「私の判断では、横田めぐみさんも生きている」金賢姫・元北朝鮮工作員が堪能な日本語で赤裸々に語った田口八重子さんとの共同生活1年8カ月
(47リポーターズ)
小泉純一郎首相が初訪朝し、北朝鮮の金正日総書記(いずれも当時)が拉致を認め謝罪してから20年が過ぎた。北朝鮮が「死亡した」と主張している日本政府認定の拉致被害者8人のうち、田口八重子さん=失跡当時(22)=と北朝鮮で1年8カ月、同居しながら日本語や文化を学んだ金賢姫・元北朝鮮工作員(60)が共同通信の単独インタビューに日本語で応じた。「私の判断では田口さん、横田めぐみさんは生きている。北朝鮮の門を100回、千回でもたたいて被害者と家族の再会を要求すべきだ」と強調し、日本政府に粘り強い交渉を呼びかけた。(共同通信=岡坂健太郎、渡辺夏目)
▽日本人になりすまして工作活動を行うため、拉致被害者の田口さんから日本語を学んだ
8月中旬、韓国南東部・大邱。金元工作員は警護係とみられる男性らと共にインタビュー場所のホテルのロビーに姿を現した。乗客乗員115人が死亡した1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯。事件直後に中東のバーレーンで拘束、韓国に移送され、両脇を抱えられながら飛行機のタラップを下りるシーンは当時、世界の注目を集めた。35年が経過したが、遠目に顔を見てすぐ金元工作員だと分かった。当初、韓国語でのインタビューを想定していたが、あいさつで日本語が極めて堪能だと分かり、日本語で行うことにした。
大韓機爆破事件では「蜂谷真由美」名義の偽造日本旅券で搭乗して爆弾を仕掛けた。日本人になりすまして工作活動ができるよう、1981年7月から平壌郊外の招待所で田口さんと共同生活を送っていた。初めて会った時は「背が高くて洗練されていて、日本女性の印象とは少し違うな」と感じたという。田口さんは日本の文化や風習、化粧の仕方まで一生懸命教えてくれ「東京についても有楽町とかなんとか(地名まで)覚えた。毎日覚え、試験を受けながら勉強した」と振り返る。
田口さんは直接「拉致された」とは明かさなかったが、2人の子どもを日本に残してきており、最初に招待所に来た時「幼い子どもがいるから帰して」と泣いたと世話役から聞いた。まだ母乳も出ていたという。「合法的に来たんじゃないな、何か事情があるんだなと思った」。田口さんが酒杯を傾け、遠く離れたわが子の年を数える姿を見ると胸が痛んだと話す。
▽田口さんに「親友のような気持ち」を抱くようになった金元工作員。「死亡した」との北朝鮮発表を否定する
一般社会とは隔絶された招待所での暮らしを通じて「親友のような気持ち」を田口さんに抱くようになった金元工作員。だが共同生活は1983年3月に終わり、その後は欧州で日本人を装う実習をしたり、中国語を勉強して広州やマカオで実習したりしているうち大韓航空機爆破の指令を受けた。
韓国当局の事情聴取に対し、当初は中国人のふりをして事件への関与を否定していたが、やがて自供した。その後の調べに、北朝鮮で「李恩恵」と名乗る日本人女性から日本語を教わったと証言。日本の警察当局から複数の写真を示された際に田口さんを特定、李恩恵は「ジュリー」(歌手の沢田研二さんの愛称)の大ファンだったなどと詳しく証言した。北朝鮮側は「李恩恵という日本人女性はいない」としたが、日本政府は田口さんを拉致被害者と認定した。
小泉首相が訪朝した際、北朝鮮は「田口さんは1984年に拉致被害者・原敕晁さんと結婚し、1986年に交通事故死した」と主張した。だが、金元工作員は「(結婚相手は)その人ではないと思う」と指摘。田口さんは1987年には人民武力部(現国防省)が管理する招待所で暮らしていたとみられ、人民武力部所属の韓国人拉致被害者と結婚していた可能性が高いと見ているという。
その上で「(北朝鮮は)内部の弱点や秘密が公開されるのを恐れ、それを知っている人たちは死亡として帰さないようにした」との見方を示した。田口さんは北朝鮮が認めていない大韓航空機爆破事件につながる人物。一方、北朝鮮が「1994年に自殺した」と主張する横田めぐみさんについて、金賢姫元北朝鮮工作員は「ロイヤルファミリー(金一家)に(日本語などを)教える特別な機関で仕事をやっていたという話もある」と語り、2人とも生きていると強調した。10年以上前ではあるものの、北朝鮮を脱出した元高官で工作機関の内情に詳しい人物から田口さんと横田めぐみさんの生存情報に接したという。
▽北朝鮮国内ででも拉致被害者と家族の再会を
金元工作員は2009年に韓国・釜山で、翌10年には長野県軽井沢町で田口さんの息子、飯塚耕一郎さんに会った。「大きくなって、お母さんにそっくり。立派な成人になって感動した」と振り返る。田口さんに「子どもといつか会う日まで、苦しい北朝鮮だけど勇気を出して生きてください」とメッセージを送った。
また田口さんの兄、飯塚繁雄さんや横田めぐみさんの父滋さんらが相次いで他界し「とても胸が痛い」と心情を吐露。「死ぬ前に一目でも会いたいというのが家族の切実な願い。日本政府は(北朝鮮の名勝地)金剛山ででも、秘密は秘密として守りながらでも(再会を)要求すべきだ」と訴えた。
大韓機爆破事件については「つらいことで、もう振り返りたくない。いろいろ苦しいこともあり完全に私の人生も変わった」と話す。工作員となり、事件に関わったことは「運命」だったと考えていると言う。死刑判決を受けたが特赦となった。韓国で暮らして30年以上の歳月が流れ、事件後に警備係を務めた韓国人男性と結婚し、息子と娘はもう大学生になった。
2人とも韓国の教育課程で日本語を学んだ。兵役を終えた息子は日本アニメが好きで映画「君の名は。」を何度も見た。同居する娘は「おやすみなさい」などと日本語で話しかけてくるという。
2人はインターネットなどで大韓機爆破事件のことを知った。娘は最初ショックを受けたが、最近は母の手記なども読み、北朝鮮について質問してくる。「私が死んでから読みなさい、と言うけれど関心が強くて」。一方、北朝鮮の家族は地方に追放され、両親は他界したと伝え聞いている。
これまでに「いま、女として」「愛を感じる時」「忘れられない女―李恩恵先生との二十カ月」と題した著書を出版、韓国と日本でベストセラーになった。ただ「本を読みながら私を攻撃する勢力がいた」といい、執筆活動をする意思はないという。韓国の革新政権下では親北朝鮮の勢力に「弾圧」されたとの被害意識もあるといい「5年間(インタビューを受けず)黙っていた」と語り、2022年5月に保守系の尹錫悦政権が誕生したことが今回、取材に応じた背景にあることをにじませた。
「拉致被害者たちが一日も早く帰ってくるように少しでも役に立ちたいと願っているけれど、そうできていないことをいつも申し訳なく思っている」。インタビュー後のやりとりの中で、金元工作員がこう吐露したのが印象に残っている。