後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

長盛会旅行湯田中温泉

2017年11月03日 | イベント・祭り

日詰長盛会(日詰区の老人クラブ)の秋季旅行で10月30~31日1泊2日湯田中温泉へ行って来た。当初参加予定者は31名だったが、欠席者があって参加者26名だった。長盛会の会員は129名だが、何時も30~35名の参加で今回は少し少なかった。長盛会の旅行は春・秋2回で費用も限られるので、旅行先の選定には会長始め幹事の方々は頭を悩ませているところである。

  今回の日程  
     30日:日詰13:00------志賀高原熊の湯散策------湯田中温泉ホテル
     31日:ホテル9:00------(宗)大悲殿「世界平和大観音」------梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊-------ホテルで昼食------中山晋平記念館-------日詰帰着    

13時ホテルの送迎バスが迎えに来て、湯田中温泉を通過、志賀高原に向かうが車窓から志賀高原方向の山々を見るに、うっすら雪化粧している。途中雪が降り始め、志賀高原丸池では本降りとなった。紅葉を期待して計画したようだが1~2週間遅かった。熊の湯迄行く予定を変更、丸池から引き返し湯田中の今晩の宿に16時前に到着した。

18時から宴会・夕食、カラオケで盛り上がるが、歌い手が少なく早めの散会となった。

翌30日(宗)大悲殿世界平和大観音・梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊を参詣、ホテルへ引き返し昼食を摂り12時半出発、中野市の中山晋平記念館を見学する。
記念館見学後帰途に着く。

 *世界平和大観音

                         
         世界平和大観音                        大  悲  殿                                     大悲殿本尊

            
        大 悲 殿 本 尊            本尊前にある平和の灯(広島平和記念公園の平和の灯から)     世界平和大観音の原型像(本尊の隣に安置)

        
    平和大観音像のから見た境内(中央鐘楼・右大悲殿)               梅  翁  寺                         湯けぶり地蔵尊(通称ぴんしゃん地蔵)
 

  慈救山 梅翁寺(曹洞宗)
  梅翁寺は、寛保中(1741~1743)僧実源により県立された古刹です。湯田中温泉は、俳人「小林一茶」ゆかりの地として
  しられていますが、一茶が、湯治に訪れた際に詠まれた句2「雪散るや 湧き捨ててある 湯のけぶり」にもあるように、
  古くから、こんこんと湧き出る温泉卿として有名です。また、延宝六年(1678)松代藩士、真田幸道公の母君が境内の
  湯口から湧き出る温泉を樽につめ、松代まで八里の道を運ばせたという記録が残されている名湯です。

 びんしゃん 「湯けぶり地蔵尊」
  梅翁寺境内には今も当時からの源湯があり福々と湯が湧いていますが、前庭の一隅に身の丈三尺三寸(1m)ほどの足湯に
  つかるお地蔵様がいらっしゃいます。お地蔵様の肩や腰などを湯に浸した白布でさすることで、温泉の持つ効用が伝わって
  ピンピン・シャンシャンになれるという言い伝えのある、かわいらしいお顔の霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。

*中山晋平記念館
       
                              中 山 晋 平 記 念 館                                        中山晋平之像

  中山晋平之像
  中山晋平は、明治20年3月22日長野県下高井郡日野村(現在中野市)新野に生まれ、幼少にして父に死別し、苦労の中で
  勉強に励み、16歳で小学校の代用教員となったが、18才で上京、島村抱月の書生として師事しながら東京音楽学校(現在
  東京芸術大学)を卒業した。大正3年弱冠27歳で作曲したカチューシャの唄をはじめ船頭小唄、シャボン玉等、歌謡、
  新民謡、童謡の多くの分野の名曲を世にに出し日本の大衆音楽の基礎を築き、昭和27年日12月30日65才で永眠した。
  この像は生誕百年を記念し県立したものであり、この記念館を訪れる人々に温かい心と潤いを与えるとともに、偉大な
  作曲家中山晋平を郷土之誇りとして顕彰するものである。
    1987年 6月
                            中野ライオンズクラブ
                               中野市長  土屋武則 撰書


