しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

忘れかけている福島での活動

2017-03-05 10:02:40 | ボランティア
私が福島支援をしてた頃の記事です。

行く気になれなかったけど行って来ました(リンク先直しました)

伯母さんの四十九日法要を欠席してまで行ってたのですねぇ(-_-;)

このころは東北道利用のう回路で片道4時間以上要したが月一の習慣となりそれほど苦でもなかった。



現在、「にゃんこはうす」を立ち上げた中山ありこさんが当時の思い出をブログで語ってます。

ねこさま王国

原発事故の影響で住民が避難して置き去りになった猫を救おうと奮闘した様子、私も知らない事ばかり。

福井県からキャットフードを満載して片道700kmを運転し、知らない土地での猫の救出活動の苦労、

警察に見つからないように活動しなくてはならなかった理不尽さにも負けず

総数600匹以上の猫を救い続けた勇敢なる女性の物語だと思う。

見た目はどこにでもいる普通のおばさん(失礼!)


都議会や国会では過去をほじくり返す事に一生懸命だけど

福島では犬猫の命が掛かっておりましたからね。

立ち止まってなんかいられない!

きっと解決策が見つかるはずだと決めつけて行動しないとダメだった。

支援は募っていたが、みんな見ず知らずの猫たちに自腹で支援しておりました。

少しでも力になりたいと私も通ったけど本当、自己満足だったと思う。

それでも良かったし後悔もない。



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勿体無い

2016-05-18 17:33:35 | ボランティア
熊本でのボランティア事情をまとめたニュースを読んでみた。

ボランティア 資格制限で人手不足に 高まる受援力

5年前の東日本大震災で浦安市では液状化現象で

多くのボランティアを必要としてた。

すぐさまネットで調べボランティアに行こうとしたら

浦安市民のみの募集だった。

県外からやってくるボランティアさんの足となる車の駐車場が確保出来ないのが理由。

私ならスコップ担いで自転車でも行けるのに…

実際には人手が足りていないのが分かっていても資格制限の壁に阻まれてしまった。

津波被害を受けた千葉県旭市も都民は受け付けてくれませんでした。

太平洋側で津波被害の遭った地域の情報を調べてもどこもダメでした。

何処からでも誰でも受け入れてくれる、一番近いのが石巻市でした。

結局は南三陸町へボランティアをしたけど遠すぎるのです。

石巻市・南三陸町・気仙沼市が三大ボランティアセンターと言われて

全国の社会福祉協議会の職員が応援に駆けつけてボラセンの運営をするから

大勢のボラさんの対応が出来ます。


今回の熊本地震でも現地の社協職員だけでは対処しきれないと思ってました。

それだけ東北から学んでいなかったのでしょうね。

ちなみに昨年9月に起きた茨城県の豪雨被害のボランティアの受け入れ態勢は

民間企業の敷地を借り受けて駐車場を確保してシャトルバスによる送迎をしていた。

この違いは何なのでしょうかね?


支援を受ける側の受援力が問われている地震大国日本なのです。。。

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必要なら物資を届けますよ

2015-09-19 05:33:20 | ボランティア
連休前の仕事に追われているオジサンでつ。

豪雨被害を受けた茨城県では避難生活をする方達が

支援を求めております。

支援物資を必要としてる被災地

安保法案を巡ってのくだらない中継のせいで

茨城県の被災状況がさっぱり伝わらなくなってしまいました。

一週間前の東京を震源とする地震や阿蘇山の噴火

南米チリでの地震による津波の恐れ等自然災害が相次いで

テレビニュースも慌ただしかった。


さて、私がすぐに出来る被災地支援を考えてみたところ

支援物資を避難所へ届ける輸送ボランティアでしょう。

普段使っている小型トラックに物資を積んで避難所へ運び込む。

避難所での荷物の移動や整理、力仕事の担当でしょうか。

水害被害の遭った茨城県南部は何処も片道2時間以内のエリア。

休日なら可です。

でも今回の被災地は鬼怒川沿いの限られた地域なので

周辺の町は普通に生活が出来ている。

ちょっと読んだ記事にも避難所へペットフードを届けたら

「邪魔だ!」って言われたそうだし…

4年前の東北とは違うと改めて思いました。

南三陸町では太平洋側を北上しようが南下しようが

どちらも津波被害を受けて支援を必要としてる町ばかり。

日用品も手に入らない苦しい生活を強いられた。

それを目にしたら往復1000kmの道のりもなんのその!


今回は仕事に追われて情報不足で動けませんです。

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長きに渡りお疲れ様でした

2015-05-26 00:10:20 | ボランティア
原発事故の影響で置き去りになった猫を救いだし

保護をしてくださった被災猫シェルター「にゃんこはうす」が

福島県南相馬市での活動を終了することになったそうです。

主催者のありこさんが福井の自宅に帰ることに。

詳しくは ねこさま王国をお読みくださいね。

支援はあったものの見ず知らずの被災猫の為に私財を投じての活動

本当にありがとうございました。

私もほんの少し、お手伝いが出来て良かったと思う。

同じようなことは二度とあってはなりません!


私は原発の再稼動はするべきだと考えてます。

どうしても許せなかったのが生きたまま動物を置き去りにした事です!!!

情報が錯綜して民主党政権は動物救出の対策を何も講じなかった。

って言うか全国の原発を停めろ!という脱原発に舵を切った政権によって

置き去り動物の救出問題がかき消されたと感じている。

今でも脱原発思想は許せない!

被災地の復興よりも原発を停めることを優先したのは大きな過ちだ。

革命を夢見た連中の政治ごっこ遊びは罪が重い。


汚染地域とされた場所にボランティアさんたちが潜入して

多くの犬猫を救出してくれた。

この活動は現在も続いてます。

救出された被曝猫を被災猫と呼ぶ意味が分かりますか?

