しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

【東日本大震災】自衛隊救援活動特集[桜H23/3/22]

2011-05-31 04:20:35 | 日記
私は地震からテレビをじっくり観ていなかったかもです。

品不足の中で現場に材料を納めるのに必死で疲れ果ててました。

今改めてyoutubeで様々な映像を確認しております。

23分を超える映像なので時間のある時にどうぞ。

【東日本大震災】自衛隊救援活動特集[桜H23/3/22]


現地では自衛隊の撤収が始まりました。

人命救助から遺体の捜索、避難所の支援も間もなく終了です。

私が通う南三陸町のベイサイドアリーナ(地域最大の避難所)からも

ライフラインがしっかりした宿泊施設に集団移転してます。

これだけの被害だもの、長期的な支援を必要としてます。

私の訴えから東京中央木材市場が反応してくれました。

関東の材木屋が復興支援に関われるように組織作りを始めます。

写真と資料を整理してパネリスト。

一人の行動が大きな力に発展するかもです。

復興はこれからなんですよ!
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ボランティアの受け入れ先の問題

2011-05-30 00:10:20 | ボランティア
22日のボランティアは雨だった。

東北最大のボランティア活動拠点の石巻は住宅の泥かきが活動の中心です。

雨の日はボランティア活動はほとんど中止。

全国からはるばる駆け付けたボランティアは仕事を求めて北上し

南三陸町に移動してくる。

先日の報告にもあるように南三陸町でも力仕事が雨で中止

屋内での写真の洗浄・整理等の作業をみんなでやった程。

仕事を求めてさらに北上すると気仙沼を目指す。

でもちょっと待てよ…

石巻~南三陸町(旧志津川町)~気仙沼

これらの社会福祉協議会によってボランティアセンターが開設された町の途中にある被災地を、何故?通り過ぎてしまうのでしょうか?

ボラセンスタッフに聞いてみた。



ここからが現地入した私の貴重な情報なのですよwww

仕事を求めて北に移動するボランティアさんが通り過ぎる町

唐桑・歌津・河北地区も大きな被害と常にボランティアが不足してます。

仕切っているのはRQ(レスキュー)市民災害救援センター

ブックマークのトップに貼り付けております。

東京に本部があり人集めから講座や会議を催している組織。

バスでボランティアを輸送し現地で宿泊場所から食事まで世話をする。

完全予約制で現地での飛び込みは受け付けない。

日帰りでの活動は不可、1泊以上の活動が基本。

ブログで読む限りは理想的な活動に思えるけど

実際は現地で横の連携も無く孤立した組織です。

常に物資が不足していて移動用の車両も無いそうだ。

石巻には全国から支援物資が集まり過ぎて廃棄処分しているのに…

その余乗した物資を不足している地域に運びたい!

それが私のボランティアを始める原点でもあったが

地域を統括する組織がいつも邪魔をしてくれたwww


ボランティア担当大臣辻元清美のせいで

ヘンテコリンな団体があちこちで仕切っております。

それらの団体が入った町は不幸かもしれません。

以上が現地で見た私の報告と分析です。


今後も隔週日曜日にボランティア活動を続けます。

父が退院したら直ぐに再開するつもりです。

被災地ではこれからがボランティアを必要としております!

一人でも多くの方がボランティアに参加出来るように

これからも様々な視点で情報を発信しますよ♪
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あの頃の自分だったら

2011-05-29 15:32:01 | 日記


もし自分があの頃のように若くて自由だったならば



バイクに荷物をくくり付けて被災地に向かっただろうか。



金は無いけど夢があった20歳の自分。

被災地のために2~3年を捧げたところで

その後の人生を切り拓く自信もあった。



何処に行っても仲間が出来るように…



時が経つのが恐ろしく感じるwww

今でも独身だから自由なはずなんだけど臆病になったなぁ…



まあ、確かに猫が居るから仕方ないかな?

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自衛隊のみなさんありがとう!

2011-05-29 00:10:20 | 日記

被災地から帰る時、多くの自衛隊車両も南に向かっている。

災害派遣で大活躍した自衛隊は任務を終えて帰ってゆきます。

それとは反対に交代要員として被災地に向かう自衛隊車両ともすれ違う。

多くの命を救い、多くの遺体の回収に神経はズタズタになっていると思う。

自衛隊のみなさん本当にありがとう!

