以下は、自分が「有難さに」目覚めたいと思って、谷口雅春先生の多くの著書から抜き書きしていたものです。多くの人にも見て頂ければと思いここに紹介させていただきますが、読んでいただければ幸いです。
○どんな小さな恵み、小さな贈与、または小さな幸福にせよ、それに対して純粋な心で感謝せよ。大きな恵福であるから感謝し、日常の小さな恵福であるから感謝しないというのでは、その人の心は現象的分量にとらわれ、取引根性、打算根性に陥ってしまっているのである。分量を見ないで、その恵みの奥にある神の愛を見なければならないのである。そして感謝の念を起こすとき、自分の心が浄まるのである。自分の心が浄まるとき、自分の心の波長が、実相世界に於いて既に与えられている無限の供給に波長が合い、それが現象化してあらわれて来るようになるのである。
○何よりも大切なのは、吾々の生活になくてはならぬ全てのものが、実はその本源が神より来るものであることを知ることなのです。それを本当に知ったとき、真実神への感謝の念が起こって来るのです。神への感謝の念が本当に起こって来たとき、吾々の精神波動が神の国と完全に霊交し得る精神波動となって来て、神の国に既にあるところの健康、財福、希望実現、その他あらゆる善きものが現実化することができるようになるのです。
○吾々の生活に、どんなに多く、大自然の恵みを受けているか、衆生の御恩を受けているかを顧みよ。あまりにも私たちは受けている恩恵に対して鈍感であり過ぎたのである。それらを当然のこと、当たり前のこととして感謝することを忘れていたのである。あまりに自分が受けていた恩恵に対して気がつかな過ぎたのである。何でも気がつかないときは、それが存在しても「無い」のと同じことである。すべての恩恵を認めたとき、私たちはその恩恵の所有者になるのである。
○肉眼で見える太陽の光の奥に万物を生かそうとする神の愛を感じ、曇っている雲の奥に万物を潤そうとする神の慈悲を感じ、囀る鳥の声に神の子の生命をよろこんでたのしんでいる「生命の兄弟」を見ることができるものこそ、現象の相対的善悪の奥にあるところの「絶対の善」を見るところの人である。即ち現象の「善を思わず、悪を思わず、唯絶体絶命の時、わが生命の正体如何」を知るのである。それは神の生命であり、唯ありがたいばかりなのである。かくして自ずから口にのぼってくるものは、ただ「ありがとうございます。ありがとうございます」の感謝のことばとなってくるのである。