放射能に汚染されたからといって見た目にも何も変化が無く、

ただただ餓死へ向かっている事は明らかでした。

お腹を空かせた野生動物に食べられてしまった猫も数多くいたでしょう。

日本人が自分達で作り出してしまった地獄。

それを目の当たりにしながら活動されたボランティアさん達には

本当に頭の下がる思いでいっぱいです。


福島から遠く離れた都市部では原発反対運動ばかりが独り歩きして

福島の実態が未だに伝えられないのが復興を遅らせている。

大規模災害が発生したら人命救助が真っ先に行われ

その後、動物達の救出にも力を注ぐべくだと痛感した3,11。

福島第一原発は廃炉に向けた作業が行われており

ニ度と運転することもありません。

放出される放射能は事故後にピークがあり現在はかなり下がってます。

原発から半径20km以内の地域も警戒解除され

住民が自宅に戻る準備を始めているのです。

街中に住民が戻り日向で毛づくろいする猫を見かけるようになったら

福島県浜通りの復興を実感できるのでしょうね。

それまではどうか温かい目で福島を見守って欲しい。

原発に反対するあまり「福島のようになったらどうするの?」と訴えるが

これは差別的な発言であることを覚えておいて下さい。


原発の直接的な影響で犠牲になった住民は1人も出さなかったのです。

鎖に繋がれたまま餓死した飼い犬たち

室内でミイラになった飼い猫たち

多くの動物の犠牲があったことを決して忘れてはなりません!


最後に福島のシェルターを閉鎖して福井の自宅に戻るありこさん

保護猫40匹、家猫10匹の総勢50匹もの猫と暮らすため

福井の自宅を改築して受け入れ体勢を整えたそうです。

猫たすけをする人の鏡のような存在です。

微力ながら引き続き支援をしたいと思います。

長きに渡り 本当にお疲れ様でした♪


☆☆☆おまけ☆☆☆

にゃんこはうす写真展in東京

6月5日(金)~7日(日)

東急百貨店 吉祥寺店にて開催します

歴史上埋もれてしまうであろう猫の救出の記録写真展。

私も見た事がありませんし、これが最後の写真展となるでしょう。

最終日の7日(日)に行く予定です。












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僅か一年前の事が…

2013-08-15 21:18:20 | ボランティア
警戒解除された楢葉町に行って来ました
まずは福島県双葉郡楢葉町の警戒解除を喜びたいと思います。興味が無い方、もしくは反原発の方はスルーしてくださいね。東日本大震災で事故を起こした福島第一原発より半径20km圏内...



予想より早いペースで福島の復興が始まりそうだ!

そう信じていたし期待もしていた一年前の自分。

何かに阻まれているし邪魔をされてしまうwww
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バリン~バリン~

2013-07-15 00:10:20 | ボランティア
冒頭の一文は関係する方への配慮から削除させていただきました。

また、これより下の文にも校正箇所がいくつか存在します。

読みにくいかと思いますがお許しを。。。


とりあえず「にゃんこはうす」へ届けるフードは準備してあるので

予定通り日曜日は福島に行くことにした。

実は私の自動車を届けてから一周年です。

明け方の3時はまだ真っ暗なのにクーラーで喉がやられて咳きこみ

そのまま目を覚ましたついでに早めに出発することにした。

猫にごはんをあげてから4時に出掛けた。

車内の外気温は矢板まで25℃以上を表示してたから

関東地方のほとんどが熱帯夜だったのでしょう。

時間が早いから連休中でも車が少なくて快適です。

6時前に那須高原SAで朝食を食べて8時には到着。



いつもの撮影場所で。気温22℃。

にゃんこはうすのスタッフさんと交わした言葉は

「まるで高原の朝って感じ♪東京はこの一週間熱帯夜続きだからうらやましい」

ありこさんは既に給餌に出掛けているそうです。

これといった仕事が無かったのでフードを車から下ろしたら

浪江町に入ってみることにした。

多紀さんとの会話から「おやじさん」の本名もこの時初めて知った。

「おやじさん」の自宅は浪江町の中にあるらしいから

突然訪問してびっくりさせちゃおう(笑)

でも住所も知らないし許可証も無いので大丈夫かな?

検問が無さそうな県道から侵入を試みた。

確か町界に「希望の牧場」があるはずだし…

県道もゲートで行き止まりになってました。

自分の無計画さに呆れていたらゲートの脇が牧場の入り口だったので

訪問してみた。

ゴミを燃やすボランティアさんと雑誌の取材で写真を撮影するカメラマン

雑談をしてると牧場の代表者の吉沢氏が来てくれました。

youtubeではいつも拝見してるから顔も声も知っている。

「決死救命!」で多くの牛を生かす活動には共鳴しているけど

もうひとつの顔は原発反対の活動家でもある。

カメラマンとの会話を横で聴いていた私。


ウィキペディアで調べると浪江町は昭和30年をピークに

人口が減り続け過疎対策として原発の誘致に一生懸命だった。

隣町の双葉と大熊にまたがるように立地する福島第一原発が

町の発展に大きく貢献しているからだが。

しかし福島第二原発は富岡と楢葉にまたがるように建設されて

今度は宇宙開発機構のロケット発射場を誘致するも

原発に近くて危険だからと却下された。

この頃から町は原発推進派と反対派に分裂して争うようになった。

そして念願の浪江町と南相馬市小高区にまたがるように計画された

原発建設は今年に入ってから白紙となったのである。

原発反対派は過疎対策として何も出来ないまま長い年月を送っていると思う。

近年、B級グルメの「浪江やきそば」で有名になったのと

津山地区にはDASH村があったのだが…


吉沢氏も「おやじさん」の事は知っているそうで

「家はすぐそこなんだけど国道6号のゲートで事情を話せば入れてくれるよ。

 その代り車のナンバーを控えられるけどな」

ぶっきらぼうだけど親切だよね。

話を聞いていたら嫌いでは無いタイプ。

ただし「脱原発」では福島は前に進めないのです。


国道6号から114号の交差点で一時停止し「入れてくれ!」と交渉。

帰還困難区域との境目にある「おやじさん」の家に行きたいのですが

「住所は?」と聞かれて地図で「この辺りだと思うんですが…」

「この先にもう一つゲートがあるから難しいかも知れませんけど」

グッドラック!と見送ってもらいました。

自分のいい加減さに呆れながらも捜したが見つけられず

終点の検問に到着してしまった。

朝知ったばかりの「○○さんの家を捜している」

「ああ、ここですね」と車の真横を指差し

「○○さんは今日は来ていないみたいですよ」と教わり。。。

なんだかこの日は不思議な力を持っている私(笑)


もうひとつのゲートでも同じように交渉して

浪江町の津波被害を視察しました。







3枚の写真はパノラマ的に撮影してある。

震災後のそのまま、片付けていないのが腹立たしい!!!

