《長野の金》・・・、あの頃は、まだ会社勤めをしていて、お昼休みだったか外出先だったかで、心から幸運を祈りながら原田選手のジャンプを見守ったのを記憶している。結果、見事な大ジャンプ!(原田選手を想ってほっとした) 残るは船木選手。「ふなきぃ~~~、とんでくれ~、ふなきぃ~」画像は視界を失いそうなくらい降る大雪。TVを通して聞こえて来た原田選手の声が今でも耳に残っている。《原田といえば笑顔》。ご本人が一番クサリタイであろう時でさえ、マスコミにも笑顔を見せ続けてくれた。
その原田雅彦選手が、28年間の競技生活を締め括るラストジャンプを見せてくれた。《栄光と挫折の繰り返しの人生》と言われているけれど、研ぎ澄まされた人たち(ものたち)の中で切磋琢磨する人生に身をおく人達は、誰しもが同じ思いをし、同様の苦悩がある筈。
そんな時、スポーツ選手達は、どのようにして奮起し、這い上がるのだろうか。原田選手においては、「原田は原田。あなたらしくやればいいんじゃない?」どん底に居た時に声をかけてくれた奥様の言葉だったと言う。
そういえば、荒川静香選手も同じようなことを言っていた。自分のスケートに思い悩む日々、立ち寄ったインターネットカフェで、「荒川さんは荒川さんらしく《美しく》滑ってください」という書き込みを見て、(そうだ、そうなんだ。私は私らしく美しく滑ろう!)・・・そう思ったのだと。
《自分は自分らしく》 ・・・そう思うことが自分を再起させることが出来るかといえば、それは人によって個人差がある。たまたま原田選手にも荒川選手にも持って生まれた才能だとか後天的な人並みならぬ努力によって培われたものがあってこその再起であって、誰しもが《自分は自分らしく》と思うことでスランプから抜け出せるとは限らない。が、少なくとも《気持は救われる》と思う。かつての自分の栄光を思い出し、(栄光とまでは呼べなくても、良かった時代を思い出し)、その時の自分に誇りと自信を持ち、良かった点を大切にもう一度磨きなおせば、新しい何かがまた生まれてくるのではないだろうか。
原田選手のように、人に感動を与えられる人は素晴らしい。けれども、その裏には人並みならぬ努力が存在する筈。努力せずして人を感動させることが出来る人なんていないと思う。その努力、努力の原田選手のジャンプ人生に、そして 同じ思いで支え続けた奥様に心から喝采。