絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

麓原展

2009-10-29 | 美術
本庄市を会場に行われる絵画の公募展です。

高校生以上なら、誰でも出品できます。
明日が搬入です。

搬入は、 30日(金)、午後5時 ~ 6時
     31日(土)、午前9時 ~11時

会期は、  1日(日)~3日(火)です。

本庄市という地方の公募展という感じで見られがちですが、どこからでも出品できるので、考え方からすれば全国展ですし、もっと言えば世界展です。

今は、出費者が150人くらいです。

上位の10人が、特選になります。特選を二回取ると会友に推挙されます。会に入って勉強したい人は、ぜひ頑張って特選を取ってください。
特選を取るには、本庄第一高校の生徒に勝たなければなりません。毎年本庄第一高校の生徒が全員出品しますので、ほとんど特選を取られてしまいます。県展に10名以上入選する美術部ですから、かなりのレベルです。

しかし、昨年は、それに勝って、特選を取った人が5人いました。これは、珍しいことです。一応そのうちの3名は私が教えたデッサン会のメンバーの人でしたが。

だから、麓原展で特選を取るのは大変です。今回も、私が教えているデッサン会から、何人か出品します。特選を狙っていますが、取れるかどうかわかりません。しかし、なかなかのレベルになりましたので、勝負ができるかなと思っています。

会友になるには、特選を二回と言いましたが、特選が一回で入選が5年連続というのでも、推挙される資格が得られます。しかし、審査員がみんなで話し合って、会友に推挙してもいいだろうと認められないと、推挙されません。

もうひとつは、10年連続入選することでも、資格は得られます。しかし、同様に推挙されるレベルの絵になっているかが問題になります。

ですから、結構大変ですね。会に入って頑張ろうと言うからには、それなりの頑張りが必要なのです。ぜひ、頑張って出品してください。

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私の制作

2009-10-29 | 新ピカソ
今回描いている絵は、児玉の秋平という場所です。実は、この絵は一年前くらいに描き始めました。しかし、途中で進めなくなり、ずっと他の絵の裏に隠れていました。
そして、久しぶりに引き出してみたら、また、描きたい気持ちが湧いてきて、今、進めています。

ただ、この絵を通じて、自分が表したかったものが何だったのか、忘れてしまいました。

私は、自分の表現したいものを「内的ビジョン」という言い方で、考えてきましたが、その内的ビジョンが何だったのか?思い出せません。

この畑に来て、山を背景に立っている枯れ木に何かを感じて、絵に描いてみようと思ったことは確かです。自分の絵画観から見て、これは絵になると判断しました。ただ、このままでは、やや弱い気がして、人物がいたらいいなあと思いました。

だから、「山村」いや「麓の畑」かな?その情景を描くということには、違いないのですが、そこから感じた何かがあったと思うのです。そのときの空気の味とでもいいましょうか。
それが、出せなくて躓いていたのか、何が問題で進めなくなったのか、わからなくなりました。

しかし、だからこそ、今回進められました。おかしなことですね。

ーーーーー
ジャコメッティーが、夕べどこまで進んだか、朝になると分からなくなる。だから、できれば眠らないで描きたいと言いました。それは、画家は絵を進めながら、頭の中でいろいろなシュミレーションを描いて、たくさんある展開の中から、一つの手段を選びながら、進めているのです。これは、将棋に似ています。
途中で、先を読んでいるのです。こうなったら、こうだから、これを選んだら、そのつもりで、ここもこうしなければという感じです。

おわかりでしょうか?

ある部分に、一つの色を選んだら、他の部分がその色との関係で進めなければならないのです。だから、一晩寝て朝起きたとき、それまでどのように考えてどう進めて来たかを思い出さないと、勝手に進められないのです。

今回の私の制作は、それを思い出せないほど、間が空いてしまいました。
しかし、面白いのは、忘れたために新たな気持ちで進められるのです。頭を抱えて、もう進められないと思ったものが、それを忘れて描いていける、面白いですね。

だから、今回描きだしたときは、人の作品に手を加えているような感じでなんだか変でしたよ。

ーーーーーーー
人物を新たに描き加えたのですが、この人物が絵の中に入るまで、すこし大変でした。どこかから切り取ってきたものを張り付けたようになってしまうのです。
実は、そうしているのですから、当然のことなのですが、中に入れるには、この世界の一部にならなければなりません。その場合、同じ光を浴びて、同じ空気の中に入れるのです。
ということは、或る程度、同じ角度の光が当たるように影を設定します。
草はらの中にいるので、人物の周りに草が絡みます。手前の草は人物の手前に被さります。

そんなことは当然のことですが、けっこうしっかり入るまでは、苦労します。
一番、気になるのは、輪郭線です。人物が平面的に見えてしまうことがあります。

それから、思ったことは、風景を舞台にして、ここに人物がいたらいいなあと思っても、入れてみると、ただいるだけではだめなのです。なぜなら、人物を入れるだけで、それがポイントになって、目立つのです。そうなると、人物のための周りの設定が必要になります。

風景を舞台にと思った時、風景を先に描いて、後から人物を描くという方法を取ると、人物を描きこむだけでいいのかと思ったら、その人物のための周りの状況という問題があることに気づきました。

カラスを描いたときは、あまり感じなかったのですが、人物を置いたために、周りを変える必要性が出て来たのです。

人物の状態で、そのとなりの草を暗くした方が良いとか、枯れ草の形や位置がもう少し、左に動いた方がよいとか、そういう問題です。

確かに、カラスのときも、大きさと位置、何羽いたらいいかという問題で、考えて描き加えていました。そして、そこにカラスをいれるなら、この辺の草はもう少しおとなしくさせておこうというようなことは、やっていました。

だから、人物を入れたら、風景の一部を変えると言うのは、あたりまえのことですね。

この風景は、風景だけで始めて、あるイメージを追究していましたが、人物を入れたために、その人物のための風景になっていきました。

描き始めの、内的ビジョンとは違うものになったと思います。それを忘れたために、この作品ができました。もし、忘れなかったとしても、人物が入って来た時に同じ問題が生じて、このような展開になっていたかもしれません。
また、人物の配置やポーズで、展開が違うでしょう。

今の私の制作は、このような状況で進めています。
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