放射能の影響が心配だと言われそうだが線量計で計ると0.20μsv程度。

打ち上げられた漁船とかは重機を使用して細かいガレキはボランティアさんの

手作業で片付けているのが三陸の津波被害を受けた被災地です。

何もしないのは希望を捨てさせるためなのでしょうか?



舗装がえぐられて漁船と建物が転がっている。

そして今まで一部のブログでしか

見る事が出来なかった請戸小学校にも行った。



ここもそのまま手つかずの状態です。

部外者が近寄るのを拒み続ける福島浜通りwww

倒れたままの墓石くらい、直して欲しいですぞっ!

福島第一原発が見える双葉町の町界にあるバリケードでUターンし

南相馬市の県道12号で中通りに大きく迂回しなければ帰れないのも

とても腹立たしく感じる。

そんな事を考えていたら鹿島駅を通り過ぎて

にゃんこはうすに戻ってしまった(笑)

トイレだけ借りて誰にも会わずに去りました。

ここに通う目的を見失いかけてますが

ここに来たから福島に関わる事が出来ていると感謝してます。

また、多くの置き去り犬猫を救ってくれたみなさんの行動力にも

ものすごい影響を受けました。

私も色々と考えている事がありますがまたいずれ書きたい。

8時30分~12時30分まで浪江町の視察に費やしてたみたい。


混雑が予想される東北道を避けて磐越道の三春ICから帰る。

阿武隈高原SAで遅い昼食。



福島から茨城北部は最高気温が30℃に届かなかったが

土浦辺りから35℃の猛暑の地域に戻っていた。。。

小菅JCTで空が真っ暗になり土砂降りになった途端

気温は35℃から一気に30℃に下がりそのまま25℃まで下がる。

いつまでも稲光が光っている。

バリンバリン











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行く気になれなかったけど行って来ました

2013-07-01 00:10:20 | ボランティア
金曜日は父の二回目の命日だった。

仕事の合間に墓参りをしたかったのに月末の金曜日だったので

それどころでは無かった零細企業の悲しさwww

新規で取引を始めたお客様、翌月末に振り込むとの条件で

この日きちんと入金が確認された。

これが信用取引の第一歩ですね。

多分、あの世からも父が見ている気がします。


ギリギリの前日になって入荷したキャットフード



「お魚いろいろ」1袋の内容量が2,2kgから3,5kg増量されて

4袋入の段ボール箱の大きさも大きくなって積み込みに苦労した(-_-;)

合計126kgのフードはにゃんこはうすに6箱

おやじさんに3箱と安売りしてた缶詰を30缶程届けました。


この日曜日は先月亡くなった伯母の四十九日法要を欠席させてもらい

予定はしてたもののこれまでの「どうしても行かなくちゃ」と云う

気持ちになれないままの出発でした。

いつもと同じ朝7時には出発して2時間後に那須高原SAでいつもと同じ



ミニ豚丼とうどんを食べた。うん、美味しいぞ。

再出発したらスローペースに捕まるwww

先頭にはホンダのゴールドウィングの白バイとNSXのパトカーが居て驚く。

県道12号線から外れて初めて飯舘村役場に行った。



誰も居ない街は不気味ですね。。。

誰でも自由に入れるから泥棒も入れるのが福島の悩みでしょうか

被曝の影響から甲状腺ガンで亡くなる人は居なくても

自殺者が多いのも福島の特徴かも知れません。

原発の再稼働云々よりもこれからの福島をどうするかだ!

希望が持てない避難生活では自殺者は増えるでしょう。

福島に脱原発を持ち込んではいけないと私が訴える理由はそこにある。



霧がすごくて視界は悪い。

このあと名古屋ナンバーの警察車輌ランクルに先導されてスローペース。

警戒解除されてもなお全国の警察が応援に来ているみたいでした。



いつもの撮影ポイントで。

この先にあるにゃんこはうすの建物が見えてくると

やる気スイッチが入りました。

これまでに警戒区域に置き去りにされた猫を必死になって救出してくれた

逞しいボランティアさん達が世間から忘れられようとしているのです!

私は最後まで応援すると誓った。

まだまだ頑張ろうと改めて思いましたよ。

少なくなったスタッフさん。

この日、ずーっと会話してた常駐さんだって津波で家も家族も

すべて失って失意のどん底にあったと思う。

何が出来るか分からないけど出来るだけのことはしてあげたいです。

本当、表情が優しくなりました。

今度は笑顔を見せて欲しいと願ってます。


現地では雑用係として汗を流しました(#^.^#)

水道が使えない場所なのでポリタンクで水汲みに何往復もした。

特別なことでは無くて普通に暮らせるようにとお手伝い。


福島に通い始めて一年が過ぎた私からのメッセージは

正しい事を伝えたい!それだけです。

鎖に繋がれたまま息絶えた犬や家の中で餓死した猫

多頭飼いの家では猫が共食いしたでしょうか。

水蒸気爆発を起こした原発周辺の住民は

もう二度と同じような事が起こらないようきちんと話して欲しい。

たとえ緊急避難命令が発令されても家族同様のペットと一緒に

避難して欲しいと。

福島の悲劇はこの動物を置き去りにして人間だけが避難した事だと思う。

憎むべきは原発では無くて脱原発の機運を作り出そうとした政治でしょ?

