リハビリ、リハビリってよく言いますが・・・。
時々、「リハビリをすることが、果たして良いのだろうか?」と思うことがあります。
例えば、骨折の手術後や脳梗塞の片麻痺麻痺などで、社会復帰や家庭復帰のために頑張るのはもっともな話ですが、何でもかんでもリハビリすればいいってわけではないと思うのです。
神経難病の一つで、脊髄小脳変性症と言う病気があります。
小脳や脳幹から脊髄にかけての神経細胞が少しずつ壊れていく病気で、運動機能に障害が出てきます。
特に運動失調(体が思うように動かない。思ったところに体が動いてくれない。)や構音障害、膀胱直腸障害などが進行性に出現します。
いろいろな治療法がみつかり、進行はだいぶ遅くなってきたようですが、それでも症状は進んでいきます。
「1リットルの涙」の少女もこの病気でした。
自分の体が、少しずつ動かなくなっていく。
言葉がうまく話せなくなり、食事がうまく摂れなくなり・・・。
そんな恐怖と、毎日必死で戦いながらリハビリを続けなければならない・・。
この病気はリハビリがとても大切とされていて、ADLの低下を少しでも予防するための筋力トレーニングや、バランスを取るリハビリ、嚥下機能を維持するリハビリなど初期のうちからみんなリハビリを頑張っています。
それでも、病気は意地悪く進んでいくこともあります。
Aさんは、本当にリハビリを頑張っていましたし、ご主人も協力してよく介護をしていました。
訪問リハビリ(ST)も週1回、通所リハビリも行っています。
食事は必ず車椅子に移動して、台所まで行ってたべますし、トイレも排便時はポータブルに移動していました。
でも病状は進み、今年に入ってポータブル移動が困難となり、端座位も厳しくなってきました。
食事を食べる時も、スプーンを口まで持っていくのも大変です。
むせやすく、食事形態も刻み食となり、最近ではまぐまぐを使ってストローで水分を吸う事も出来なくなりました。
通所リハビリに行った後は、激しい疲労で食事も食べられなくなってしまいました。
リハビリ後の疲労があまりにひどいため、通所リハを週2回から1回に減らし、移動の工夫や食事形態の工夫など、ケアマネさんたちとも話し合いながら、病魔への恐怖に精神的に追い詰められていくAさんを、担当者たちは支えてきました。
でも、通院するといつも主治医から帰ってくる言葉は「リハビリが足りない。もっと頑張らないとだめだ。」と言う言葉。
担当者は、彼女が精いっぱい頑張ってきたことを知っているし、頑張りすぎて食事も喉を通らないことも知っています。
このところの病状の悪化は著しく、夫一人での介護にも限界が見えてきていました。
出来ればお子さんも同席して、医師と今後の事を話し合ってほしいとお願いして、やっとそれがかなってご家族へのムンテラが実現したのですが・・・。
同席してくれた外来の連携室ナースから連絡がありました。
今日のAさんは体調が良くて、指さしでの会話もスムーズで、とてもよい表情だったとか。
そりゃあ、久しぶりにお子さんが一緒に来てくれたのですから、当たり前です。
そして先生は「なんで、通所リハビリを2回から1回に減らしたの?リハビリやらないからどんどん悪くなるんです。
ご主人が甘やかして、Aさんをすぐに休ませたり、リハビリを減らしたりするんだったら、施設とかに入って少し二人の距離を置いたらどうかな?」
と言われたそうです。
その報告を受けて、担当ナースは落胆しました。
神経内科の先生ですから、一番病気の事はわかっているのでしょうが、在宅でどれほど努力して頑張ってきたかなんて、きっとわかろうともしないんでしょうね。
昨日できていたことが、今日出来なくなっていく恐怖の中で、どこまで頑張ればゆるしてもらえるんでしょうか?
もう、食事を食べる気力もなくしかけているというのに。
彼女は、胃瘻も気管切開も望んでいません。
食べられることが、唯一残った希望なのに、疲れ切って食べられないことが何を意味するのか・・・。
他に、かける言葉はないんでしょうか?
今でも、必ず車椅子の時間を取っているし、日常の自分でできることは一生懸命しているのに、デイケアを増やせばそれでいいんでしょうか?
