郷が杜備忘録

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源頼朝(「鎌倉殿の13人」では「大泉洋」が演じる)

2022-03-05 | 読書

永井路子さんの著作「源頼朝の世界」から。

源頼朝は源義朝の子として生まれた。
源頼朝には、同腹の兄弟姉妹は姉1人、弟1人、異腹の兄弟姉妹が10人あったという。
頼朝には、義平、朝長という二人の異母兄がいた。
しかし、頼朝の母は家柄が良かったので第一夫人として扱われ、頼朝は嫡男の扱いを受けた。さらに都育ちで、12歳で官職についている。
ちなみに、常盤御前と義朝との間に生まれたのが、今若,乙若、牛若の3兄弟、後の全成、円成、義経である。
頼朝とは、異母弟たちになる。他に範頼がいたが、彼も頼朝とは母が違う。
そのうえ、運強さもあったようだ。
まず、平治の乱において戦に破れ東国に逃れる途中で、父たちとはぐれた。しかしそのために父たちといっしょに殺されることはなかった。また、平家方に捕まえられて殺されそうになるところを、清盛の継母、池禅尼の命乞いによって助けられている。
次に、挙兵後の石橋山の合戦で、洞穴に隠れているところを、梶原景時に見つかるも見逃されている。
永井さんによると、頼朝の才能は武将ものではなく、政治家のものだという。
頼朝を頂点とした東国武士団は、その下に有力武将がいて、その下に彼らの部下がいる。
頼朝の命令は、有力武将に伝えられ、それが下へ下へと伝えられ、武将団が秩序整然と動く。
その後、平家との闘い、義経の活躍と義経との確執、義経の奥州への落ち延びにより、奥州藤原氏との闘いにより
征夷大将軍への就任と全国制覇へ向かってゆく。
義経の任官や頼朝追討の院宣受領と放棄失敗は、後白河上皇との交渉に役立ち、守護・地頭の制度を確立でき、
征夷大将軍となり、西国にも権力を行使してゆくことになる。
しかし、頼朝は53歳で突然の死を迎える。彼の死因は1198年暮れのの落馬によると言われ、
翌年1199年1月に亡くなる。しかし「吾妻鏡」にはその部分が欠落しており、北条氏の陰謀説や怨霊説など
いろんな説が出る元になっているという。
それにしても、不遇な青年時代を経て、貴族政治から武家政治への転換を図るきっかけになったのは素晴らしいこと
であった。
そして、その後北条氏が執権という形で日本の国づくりをしてゆくのに、政子や義時が活躍していくことになる。
物語の展開が楽しみだ。
コメント (1)
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