須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

なぜ須永博士が詩を書いてきたか

2025年01月25日 | スタッフより

私は、1996年4月から須永博士の旅に一緒に行かせてもらい、運転手もしていました。

講演会場、展覧会場へと向かう車での移動中、助手席に座って、須永博士がいろんなことを話してくれます。

運転中なので、メモを取るわけにもいかず、記憶に残すよう、そしてこのブログで書き残せるよう、ブログを始めた2007年ごろから意識していました。

ブログに書く前に、ノートに思い出しながら書いていたこともあります。

 

手元にある私のノートから、今日はいくつか書き出そうと思います。

須永博士が話し始めるとき、自分自身に質問するように話し始めることも多くあります。

たとえば

「なぜ、須永博士という人間が、ひとりひとりの人と向き合って詩を書き、その人の心に寄り添ってこられたのですか?」と聞かれたらね・・・

という感じです。

そして、そのあとに話し始めます。

「"人間って、ひとりぼっち"

ひとりぼっちからの旅をしてきました。

ひとりぼっちを味わい、ひとりぼっちのつらさを知るからこそ

ひとりぼっちの自由、強さを知るからこそ、

ひとりぼっちの人に会った時、その人に手を差しのべ、心をかけ、人生を託して詩を書いてきました。

それでも、その人の苦しみをぬぐえなかった時は、つくづく自分の無力さに打ちひしがれます。

心のふれあいを求めて旅に出ます。」

 

そう書いてありました。

須永博士は

線路の前にたたずんで、自らの存在意義とは何かを自分に問うた21歳の冬、死への覚悟を「自分の力で強い人間になってみせる」という強い意識に変えた瞬間から旅が始まりました。

生い立ちについては、昨年発行した本「生きる力をあなたへ」に掲載しています。

 

 

「生きる力をあなたへ」

須永博士の歴史、これまでの世界の旅、日本の旅の詩なぜ詩人と絵描きの道を歩んできたのかこの一冊に詰め込みました。完全自主制作です。2024年3月、沖縄で講演会を5年ぶり...

 

一人っ子で、父親はあまり家にいなくて、母と2人の暮らし

母の過保護、内向的な性格から、社会に出たら人との関わりも、仕事もうまくいかず、周りから「お前はダメだ、役に立たない」と言われる日々が続いて、人と会うと体が震える、外に出られない状態になっていました。

そこから、詩人というたった一つの自分の生きる道を見つけ、その道一筋で生きてきた須永博士です。

また、続きを書きます。

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