考え方次第で希望が持てるようになります。

どうか前向きでポジティブな考え方が生まれることを祈ってます。


帰りは東北道で福島松川で乗り、食事をした。



これもいつもと同じメニュー。ミニカレーと味噌ラーメン。

午後2時に出発しても東北道は激しい渋滞の情報が飛び込む。

矢板の先、上河内スマートICで下りて国道4号から408号に逃げて

北関東道に初めて乗り常磐道で帰った。


とまぁ、いつもと同じ福島行の報告となりました。








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春・待・人

2013-03-19 00:10:20 | ボランティア
日曜日は福島のにゃんこはうすに行きました。

朝から猫を釣り竿で遊ばせていたら出発が遅れてしまい(-_-;)

それでも朝9時には東北道の那須高原SAに到着です。



ミニ豚丼とうどんのセット。

いつも同じものを食べる男なんです(笑)


走行中、遠くに見える山は雪を被っているけど

交通情報からは「チェーン規制」の文字が消え、冬が終わったと実感

警戒区域に置き去りになっている犬猫には長くて辛い2度目の冬だった。。。




いつもの撮影ポイントam11:00。

前方に数台見える車の方達は猟銃を手に持っていた。

にゃんこはうすで地元支援者のSさんに聞いてみたら

猿を山に追いかえしているらしいです


にゃんこはうすに到着すると差し入れのフルーツゼリーを置いて

(初めて会う方だったので挨拶だけして)

黙々とキャットフードを車から倉庫に運び入れてるとありこさんが登場して

作業指令書を手渡された(笑)

1 水汲みをすること

2 レスキューで使用してる車のタイヤ交換

「おぉっ!スタッドレスタイヤが必要無い季節になったんだね」

にゃんこはうすに春が来たと実感し、なんだか嬉しくなりました。

指令書の最後には2週間前に組み立てた保温ボックスが

強風に煽られて壊れてしまったとあった(泣)

そう、ここは南相馬村大字森の中字ムーミン谷、

突風がすべての物を吹き飛ばす土地なのです。。。


現在、水が出無いにゃんこはうすでは100Lの水タンクを車に積載して

給水車と呼んでおります。

車内にはホースリールもあり水道のある建物へもらい水に行きます。

停めたままの車は常にバッテリー上がりなので

ブースターケーブルを繋ぎエンジンを始動します。


タイヤ交換をする車は給餌活動で使用中。

車が戻るまでブラブラしてるとプランターに見たことある植物を発見!

