気の向くままに

山、花、人生を讃える

超面白い実験

2022年08月17日 | その他

先日、NHKの番組で面白い実験が紹介されました。

それはスカイツリーの地上部と、それより450メートル高い展望室に、超高精密な光格子時計(日本人が発明製作した)なるものを置き、地上部と展望室とで時間の進み方の速さにどの程度の差があるか確かめるというものでした。

 

これは、地球から上空に向かって離れるほど、地球からの重力による影響が弱くなり、重力が小さければ、それだけ時間の進み方が「速く」なるというのが、アインシュタインの相対性理論の示すところですが、はたしてその結果はどうでしたでしょうか。

 

 

結果は、450メートル高い展望室の方が、1日に10億分の4秒、地上より早く進むということでした。

 

相対性理論が正しいことはとっくに証明され済みですが、今までは測定不可能だったこんなわずかな差を、光格子時計ができたことによって、測定し、確認できたというわけで、これは凄いと思い、紹介させてもらった次第です。

 

 

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この驚きの事実

2022年08月06日 | 人生

先日、放送大学チャンネルのある番組を録画したものを見ていたら、その講義の中で教授がこんな話をしていました。

○水素はビッグバンの時につくられた、これだけです。ここで強調しておきたいのは、私たちの体の中には138億年前につくられた水素がたくさんあるということです・・・・と。

 

水素は一個の原子核の周囲を一個の電子が回転しているという一番単純な元素で、138億年前のビッグバンの時、最初につくられた元素であることは知っていました。しかし、その後も水素はつくられているとわたしは思っていた。ところが教授が言うには、すべての水素はこのビッグバンの時につくられている。だから、今私たちの体の中にある水素は138億年前につくられたものだ、というのだから驚きました。いやあ、自分の身体の中に、138億年前に創られた元素があるというのですから、凄いですね~。

 

ついでに書かせてもらいますが、私たちの身体には窒素、炭素、リンなども多く含まれていることはよく知られています。それらは元はと言えば、太陽の中の核融合反応によって作られたもので、その太陽が寿命を迎えて爆発すると宇宙に飛び散る。その時に飛び散った元素たちが、巡り巡って私たちの身体となっている。だから、文字通り我々人間は星のかけらで出来ている「太陽の子」であり「星の子」であると、天文物理の先生は言います。

 

いやあ、それにしても、宇宙にあるものは皆どこかで繋がっていて、バラバラのものは何もないんですねえ。

 

   

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人間、死んだらおしまい?

2022年06月22日 | 人間死んでも死なない

以下は生長の家で発行されている若者向けの月刊誌に書かれていたもですが、人間死んだらどうなるかについての会話で、興味深い話と思い、ここにも紹介させてもらうことにしました。一読していただければ幸いです。

 

後輩:この前、友人と学校で「人間は死んだらどうなるのか」っていう話をしたんです。友人は「人間、死んだら終わりだよ」って話していて、僕が「よくわからないけど、死んだら終わりじゃない気がする」って話したら、「そんなの死んでみないとわからないだろう」って笑われてしまったんです。

 

先輩:たしかに、死んでみないとわからないかもね(笑)。でも、多くの人はこの肉体自体が自分だと考えているから、肉体がなくなってしまえば、それで人間は終わりだと、その友人も思っているのかもしれないね・

 

後輩:「目に見えないものは信じないし、神様なんていない」ってその友人は言っていました。以前の僕だったら、同じように考えていたかもしれませんけど、生長の家で「人間は永遠のいのちをもった神の子」だと学んでからは、「そうなのかもしれない」と思い始めていたので・・・。肉体的な死を迎えても、本当にいのちは無くならないのか、まだ確信が持てないんです。

 

先輩:そうかあ。君の友人の「目に見えないものは信じない」という話も分からないことはないけれども、僕たちが大切にしたいと思っている、人を思いやる優しさとか、愛情とか、深く心に抱いている信念とかは、目に見えないものだろう。きっと君の両親は、これまでたくさんの愛情を君に注いできてくれたと思うし、それは君自身も一番よく知っているはずだよ。

 

後輩:そう言われてみれば、「目に見えないものはない」とは言えないですよね。

 