 


太極拳フェステバル

2017年09月28日 | イベント・祭り

9月24日「 第30回長野県日中友好武術太極拳フェステバル」がビッグハットで開催された。
長野市芹田公民館成人学校太極拳講座を受講しており、先生が主宰している「長野太極拳の会」の会員でもある。今年も同じ先生が主宰している「飯山太極拳」と合同で参加した。芹田成人学校の生徒は15人であるが,それぞれの都合もあって今回の参加者は12人である。演目は午前太極拳剣、午後24式太極拳の2回の演武である。

参加団体は長野県各地から23団体であった。8時半集合、8時40分開会式が開催され9時20分最初の演武が始まった。途中11時45分頃から特別演武「第34回(2017)全日本武術太極拳選手権大会長野県代表選手による演武」(総勢14組)と「太極拳段位取得者による簡化24式太極拳演武」(総勢46名)があった。
15時30分頃最後の演武が終わり閉会式があって散会となった。

          
                        開 会 式                                           参 加 者 全 員 に よ る 集 団 演 武

        
                                       M  I  C ジュニアによる演武(子供の演武は可愛い)                              選手権大会長野県代表選手選手による演武  


           
        代表選手演武左側                            代表選手演武中央                             代表選手演武右側

       
                          段 位 取 得 者 に よ る 演 武                  

     
                                 閉   会   式


へブンズ園原と天竜舟下り

2017年09月04日 | 日帰りツアー名勝巡り

8月27日信毎観光りんどうツアーで「へブンスそのはら天空の花絨毯と爽快天竜下り」へ参加した。
6時半長野駅東口ユメリア観光バス乗降じょうを出発 、途中乗車された方を含め総勢17人の参加だった。天候不順な気候の中今日は1日中晴天の旅行日よりだった。

10時頃セブン園原ロープウェイ山麓駅に到着、混雑もなくロープウェイに乗る。全長2,500mの起伏の多いロープウェイは乗車時間15分山頂駅(標高1,400m)に到着する。
遊歩道を10分程下りへンブンス園原のセンターハウスの傍から展望台へのリフトに乗る。7分程で降り展望台(標高1,600m)まで数分で登る。晴天だったが絶景の南アルプスが望めるというが、霞がかかっており展望は余りよくなかった。ここから凡そ5.6Km(トレッキングで9凡そ90分)富士見台高原(標高1,739m)に行けるという。なお、展望台から富士見高原台萬岳荘へはバスがあるそうだ。萬岳荘から富士見台高原へは約1.8Km(トレッキング約30分)のよう
富士見台高原までいけば素晴らしい景色が展望出来るのだろう。wekipediaにも富士見台高原は北アルプス南アルプス、中央アルプスの360°の大パノラマが楽しめるとあった。なお、昔、山伏岳と呼ばれていたが、明治初年に、富士教信者が富士遥拝所をここに設けてから富士見台と称するようになった。地名から、山頂で富士山が見えると思われがちであるが、実際は眺めることができない、とあった。

*ヘブンスそのはら

           
                       ロープウェイ                                               展望台へのリフト

                        
                                                展  望  台                                     展望台からの展望右は
リフト展望駅(霞んでで展望が悪い)

      
            鳳     北      間  西  農       塩   三 鳥   蝙 小     板      [ 荒 川 三 山]    赤    大  中     兔    聖         上        茶     仁    易     光   池
      凰     岳     ノ  農  鳥          
見  伏 帽   蝠 河     屋     悪   荒   荒      石  沢  盛      岳    岳              河       臼     田     老    岳   口      
        
山         岳  鳥    岳           岳  峠 子   岳 内     岳     沢    川   川     岳   岳  丸                              内     岳      岳    岳               岳
                                   岳                          岳      岳                岳  中   前             山                岳  
                                                                                                 岳 岳                                     
                                                  
