以下は私が40代後半ごろの話です。
それは岐阜県美濃地方の山に登り、その帰りに喫茶店に入ったときのことです。
店に入ると、中は煤けたように薄汚れていて、客はわたし以外には誰もいませんでした。とは言え、私は気にもしないでコーヒーを飲みながら山の地図を広げ、今登って来た山を思い出しながら登山の余韻を楽しんでいました。
すると、そこへ一人の老人が店に入ってきました。手拭いを首に巻き、さも畑仕事から帰ってきたような姿でした。
私はとっさに「薄汚れた店に、薄汚れた老人が入ってきた」と思いました。
一瞬視線があったかと思うと、やけに親しそうにニコニコしながら近づいてきて、「何かな?」と思いながら見ていると、
私のところまで寄って来て、その向かいの席に座ったのでした。まるで友達と待ち合わせでもしていたかのように。
私は「他に席はいくらでも空いているのに、何よこの爺さんは!」と呆れながら爺さんの顔を見ました。
しかし、お爺さんはニコニコとさも親し気に私を見ています。
それは、まるで少し前の記事でアップした幼児の笑顔とそっくりです。
それでも私は「楽しみな時間を邪魔されてはかなわない」と思い、無視を決め込んで視線を地図に戻します。
しかし、「それにしても、きれいな目をした爺さんだなあ」とその目が気になります。
「いやいや、余韻を楽しむために店に入ったんだから、楽しみな時間を邪魔されてはかなわない。無視、無視」
と、地図に神経を集中しようとします。――お爺さんが話しかけたそうにしているその視線を感じていたので。
しばらくすると、案の定「どこかへ行ってきたんですか?」と、ニコニコ話しかけてきました。
本当に親しげで、幼児のような柔らかで澄んだ目でした。
しかし、その時は邪魔をされたくない一心ですから、これ以上話しかけられたくないというように、
「はあ、山へ行った帰りです」と、そっけなく答えました。
そして視線を地図に落とし、集中しようとしたのですが、お爺さんの目が気になって集中できませんでした。
仕方がないとあきらめて、残っていたコーヒーを飲みほし、席を立ちました。
そうしたら、なんと、なんと、そのお爺さんも私と同じようにコーヒーを飲みほして席を立ちました。
わたしは驚きながら「なに?この爺さんは」と、思いました。
「変な爺さんだ」と思いつつ勘定を済ませ、外へ出て50CCのスクーターにまたがりました。
ヘルメットを頭にかぶっていると、少し遅れて出てきた爺さんも、またまた、ニコニコと楽しげに隣の50CCにまたがるではありませんか。まるで、それはお茶目をしているようでした。そして、また同じようにヘルメットをかぶりました。
私もついお可笑しくなり、ついに「お爺さん、元気で良いですねえ」と私から話しかけました。
爺さん:わしゃー、これでも83になるわね。いまゲートボールをやってきた帰りだわ。
わたし:へぇ~、83ですか。とてもそんな年には見えませんねえ。よくゲートボールをするんですか?
爺さん:毎週2回やるんだけど、これがわしの楽しみだわ」と、ちょっと照れたように言いました。
わたし:そうですか。・・・・・じゃあ、どうぞ元気でやってください。
爺さん:ありがとう、あんたも気をつけて帰りなさいよ。
わたし:はい。さようなら。
というわけで、そのおじいさんと別れました。
これだけの話で、まるで夢の中の一齣のようですが、是非またいつの世でかお逢いしたいと思っています。
と、言うわけで、この日のことが無性に懐かしいという話でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。