今日、博一さん(仮名)から電話がありました。
「タカシが危篤だから、病院に来てくれって・・。私もこんな調子だから、ヘルパーさんついてもらえないかなぁ・・」
タカシさん(仮名)は、博一さの一人息子さんです。
博一さんが長い入院生活を終えて、2年前に退院した時には、すでにあちこちにがんが転移していました。
博一さんは、肺炎とイレウスを繰り返し、人工呼吸器までつけましたが、長い闘病の末、気切孔を残しIVHポートをつけての退院となり、やはり抗がん剤治療中のタカシさんと暮らすことになったのです。
タカシさんは、当初遠距離通勤をしながら抗がん剤を続けていました。
なので、博一さんに訪問看護で入っていても、あまり顔を合わすことがなく、それでも博一さんの輸液の交換などは、帰宅後に担ってくれていました。
博一さんの病状が改善して、少しづつADLも改善していくのと裏腹に、タカシさんの病状は悪化していきました。
博一さんに在宅の往診医が入り、経口摂取を目標に出来るまでとなったころ、タカシさんは仕事を断念して、ほとんど家で自分の部屋で寝て過ごすようになりました。
時々、痛みに苦しんでいるのがわかり、何度かお手伝いできることを伝えましたが、彼は「大丈夫だよ。」と断り、遠くの病院に通院していました。
やがて激しい痛みに苦しみ、ある日腎瘻をつけて帰ってきます。
そして、お父さんの在宅医にやっと自分のことを託すようになり、同時に訪問看護師も入りました。
少しずつ私たちにも、いろんなことをゆだねてくれるようになり、お父さんと息子さんの関係も、持ちつ持たれつお互い声を掛け合いながら、一緒に闘病されてきたのです。
お父さんが、IVHをロックして一人で外出できるようになる頃、タカシさんの薬の量は増えていきました。
夏、タカシさんは死への不安と恐怖で、夜をとても怖がるようになりました。
「ホスピスに入りたい。夜が怖いんだよ。一人でいると眠くても眠れないんだ。」
主治医が彼のために、海に近い医療処置もしてくれるホスピスを見つけてくれ、夏の暑い盛りに彼はそこに入院しました。
「少し、病院で休んでくるよ。少し良くなったら、必ず帰ってくるからね!」
タカシさんは、そういって笑って入院しました。
博一さん、タカシさん親子は、在宅のサポートをしていた私たちにとって、とても濃い関わりをしてきただけに、どうしても思い入れの強い患者さんです。
「もう、夜を怖がらず、安心して眠れるね。」「きれいな病院だし、若い看護師さんに囲まれて、きっとタカシさんうれしいよね。」「よかったね。でも、きっと家に帰ってくるよね。」
スタッフみんなで、そんな話をしながら、どこかぽっかり穴の開いたような気持ちでいました。
博一さんも、なんとなく淋しげで、それでも一人暮らしに少しづつ慣れていきました。
1週間ほど前に、ホスピスから「今後のことを話したい。」とお父さんが呼ばれ博一さんはタカシさんのいる病院に一度会いに行きました。
帰宅後、お父さんは担当の看護師に写真をいっぱい見せてくれました。
そこには、病室でホスピスの看護師さんと楽しそうに笑っている顔がありました。
笑顔で病院の屋上で花を見ている写真がありました。
穏やかで、明るい笑顔。
お父さんも、そんな息子さんの様子に安心したようです。
それと同時に、そこで息子さんが旅立つことも覚悟されたようでした。
その中の一枚を担当看護師が借りてきてくれて、私たちもステーションで見せてもらいました。
本当にいい笑顔でした。
きっと、ホスピスの看護師さんにとっても良くしてもらっているんでしょう。
「よかったね。うん・・よかったね。」
胸が熱くなりました。
「でも、もう一度会いたいね。ここの病院だと、ちょっと会いに行くには遠すぎるよね。」
そんな話を何度もしました。
そして今日、彼の危篤の電話が鳴ったのです。
介護タクシーを手配してもらい、結局父は一人で病院に向かいました。
その後連絡はなく、きっと父は最後の時を息子の傍で過ごしているのでしょう。
先週、久しぶりに親子で会った時のこと、うれしそうな親子の姿を、ホスピスの看護師さんも先生もものすごく喜んでくれたと、クリニックのナースから聴きました。
その話を聞いて、「ああ、よかったな。」と思いました。
ずっと、みんなに思われて過ごせることが出来てよかったと・・。
悲しくて、切ない思いが胸に広がります。
二人の時間が、穏やかでありますように。
でも・・。
ほんとうを言えば、もう一度タカシさんの笑顔が見たかった。
もう一度話がしたかった。
そんな思いで、帰宅しました。
明日から、一人になってしまった博一さんを、みんなで大事にするからね。
タカシさん、安心して大丈夫だよ。