花が好きなボンママさんがブロッコリーを育てていたのです^^

安全性を確認する意味でも茹でてマヨネーズをかけて食べようと思ったけど

食べ物の恨みは怖いからねぇ~~~。

こうして放射線量の数値がそれなりに出てしまう地域で作物を育てる事、

福島の復興への希望だと思うのです。


先日ラジオで聴いた事。

パーソナリティーは脱原発論者で専門家と対談している。

「赤ちゃんが24時間屋外で被曝して年間の被爆量を算出するなんて

 ありえないと思いませんか?安全の為に算出した数値で今も判断してるから

 福島は復興が進まないと言うか先が見えないのです!」

思いっきり納得してしまう専門家の意見でした。


ボンママさんの一日でも早い、元の生活が出来ると良いなぁ…

タイヤ交換を予定してる車がなかなか戻って来ないので

以前から気になっているにゃんこはうすの裏山に通じる道を

登ってみました。



低いながらも山が連なり、私にとっては環境が抜群なのです。

山歩きを楽しむもよし、バイクがあったら林道探索も楽しめる場所。

「何しに来たの?」と思われそうで今までは遠慮しておりました。



砂防ダム?を横断して左に巻けば頂上に向かう道がありそうです。

頂上まで登りたいけど村の様子が分らないからまた今度にしましょう。

ここに流れる川がにゃんこはうすに水を供給していたけど枯れてしまった。

周りを見渡すと針葉樹ばかりだからかも知れません。

隣の浪江町に在るDASH村もこんな環境だと思う。

今度、おやじさんに案内してもらいましょう。

復興への希望の象徴としてDASH村の除染と修理やらないかなぁ、

手伝いたいと思う方は大勢いるはずです。

私は福島は噂よりも安全だと信じております。

一日も早く自宅に戻った生活を取り戻して欲しいし

今までのような猫や犬と一緒に暮らして欲しいです。

そしてにゃんこはうすの活動に終わりだと告げて下さい。


給餌に使っている車が戻って来ないしありこさんは

子猫を搬送しに出掛けてしまったし帰る事にした。

午後2時、車内にある外気温を示す温度計は15℃だった。

にゃんこはうすにも春がやって来た




福島松川で高速に乗り、ちょっと遅い昼食です。

ミニカレーライスと味噌ラーメンのセット。

トイレを済ませ缶コーヒーを買って、ここからノンストップで家路を急ぐ。


がっ、渋滞に捕まったwww



退屈になったのでこんな写真を撮ってみた。



森永ミルクキャラメル。右が普通の物、左は那須牛乳使用の限定品。

「これより渋滞20km 100分」の表示を見て高速を下りた。

佐野・藤岡ICから国道50号で東に向かい暗くなった。

国道4号もノロノロ運転だが高速の渋滞よりはマシだろう。

外環で終点三郷南まで乗り江戸川沿いの道をかっとび

夜の8時30分に無事に帰宅しました。

所要時間は行き4時間、帰りは6時間30分。







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春が待ち遠しい

2013-03-05 00:10:20 | ボランティア
日曜日は福島に行って来ました。

朝早く出発したいけど外は暗いし寒いし…

朝6時には少し明るくなる季節になりました。

猫にたっぷりと食事をさせ、ペットボトルにお湯を入れた

猫暖房を用意したら出発です。

会社に立ち寄り忘れ物を車に積んで高速道路を北上。

くぅさんのブログでは先週の福島は吹雪でホワイトアウト

初めてタイヤチェーンを使うかも知れません。

風が強くてハンドルをとられる

遠くに見える山は白い


朝8時、出発から2時間・187km走ると那須高原SAに到着。

初めての休憩場所は晴れているけど粉雪が舞っている。



いつもの朝食です。ミニ豚丼とうどんのセット。

食後はトイレで身を軽くして気持ちも引き締める。

これより先が東北の入り口で天候がガラリと変わるから。

この日は日陰の斜面に雪が残っているものの粉雪程度で済んだ。

出発から3時間、福島松川スマートICで高速道路を下りて

一般道を東に進み太平洋側を目指す。


警戒区域を迂回するので交通量が多い県道12号線。

途中、全村避難をしている飯館村を通過するのです。



写真は村役場の入り口に近く、ガソリンスタンドの前で撮影。

県道沿いには農協やホームセンターが立ち並ぶ商業地域みたい。

それらの敷地前には車が入れないように柵があり

ゴーストタウンになってしまっている。

久しぶりに線量計で測定してみたら1.33μsvだった。

もはや普通に生活しても安全なレベルでしょう。

帰る家があるのに戻らないのは東電の保障があるからです。

仮設暮らしは働かなくても食える生活がある。



こちらはいつもの撮影ポイントで初めて測定したところ1.40μsv。

南相馬市は南部の小高区を除き必死になって生活している。

沿岸部には津波被害が拡がる本当の被災地です。


東日本大地震の大きな被害をもたらしたのは巨大津波なのです。

福島の避難生活は人災に因るもの。

震災発生当時の菅直人総理大臣の個人的な思い込みが

引き起こした人災です!

原爆と原発がゴチャゴチャになり被爆と被曝の区別も出来ない

放射能アレルギーという名の精神的な疾患でもある。

私たちは体温計で体温を計った時の数値で危険かどうかを判断出来るが

放射能レベルの1.40μsvが安全か危険かが判らない。

実験台となったのが置き去り動物たちです。

被曝なんてしてません!

それを確かめたくて福島に向かいました。

福島はもはや安全だと思います。

家が無事なら一日も早い帰宅準備をしてほしい。


福島に通っていると話をすれば脱原発論者?と誤解も多いけど

原発反対を叫ぶ連中は福島には怖くて近づけないものさ(笑)

自宅に自由に帰る事が出来ない避難生活はどんなに辛いだろうか…

チェルノブイリだって事故後数年もすると居住禁止の自宅に戻り

普通に生活してる住民が居るの知ってますか?

「2年経ったら村に戻ろう!」と約束をした飯館村の村長さん。

昨年の12月の衆院選では日本未来の党の嘉田代表が来てくれて

さぞ嬉しかっただろう。

河内村のように帰村宣言をしてまずは役場から村に戻るという姿勢を

見習うべきでしょうね。

民主党政権時代に作られた規制よりも住民の意向を優先して欲しい。

住民が自ら自宅に戻ろうとしなければ福島は復興出来ないでしょう。


震災からたった一人で犬猫の保護活動を続けるおやじさんと

色々とお話しすることが出来ました。

浪江町にある自宅に戻る準備をするそうです。

是非ともお手伝いをしたいと思います。


前向きに考えなければ復興は成し遂げられないでしょう。

わかりやすく読みやすく書いたつもりですが

文章力が足りずにごめんなさい。


最後に帰りの東北道に乗る福島松川PAで食べた復興応援セット。



エビチリ丼と醤油ラーメンのセット。

食べる毎にポイントカードにスタンプを集め10回利用すれば

1食分がタダになるキャンペーンが2月いっぱいで終了したんだってさ…

いつもみそラーメンを食べたいのを我慢してスタンプを集めたのにねぇ~

復興はこれからだって云うのに。。。


























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わ、わんこはうす?

2013-01-06 07:44:30 | ボランティア
1月は仕事が始まると何かと予定が組めないだろうと

正月休みの4日ににゃんこはうすに行って来ました。

暮れのうちにキャネット2.7kg入り 6種類の味×5袋ずつを

お願いしといたがお店の在庫が無くなるからと

合計18袋を分けてもらい調達しといてある。


珍しく朝の5時に目を覚ましたがものすごく寒い

窓の外は真っ暗だし風がビュービューと音を立てて吹いている

1階に降りてから風呂を沸かしてみた。

猫の朝ごはんを与えながらお湯を沸かしてペットボトルに入れて

猫暖房も準備してから風呂で体を温めた。

さあ、福島に行ってこよう!


車に乗り込みエンジンをかけ、外気温の表示を見ると0℃だった。

am6:40に出発。

路面の凍結に注意しながら高速道路を北上すると

外気温の表示は下がり続けずーっとマイナス表示のままでした。



那須高原SAでいつものミニ豚丼とうどんのセットを食べた。

運転中は右側から強烈な朝日を浴びて中央分離帯の植栽が

光を点滅させたような効果を作り出して目がおかしくなった。

眠く無いのに夢の中にいる感覚が怖いのです。

福島に入ると雪が降っていた。

しばらくの間雪道走行だったが峠を越えて太平洋側に出ると

雪は見当たらない。



よく晴れているがキーンと冷えている。

所要4時間20分で到着です。am11:00


津波で家を流され家族をも失った常駐スタッフの方に挨拶し、

一人でフードを倉庫に運び入れた。

この常駐さん、心を閉ざしたまま話しかけても返事は無い。

でも以前と比べると表情も明るくなり

改めて見るとなかなかの美人でもある。

心の傷が癒えるまで時間はかかったけど

こういう変化を見ると嬉しいものです。


ありこさんが外に出て来て新年の挨拶をした。

「あのねぇ、来て早々にお願いしちゃって良いかしら?」

水が使えないにゃんこはうすでは水道のある家で貰い水をしている。

コンパクトカーの荷室に100Lの水タンクが積んであり

これを給水車と呼んでいるが普段、走らないからバッテリーが上がっている。

「ケーブルはあるんよ。後はよろしくね♪」

スイフトを横付けしてボンネットを開けてエンジンをかけた。

マニュアル車だからエンストしたらおしまいだよ。

給水中もエンジンをかけたまま温水を汲んできた。

この土地はムーミン谷みたいに山から吹き降ろす風が強くて

あらゆるものが吹き飛ばされ、水はすべて凍る程に寒い場所。

ありこさんがコーヒーを煎れてくれて室内で色々とおしゃべりです。

これまで中心的に活動されているありこさんとゆっくり話す機会も少なく

この日は週末のレスキュー班のぽんぽんさんやくぅさんも居なくて

改めて直接、お話が出来ました。

目の前にはここで亡くなった猫たちの骨壷が並んでいた。

警戒解除されたら保護した場所に埋めてあげるそうです。

悲しみも多いけど淡々とこなさなければいけない辛さが伝わる。

ありこさんは現在、福井県から家猫と共にここで暮らしている。

元旦にシフォンが亡くなった。

自分の猫も保護猫も平等に接する姿が痛々しくもある。

「あっ、そうだった。ちゃんこはうすの素、お菓子もいっぱい買ってあるんだった」

警戒区域の中で必死に生きる猫にはキャットフードを

各地から通っているレスキューに燃えるスタッフさんにはお菓子を!