町の復興はボランティアをはじめ民間の力で頑張ります。

今回の震災での自衛隊の活躍、忘れてはならない。

頑張れ自衛隊!日本の誇りだ ‐ ニコニコ動画より転載

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知られざる英雄たち

2011-05-28 15:49:40 | 日記

これを探しておりました。

以前youtubeで観たんだけどなかなか見つからなくて…

気温の上昇と共に震災の記憶が薄れぬよう

もう一度噛みしめて観て欲しい!

697 UNKNOWN HEROES - 知られざる英雄たち - 東日本大震災の復興に

たった今、病院に父を見舞に行きました。

 病院で風呂に入り自分で歩いて病室に帰って来た。

 普通に会話もした。

 会社の請求書作成はどうしても自分でやりたいと言ってます。

 「1カ月遅れで請求するから説明しといてくれ!」だってさ。

 一部は請求して代金を回収するけど 付き合いの長いお得意さんには待ってもらおうと思う。

 目標があったほうが回復は早いかな?

 御心配おかけしました。

 父は快方に向かっているようです。

 コメントで励まして頂き心強かったです。

今夜はぐっすり眠れそうです。

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22日のボランティア

2011-05-28 08:03:23 | ボランティア
土曜日の夜、高速で東北を目指した。

長者ケ原SAで車内で仮眠しながら夜明けを待つ。

明るくなると24時間営業の食堂で飯を喰う。

被災地に入ったら何も食べなくても平気なんだ!

私はお腹にたっぷりと脂肪を蓄えているのだから(笑)

志津川町に入ると写真を数枚撮影した。

まだ朝の6時すぎ、ベイサイドアリーナを通り過ぎ

真っ直ぐ海へ出てみた。

志津川湾の隣りの浜は被害は少ない。

津波は入江に入ると高さを増し凶暴になるのだ!

引き返して坂を登ると自衛隊の宿営地(テント村)と

仮設の町役場があるのに初めて気が付いた。

駐車場に車を停め受付が始まる8時半まで待つ。

この地区最大の避難所には誰もいない。

駐車場には全国各地から駆け付けたボランティアの車があった。

私と同じで一人で参加しているのです。

ここへやって来るのには家族の同意は得られないwww

夜の高速は生暖かな空気だったが海風は冷たい。

ほどなく雨が降り気温がグングンと下がる。

8時頃からボラセンスタッフが出社?してくる。

受付を済ませ、缶コーヒーとペットボトル飲料を1ケースずつと

お菓子類を差し入れた。

地元、社会福祉協議会の役人は震災から休み無しで働いている。

その他全国から1週間交代で応援に来る。

復興財源確保の為に公務員の給料を引き下げると発表した政府、

何にも分かっていないwww

南三陸町応援Tシャツを買っていたら写真を撮られてましたね。。。

私は力仕事のボランティアを希望してたけどあいにくの天気です。

写真の洗浄が今日の仕事です。

この日は屈強な男もみんな繊細な作業をすることになった。

ああ、前回避難所の引越しを一緒にした植木屋さんと再会。

色々と情報交換していると側で話を聴いてる外国人。

宇都宮在住のアメリカ人マイケル、マッチョな体で繊細な作業を一緒にやろうね♪


向かった先は内陸の隣の集落の廃校になった入谷中学校。

直径1mはあろう杉の巨木に囲まれた「トトロの森」

じゃ無くてレトロな木造校舎。

映画の撮影地に使えそうな雰囲気です。

ただし、校庭には仮設住宅が建設中でした。

今の仮設住宅ってトイレもユニットバスも完備しておりますよ。


この日の作業が始まる。

自衛隊による遺体の捜索と共に回収された写真が膨大な量なんです。

ゴム手袋とマスクの着用が義務付けられた作業。

衛生面で危険らしい…

先輩ボランティアがこれまで洗浄した写真を乾燥のために

教室の床に拡げて並べてあります。

まるでトランプの神経衰弱のように同じ家族の写真を見つけては

一つのグループにまとめてあげる。

写真の主が生きているのか亡くなっているのか…

他の教室には沢山のランドセルや位牌がきれいに掃除されて並んでいる。

今日、28日に被災者の元に帰る日を迎えた。

詳しくはボラセンブログを読んでみてください。
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復興のシンボル

2011-05-27 00:10:20 | ボランティア
ボランティアに行った翌日の朝、

父は救急車で病院に運ばれた。

正直「なんだよ、ちっとも良いこと無いじゃねえか!」

そんな投げやりな気持ちだった。

私は結構、落ち込む事が多いと思う。

でも立ち直りも早い方だと思う。


被災地に行って良かった事?

