ、このような取り組みを見ていると、生徒はどんな心理が働くでしょうか。

私は、美術部の生徒は、先生たちに対する厳しい目を持っていただろうと思います。
あの先生はだめだと思ったことがたくさんあったと思うのです。なんだこの掃除は?と思います。生徒はどこのクラスだと思うのと同時に、指導している先生は誰だ?と思うのです。そして、それが分かれば、あの先生はだめだと思ったでしょう。
口に出しては言いませんが、そういう意味では、いろいろな先生がだめ先生としてレッテルを張られただろうと思います。

真面目な生徒は、そういうことまで思うのです。

ーーーーー
実は、これは、掃除だけではありません。
服装、髪型、挨拶、返事、---と言いましたが、そういうことを指導する先生の指導力まで、かなりの厳しい目で、生徒たちは見ていました。
ハートのレベルの高い美術部員は、だめな先生たちを心の中で、批判していたはずです。こっそり、私にそのことを言う生徒はたくさんいました。あれじゃ駄目ですよねと。
ーーーー
話を掃除に戻します。

ですから、美術部の掃除は、そのようだったため、このいい加減な男子たちが許せなかったのです。それで、何度もやり直しをさせました。

ある時、私は、トイレのタイルでできた壁の汚れが気になったので、男子を集めました。そして、この汚れを汚いと思わないかと言ったのです。

そうしたら、あまりに何度もやり直しをさせられるので、限界に来たのか、Kくんが「汚いと思いません」と言い返してきたのです。

私は、このやろうと思いました。

そして、「何だと?もう一回言ってみろ!」と言いました。すると、Kくんも引っ込みがつかなくなったのか、もう一度「汚いとは思いません」と言ったのです。
私は、頭にきて、Kくんの胸倉を掴んで、「俺が汚いといってるんだよ」と言いました。その時、ワイシャツのボタンが二つピッピと飛びました。
私が強く引っ張ったので、ボタンが取れてしまったのです。私は車いすの状態でした。だから、下からワイシャツを引っ張ったのです。そのため、ボタンが飛びました。後日、ボタンを買って返しましたが、その時は、怒ったままです。

結局、私の剣幕に圧倒されて、すみませんと言わされて、掃除をさせられたわけですが、そんな状態でした。

ただ、彼の言おうとすることは、わかる部分もあるのです。なぜなら、この職員トイレはよく掃除をするので、他のトイレよりきれいです。

彼が言うには、このトイレは学校中で一番きれいだというのです。確かに、汚いトイレがたくさんあります。一番きれいかどうかはわからないけれど、他と比べたらきれいです。

しかし、私が求めているものは、他と比べてではありません。

自分が任された掃除場所をどのようにきれいにするかということです。
他と比べて、どうだとかいう問題ではありません。ただ、きれいにするだけなら、今日はきれいだからやらなくていいやということにもなってしまいます。

学校の掃除は、掃除をする習慣をつけることでもあるのです。たとえ、きれいに見えても見えない汚れがあると思ってやるのです。きれいだと思えば、普段手が入らないところに目を向けて、やるのです。壁の汚れなどは、まさにその部分です。

普段は、便器や流しや鏡の汚れをきれいにするのです。トイレットペーパーが無ければ、付けたり、補充したり、ゴミを捨てたりという作業です。それが、簡単に済むなら、壁の汚れや窓の桟の汚れなどに目を向けるのです。

だから私は責任者として、そういう部分を見ているのです。

いつになったら、壁の汚れに手が入るのか?ということでもあったのです。

今回のことは、結局ハートの問題です。
きれいだからやらなくていいやという気持ちもあったでしょう。他と比べたらという気持ちもあったでしょう。そして、私がやり直しを命じることに対する反発もあったと思います。
普通なら、「はい、すみません」と言って素直にやり直すことが多いのですが、限界に達していたのでしょう。

その後、落ち着いたときに、「先生は頭にきたので、あんなに怒ったのですか?」とKくんから尋ねられました。先生は感情で怒ったのですかというのです。
怒るのと、叱るのは違うという話をすることもあるので、理屈で攻めてきました。

私は、そうだよ、頭にきたから怒ったんだよと言いました。私は怒ったし、叱ったんだと言いました。
あの時に、あの場面で、先生と生徒という関係で、あのような言葉を言えば、目上の立場の人間がどういう心境になるかということをお前に教えたんだと。人がなぜ怒るのか、なぜあんなに怒るのかを身をもって教えたんだよと。

それは、私が生徒たちに、どのようなレベルを求めているかということでも違うのだということを教えました。

大体きれいになっていれば、いいやと思えば、やり直しをさせる必要はない。しかし、こんなところまで、目を配れる人間にさせたいと思えば、この汚れに気がつかないのかということになる。

実は、絵も同じなのだと。

生徒たちは、高校生としてみれば、すごい絵を描いている。特に言うことはない。しかし、県展に出したいとなれば、あるレベルを求める。
中央のメインになる部分は、よく描けているが、隅々まで見渡してみると、描き込みが足りない。右下の方は、明らかに手が足りていない。もっと描き込むべきだということがある。そんなとき、かなり良く描けているんだから、まあいいかと言って、見過ごすか?そういうところで力を見抜かれてしまうのだから、隅々まで神経をとがらせて、完璧を求めるか、結局、そういうことにつながる。

