戦国時代の同時期、浜松には二人の女城主が住んでいました。
一人は昨年のNHK大河ドラマで皆さんご存知の井伊の谷の女城主「井伊直虎」。
もう一人は故飯尾連龍(乗龍)の妻で曳馬城(現在の浜松城)の女城主「お田鶴の方」
別名「椿姫」です。
母方の祖父は今川氏親、曳馬城城主だった夫の死により第5代曳馬城城主になった
と伝えられています。
徳川家康が浜松に進出するにあたり、徳川への城の明け渡しを拒否。
お田鶴の方自らが防戦の指揮をとり徳川勢と戦うも多勢に無勢で、
善戦むなしく城は陥落。
最期は緋威の鎧を着て長髪が乱れたお田鶴の方と長刀を持った侍女17人(18人)が
左右に並び門を開けて突戦するも全員討死したと伝えられています。
(『徳川伝記』)
その死を悲しんだ築山御前(お田鶴の方の従兄弟で家康の正妻)がお田鶴の方を含む戦死者
の遺骸を埋め百本あまりの椿の木を植えた塚を作りました。
それから何年か経った後に椿塚には一面に赤い椿の花が咲き、お田鶴の方は椿姫と呼ばれる
様になりました。
ちなみにお田鶴の方、『東海道五十三次:附・名数雑談』では女武者、
『皇朝金鑑』では烈女の一人として称されています。
こちらは座☆風流堂の剣劇「遠州おんな城主物語」です。
飲兵衛思うにこれは無い。
徳川方の武者・誇り高き三河武士にとって、
刃を交えての一騎打ちで女性に勝っても何の自慢にならないし、
ましてや女の首を取る様な寝起きの悪い事はしたくない。
討ち取ったのはおそらく鉄砲や弓などの飛び道具を使った足軽隊だったと思われます。
元浜町の椿塚の地には、お田鶴の方を祀った『椿姫観音』の祠が、徳川家康をはばかって小さく
ひっそりと建てられ現在に至っています。
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