勇気を持って出掛け、勇気を置いてくるつもりが

実は勇気をもらって帰るとは…

壊滅した町で復興のシンボルを見ました。



津波で破壊された店舗の跡地で

配送用のトラックとビーチパラソルで営業したセブンイレブン。

産経新聞でも大きな写真で紹介されました。

町が全て破壊されて、内陸側の大きな町に行かないと

商店がありません。

お金を持っていても使う店が無いのです。

南三陸町にボランティアを寄せ付けない事情かな?



横を走るのが国道45号線です。

オーナーに許可を頂いて撮影。

扱う商品は少ないけど沢山の勇気をもらった!

正に復興のシンボルなのです☆

後ろに写ったシルバーのセレナがわたちの相棒でし。
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霧の中をさまよう

2011-05-26 06:47:53 | 日記
入院中の父と火曜日に電話で話した時点では

父が手配してやりかけの仕事なんかを引き継いだ。

その夜、どうやら「家に帰る!」と病院内で暴れたらしく

手首をベルトで縛られベットの上に拘束されたらしい。

昨夜、病院に行ったら手の甲は赤くなり

両手首はガーゼにくるまれていた。

看護師さんが成り行きを説明してくれた。

そして「お住まいは木場なんですか?」と聞かれ

「いえ、江戸川区内ですよ」

「あら、木場で材木屋をやっていると聞いたのに…」

「それは独身時代に修行をした場所ですね」


父との会話は噛み合わない。

安定剤を投与されている影響なのか記憶障害を起こしている。

正直、ショックだった。


退院後は車の運転は無理だろうから

歩いて毎日会社に通うのもリハビリになるだろう。

そう、楽観していた。


もし認知症ならば、自宅で母と二人暮らしは難しい。

この急激な状況変化にとまどっている。

仕事の事、親の介護の事、

考える事がいっぱい。。。


霧の中をさまよう

早く出口を見つけなくてはいけませんね。
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写真に写ってしまった

2011-05-25 00:10:20 | 日記

ご心配お掛けしました。

私があたふたしていては会社が潰れてしまいますんで…

日曜日の事。

ボラセンブログの記事で写真に写ってしまったwww

雨にも関わらず

従兄弟から預かった義援金でTシャツを10枚買わせて頂いた。

オリジナルTシャツ販売中!

どうですか?

こんな形での被災地の応援も出来るのです。

もちろん、今後の私のユニフォームになります(笑)

ちなみに現地ボランティアは胸にガムテープを貼りマジックで名前を書いて

それを名札にしております。

貧乏っちいけど格好良いんだぜ~!

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しばらく休みます

2011-05-23 11:51:44 | 日記
週明け月曜日、出社して電話を受けてる父。

ろれつが回ってませんwww

救急車を呼んで脳神経外科病院に搬送。

脳梗塞でした。

今MRIで検査中で普通に会話が出来るそう。

出勤した兄が引き返し病院にいる。

ボランティアの事、書きたい事いっぱいある。

それどころでは無くなってしまいました。

落ち着いたらブログ復活させます。

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自己満足な22時間

2011-05-23 02:22:20 | ボランティア
東北自動車道から国道398号で太平洋を目指す。

まだ海が見えない標高の高い土地にまで津波は遡り

建物を破壊し、漁船を陸地に運んだ写真を車内から撮影した。



写真正面の小さな山を越えると志津川の町全体が見渡せるようになる。



テレビやyoutubeで繰り返し流された壊滅した町の様子。

これを自分の目で見ると絶句します。

ボランティアに訪れた者はそれなりの覚悟をしているのに

この町を見て言葉を失います。

そして「とにかくこの街のために何かをしたい!」と使命感を持つのだと思う。



写真中央の鉄骨剥き出しの建物が防災センター。

屋上にあるアンテナにしがみついた町長さんは救助された。


多くの犠牲者を出している町の写真を撮る前に黙祷をした。



観光気分で訪れて「ピース!」なんてしたら誰もが怒ります!

多くの犠牲者と行方不明者を出した場所そのものなんです。



被災地を訪れた際の最低限のマナーは守って下さいね。

前日にも、林の中から遺体が発見されたばかりなんです!



初めてのボランティアから2週間。

自宅を夜の9時半に出発した。

天気は下り坂、ボランティアの仕事は無いかも知れない。

少しの支援物資を届け、オリジナルのTシャツを買うだけでも行く!