私は看護師ですから、神経難病へのリハビリに関して、専門医に意見を出来る立場ではありませんが、なんだか違う気がします。
生きる意欲は、リハビリだけでは引き出せないと思うのですが・・。
>瀬谷区と泉区の間、ヤマダ電機に向かう途中の畑から見えた富士山。
時々、「リハビリをすることが、果たして良いのだろうか?」と思うことがあります。
例えば、骨折の手術後や脳梗塞の片麻痺麻痺などで、社会復帰や家庭復帰のために頑張るのはもっともな話ですが、何でもかんでもリハビリすればいいってわけではないと思うのです。
神経難病の一つで、脊髄小脳変性症と言う病気があります。
小脳や脳幹から脊髄にかけての神経細胞が少しずつ壊れていく病気で、運動機能に障害が出てきます。
特に運動失調(体が思うように動かない。思ったところに体が動いてくれない。)や構音障害、膀胱直腸障害などが進行性に出現します。
いろいろな治療法がみつかり、進行はだいぶ遅くなってきたようですが、それでも症状は進んでいきます。
「1リットルの涙」の少女もこの病気でした。
自分の体が、少しずつ動かなくなっていく。
言葉がうまく話せなくなり、食事がうまく摂れなくなり・・・。
そんな恐怖と、毎日必死で戦いながらリハビリを続けなければならない・・。
この病気はリハビリがとても大切とされていて、ADLの低下を少しでも予防するための筋力トレーニングや、バランスを取るリハビリ、嚥下機能を維持するリハビリなど初期のうちからみんなリハビリを頑張っています。
それでも、病気は意地悪く進んでいくこともあります。
Aさんは、本当にリハビリを頑張っていましたし、ご主人も協力してよく介護をしていました。
訪問リハビリ(ST)も週1回、通所リハビリも行っています。
食事は必ず車椅子に移動して、台所まで行ってたべますし、トイレも排便時はポータブルに移動していました。
でも病状は進み、今年に入ってポータブル移動が困難となり、端座位も厳しくなってきました。
食事を食べる時も、スプーンを口まで持っていくのも大変です。
むせやすく、食事形態も刻み食となり、最近ではまぐまぐを使ってストローで水分を吸う事も出来なくなりました。
通所リハビリに行った後は、激しい疲労で食事も食べられなくなってしまいました。
リハビリ後の疲労があまりにひどいため、通所リハを週2回から1回に減らし、移動の工夫や食事形態の工夫など、ケアマネさんたちとも話し合いながら、病魔への恐怖に精神的に追い詰められていくAさんを、担当者たちは支えてきました。
でも、通院するといつも主治医から帰ってくる言葉は「リハビリが足りない。もっと頑張らないとだめだ。」と言う言葉。
担当者は、彼女が精いっぱい頑張ってきたことを知っているし、頑張りすぎて食事も喉を通らないことも知っています。
このところの病状の悪化は著しく、夫一人での介護にも限界が見えてきていました。
出来ればお子さんも同席して、医師と今後の事を話し合ってほしいとお願いして、やっとそれがかなってご家族へのムンテラが実現したのですが・・・。
同席してくれた外来の連携室ナースから連絡がありました。
今日のAさんは体調が良くて、指さしでの会話もスムーズで、とてもよい表情だったとか。
そりゃあ、久しぶりにお子さんが一緒に来てくれたのですから、当たり前です。
そして先生は「なんで、通所リハビリを2回から1回に減らしたの?リハビリやらないからどんどん悪くなるんです。
ご主人が甘やかして、Aさんをすぐに休ませたり、リハビリを減らしたりするんだったら、施設とかに入って少し二人の距離を置いたらどうかな?」
と言われたそうです。
その報告を受けて、担当ナースは落胆しました。
神経内科の先生ですから、一番病気の事はわかっているのでしょうが、在宅でどれほど努力して頑張ってきたかなんて、きっとわかろうともしないんでしょうね。
昨日できていたことが、今日出来なくなっていく恐怖の中で、どこまで頑張ればゆるしてもらえるんでしょうか?
もう、食事を食べる気力もなくしかけているというのに。
彼女は、胃瘻も気管切開も望んでいません。
食べられることが、唯一残った希望なのに、疲れ切って食べられないことが何を意味するのか・・・。
他に、かける言葉はないんでしょうか?
今でも、必ず車椅子の時間を取っているし、日常の自分でできることは一生懸命しているのに、デイケアを増やせばそれでいいんでしょうか?
私は看護師ですから、神経難病へのリハビリに関して、専門医に意見を出来る立場ではありませんが、なんだか違う気がします。
生きる意欲は、リハビリだけでは引き出せないと思うのですが・・。
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>瀬谷区と泉区の間、ヤマダ電機に向かう途中の畑から見えた富士山。