ありこさんが笑ってくれた。


私はここでの滞在時間は短い。

支援で届くミネラルウォーターを2階へ運んでから

クリスマスの連休に取り付けたソーラーライトを手直しします。

ソーラーライトは箱ごと買って道路沿いに光の道を作ってあるが

余ったものをありこさんの要望で階段の足元灯に取り付けてある。

ガムテープで巻きつけただけ、しかも雑な仕事だったから気になっていて

持参したPPバンドとストッパーで取り付けし直した。


以前お会いした男性支援者はログハウス調の犬小屋を作っている。

この日、気になっていたけど犬の吠える声が聞こえていたし

あちこちに犬が繋がれているのも確認している。

しかもここに来た時よりも犬が増えていた。

私は犬とのコミュニケーションが出来ません。

威嚇して吠えているのか構って欲しいから吠えているのか

その違いが判らない。

ありこさんも加わりお話ししました。

この男性は警戒区域内に家が在り、避難生活をしながらも

個人で犬のレスキューをされている。

保護した犬の行き場が無いから余裕のないここで受け入れをしている。

にゃんこはうすは置き去りペットの最後の砦となっているのですね。

ありこさんに甘えているシベリアンハスキーは前日に

にゃんこはうすに捨てられてしまった子でした。

ハスキーは悲しい目をしている。

私に訴えているみたいです。

「お前は犬が怖いみたいだな(笑)腰が引けているのがわかるんだ。でも俺たち犬族にとって敵では無いようなので攻撃はしないから安心してくれ」みたいな。

今度はありこさんに飛びついて甘えていた。

私には真似が出来ない。

ここは猫シェルターだったから通っている。

今後は犬の世話も手伝って欲しいそうだけど悩む。

これを期に犬と仲良しになれる自分に変身するかな?

にゃんこはうす→わんこはうすになってしまうの?

否、違う。

置き去りになったペットは犬も猫も関係ない。

言葉が通じないから今の状況は理解出来ないでいる。

広い心で受け入れてあげないといけません。


「私は原発で喰ってきた立場だから責任は感じている。

仕事よりも優先して犬の保護をしている。あの茶色の子は

食べ物を探して遠く離れた山の中で保護した。

田舎の飼い主は予防接種をしないからフィラリアでやられてしまう。

福島のダメなところは住民が自宅に戻ろうと動かない事なんだ!」

話を聞いて胸が熱くなる。

国や東電に対して文句を言ってるだけでは前に進まない。

避難生活をしながらも自宅に帰る準備をしなければ何も変えられない。


そうなんです。

三陸とは違い帰る家が残っている福島の避難生活なのです。

希望が見い出せないのは原発反対を叫ぶからだと思う。

警戒区域に指定されている町が市町村合併もしないで残っているのは

町の財政を東電が支えていたからなのでしょう。

このブログを読んで下さっている方に私が伝えたい事なのです。



にゃんこはうすに新しい常駐スタッフさんが来るそうです。

借りている建物の畳の上にロール状の養生シートを敷き詰め

テープで固定する内装仕事もしました。

この上にさらにコルクマットを敷くので下地作りです。

pm3:00。

峠が凍結してるおそれもあって明るいうちに帰ります。

太平洋側から峠を越えて内陸部に戻るとまた雪道走行でした。

福島松川スマートICで東北道に入るがここで食事をするのも楽しみ。



復興応援セットはエビチリ丼と醤油ラーメンのセットです。

帰路はUターンラッシュに巻き込まれ所要約6時間でした。

スーパーに寄りマグロの刺身が半額だったので猫のお土産です。

夜の9時、15時間ぶりに家に戻ると猫がお腹がすいたと

大合唱です。


長文になりましたが最後までのお付き合いに感謝です。









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後方支援

2012-12-27 00:10:20 | ボランティア
朝から焦っていた。

配達を済ませてから請求書を片付けたいのに

なかなか予定通りにすすまないのが私の人生(-_-;)

デスクワークを始めた途端に来客があったり…

電話が鳴ったので出てみるとかかりつけの動物病院の先生でした。

「ちょっと相談なんですが~」

いつも教わる立場の私が先生から相談ですか?

