気の向くままに

山、花、人生を讃える

「有難さ」に目覚める言葉③

2025年02月15日 | 人生

世の中に住んでいると、何かと不平に思うことが多い。その不平に心を捉えられると、自分自身が不幸な感じになるばかりでなく、よけいに不平が目に付いてきたりする。反対に、意識的に「有難い」と思える方向に目を向けると、何かと有難いことが多いことに気がつく。特に夫婦の場合、毎日一緒に住んでいるから、そしてお互いの気持ちがよく伝わるのだから、その影響は大きく、「ありがたい」と思えば、ますます有り難くなるばかりで自分自身が幸せになれる。

私たち夫婦は今年金婚式を迎える。「こん畜生」と思うこともたびたびあったが、おかげで、ありがたいと思えるようになってとても嬉しく、1日1日を有難く感じています。

以下は自分自身が有難さに目覚めたいと思い、谷口雅春先生の多くのご著書から抜き書きしていたものですが、読んでいただければ幸いです。

 

○あなたが『運命』に感謝する心持ちになられた時に、『運命』は貴方に微笑みかけるでしょう。
『運命』とは、あなたの心の反影(かげ)だったのでした。あなたが『運命』に対して微笑みかければ『運命』はあなたに微笑みかけます。繰り返して申しますが、あなたの運命はあなたの心の思う通りになるのです。

○見よ!まず自分のうちに宿る神を!われらはまず自分自身のうちの「神」を拝むことを教え、自分自身のうちの「神」に感謝することを教える。かくのごとくして、われらは次第に進んで各人自身のうちに「神」を宿し給うた本源の神を拝むことを知るのである。 

○われわれはわれわれを躓かしてくれたものを怒ることなく、かえってこれに感謝すべきである。
われわれは躓くごとに、自分の内部の故障に目を向けて反省しさえすれば、躓きはかえって内部を浄める指示器となり、いっそうわれわれを高め上げてくれる動機となるのである。  

○今日自分が働く力、考える力、生きる力、味わう力・・・等々を与えられていることを感謝せよ。
すでに無限の供給の今あることに感謝せよ。(損失なんて考える必要はないのである)そして、感謝のうちに報恩のために働く力を、考える力を他のために与えて奉仕せよ。これが富の道である。 

○岩も、木も、石も、煉瓦も、水も、火もことごとく覚体である。すべてのものに仏の生命が生き、神の智慧が輝き、天地の愛が現われているのである。天変地変を恐れるものは、きっと、岩にも、木にも、石にも、煉瓦にも、水にも、火にも、・・・お礼をいったことのない人たちに相違ない。「汝ら天地一切のものと和解せよ」というのは、天地一切のものが、すべて覚体であるという前提があってのことである。覚体でなければ、和解のしようがない。ただその機械的暴力に従うか、それを利用するか、征服するか、征服せられるかのほかはない。和解とは、征服、被征服を絶した問題であって、相手を覚体として礼拝し感謝するところに和解があるのである。 

○無我の心になって、私欲的なすべてを捨ててしまった時に、すべてが合掌の中にあることがわかるのであります。・・・中略・・・合掌は『既にある幸福』への感謝であり、天地の抱き合いであり、夫婦の拝み合いであり、人類の相互合掌であり、そのままが全ての成就であります。 

○心の眼を開いて合掌の中をじっと見ると、無限の知恵、愛、生命、供給がそこに充満して居るのであります。この小さな合掌の中に時間空間を超えたところのひろがりと持続とがあるのであります。それをじっと味わうと何とも云えない気持ちのいい状態になるのであります。『神様、お父様、お母様、すべての衆生様、有難うございます』と合掌して御覧なさい、本当の感謝の心がわかります。何とも云えない涙がにじむような有難さを感じるのであります。即ち宇宙と同根の心であります。神すなわち宇宙の真理と一つになった心、合掌の心であります。この中に無限の知恵、愛、生命、供給が充満しているのであります。 

○何事を為すにも、斯く自分が為し得るのは神が自分を愛して神が斯く為し得る力を与え給うたお陰であると思い、自分の一挙手一投足毎に「ありがとうございます」と心に唱え、言葉に唱えるがよい。 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「有難さ」に目覚める言葉② | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人生」カテゴリの最新記事