寺島実郎氏の著作の続き3
「情報戦争の敗北者だった大島浩駐独大使」
大島浩氏は、日本を日独伊三国軍事同盟の路線へと引き込んだ責任者の一人である。「親独派」の中心であり、ヒットラーの友人であった。
この大島浩をめぐる衝撃的な本が1993年にアメリカで出版された。邦訳「盗まれた情報-ヒットラーの戦略情報と大島駐独大使」(1999年)
大島浩は、1934年陸軍からの駐在武官として赴任し、1938年中将で駐独大使、いったん帰任し再度1940年に駐独大使としてドイツに赴任した。
米国がドイツを占領したときに捕捉され米国に移送、ピッツバーグ郊外に収容されていて、1945年米海軍輸送船で浦賀に帰着し、東京軍事裁判
の被告となった。
大島は極端なドイツ信奉者、ナチの共感者であり、ヒットラーを含めドイツ統治の中心人物と親交を深めていた。
外相リッベントロップの仲介でヒットラーと面談している。豊富な軍事知識を持ち、よく電報を打つ大使であった。
しかし、日本の暗号交信は米陸軍に解読されていた。大島の情報は全て解読されており、ヒットラーの意図が全てつつぬけであった。
マーシャル米国陸軍参謀総長は「第二次大戦における最も重要な情報源の一つはベルリンの日本大使であった」と書き残しているという。
戦前、大島は当時の駐英大使吉田茂と日独防共協定を巡り論争をしている。
終戦後、日本に帰着した大島は外務省に吉田茂外務大臣に帰朝報告を行い、「自分はドイツと日本が兄弟になることこそ日本の平和に役立つと
信じていたが誤りだった。大臣が正しかった」と詫びているという。
日独防共協定は大島だけの責任ではない。
ある意味大島はまじめに職務を遂行した。几帳面に詳細な報告を送り続けたために、敵に情報を提供したことになった。
このようなことは現代でも通じるものがある。
米国は最も組織的・体系的に盗聴を含む諜報に力を注いでいる。
その象徴的存在が通信傍受のネットワーク「エシュロン」である。
この通信傍受情報の交換協力国には日本も参加しているが、あくまでも中核はアングロサクソン系の5カ国
(米、英、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド)であり、すべての通信が傍受され盗聴されているという。
さらにその活動は安全保障上の目的から「経済諜報」へ移動しつつあるともいう。
今次ウクライナにおいても、アメリカによる各種情報が提供されているようで、本当にそれが世界平和に生かされているのか、
疑問にも思われる。