「うちの患者さんと言うか飼い主さんが被災犬を迎えたいそうなんだけど相談に乗ってあげてくれるかな?ここの電話番号を教えても構わないかな?」

「はぁ(゜Д゜≡゜Д゜)?」

ものの10分も待たずに電話があった。

保健所で処分される寸前の犬を引き取り飼っていたけど

この9月に18才で亡くなってしまった。

悲しみも癒えて、新たに被災した犬を迎えたいらしい。

「私が支援してるのは猫シェルターなんですよ。しかも力仕事担当だし…」

「あっ、ちょっと待って、先日はにゃんこはうすで子犬を保護していたから問い合わせをしてみましょうね」

もしも里親さんになるのなら福島へ迎えに行けるか?と尋ねたら

息子さんの運転で迎えに行く覚悟がありました。

昼休みにありこさんに電話をしてみたら子犬は預りボランティアさんの家に

移動してるから連絡させますとの事。

どこで読んだか忘れてしまったけどくぅさんのブログ記事にあった。

釣り糸が体に巻き付き食い込んだ子犬は動物病院で治療を受けて

現在はボランティアさんの元で療養中らしい。

確かあの日、私はにゃんこはうすで雪の中タイヤ交換をしていた。

犬を保護した事も聞いていたが詳細は後日ブログで知る事になる。

先日もありこさん達が猫を保護したからと車の中を覗いた。

ケージに布が被せてありどんな猫かは不明でしたが

なんと1年9ヶ月ぶりに保護した奇跡の子だったとは露知らず。。。

あそこでは私は土木作業員に徹していようと思った。


夜、子犬を預かるボランティアさんから電話があった。

基本的に里親さんの家に訪問して受け入れ可能かをチェックするそうです。

「場所はどちらになりますか?」

「同じ動物病院を利用する江戸川区内ですよ」

「もしかしてしゃちくん?あたしまおです!」

「えぇーっ?!」

お互いに苗字を知らなかったので随分と遠回りな会話をしておりました。

子犬を保護した本人でした。

しかもその日コーヒーを飲みながら色々と話もしてたし…


新しい里親さんが見つかると保護枠が空いてきます。

保護枠が空くと新たに保護する事が可能になります。

このように動くときっと後方支援となることでしょう。

しかもお世話になっている獣医師の先生は

開業していなければ仲間の呼び掛けで被災地に行き

被爆の影響を実際に確かめたいと口癖になっている。

給餌のおかげで警戒区域内の犬猫は被爆の影響はほとんど見られない事、

私の話を真剣に聞いてくれたしキャットフードの試供品も持たせてくれ

何かと理解がある。

もし、福島生まれの子犬がやって来ても責任を持って診察してくれます。

これがすごい重要な事なのですよ!

獣医師の中には偏見を持つ先生が多いと聞きます。

「ところで先生、コロちゃんの血液検査の結果はどうでしたか?」

「あぁ、コロナウィルスは陰性だった。ただの猫風邪でしょう」

だってさ。。。

コナンペットクリニックの勝又先生は本当に太っ腹で

動物の事が好きな獣医師の先生なんですよ(#^.^#)





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Yuzu (ゆず) - Niji ( 虹) Live Films Furusato

2012-12-24 07:51:00 | ボランティア
届け!届け!届け!

にゃんこはうすでは地元在住の支援者Sさんと土方仕事をしました。

丁度、ソーラーライトを地面に刺す下穴を孔ける道具として

タガネと大ハンマーを持参してたので

砂利で踏み固めてある地面を掘るお手伝いです。

南相馬市に家族と暮らすSさんは「困った時のSさん頼み」と言われる程

頼りになる男性なのです。

一緒に作業をしながら色々とお話をします。

「脱原発なんてクソの役にも立ちやしねぇ」

「役所は場当たり的に動くだけで今後の展望を感じさせない」

私が「南三陸町なんて帰る家が無くなっている。福島は家は無事なのに規制が多くて自分の家にも自由に帰ることが出来ない」と繋ぐ。

選挙の結果を見ても今の福島に求められているものと

脱原発を訴えた政治家にはズレがあった。

震災復興でほとんど機能しなかった民主党政権に対して

手探りで始めたにゃんこはうすの活動は素晴らしいと思います。

ただし…猫シェルターとしての建物はあまりにも不足してるものが多く

建築的な応援を楽しんでいると同時にやりがいも感じてます。


Yuzu (ゆず) - Niji ( 虹) Live Films Furusato



個人的には警戒区域の指定は解除して

住み慣れた家で生活を希望する方は帰る方が幸せでは無いのかな?

被爆地の誤解を作ったのは原発アレルギーだったと思っている。


今日のブログ記事、クリスマスらしくまとめたかったです。

自分の事は二の次で猫の救出を考えるにゃんこはうすは

クリスマスムードのかけらも感じられません。

忘れられてゆく被災地のこと、伝えるのも難しいし

自分が出来る事があまりにもちっぽけで…

帰路、夜間の高速の運転もしんどいし。


それでもにゃんこはうすには頑張って欲しいし

少しでも温かい気持ちが届けられるならと

福島を目指すのでしょうか。


また、給餌用のキャットフードが不足してました。

ブックマークトップのAmazonを利用していただくと助かります。

警戒区域の中ではまだまだ多くの犬や猫が頑張って生きてます!

命を繋ぐ給餌活動、もっと沢山の人に知って欲しい。

全国からの支援が届く事を願うのが私の2012Xmas。



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押しかけて~雪国

2012-12-11 00:10:20 | ボランティア
押しかけて~押しかけて~ 押しかけて~雪国♪

日曜日、車で出発したのは朝7時を過ぎておりました。

平井大橋から首都高に乗り東北道をかっ飛ばす

カーナビがオービスを知らせてくれるので

覆面パトカーを警戒しながら追い越し車線を120km~140kmで走る。

新品のスタッドレスタイヤの皮剥きも兼ねてます。

レーンチェンジでふらつくのが冬タイヤの宿命だけど

窒素ガスを高めに入れてあるから結構踏ん張る。

朝9時に第一回目の休憩で那須高原SAで遅い朝食。

ミニカレーとうどんのセットを一口食べてから慌てて写真に収める。



被災地に向かう時はしっかりと食事をするのが基本です。

近くの席で携帯で話すおじさんの声がデカいぞ

「須賀川から先はチェーン規制が出てて危ないから帰るよ」

前夜からの大雪の影響で東北道や磐越道がチェーン規制が出ている。

食事をしながら私もその事を考えていただけに気になるのです。。。

金曜日の地震の影響は無いかを確認したいのと

キャットフードを届けるのが目的だけど引き返しても構わない。

約束してあるわけでもないし、一方的な押しかけボランティア。

冬装備をした私を試すような雪に不安な気持ちになりつつも

行ける所まで行ってみようと出発した。


矢吹IC付近から急に雪が降り始めて来た

チェーン規制が出ている須賀川ICで下りて国道4号を北上した。



スキーに夢中だった頃から20年ぶりの雪道走行です。

前日買ったばかりのネット型チェーンを携行しているけど

説明書すら読んでいないのです。

これから県道12号で峠越え、大丈夫かな?



いつもの撮影ポイントです。

太平洋側は雪なんて見当たりませんね。

この数キロ先ににゃんこはうすが在ります。

ここから先では写真を撮らないようにしております。

続けてこのブログを読んでいる方はご存知でしょうが

福島には複雑な事情があるのです。

猫の給餌やレスキューをされる方には許可証があるとはいえ、

警戒区域の中は原則立ち入り禁止なのです。

住民でさえ一時帰宅をするのに様々な制約があるくらい。

放射線量が下がり続けても解除されない警戒区域の規制は

多分、動物が死滅するまで続けられると思いますが

自民党政権では大幅に見直しされると期待しております!