                           展  望  台  の  パ ノ ラ マ マ ッ プ
  (注;悪沢岳は荒川東岳)

                           
      
    
           遊歩道終端にある花                        遊歩道と平行にあるリフト 下の花が綺麗

*信濃比叡 門前屋
  ヘブンス園原を降りて直ぐ近くの門前屋で昼食する。
  信濃比叡
広拯院の入口にある食堂・売店で自家製豆腐・御幣餅・蕎麦がメインの料理を頂く。店内には白蛇が3匹飼われていた(祀られていたと言うべきか)。
  裏山で捕獲したものだそうだ。店主が脱皮した白い蛇の抜け殻を見せてくれた。

      天台宗開祖最澄上人は東山道最大の難所である神坂峠を越える旅人の苦難をみかね、廣拯院(無料の宿泊所)を建てらたものだそうだ。
     このことから比叡山と大変縁の深い地であり、信濃比叡の呼称が全国で唯一許され、本堂建立に合わせ、1200年の灯「不滅の法灯」を分灯いただき、 間近でのお参りが
  可能となり、修行体験も初心者でも安心してご参加出来るようにになったという。

        
            信濃比叡 門前屋                                    
                   伝教大師像(最澄像)

廣拯院へは時間の関係もあり参詣出来なかったが、途中まで行くと伝教大師像が見えた
。像の台座7m、本体6mの立像で、延暦寺の伝教大師像と同一の尊像で、下段には、
千体地蔵が祀られているという。 

*天竜下り 
  天竜川の舟下りは二つのコース(運営会社が違う)がある。
  ○天竜船下り;北側(上流)で 弁天港~時又港間で豪快な水しぶきが特徴
  天竜ライン下り:南側(下流)で天竜峡温泉港
~唐笠港間で峡谷の景色が自慢

  今回のコースは天竜船下りである。

           
     船首の漕手(漕ぎ7年と言われているそうだ)            船尾の舵取り 案内を兼ねている                    しぶきのかからない大半の区間
 
     
   
     浪の無い穏やかな場所 水深7mだという                      浪が大きい急流                      しぶきを避けるためビニールシートを持ち上げる

弁天港~時又港間凡そ6Kmを35分かけて舟下り時又港で下船、15時前帰途に着き15時過ぎユメリアバスパークに着く。
                              

 
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善光寺・戸隠神社参詣

2017年08月22日 | 神社・仏閣巡り

 8月11日帰省していた次女と善光寺&戸隠神社の参詣に行って来た。善光寺は年2~3回は参詣しているが、戸隠は拾数年ぶりである。

*善光寺
  国の重要文化財である「経蔵」が,綺麗な新しいの檜皮葺屋根を見せていた。未だ経蔵の内部は公開していなかった。善光寺のHPによれば、平成26年に始まった
  保存修理工事が今年6月1日着工時取り外していた「火焔宝珠」を、屋根の葺き替え完了に伴い経蔵最上部である元の位置に戻す作業を行ったという。
  8月中には工事完了、9月中旬より約9年ぶりに経蔵拝観再開の予定だそうだ。

  経蔵は宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物である。
  内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります。輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて、押すと心棒をめぐって独楽(こま)のようにくるくる回転するようになっている。
  輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められているという。

    経蔵の南にある 大観進護摩堂入口から山門に向かう通路の右側にある「仏足跡」・「石造宝篋印塔」は、何時も気にかけず通り過ぎていたが、今回は立ち止まり参拝した。

 ☆  経 蔵

     

     火焔宝珠の詳細は2016年9月20日のブログ「善光寺経蔵と濡れ仏&6地蔵」に記載。
 
仏   足    跡              

          
   仏足跡(仏足石)お釈迦様の足跡を医師に
   刻んだものです。古代インドで仏像が造られる
   ようになる前から、お釈迦様を表す象徴として
   礼拝の対象とされてきました.

