我が家の男チームの大きい方の人は自分の名前に濁音が2文字入っているのが
小さい頃から嫌だったそうです。
濁音の1文字もない名前に憧れて、結婚前の私は何度も名前を褒められました。
そんなことまったくどうでもいいけどね。
意味分からないけど当人にとっては大事な事なんだな、と「へー」くらいに聞いておりました。
子どもが生まれて名前を付けた時も
「濁音避けたかったけど、1文字入っちゃったな。合わせて2文字か・・・申し訳ない」
と申し訳ながって?おりました。
自分の嫌なことは人にしない、と決めて生きて来たのに、とね。
・・・・もっとお互い共通の“自分がされたらイヤであろうこと”を、
私にはいっぱいしてると思うけど、そっちは気づかないのかと
私は余程そっちの方が気になりましたけど。
ちなみに私も左手上腕部の内側、わきの下近くにある小さなほくろが嫌でした。
なぜここに?という理由で。
ふふふ、今となってはなんだそれって感じで、ホントどうでもいい。
“名前に濁音”と同レベルの、可愛いどんぐりのせいくらべです。
で ちょっと思い出しました。
小学校の4年生の時に隣の席だった福田君を。
ある日登校するなり、いきなり興奮してしゃべりかけてきた福田君。
「ハナウタ、俺すげーこと発見しちゃった。自分でもビビったー、発見した時!」
「何を発見したのさ、福田」
「俺の名前、全部濁音つくんだぜ 調べたらさ、このクラスでたった一人なの」
「・・・・・・!」
「」
「福田、ホントに!?
一人しかいないの!?
ちょ・・ちょっとやってみてよ」
「いいか、聞いとけ。
ふくだとしひこ、だろ? ➡ ぶぐだどじびご ほらなっ」
平和だ。
この時代の小学4年生は、かろうじてまだとことん平和。
しばらくの間ふざけて「ぶぐだ君」とか「どじちゃん」とか呼んでましたけど
すぐ飽きちゃった。
でも福田君のこの快挙と誇らしげな眼差しを 私はありありと思い出しました。
今度大きい方の人が濁音の話をしはじめたらすぐさま打ち消して、
この話を、
濁音で唯一無二の存在としての自分に気づき 濁音から自己肯定感と自信を得た
小学4年の福田君のこの話を聞かせてやりたいと思います。
「何の努力もしないのに普通に濁音2つも持ってるなんて、福田君からしたら“神”だから。
口がさけても もう人前でそんなこと言っちゃダメだよ。
聞く人が聞けばあなたの話は 濁音を持つ人間のただの自慢話だからね。」
とね。
そしてこれからは小さい方の人にも言ってやりたいと思います。
「あなたの名前には濁音が2つも入ってる。
これは知る人ぞ知るラッキーネームだから。
自信を持って生きなさい。あなたは名前からも祝福されている人なのよ。」
とね。