救える命を救おうとせず、動物の犠牲を求めるかのような

脱原発運動が大嫌いな理由はそこにあるのです。

まあ、これは私個人の考えなのですけど。


にゃんこはうすに到着すると給餌用の備蓄庫近くに車を停めて

黙ってキャットフードを搬入することも多いのですが

丁度、くぅさんとぽんぽんさんが居たのでご挨拶です。

お二人ともここの中心メンバーなのですが遠方より自費で

週末利用のボランティアさんでもあり、とにかくいつも忙しい(-_-;)

聞きたい事がたくさんあるけどたえず作業をしながらの会話です。

給餌とレスキュー活動中のありこさんに連絡してもらったら

給水車のタイヤ交換を頼まれました。

女性中心のここでは常に男手が必要なんです。

ジャッキや工具は自分が乗ってきたスイフトの物を使います。

マニュアルを読んでみたらスペアタイヤの下に工具があるのを

初めて知ったのは内緒の話(笑)

気が付けば鉛色の空から雪が降り始めてみなさんそれぞれの活動で

車で出掛けて行きました。

うそ?置いてけぼりかよ?!

戸締りなんかどうすれば良いのかわからないし~

と思ったらゆきさんが出掛ける寸前だったので挨拶してから

私も帰ることにしました。

雪の影響で往路で1時間余分に費やしているから

復路も覚悟して午後2時ににゃんこはうすを出発。



上の写真と同じ場所で2時間足らずで天気が急変しました。

これから峠を越えて雪が続く内陸部を経由しないと帰れませんから。

登り坂でノロノロ運転になるのは前に夏タイヤの車が

後輪を空転させているからでやがて路肩に避けてくれた。

待避所ではチェーンを取り付ける車が多い。



もう完全に雪国を走っておりますねぇ…



これくらいの雪ではFFのスイフトでも充分走ります。



冬の福島をナメたらいかんぜよ

何の不安も無く、福島松川スマートICから東北道に入る。

ここのPAで遅い昼食を食べるのがいつも楽しみなんです。



復興応援セットはエビチリ丼と醤油ラーメン。

10ポイントためると1食サービスになるカードがもらえる。

帰りの高速道路は福島県内はずーっと雪道でした

雪に時間はとられてしまいましたが渋滞が少なく

復路も所要5時間でした。


次は2週間後に行く予定です。

頑張る皆さんと猫たちにXmasのプレゼントを運びます♪


最後にお願いです。

「にゃんこはうす」の活動に幅広い理解と

暖かい支援を求めたいです。









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無事に帰る

2012-12-10 00:10:20 | ボランティア
福島県南相馬市「にゃんこはうす」から無事に帰宅しました。

うーむ、福島は雪国になってました(-_-;)

携帯でくだらない写真を撮ってあるので後でまとめます。

朝7時に出発して夜の7時に帰宅、往復650kmです。

現地滞在時間2時間のほとんど運転してばかりなり(笑)

帰宅途中でスーパーに寄って自分の夕食と

マグロの刺身が半額だったので家猫へのお土産にした。

今宵は「角ハイボール」を飲んで早く寝ようzzz

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冬支度

2012-12-01 00:10:20 | ボランティア
福島県南相馬市に在るにゃんこはうすに向かうには

本来、温暖な太平洋側を北上すれば辿り着けますので

季節に関係なく行けるのですが、

現在、原発事故の影響で警戒区域をぐるっと迂回するので

東北道を利用して県道12号線で山越えをしなくてはなりません。

これがアップダウンは激しいしカーブもきつくて

これからの季節、山陰は凍結路の恐れもあるだろうから

春まで休もうと思ってました。

2週間前のお手伝いに行った際、ありこさんにそれを伝えたら

「えぇーーーっ?!あたしたちレディースだって慣れない雪道を

 頑張って運転してるんだよ………」

なんだかとても寂しい気持ちにさせてしまったみたい。。。

「それに冬になるとボランティアさんも来なくて心が折れそうになるし…」

も、申し訳ないっす。。。。。


地元支援者Sさんに聞いてみたら

「昨冬もあの峠で単独事故を起こした女性からSОSがあったよ」

「やっぱり………」


色々と悩みましたが最近も給餌用のフードが足りなくなってしまったり

困っている時に駆けつけるのが支援者だろ?と自問自答しながら

スタッドレスタイヤを注文しました。

20年前ならアベニールのフルタイム4WDにスタッドレスタイヤと

ネット型チェーンとスキー場に通う装備はあったけど。

最近のスタッドレスタイヤの商品情報なんかも調べると分かるでしょうが

オートバックスに出掛けると値段の安さで決めてしまいがちな自分、

地元のタイヤ屋さんにアルミホイールとセットで注文。

給料の半分が消えましたぜ(-_-;)


くぅさんにも「にゃんこはうすに貢いでね」とコメントされたけど

福島の復興を信じる自分への投資と考えるようにしている。

東北が元気にならないと日本は沈んだままなのです!

阪神淡路大震災で倒壊した高速道路をテレビで観た時、

いったい復興に何年かかるのだろうか?と絶望感を感じた。

しかし、その後は驚異的なスピードで復興したのに驚き

日本の底力を見たような気がした。


衆院選を前にして原発に否定的な意見は目立つけど

福島のこれから、被災地の復興についての意見は聴こえてこない。

国会議員が被災地に足を運ばないからでしょうね。


福島から遠く離れた安全な場所で原発の危険を叫ぶのではなく

浜通りに来て下さい!

警戒区域に隣接する場所で事故以前の生活を取り戻そうとしてる

住民の力になって下さい!

都内でデモに参加してる方も現地でガレキの一つでも拾って下さい!

そして…住民が避難して置き去りになっている動物の命を

必死になって繋いでいる方達がいることを忘れないで欲しい!!!

震災から2度目の冬を迎える「にゃんこはうす」を応援して下さいね。

私も出来る限りの支援を続けてまいります。

冬仕度が整い次第、行って来まーす。。。









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