 
           
 ☆ 石造宝篋印塔    

      石造宝篋印塔(伝 佐藤兄弟供養塔)
                            長野市指定文化財
      この地方で最古の逆修供養塔です。西塔には応永四年(1397年)の銘が入っています。古くから、源義経の忠臣
  佐藤継信・忠信兄弟の供養塔といわれ、若くして戦士した二人を供養するため、母親の梅唇尼が善光寺に産経参詣して
  建てたと伝えられています。
            


            

*戸隠
   久しぶりの戸隠だが「山の日」の祝日で3連休、観光客とお盆の帰省者で賑わっており、戸隠神社中社付近はどこも駐車場が満車、参詣は諦め奥社に向かう。奥社の駐車場は
 満車だったが、奥社入口横の「竹細工センター」の駐車場に駐車できた。標高1,000mを超えで高原で気温も低く参道は木陰で一層爽快である。
 参道は2Km程で中間の随神門からは樹齢400年の見事な杉並木が続く。途中から奥社まで凡そ500m程は急な登り坂の階段である。奥社は大変な参拝者で列をなしていた。

戸隠神社のHPによれば
  戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社である。平安時代末は修験道の
  道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と
  言われるほどに栄えた。
  明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至っている。
   奥社
    祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
    由緒・日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
   中社
    祭神:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
    由緒:素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。
   宝光社
    祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)
    由緒:杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めております。
       祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神として御神徳があります。
   九頭龍社
    祭神:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
    由緒:鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、
       虫歯の神、縁結の神として尊信されています。
   火之御子社
    祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
    由緒:承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。

今回は混雑や時間のこともあって奥社・九頭龍社の参詣にとどめ帰宅した。「火之御子社」は未だ参詣したことがないので何時か訪れたいと思っている。

        
          参 道 入 口                               参   道                          随神門(屋根に草が生い茂っている) 

   長野県天然記念物
       戸隠神社奥社社殿社叢 (昭和48年3月12日指定)
  慶長17年(1612)に幕府より千石の朱印地拝領した戸隠神社は、奥社を中心に忘を集め、参道には植樹して過ぎ並木を
 つくり一山の威容を整えた。随神門から500mにわたって、当時二植えられた約200本程のクマスギ之並木が続いている。
 また、周囲の森林(約51ヘクタール)を社叢として伐採を禁じたため、イチイなどの針葉樹やブナを交えた水ならハルニエ
 などを中心とする原始林的社叢として保存されてきた。さらに、日本海側の珍しい植物や南方系の両生類なども見られる。
 樹林に繁殖する小鳥もキビタキをはじめ約80種類を数え、日本有数の小鳥の繁殖地となったいる。                  
                                長野県教育委員会・長野市教育委員会
 杉並木の参道(随神門の先が杉並木)

 

        
       階段の参道(杉並木に続いて奥社まで)                     奥   社                         九頭龍社(奥社の隣にある)

 

長野びんずる祭

2017年08月09日 | イベント・祭り
8月5日(土)恒例の長野びんずる祭りが16時30分から21時まで開催され見に行って来た。会場は長野市街中心部「中央通り北・中央通り南・昭和通り・長野大通り」4か所参加連は凡そ260連程のようだ。実行委員会事務局のHPによれば、長野びんずる祭の歴史は第一回が昭和46年に始まり第15回は地附山の地滑り災害が発生し、多くの犠牲者がでたため中止し今回は47回だそうだ。びんずる祭には前夜祭と当日の昼の部があるとあった。前夜祭は「権堂お囃子保存会によるお囃子演舞・子供たちによるダンスパホーマンス・ 一般公募による浴衣の女王コンテスト」のイベントがあって、当日の昼の部は、「市内各町の子供神輿・伝統工芸体験イベント・長野夏祭り音頭・防災イベント」などがあるという。