長い間、本当にご苦労様でした。
「タカシが危篤だから、病院に来てくれって・・。私もこんな調子だから、ヘルパーさんついてもらえないかなぁ・・」
タカシさん(仮名)は、博一さの一人息子さんです。
博一さんが長い入院生活を終えて、2年前に退院した時には、すでにあちこちにがんが転移していました。
博一さんは、肺炎とイレウスを繰り返し、人工呼吸器までつけましたが、長い闘病の末、気切孔を残しIVHポートをつけての退院となり、やはり抗がん剤治療中のタカシさんと暮らすことになったのです。
タカシさんは、当初遠距離通勤をしながら抗がん剤を続けていました。
なので、博一さんに訪問看護で入っていても、あまり顔を合わすことがなく、それでも博一さんの輸液の交換などは、帰宅後に担ってくれていました。
博一さんの病状が改善して、少しづつADLも改善していくのと裏腹に、タカシさんの病状は悪化していきました。
博一さんに在宅の往診医が入り、経口摂取を目標に出来るまでとなったころ、タカシさんは仕事を断念して、ほとんど家で自分の部屋で寝て過ごすようになりました。
時々、痛みに苦しんでいるのがわかり、何度かお手伝いできることを伝えましたが、彼は「大丈夫だよ。」と断り、遠くの病院に通院していました。
やがて激しい痛みに苦しみ、ある日腎瘻をつけて帰ってきます。
そして、お父さんの在宅医にやっと自分のことを託すようになり、同時に訪問看護師も入りました。
少しずつ私たちにも、いろんなことをゆだねてくれるようになり、お父さんと息子さんの関係も、持ちつ持たれつお互い声を掛け合いながら、一緒に闘病されてきたのです。
お父さんが、IVHをロックして一人で外出できるようになる頃、タカシさんの薬の量は増えていきました。
夏、タカシさんは死への不安と恐怖で、夜をとても怖がるようになりました。
「ホスピスに入りたい。夜が怖いんだよ。一人でいると眠くても眠れないんだ。」
主治医が彼のために、海に近い医療処置もしてくれるホスピスを見つけてくれ、夏の暑い盛りに彼はそこに入院しました。
「少し、病院で休んでくるよ。少し良くなったら、必ず帰ってくるからね!」
タカシさんは、そういって笑って入院しました。
博一さん、タカシさん親子は、在宅のサポートをしていた私たちにとって、とても濃い関わりをしてきただけに、どうしても思い入れの強い患者さんです。
「もう、夜を怖がらず、安心して眠れるね。」「きれいな病院だし、若い看護師さんに囲まれて、きっとタカシさんうれしいよね。」「よかったね。でも、きっと家に帰ってくるよね。」
スタッフみんなで、そんな話をしながら、どこかぽっかり穴の開いたような気持ちでいました。
博一さんも、なんとなく淋しげで、それでも一人暮らしに少しづつ慣れていきました。
1週間ほど前に、ホスピスから「今後のことを話したい。」とお父さんが呼ばれ博一さんはタカシさんのいる病院に一度会いに行きました。
帰宅後、お父さんは担当の看護師に写真をいっぱい見せてくれました。
そこには、病室でホスピスの看護師さんと楽しそうに笑っている顔がありました。
笑顔で病院の屋上で花を見ている写真がありました。
穏やかで、明るい笑顔。
お父さんも、そんな息子さんの様子に安心したようです。
それと同時に、そこで息子さんが旅立つことも覚悟されたようでした。
その中の一枚を担当看護師が借りてきてくれて、私たちもステーションで見せてもらいました。
本当にいい笑顔でした。
きっと、ホスピスの看護師さんにとっても良くしてもらっているんでしょう。
「よかったね。うん・・よかったね。」
胸が熱くなりました。
「でも、もう一度会いたいね。ここの病院だと、ちょっと会いに行くには遠すぎるよね。」
そんな話を何度もしました。
そして今日、彼の危篤の電話が鳴ったのです。
介護タクシーを手配してもらい、結局父は一人で病院に向かいました。
その後連絡はなく、きっと父は最後の時を息子の傍で過ごしているのでしょう。
先週、久しぶりに親子で会った時のこと、うれしそうな親子の姿を、ホスピスの看護師さんも先生もものすごく喜んでくれたと、クリニックのナースから聴きました。
その話を聞いて、「ああ、よかったな。」と思いました。
ずっと、みんなに思われて過ごせることが出来てよかったと・・。
悲しくて、切ない思いが胸に広がります。
二人の時間が、穏やかでありますように。
でも・・。
ほんとうを言えば、もう一度タカシさんの笑顔が見たかった。
もう一度話がしたかった。
そんな思いで、帰宅しました。
明日から、一人になってしまった博一さんを、みんなで大事にするからね。
タカシさん、安心して大丈夫だよ。
長い間、本当にご苦労様でした。