野澤重雄さんという人を御存知でしょうか?
バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、普通のトマトの種から一万数千個もの実をつけさせた人です。
その様子は、1985年の筑波国際科学博覧会の日本政府館のメイン展示に採用され、多くの方がそれを見られたのだそうです。
私は、映画「ガイア・シンフォニー」の第一番を見て始めて知りました。
映画では、その野澤さんの話を交えながら、タネから苗、苗から巨木のように育っていく様子を見せてくれましたが、まるで巨樹・巨木のように枝を張り、その枝に数えきれないほどのトマトがたわわに実る様は壮観でした。
秘密は地面ではなく大きな水槽の中で育てられたことです。
つまり生命は無限で、そして生長の妨げとなるものがなければ、いくらでも生長するものだ、ということを知ってもらうために、「根」が生長するのに抵抗となる地面ではなく、自由に根が伸びることができるよう水槽の中で育てられたわけです。
その野澤さんが言います。
○一番大事なのは、まだ小さい苗のとき、物心もないようなときに、どんどん成長しても充分必要なものは入って来るんだという安心感のあることですね。
○疑わないってことです。ですから、信じるとことがどんなに大切かということをつくづく感じますね。これは、神に対する疑いを持たないって、言い換えたらそういうことですよね。私が「神」って言うのは、自然の、この高度なメカニズムの実態ですから。
(「ガイア・シンフォニー」第一番のパンフレットより)
と、野澤さんはこのように言っています。
今、社会情勢だけを見ていると不安を抱かざるをえません。そして、その社会情勢を見ているだけでは、それは片手落ちというもので、その片手落ちは私たちの人生にも決していい影響は及ぼしません。不安が日に日に募るばかりです。
今、私たちに最も大事で必要なメッセージは、「どんどん成長しても充分必要なものは入って来るんだ」という野澤さんの言葉ではないでしょうか。
「信じる、信じない」の前に、先ずは立ち止まり、このような言葉に耳を傾けることも大事なのではないでしょうか。自分自身が不安の方へと傾向いてしまわないようにバランスを取るためにも。
こういうことを言っているのは、野澤さん一人ではなく、最も有名なのはイエスの言葉ですね。
○空の鳥を見よ。播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養い給う。汝らは之よりも遥かに優る者ならずや。(マタイ伝 福音書より)
私が尊敬する「生長の家」創始者の谷口雅春先生は、「人間は、神がこの世に遣わし給うたのであるから、必ず神が養い給うのである」と教えて下さっています。
そして、実際に「不安」から「安心」へと気持ちが変わり、貧困にあえいでいた人が、豊かな供給を受けるようになった方はたくさんおられます。
また、これも谷口雅春先生を通して知ったことですが、釈迦の教えである法華経の中にも、人間は本来無限の宝を持っているのに、自分で「これだけしか持ってない」と自己限定をしてしまっている、という意味の喩え話があるそうです。≪「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の喩え」≫
私たちは世の中の動きを知るためにニュースを見ることも必要かもしれません。
が、その一方で、このような野澤さんや、イエス・キリストの言葉に耳を傾けることも大切かと思います。
私たち一人一人が抱えている「不安」を小さくしていけば、そして、一人一人の心の中の「安心」のスペースを広げていけば、それだけでも、社会は明るい方へと向かって行くのではないでしょうか。
特に、子供たちには、不安ではなく、希望や安心を与えていきたいものですね。
その為には、先ずは自分から。
心に神の子であるというヘッドライトを灯して行きましょう。(「あなたも私も光の子」より)
バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、普通のトマトの種から一万数千個もの実をつけさせた人です。
その様子は、1985年の筑波国際科学博覧会の日本政府館のメイン展示に採用され、多くの方がそれを見られたのだそうです。
私は、映画「ガイア・シンフォニー」の第一番を見て始めて知りました。
映画では、その野澤さんの話を交えながら、タネから苗、苗から巨木のように育っていく様子を見せてくれましたが、まるで巨樹・巨木のように枝を張り、その枝に数えきれないほどのトマトがたわわに実る様は壮観でした。
秘密は地面ではなく大きな水槽の中で育てられたことです。
つまり生命は無限で、そして生長の妨げとなるものがなければ、いくらでも生長するものだ、ということを知ってもらうために、「根」が生長するのに抵抗となる地面ではなく、自由に根が伸びることができるよう水槽の中で育てられたわけです。
その野澤さんが言います。
○一番大事なのは、まだ小さい苗のとき、物心もないようなときに、どんどん成長しても充分必要なものは入って来るんだという安心感のあることですね。
○疑わないってことです。ですから、信じるとことがどんなに大切かということをつくづく感じますね。これは、神に対する疑いを持たないって、言い換えたらそういうことですよね。私が「神」って言うのは、自然の、この高度なメカニズムの実態ですから。
(「ガイア・シンフォニー」第一番のパンフレットより)
と、野澤さんはこのように言っています。
今、社会情勢だけを見ていると不安を抱かざるをえません。そして、その社会情勢を見ているだけでは、それは片手落ちというもので、その片手落ちは私たちの人生にも決していい影響は及ぼしません。不安が日に日に募るばかりです。
今、私たちに最も大事で必要なメッセージは、「どんどん成長しても充分必要なものは入って来るんだ」という野澤さんの言葉ではないでしょうか。
「信じる、信じない」の前に、先ずは立ち止まり、このような言葉に耳を傾けることも大事なのではないでしょうか。自分自身が不安の方へと傾向いてしまわないようにバランスを取るためにも。
こういうことを言っているのは、野澤さん一人ではなく、最も有名なのはイエスの言葉ですね。
○空の鳥を見よ。播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養い給う。汝らは之よりも遥かに優る者ならずや。(マタイ伝 福音書より)
私が尊敬する「生長の家」創始者の谷口雅春先生は、「人間は、神がこの世に遣わし給うたのであるから、必ず神が養い給うのである」と教えて下さっています。
そして、実際に「不安」から「安心」へと気持ちが変わり、貧困にあえいでいた人が、豊かな供給を受けるようになった方はたくさんおられます。
また、これも谷口雅春先生を通して知ったことですが、釈迦の教えである法華経の中にも、人間は本来無限の宝を持っているのに、自分で「これだけしか持ってない」と自己限定をしてしまっている、という意味の喩え話があるそうです。≪「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の喩え」≫
私たちは世の中の動きを知るためにニュースを見ることも必要かもしれません。
が、その一方で、このような野澤さんや、イエス・キリストの言葉に耳を傾けることも大切かと思います。
私たち一人一人が抱えている「不安」を小さくしていけば、そして、一人一人の心の中の「安心」のスペースを広げていけば、それだけでも、社会は明るい方へと向かって行くのではないでしょうか。
特に、子供たちには、不安ではなく、希望や安心を与えていきたいものですね。
その為には、先ずは自分から。
心に神の子であるというヘッドライトを灯して行きましょう。(「あなたも私も光の子」より)