前夜祭・当日の昼の部は、興味があるわけでもないし、当日の昼の部は気温30度ほどもある真夏の炎天下の中ではなおさら見に行く気にはなれず、夜のびんずる踊りを見に行っただけだった。現役時代勤務先の連で参加した記憶がある。多分昭和56(11回)・57年(12回)だったと思う。当時は前傾姿勢で腰を落として踊ったので足腰が痛く(日頃の運動不足)大変だった
思いがあり、今の踊とは一寸違う感じがする。子供連は何時から始まったか子供の踊は可愛いものである。 

夜の部には他に「善光寺石畳に門前の灯を設置、善光寺御本堂までの道しるべとし、びんずる祭りとは対照的で幽玄な世界を演出する門前の灯」と、びんずる踊りエリア内に
信州神輿保存会善睦による萬燈神輿などのイベントも開催されている。善光寺石畳の門前の灯へは疲れるので見に行かなかった。

その昔新潟に住んでいた当時の思い出に、8月始めの新潟祭の「民謡流し」がある。検索すると現在も盛大におこなわれている。駅前から万代橋を渡たり征谷小路まで、市のメイン通りを
各団体がそれぞれお揃いの浴衣で「佐渡おけさ・新潟甚句」を踊るのだが、整然と見事な踊で、踊って楽しく(職場の団体で参加した)見て楽しい民謡流しであった。
伝統のある民謡の踊と、時代に即した長野びんずるの踊と、比較すべきものではないが、新潟の民謡流しの思い出もあってか長野びんずるの踊は後期高齢者の私にはなじめない感じである。
 


        

        

 


長盛会旅行

2017年07月01日 | 神社・仏閣巡り

6月21~22日1泊2日老人クラブ「日詰長盛会」の春の研修旅行があった。何が研修なのか不可解ではあるが毎年のことなので気にしないことにしている。
日詰長盛会は会員126名内51名は85才以上で、殆どが後期高齢者全くの老人クラブである。今回は参加者31名(男性19名・女性13名)、午後長野を出発、夕刻諏訪市に到着
上諏訪温泉諏訪湖畔のホテルで1泊、翌日午前諏訪大社を参詣し昼食後帰途に着いた。
 
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社(上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮)で、信濃國一之宮・神位は正一位・全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされているという。諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がなく、代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝している。(諏訪大社HPによる)

諏訪大社には何回か参詣しているが、前宮は諏訪湖から離れた茅野市にあるため参詣したことが無く今回初めてであった。

*諏訪大社;当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。(この項wikipediaより)

  • 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
       上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場する。母は沼河比売(奴奈川姫)とされる。
       『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている。
  • 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
       上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。

  御柱;当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。 御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに
     配置される。 一之御柱 - 社殿右手前・二之御柱 -左手前・三之御柱 - 左奥・四之御柱 - 右奥

  御神体;本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイ神木、春宮はスギの神木を神体とし、拝殿からそれらを拝する。
      なお、前宮は古くは上社の摂社であった関係で本殿を有している。

 

*上社前宮
          
       上社前宮本殿                              前宮一之御柱                     前宮三之御柱
  
   名水「水眼」清流
 古くから”すいが”と呼ばれ、山中より湧出する清流は、前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔から御神水として大切にされ
 た。中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されてい
 る。この水眼の源流は、約1キロメートル程登った山中にあるが、昭和5年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、
 はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取りあげられている。
                                      昭和53年8月  安国寺史友会
 

*上社本宮
       
            上社本宮 拝殿                                                              本宮一之御柱                                               本宮四之御柱 山の中腹に見える

*下社 春宮

             
     下社春宮の拝殿 「中央;幣拝殿・左右;片拝殿」           春宮境内にある「結びの杉」                                    春宮一 之御柱

  
 「結びの杉」;先で二又に分かれているが根元は1つになっている事から「縁結びの杉」と呼ばれている。

 

 

          幣拝殿 
                               重要文化財
  この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので兵幣拝殿戸呼ばれている
  建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている
  棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より
  一年早い安永九年(1780)に落成した
  春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた

 

 

