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藤川宿は東海道五十三次37番目の宿場町で今も当時の面影が残っているというので散策してきました。
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名鉄の藤川駅南口から少し歩くと東海道、小学校の付近が宿場の西端になるようで、ここから西側は松並木が続いています。
小学校の斜め向かいには十王堂(閻魔堂)と芭蕉の句碑があり「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」と刻まれている。
十王堂は宝永7年の創建とされ平成29年に復元、芭蕉の句碑は寛政5年に建立されたもの。
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宿場町の中央付近には脇本陣と本陣跡があり、重厚な門構えが残っている。
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市場町付近には格子造りの町屋が多く残っており、昔の街道という街並みだ。
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この地域の中心的な神社と思える津島神社の参道が街道から伸びているが、現在は名鉄と国道に分断されて直接行くことはできない。
線路に分断された参道はたまに見かけるが、ここは安全のために完全に塞がれていました。
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宿場町の東端は街道がクランク状に折れ曲がる曲手になっている。
防御力を高めるたまに城下町によくある道の造りだが、宿場町の距離を増やすためだという説もあるそうだ。
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曲手を抜けると宿場に東の棒鼻(出入り口)になり、安藤広重の東海道五十三次・藤川宿はここから景色を描いてる。
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街道沿いには大きな店舗や飲食店があまりなかったので、藤川駅の北口にある道の駅藤川宿で食事とお土産を購入しました。
ここでは芭蕉の句にもある「むらさき麦」を使った料理を食べたりお菓子なども購入できます。
「むらさき麦」は昭和初期まで栽培されていたそうですが、いつの間にか途絶えてしまったが平成6年から栽培を復活させ、藤川を代表するシンボルとなっています。