先輩:何よりも大切なのは、人間の生命の本質を見るという事なんだ。たとえば、どんなに綺麗なバラの花でも、いつかは萎んで枯れてしまうだろう。でも、時間がくれば、バラはまた新しい花を咲かせるよね。じゃあ、なぜバラが新しい花を咲かせ続けることができるかと言えば、そこに目に見えないバラの原型、言い換えればバラの「理念」があるからなんだ。人間の生命もそれと同じで、神様の創られた「理念」としての人間が、人間の生命の本質なんだよ。「生き通しのいのち」とは、肉体がなくなっても、その「理念」は絶対に消えることがないという意味なんだよ。

 

後輩: 愛情や優しさと同じように、目には見えないけれど、神様の「理念」が確かにあるっていうことなんですね。

 

先輩:そうだね。「人間は死んだら終わり」だと考えてしまうと、人生において様々な経験を重ねていくことが、結局は無意味だという事になってしまうよね。でも、人間はそうは思えないはずだよ。たぶん僕たちは、人生で学ぶ様々なことは決して無駄にはならないと、本当は知っているんじゃないかな。生長の家では、人生とは「学校」のようなものだと教えている。そして僕たちは何度も生れ変りながら、この人生という「学校」でたくさんのことを学びながら、自分の魂を生長させていくんだよ。

 

以上で引用終わりです。

さて、「死んだらおしまい」? それとも「死んでも死なない」? あなたはどう思いますか。

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ウオーキングとゴミ拾い

2022年06月11日 | 人生

私はできるだけ毎日1時間ほど歩くようにしているが、そのついでというわけで、風の穏やかな日には、ゴミ袋とゴミをつまむ道具を持ち、ゴミ拾いしながら歩いています。

 

3日前、ゴミを拾いながら歩いていると、若いおかあさんが寄ってきて、「すみません、クマのキーホルダーが落ちていませんでしたか?」と声をかけられた。クマのキーホルダーなら先ほど拾ったばかりなので、「あ、ありましたよ」と言いながら、ビニール袋の中から取り出すと、「あ、それそれ、良かったあ。どうもすみません、子供が電話をしてきて、探してきてというもんですから・・・」といって、喜ばれた。私は私で、落とし物ではないかと考えもせず、すぐごみ袋に入れてしまったのだが、子供の大切なものをゴミにしてしまわないで良かったと喜び、ちょうど良いタイミングで出会えたことに感謝したことでした。

 

また、昨日は、私より少し年配らしいおじさんが赤い花をじっと見ていたので、私が「こんにちは」と挨拶した。すると、「これ、きれいな花だねえ」とさも感心したように言う。私はこの時、ちょうどカメラをぶら下げていたので、せっかくだからとその花(タチアオイ)を写真に撮った。そして、「この花は植えられたものか、それとも一人生えだろうか」「そういえば、今まで、ここに咲いているのを見たことがないねえ」などとしばらく立ち話をしたあと、自然と並んで歩き始めた。少し歩くと、ゴミが落ちていたので、それをわたしが拾う。するとそのおじさん、さも驚いたように、

「あんた、ゴミを拾っているのか」というので

「あ~、歩くついでだからね」

「いや、そんなことを思いつく人なんかいないよ」としきりに感心する。そして

「あんた教師か」と聞く。

「いやいや、ただの人だよ」といって笑ったのだが、

「あんた教師か」と言われたのがおかしく、何故かうれしくもあった。

                     

ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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花の絵でも描いてみたら・・・

2022年06月01日 | 人生

一昨年の今頃の時期、何となく絵手紙が書きたくなり、ブログの中にあった簡単な紫陽花の絵を見つけ、これなら描けそうと思い、昔買った水彩色鉛筆で描いた。そして、せっかく描いたからというので、友の誰かにその絵手紙を出したくなった。それで、絵に短い文章をつけ足してポストに投函。

送られた友はどんな反応をするだろうか、想像すると楽しかった。それが下の絵手紙です。絵も字も、まるで小学生低学年並みだが、これが記念すべき初めての絵手紙でした。 (笑)

     