         左右片拝殿
                  国重要文化財
  片拝殿とよばれるこの建物は幣拝殿戸同じ安永9年(1780)地元の大工柴宮(伊藤)
  長左衛門により造営されたものである
  秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りになっている
 

 

 

 

*下社秋宮

           
                                 下社秋宮 「幣拝殿」                                      幣拝殿・左右片拝殿  と 天覧の白松「三つ葉松」(葉が3本) 
                                         

       幣拝殿
                 国重要文化財
   この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものである
   二重楼門造りと呼ばれ二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し
   全体に見事な彫刻が施されている
   諏訪高島藩の命により安永十年(1781)に初代(立川流)
   棟梁立川和四郎宮棟によって造営された
 

 


            左右片拝殿
                   国重要文化財
    安永十年(1782)初代立川和四郎宮棟により造営された
    幣拝殿に比べ彫刻などは見られず江戸時代の記録には
    幣拝殿は帝屋(御門戸屋)片拝殿は回廊と記されている

   
 

          
         秋宮一之御柱                   境内にある「寝入りの杉」

  寝入りの杉;子の杉の木は樹齢凡そ六~七百年で丑三っ時になると杖先を下げて寝入りいびきが聞こえ子供に木の小枝を煎じて飲ませると
       夜泣きが止まるといわれている

 

     


伊勢神宮参詣と英虞湾クルーズ 

2017年06月27日 | 旅行

東京に嫁いだ次女が6月13日から一週間の休暇で帰省するので、長女も誘い久しぶりの家族一同での旅行を思い立った。娘2人共伊勢神宮に参詣した事はないというので、ツアー企画を検索したところ、時々利用している長野トラベルに「海鮮浜焼き伊勢・志摩」1泊2日というツアーがあった。以前平成22年妻と2人で伊勢神宮に参詣したことはあるが、平成25年62回目の式年遷宮祭が行われて以来参詣していないので、このツアーに行くことにした。。 
 
日程
  1日目   長野ーーー伊勢神宮・外宮ーーー伊勢神宮内宮・おかげ横丁・おはらい横丁散策ーーー二見浦(夫婦岩・輿玉神社)ーーー鳥羽浦泊(戸田家)
  2日目   戸田家ーーー鳥羽展望台ーーー賢島 英虞湾クルージングーーー志摩・海女小屋で海鮮浜焼きの昼食ーーー長野

[1日目]
  以前平成22年参詣の際は、大変な混雑で外宮から内宮迄5キロ足らずの道程に観光バスが50分もかかった。内宮正宮は身動きが取れない程の混雑で階段の下で手を合わせた
  記憶がある。今回は駐車場もすいており混雑はなく幸いだった

以下の伊勢神宮に関する説明文は伊勢神宮HPによる。
  式年遷宮;伊勢神宮神宮には内宮にも外宮にもそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、式年遷宮は20年に一度宮地(みやどころ)を改め、古例のままにご社殿やご神宝を
      はじめ全てを新しくして、大御神に神殿へお遷りいただく神宮最大のお祭り。
      1300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮は、20年に一度造り替えられる常に瑞々しいご社殿で、永遠に変わらないお祭りが行われることに大きな意義がある。 
      平成25年には62回目が古式のままに行われた。 

*伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)
     豊受大神宮をお祀りしている。豊受大神宮は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されている。

        
        入 口 鳥 居                                          正 宮                           正 宮;右側に同じ大きさの遷宮用の敷地があった

        
       別宮;土 宮                                   別宮;多 賀 宮                                                            別宮;風 宮

 ←せんぐう館
  まがたまの池のほとりにある博物館。外宮正殿の原寸大模型の展示など伊勢神宮を知るきっかけの場所。

 NHK総合「 ぶらタモリ」で紹介され是非見学したいと思っていたが、散策時間たったの40分で如何せん時間が無く
 見学できず誠に残念だった。

 

 

 

*内宮(皇大神宮)
 およそ2000年まえ、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮は皇室のご先祖であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りしてい
 る。内宮の入口である宇治橋を渡り、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むとそこは神域。「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がる。

