富士山の山頂に初めて気象観測所が建てれたのは明治28年(1895年)8月30日
気象研究社の野中到(のなかいたる)は高層での観測を痛感し、自費で木造6坪の観測所を富士山頂剣ヶ峰に建て、妻の千代子と共に冬季観測を試みました。
越年観測は出来ませんでしたが、この壮挙が富士山頂測候所建設の第一歩となったのです。
顕彰碑が建てられているのは桜公園近くの小高い丘、この場所は野中到の別荘が建てられていた所で、大正12年(1923年)までこの地で富士山の気象を観測していたそうです。
野中到が建て観測所を建てた8月30日は富士山測候所記念日となっています。
すぐ近くにある「富士山樹空の森」のシアターにも関連資料が展示してあります。
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大庭城址は藤沢市のニュータウンとなっている台地にあり、現在は城址公園として整備されています。
公園の管理事務所には大庭城や神奈川県の城についての資料が展示してあります。
それによると、大庭城は平安末期に桓武平氏の流れをくむ大庭景親が居城したのが始まりとされていますが、大庭氏の館は現在の城跡より南西にあったといわれています。
室町時代には太田道灌が本格的な築城をし、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の拠点となったようです。
その後、北条早雲により攻略されてからは小田原城の支城として後北条氏の支配下になります。
縄張りは大きく4区画に分けられており、南端が本丸に相当する箇所だと思われています。
南端には建物の跡を示す石柱があります。
空堀や土塁の跡が残されていますが、後北条氏時代に改修されたと推測されています。
北端には市制50周年記念の足跡モニュメント、さらに奥に裏門へ通じると思われる小路があります。
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