おでかけたいむす

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龍岡城跡 (長野県佐久市) 日本で二か所だけの五稜郭

2020-11-17 11:41:52 | 

(@GoogleMAP)

五稜郭といえば北海道函館市の五稜郭を思い浮かべる人が多いかと思いますが、日本にはもう一か所五稜郭があります
それが長野県佐久市の龍岡城、グーグルマップで写真を見ると堀が星形になっているのがわかります。





堀の幅は思ったより狭いですが平均で7.3メートル、堀の南西と西側は未完になってるそうです。



大手門跡です、ここが堀の幅が一番広く9.1メートルあります。



大手門から先に進むと藩主等を祀ったお社があります。



さらに進むと学校になっています、許可なく入れないですね (;^_^A



敷地の右手にある古そうな建物が御台所、廃城後に校舎として使わていたが現在の場所に移転し復元保存されている
見学には事前予約が必要(佐久市文化振興課文化財事務所)だそうです。

龍岡城を築いたのは松平乗謨(のりかた)で三河奥殿が本領であったが後に佐久に本領を移し元治元年(1864年)に龍岡城を着工します
一部の堀は未完成ですが慶応三年(1867年)には竣工祝いを行っています。しかし明治4年(1871年)には廃城となります
幕末の短い間の期間だけ存在した儚い夢の城のようです。


諏訪高島城 (長野県諏訪市)日本三大湖城の一つ

2020-08-17 21:18:45 | 


諏訪湖の湖畔にある諏訪高島城は諏訪の浮城と呼ばれ日本三大湖城の一つに数えられています。



現在はお城の周辺は埋め立てられてしまっていますが、昔の絵図を見ると水城だったことがわかります。
諏訪湖と周辺の河川や沼地が外堀の役目をして敵の侵入を防ぎ攻めにくい城だったと思います。



天守は三層三階で取り壊される前に写された明治時代の写真を元に復元したそうです。



こちらは復元された門。



裏門は三の丸御殿の裏門を移築したものです。




騎西城 (埼玉県加須市)三層の模造天守

2020-07-21 20:16:37 | 


騎西城には小さな天守がありますが、模造なので無いものと思ってください、しかも天守がある場所は本丸でもない関係ない所・・・
実際には天守はなく土塁と堀を巡らせ、建物は平屋だったようです。



二重の障子堀に囲まれ、堀の幅は最大で45メートルもあったというから、戦の拠点に使われた城であったと思われます。
築城年は不明ですが、記録によると康正元年(1455年)に古河公方・足利成氏(しげうじ)が深谷上杉氏(鼻和上杉)の守る騎西城を攻略
永禄6年(1563年)には上杉輝虎(謙信)が小田助三郎の守る騎西城を攻略し落としています。



城の周辺は宅地化されて遺構はほとんど残っておらず、わずかに土塁の跡が残っているだけ。



余談ですが、天守の裏にある池では蓮が見頃になっていました。


早川城跡 (神奈川県綾瀬市) 御家人渋谷氏の城?

2020-03-29 14:55:22 | 


綾瀬市にある早川城は鎌倉時代の御家人・渋谷氏の城といわれていますが、はっきりとわからないそうです。
城跡のある高台は城山公園になっていてますが、城の遺構も残さされています。





北側にある堀切と土塁はかなり良い状態で残っています、堀の深さは5メートルぐらいでしょうか。



西側にある塚は最初は古墳かと思いましたが物見塚でした。塚の上には「東郷氏祖先発祥碑」が建てられています。
日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥の先祖は早川城の城主とされる渋谷氏の末裔だそうです。


伊賀上野城天守閣 (三重県伊賀市)三代目の復興天守

2020-03-09 20:43:28 | 


伊賀上野城の天守閣は三代目で、初代は天正13年に筒井氏が現在の場所より東に築いた三層の天守、二代目は慶長13年に藤堂高虎が築いた天守、そして三代目は昭和10年に建てられた現在の天守になります。



藤堂高虎時代の天守は五層でしたが竣工間近に暴風雨で倒壊してまい、その後再建されることはなかったのですが、昭和10年に地元の有力者が木造で三層の大天守と二層の小天守を建てました。



大天守の中は資料館になっています、藤堂高虎に関する展示物が多いです。



あっ こんな所に忍者が!!



水道タンクのあたりに筒井氏時代の天守がありました。

※ 天守閣は令和2年3月15日(日)まで休館になっています