大体きれいなのだからとか、他と比べたらきれいだからで終わらせる掃除と、大体描けているんだからで終わらせる絵と同じことだと。

すこし、こじつけに近い論理ですが、自分の甘さという点で見て行くと、かなり関係のあることなのです。

任された場所を責任を持ってきれいにすることと、どんな汚れも見逃さない繊細な神経は、自分の絵に配る神経とも重なります。

「お前の絵がだめなのは、こうした汚れに目を配れないいい加減な神経だからだよ!」ということになるのです。しかし、ここまでは、かわいそうなので言えませんでした。

要するに、教育的に言えば、顧問の私が美術部員にどの程度のハートのレベルを要求しているか、どのレベルの人間にまで、育てようとしているかという問題なのです。
たかが、掃除でも、その他のことにつながるのです。

それが、その後に、Kくんにもわかる時がきます。しかし、私はその後、休職をしてしまったので、それがわかったのは、卒業式の後の送別会の時でした。

先生はそこまで、自分たちのことに真剣になってくれていたんだとわかったと言ったのです。

ーーーーーー
Kくんはその後、絵が急に良くなって行きました。そして、埼玉県展にも群馬県展にも入選を果たしました。

ーーーーーー
朝練習のさぼりと掃除のやり直しの話をしましたが、制作態度についてもいろいろありました。

それは、また次回。つづく。







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だめ男子

2009-10-17 | 絵画指導
土曜日は、朝9時からヘルパーさんが来てくれます。
私の部屋の掃除をしていただいています。とてもありがたいです。

その掃除が終わるころ、Nさんから電話があって、絵を見てくださいと言われたので、私がNさんの家に行ってきました。家の中に入るのが大変な私は、外の駐車場で、見せてもらい、外でコーヒーをいただいてきました。
まるで、キャンプみたいですねと話しました。
そとで、コーヒーをいただくのもいい気持ちですね。

ーーーーーー
写生旅行の批評会を書いていたら、続ピカソがライバルの続きみたいですねとコメントをいただいて、そうだなと思いました。

実は、書こうと思えば、まだまだ、いろいろあるのです。
だから、続続ピカソがライバルが書けるのですが、タイトルをどうしようかと思います。「新ピカソがライバル」でしょうか。

卒業生のことを書けば、「その後のライバルたち」というのもいいかなと思っています。

一つだけ書いてみます。

ーーーーーーーーー
ある年の送別会を思い出して、書いてみたくなりました。

私が、「だめ男子」と名付けた男子部員のことです。

その学年は、真面目な男子と不真面目な男子に分かれてしまい、私が手を焼いた学年でした。
そのだめ男子の中に、Hくんがいました。
今、考えるとこんなにだめな部員もめずらしいかなというくらいだめでした。

そもそも、入学の時から、その問題はありました。併願で入ってきたのです。
第一志望の学校に落ちてしまい、しかたなく入学してきた感じでした。
私は、この併願の入学生には、仕方なく来たという気持ちを払拭して、来て良かったと言って卒業できるように頑張れと、話しました。

本庄第一高校を第一志望で来た生徒と気持ちを一つにして、一緒に頑張れるように初めの心構えを話したのです。

どこへ行ったとしても、その道で生きて行くからには、この道で良かったと思って生きてもらいたいという私の考えを話したのです。これは、極端に言えば、哲学です。

なぜなら、私自身がそうだからです。

自分も大学受験で第一志望の大学に行けませんでした。しかし、この大学で良かったと思って、卒業できるように頑張りました。その場で、自分を生かせるように頑張ったつもりです。だから、学生たちで展覧会を開くということを始めました。
また、教員になるときも、公立の中学の試験を受けたのです。合格しましたが、健康診断で、問題ありとなって、浪人しました。
たぶん、そのまま採用されていたら、私の教員生活は公立中学で過ごしたでしょう。そう考えたら、本庄第一の今の美術部はなかったですね。

幸い私は、今の本庄第一高校(当時は本庄女子高校)で拾っていただき、教員になることができました。だから、私立高校の美術教師で、自分を生かすことを考えました。こんな田舎の小さな高校だけど、ここにいて、日本一になってやると思いました。

すごい美術科のある有名高校の先生になるのではなく、こんな小さな無名の高校にいながら、その有名高校をしのぐ美術部を作ってやると思ったのです。

そのような話を生徒にしたと思います。私がそう思うようになったのは、実は少し時間がかかっています。もしかしたら、何年かしたら公立の教員試験を受けようかなという気持ちもあったからです。だから、自分の気持ちの変化を話すことが生徒には、ぴったりと重なると思いました。

どこに居たって、自分を生かせばいいのだと話しました。第一志望がいいとは限りません。むしろ、その判断は間違いだったというくらいのことをやればいいのです。

第一志望の学校が良い学校だと、誰が言ったのでしょう。たぶん、偏差値の高い学校が良い学校だと勘違いしているのだと思います。希望者が多くて、入るのが難しい学校が良い学校だと思っているかもしれません。
しかし、それはどうかな?と思います。

人生は、出会いだといいます。それは、一つの運です。だから、私は、生徒たちが私に出会えてよかったと思えるように頑張りたいと思っていました。

この学校の生徒さんたちは、良い先生に出会えて幸せですねと多くの方から言われました。生徒が描いている絵を見て、どこへ行ったって、こんな高いレベルの絵を描かせてくれる美術部はないということから、そのような感想になったのでしょう。

また、生徒たちの真面目な姿を見て、そうおっしゃる方もいました。

私は、さわらび展の感想として、その言葉をいただくことが一番うれしかったですね。

ーーーーーー
自分の置かれた環境の中で、自分自身を最大限生かすこと。それができる学校がその生徒にとって、一番良い学校だろうと思うのです。

ーーーーーー
話を元に戻すと、そのつもりでやっているのに、その顧問の気持ちを素直に受け取れない部員もいるもので、だめ男子などと言われる生徒たちを生みだしてしまいました。

つづく
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