で、これを見た彼氏、「ん、俺にはこんな女(ひと)いないがなあ・・・」と不審に思いつつ、差出人を見たらしい。私はそれを聴きながら「いたずら成功」と、喜んだ次第です。(他愛のない話ですみません)

 

あれから2年、昨日は家内の友達が、枇杷をもってきて、私に「これを書いて」というのだった。
こうして私などに初めてのリクエストが来ました。本来なら「とんでもない」と辞退するところでしたが、せっかくの乙女(笑)からのリクエストだからと思いなおし、恥ずかしながら、描きあげたのが下です。

       

最初に描いた紫陽花との差は歴然で、これでも、「我ながらうまくなった」と悦に入っている次第です。そして写真を撮ったあと、さっそく「うれし、恥ずかし」の気分でポストに投函したのでした。(他愛のない話ですみません)

 

しかし、とは言っても、「俺は強いんだぞ」と多くの人々を苦しめ、悲しませておきながら、自分の心は一つも傷まないらしい「あの人」には、下手でもいいからお花の絵でも描いてみたらどうかと勧めたくなるのです。あるいは、お国の民謡をピアノの伴奏に合わせて歌うとか・・・。そうやって少しは人間らしい心を取り戻し、ウクライナに早く平和が戻ることを願う次第です。

他愛もない話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

後記
2ヶ月も空白のままにしているのに、投稿記事に「いいね」をいただき、心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。

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嬉しい、有難い

2022年05月30日 | 人生

「嬉しい、有難い」ばかりの気持ちになりたいと思いつつ、今日も青年は頑張っています。笑、笑、笑

     今日の一日が有難い。

     目が見えて有難い。

     耳が聞こえて有難い。

     言葉を話せて有難い。

     字も、絵も書けて有難い。

     紙もペンもあって有難い。

     おいしく食べれて有難い。

     いろいろな野菜、穀物、果物が有難い。

     自由に歩ける足が有難い。

     ものごとを考えられて有難い。

     空気が有難い。

     空が、大地が有難い。

     木々の緑が有難い。

     色とりどりの花が有難い。

     鳥たちが囀り有難い。

     妻が有難い。

     子供や孫が有難い。

     数えればきりがない。

     有難いことばかりに囲まれている。

     ああ、嬉しい!

     ああ、楽しい!

     ああ、有難い!

          

           

                     

     (絵はすべて模写です)

 

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ウクライナに栄光あれ!

2022年03月25日 | 社会

今、世界中の人々がテレビに映し出される映像を見ながら、心を痛め、ウクライナに1日も早い平和が戻ることを願っています。

私もその一人ですが、ウクライナの人々を思いながら、このような絵を祈る気持ちで模写させてもらいました。

  

 

     

     

     

     プーちんよ、いい加減にしないか!!

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笑っていれば良いのじゃよ

2022年01月12日 | 人生

花屋さんの店先にある花を見ると、その色彩の美しさに目を見張る。
このように実物の花が美しいのはもちろんだが、上手な人が描いた絵手紙の花の色彩の美しさにも目を見張る。
そして、自分も真似して描いてみる。色彩の美しさには癒し効果があるのだろうか。

描きあがれば、下手だなあと思いつつも、何か嬉しい。

   

 

   

先日、家内の誕生日があった。
そしてきれいな雪の中の椿の絵があったので、これを描いて、
誕生日祝いの花に添えたら喜んでくれると思って描いてみた。(上の右の絵)

 

 

元の絵が良かったので、自分もこの大黒さまのように、いつも嬉しそうな笑顔で
いたいものだと思いつつ・・・。

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涙こぼれそうな話

2021年10月05日 | 人生

私が尊敬している絵手紙教室の先生(Tomoyo Kanemoto)が、Facebookに毎日絵手紙と日々感じたことを書いておられ、それがとても素晴らしいので、私は毎日楽しみに見せてもらっています。そして今日はまた特別に感動し、わたしまで涙がこぼれそうになりました。そんなわけで無断ですが、ここにも紹介させていただきたく思います。以下はその今日の文章をそのままコピーしたものです。

 

