須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

実幸さんとの再会

2014年12月14日 | スタッフより
須永博士が詩人として旅を始めてから、もう50年以上が経ちましたが、今でも皆様の人生から教わることばかりです。

2014年も、すばらしい人との出逢いがありました。

約13年ぶりの再会をした大分県日田市大山の刀根(旧姓 河津)実幸さん、そして、横にいて、しっかりと手をつなぐ男性の笑顔・・・そのお二人の姿を見守る、実幸さんのお母さん・・・



この笑顔を見ているだけで、心が温かくなって、何だか涙までこみあげてきてしまう。「本物の愛」って、こういうものなんだな・・・。




今年11月3日のことでした。

実幸さんは、先天性の筋ジストロフィー、筋力がだんだん弱ってゆく病気です。須永博士との出逢いは小学校4年生の頃でした。

いつも、お母さんと展覧会場や、須永博士作品館、そして須永博士美術館へ一緒に来て下さっていました。

実幸さん、人から見れば、不自由な身体とみられるでしょう。ですが、実幸さんの生きる姿は、「“不自由”って?」と思わせてくれる姿です。と言っても、これまで、本人やご家族にどれだけの苦労と努力と涙とがあったかは、どんなに想像してみてもできるものではないです。

ここ最近はお会いしていなかったのが、10月にお母さんがお一人で来て下さって、嬉しい報告が!

11月の展覧会に来て下さるとのことでしたので、私は密かに「須永博士には直接伝えてほしい(^^)」と思い、その報告は須永博士には伝えないでおきましたのどから出てしまいそうな言葉を、何度飲みこんだでしょう・・・


11月3日、車いすで会場に入られた実幸さん、須永博士は、来て下さることも知らなかったので、実幸さんとお母さんを見ただけで、「来てくれたんだね!!」と感激。

そして、実幸さんの口から

「須永先生、わたし、結婚しました」

その瞬間、須永博士のこれまで見たことのない、感動で一言も言葉が出ない様子でした


(ぶれてしまったけど、撮れてました、その瞬間

須永博士の思考回路を整理するのにやっと!!

実幸さんのことは、忘れることは無かったけれど、会っていなかった間の人生やこの目の前にある実幸さんの幸せそうなお顔を心に受け止めるまで、しばらく時間がかかりました

展覧会場にいた、他のお客様も交えて、ここからとっても素敵な時間が流れました。

この日、結婚の報告の他に、毎年実幸さんが作っているというカレンダーも持ってきてくださっていました。

今年で、このカレンダー作りは12作目になるそうです。

「須永先生みたいに、絵を描きたい」と、描きはじめていたというカレンダーは、実幸さんが親指を使ってマウスを動かし、パソコンで描いているそうです。

2015年のカレンダーのタイトルは「ときめき」



実幸さんと徹朗さんと二人で出かけた風景や出会い、思い出を描いたそうです。実幸さんの心のときめきが、カレンダーのイラストに素敵に表現されてあります

あったか~~いイラストです

そのカレンダーの後ろに、須永博士へのサインを入れて下さいました



「すなが先生へ

今日はありがとうございます

かんしゃをしています。」

カレンダーの後ろにも記載がしてありますが、カレンダーの収益金は、海外の地雷被害児や、東北支援への寄付にされているそうです。

「2004年から毎年作り続けて、本作で干支が一回りしました。」

この意味の大きさを感じます。

そのカレンダーに、ちょっとした偶然がありました。

実幸さんの2011年のカレンダータイトルが「前へ一歩」。

須永博士の2012年のカレンダータイトルが「一歩前へ」。

会ってもいない、カレンダーを作っていることもまだ知らない時に、こんな偶然があったと知り、驚きでした。


もうひとつの驚きが、カレンダーの収益を寄付していたカンボジアへ、「義足を作っているところを見てみたい」などの想いから、実際に実幸さん、行ってきたそうです。

そして、、聞けば聞くほど、驚きのことばかり・・・

どんなことにでも、何にでもチャレンジしている実幸さんのことは、ぜひぜひホームページをご覧ください。

実幸さんのホームページ

まみさんのホームページには、まみさんの素敵な言葉がたくさんあります。

実幸さんの詩


そして、実幸さんやお母さんと話しながら、すこ~し気持ちが落ち着いてきた須永博士・・・

実幸さんと徹朗さん、そしてずっとずっと実幸さんを支え続けてきているお母さんに座っていただき、詩を書きはじめました。





「わが子を想う 愛する

母の凄さが 強さが 優しさが

そして 偉大さがここにあります

愛するわが子のために

全人生をだしきって

使いきって生きている

母の姿がここにあります

かわづまみさんの おかあさんです」



この世で

たったひとりでいい

自分をみつめてくれて

自分をおぎなってくれて

自分と生きてくれて

そして 自分を愛してくれる人がいます

そしてその人と

どんな苦労も喜びも

ひとつにして生きてゆく人

“それが夫婦です”

夫婦ってとってもいいです

すばらしいです」

この詩を書いた時の写真が、最初に紹介した写真です



しっかりとつないだ手と、お二人の笑顔が眩しいですね


徹朗さんの想いを書きました。

「俺はこれでいい

これでいいと決めた道です

人生です

俺は まみという

愛するあなたと

生きてゆきます

それが俺の人生です

愛です」

書くまでもないでしょうけれどね・・・



木魂館の会場内も、スルスルと電動車いすで自由に動き回ることができる実幸さん。書いたパネルを写真に撮りたかったので、徹朗さんにパネルを持ってもらっていたところ、すっと実幸さんが徹朗さんの横へ、しかもぴったりと真横へ



このアツアツさが、また素敵です


そして、ずっと実幸さんを支えてきたお母さんの心



「小さな幸せでいいのです

愛する娘

まみが生きてきて

よかったという幸せが

ひとつつかんでくれればと

ねがって生きてきました

てつろうさんへ

ありがとう

まみはしあわせになれました

母」

後日須永博士がどうしてももう一度お母さんにお会いしたくて、お母さんにこれまでの道のりをお聞きする時間を作っていただいたのですが、今日までの日々は、ここではとてもとても書ききれないほどのことがありました。

それでも、親子で家族で支え合って生きてきた、その強さを教えてもらいました。

またその後にいただいたお母さんからのメールには、「苦しい時、辛い時、そのときどきで先生の詩を何度も繰り返し読みました。今回は報告がしたかったのです。みなさんのおかげです。感謝感謝感謝です。」とありました。

なぜ、実幸さんも、ご家族も、ここまで前向きに強く、生きてこられたのだろう・・・と考えると「感謝する気持ち」がいつもあり、どんなことも「出来ない」とは思わずに、「出来る」と思って挑戦することで、周りからは「無理だ」と思うことも、出来る方法が生まれてくるということが分かりました。

今年4月にはNHKのNHKハート展で、「お願い」という詩が紹介されました。

4月22日には、テレビでも放送されました。

まだまだ書きたい気持ちですが、今日はここまでにします

実幸さん、お母さん、徹朗さん、書かせていただいてありがとうございました。

そして、読んでいただいてありがとうございました



↑実幸さんの車いすの操作部分に貼ってあった写真


お帰りの時、実幸さんの行動力の凄さに、とても感動している須永博士。


実幸さんの前で、この日最後に書いた一言です。

コメント
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