今回は愛車セレナ。雨でも車中泊が出来る。

スピードは出るが真っ暗で補修跡の高速の路面は白線が引いて無いから

道の先が見えない、怖い。

前回と同じ長者ケ原SAで車中泊。

あまり眠れなかった。

太平洋側は電気も水道も無い。

夜明けを待って被災地入りをします。

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先は長いのですね

2011-05-22 00:10:20 | 日記

部屋を掃除しても猫の運動会が終わってみれば

整理して資源ゴミに出そうとまとめてあった雑誌類は

床に散らばり、おまけの猫ゲロまである…


先週、入院生活から自宅に戻った母。

一人暮らしが続いた父は家中キレイに掃除してたのに

母がグチャグチャにしてしまったらしい。

生活リズムが狂ってしまった父は急に物忘れが酷くなった。

会社で電話で受けた注文は忘れてしまい

お得意さんからも心配されている。

認知症かな?

そんな父を目の前にして心配している私

今、一人で背負い込んでいるのかな…


ボラセンブログで気になる記事を読んだ。

見捨てられた被災者

震災対応は不充分でやり残しがいっぱいあるし

まだまだ多くの助けが必要です。

 

ここ東京でも震災の事を忘れようと必死だ!

経済の立て直しも重要だし、この夏の電力不足も心配。

原発問題に気を取られているうちに被災地の事が置き去りにされてる。

 

私はこれからも被災地に通います!

現地の状態を正しく伝えたいからです。

仕事の事、親の問題、そして被災地の事

全て抱え込んでの生活になると思います。

 

ブログの方向性が変わるかも知れませんが

私自身は何も変わらない。

45歳のおっさんがここに居る。

大震災からの復興の真っ直中の時代に生きている。

ただそれだけのこと。。。

 

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【Pray for Japan】

2011-05-21 01:14:46 | 日記
何だか地震が多い

余震とは言わない

震源は南下しているし

でも恐れてはいけない

今回の震災から多くのことを学んだからね

悲しみの中から温かい言葉も見つけられるから

それらを忘れぬように



【Pray for Japan】地震で生まれた心に残るつぶやき【be strong】
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どっちなの?

2011-05-20 18:05:53 | 日記
震災以降、不安な気持ちから結婚相談所が盛況で

指輪が売れているらしい


反対に「震災離婚」も増えているらしいよwww

非常時に見せた夫の行動に幻滅したのが原因らしいです


結婚するカップルが増えたと記録されるか

離婚した夫婦が増えたと記録されるのか?

どっちなのでしょうか?
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南三陸町へ行こう!

2011-05-19 19:05:02 | 主張
「私を南三陸町に向かわせる理由」

そんなタイトルで書いてはみるものの

たった一度訪問しただけだろ?

消してしまった文章がある。

親類や知人が住んでいたわけでもない。

縁もゆかりも無い。

少し無理して探せば志津川産の材木を扱っている事と、

昔、日本一周中に隣の陸前戸倉駅で一晩泊った事。

一番大きな理由は下の映像を観ればわかると思いますが

町が壊滅してしまい多くの助けを必要としている!

役場も病院も全て破壊され、多くの犠牲者を出し

生存者は高台で避難生活を送っている。


【東日本大震災】【津波】今迄見た中で一番衝撃的な大津波の映像



果たして復興なんて出来るのでしょうか?

いったいどこから手を付けるかもわからない程に

何もかもが破壊されてしまったのです。

東北道から山を越えて海岸沿いに広がる旧志津川町。

実際にそれを見ると誰もが言葉を失う。

人が住める町に戻せるのか疑問に思った。

人の気配を感じない死の町。

町を横切り坂を登った高台に避難所とボランティアセンターがあった。

否、ベイサイドアリーナの敷地内には町のすべてが避難している。

電気も水道も失ったその場所で多くの被災者が身を寄せ合っている。

生活の根幹を支えている自衛隊のパワーには圧倒された。

どんな状況からでも不可能なんて無い!

そう思えるようになった自分が立っていた。


「最も遅い始業式」で学校も始まりました。

仮設住宅に引っ越しも始まる。

少しずつだが復興に向けて前に進もうとしております。

青空の下でテントを張りセブンイレブンが営業してます。

どんな形であれ日本中からこの町を訪ねて欲しい。

一人でも多く、この町を応援していただきたい!

ボラセンブログを読んでみてください。

今日、臨時のFM放送が開局しました。

周波数は80.7MHZ。

東京で受信出来ましたよ♪

がんばっぺ☆南三陸町
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