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

昨日の朝 久しぶりに両親に電話しました。

「お母さん 産んでくれてありがとう 」って言ったら テレ屋の母は

「生もうと思って生まれたわけじゃない 勝手に生まれてきたんや」だって

「私 幸せだから ありがとう」と伝えて

お父さんと代わりました

全然照れ屋でない父は いつでも「智代愛してるよ」とか平気で言います

「お父さん 私を生ませてくれてありがとう」 って伝えました。爆笑

「私 お父さんとお母さんの娘に生まれてこれたこと 本当に幸せで有り難いと思ってる」って

そしたらね 父の 苦労話

中学生の頃は 午後から授業に出たことは無かったって 戦争からボロボロになって帰ってきた父親が病の末亡くなり 母が坐骨神経痛で寝たきりになり 幼い弟と妹を食べさせないといけないから朝は4時に起きて薪でご飯を炊いて お味噌汁は作っていたそう

昼までで学校を早退するのは母親のおしめを替えるため それを川まで行って洗う 家は貧乏で貧乏で 親戚中も遠のいて 理不尽なこともいっぱいあったのだとか

中学生の男の子が一家を支え 誰も頼れないなんて 

いつも聴いている話だけど 中学生の男の子が母親のおしめを川で洗っているところを想像したら 涙が出ちゃった

あの頃は もう死んでしまった方が楽だと 何度思ったか と話す父

「あの時 死を選んでいたら智代はこの世には生まれてなかったから 頑張ったから良かった」って

久しぶりに父と長電話をしました。

そういう父の苦労があったから 今の私が居るんだなぁ〜 って しみじみね

そんな誕生日

午後からは 灘の絵手紙教室で 皆んなにそんな話をして 絵手紙の折帳を観せました

                                                                           (以下省略)

 

お父さんが中学生の時、午後の授業を受けたことがないというところを読んだとき、私はてっきり「あ、お父さんはおさぼりの常習犯で、昔は悪ガキっだったんだな」と思ったのですが、それとはまるで違った話で、本当に驚き、「こんな苦しい日々に負けることなく懸命に生きて、こんな素晴らしい(厳しい)人生を歩む人もいるんだ」と、本当に感動させられました。そして、「この親にして、この子あり」ということを感動しながら感じさせられたお話でした。

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嬉しい出来事

2021年08月13日 | その他

先日、生長の家の本部からうれしい連絡が来ました。それはアヤメを描いた絵手紙を生長の家の月刊誌に投稿していたのですが、今度の9月号月刊誌に掲載されることになったとのことで、一足早くその月刊誌と「愛と希望のメッセージ」という本が送られて来たのでした。

 

前回は去年の8月にサザエを描いて試しに投稿したところ、何とそれが呆気なく掲載されたので、サザエの絵が珍しかったからだろうと思っていました。が、今度はアヤメだから、絵手紙としては珍しいというわけではない。そしてまた、投稿者が少ないというわけでもないようだから、きっと良いところがあったのだろうと思ってうれしいのです。そして、私を知っている奴らがそれを見て、「オッ、あいつの絵が載っているじゃないか!」と、その少し驚いている様子を想像し、さらに「どうだ、見たか!」と自慢げに思っている自分を想像して楽しんでいる次第です。(笑)

 

ちなみに、普段私が描いているのは、ほとんどが絵手紙教室の動画を見て描いているのですが、投稿したものは現物を見て描いた自分の作品です。先生の評には「楽しい添え書きですね。鮮やかな色合いと凛とした佇まいに心が清まっていくようです」との有難い評をいただきました。

ちなみに生長の家は、何事においても善いところを見て讃嘆するという教えなので、評が甘いのはわかっているつもりですが、それでもやはりうれしい。72歳になるんですけどね。(笑)

 

以下、その掲載されるアヤメを描いた絵手紙と、最近描いたものですが、よろしければ見てやってください。

 

     

 

     

 

    

 

○五感は外界にあるあらゆる美しさというものを受け容れる機関でありまして、自己の肉体の触覚を弄ぶためのものではありません。外界にあるすべての美しさを受け容れると申しますが、受け入れてそれを感ずることができるのは、自分の中にその美しさと同じものが、すでにあるからであります。自分の中にあるあらゆる美しきものを外へ引き出す、これが教育であります。 (谷口雅春著『生命の実相』28巻より)

 

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