僅か一週間が過ぎただけなのにオリンピックの話題は消えた。
もっとすごいのがテレビCМすら消えた震災から1年も過ぎると
復興が進まない被災地の事すら忘れられてしまうのでしょうか…
ちょっと良い動画があったのでそれを観てから話をすすめましょうか。
目から鼻水・鼻から涙です。。。
JR東日本 沿線スマイルプロジェクト 本編パート1
昨年通った南三陸町では線路が津波にやられて復旧の目途はたたない。
潮が満ちて来ると町は水没し…
東北の被災地はどこも鉄道が使えず車でしかボランティアに行けませんでした。
上の動画JR仙石線は在日米軍による「ソウル・トレイン作戦」で
復旧が早かったのですよ。
さて、8月10日に警戒解除された福島県双葉郡楢葉町。
海岸近くは津波被害を受けた住宅も震災後そのままの姿が残っております。
これからようやくボランティアを必要としているのに…
線路だって無事に残っている。
写真は竜田駅横の踏切より北を見る。
現在、居住も認められない地域ではあるけど
まずは復興列車を走らせてみたらどうだろうか?
その後は上野発のボランティア列車で週末には
都内から大勢のボランティアを乗せてやってくる。
今、何故このような記事を書いているかと言うと
冒頭にあるように被災地の事が忘れられてゆくのもある。
でもそれ以上に感じる事があるからです。
福島にはボランティアが集まらない事と
復興への熱意よりも諦めムードが漂っているからです。
先日読んだブログでも、原発事故で避難した住民が北海道に移住して
強烈な反原発を主張して福島が二度と人が住めない場所だと烙印を押していた。
郷土愛も何も感じない、批判だけをする左翼思想だと思う。
こんなブログが一日に数千ものアクセス数があり誤解を助長するwww
何度も繰り返し言ってることだが南三陸町は壊滅した。
壊滅というのは町のほとんどの建物が津波で破壊されて消失し
住民の多くが犠牲になっていることなのです。
家族は無事でも必ず知っている方が亡くなっている状況…
避難所の引越し作業では住民の方との会話に神経を使ったのはそんな事情から。
それでも復興にかけた情熱はものすごく熱く感じた。
それに比べたら福島は犠牲者がぐっと少ない。
目に見えない放射能の恐怖を煽り続ける反原発は私の敵なのです!
かと言って原発を推進しているのでは無い。
反原発が福島の復興の足かせになっていると考えての主張なのです。
「にゃんこはうす」のレスキュー班の皆さんや
「うちのとらまる」の太田さんも原発事故直後は
警戒区域に入る際、防護服を着用してたそうですが
今では放射能レベルも下がり普段着で活動されている。
特にぽんぽんさんはこの時期、タンクトップ姿が多く
男性の私は目のやり場に困ってしまいますが(-_-;)
(ぽんぽんさんは人妻ですがとてもCUTEな女性ですよ)
週末に首相官邸を取り囲む反原発デモに参加する人が
一人でも多く福島の復興に目を向けてくれてもらえればと願うばかり。
車が無いと参加出来なかった東北の被災地に
ボランティアを乗せた復興列車を走らせてみてはいかがだろうか?
私からのささやかな望み、少しでも多くの人に届いて欲しいなぁ。。。