          
                     宇 治 橋                                  神   苑                              鳥    居                                    

        
       五十鈴川の手洗い場                            正宮 皇大神宮

        
     お神札ふだ授与所ご祈祷受付所、                                                    御  饌  殿                             神  楽  殿      
                                                                
        
      大山秖神社と奥に子安神社                            御   廐                            御廐の中に掲げられていた 

境内には 洗祭宮-月読宮-瀧原宮・伊雑宮・風日祈宮・倭姫宮の別宮があるが、家族で回るのは体調など無理なので取り止めた。

 *おはらい横丁とおかげ横丁
  内宮参詣者の定番散策道で前回は散策できなかったが時間があったので今回散策、年寄りにはあまり興味がない。
 
       
          おはらい横丁                                おかげ横丁

内宮駐車場を3時半頃出発二見浦に向かう。

*二見浦(説明文は観光協会のHPによる)
  夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られいる。。
  夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされていいる。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に 
    16m、女岩に10m張られていて、その間は9mある。 
   二見興玉神社
(ふたみおきたまじんじゃ)は、沖合約700m先700mのかいちゅうに沈む、祭神・猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)を拝する神社である。
  猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。
    龍宮社は二見興玉神社の境内社で東参道に入った所に位置する、海の守り神・綿津見大神(わたつみのおおかみ)を御祭神とする神社。 

       
            二見置興玉神社                                 夫 婦 岩                                     龍 宮 社 

  二見参詣の後鳥羽の宿「戸田家」に向かい1泊する。

[2日目]
 富田家を8時半出発最初の見学地「鳥羽展望台」に向かう。

*鳥羽展望台
  鳥羽市パールロードの沿線の箱田山の山頂にあるパールロード随一の眺望展望台。

                
            展 望 台                                      展望台レストラン横の植木                         鳥羽市出身の鳥羽一郎・山川豊兄弟の楽曲「兄弟酒」の歌詞刻まれたの形の石碑      

  *英虞湾クルーズ
  リアス式海岸として有名であり、真珠養殖も盛んで奈良時代から阿古屋貝から採れる真珠を出荷していた。明治時代半ばに阿古屋貝による真円真珠の養殖技術が確立
  されると、真珠養殖発祥の地としても知られるようになり、昭和初期には「真珠湾」とも呼ばれた。第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が英虞湾の賢島で
  開催されている。(wikupedia百科事典より)
  英虞湾クルーズは賢島を起点とする賢島エスパーニャクルーズで、所要時間約50分途中真珠モデル工場を見学する。

             
            帆船型遊覧船「エスペランサ」                                    遊覧船から御木本真珠島  

  
      

 英虞湾の帰途、志摩市観光協会の海女小屋体験施設 「さとうみ庵」で昼食、
 
 海女小屋は、海女さんが漁で疲れた体を休めたり、火を焚いて体を温めたりする場所。
 小屋の中央に配した火場(囲炉裏)を囲み、暖を取り、食事をしたり、雑談をして楽しく過ごす。
 この小屋での昼食メニュウは、
 「ぶりぶり桧扇貝(2箇)・採れたてサザエ(2個)・新鮮スルメイカ(1杯)・漁師町の干物・青さの味噌汁ひじきの釜飯」
 である。海女さんの話を聞きながら美味しく頂いた。現在海女は30名程で男性が3人いるそうだ。

 

昼食後一路帰途に着き長野へ20時過ぎに帰った。

 

 

 

 

 

 

 


長野市保存樹木

2017年05月27日 | 名勝巡り

昨年稲葉日詰区の広報誌で区内住宅の庭園の案内があった。その中に保存樹木に指定されている松がある庭園があった。直ぐ近くだが通りに面していな住宅なので
今まで気が付かなかった。庭園・庭木・盆栽には疎いが見事な赤松であった。
以前、長野市公園緑地課主催の市内保存樹(古樹)巡りに参加した記憶がある。ブログを見たら2012年9月29日に、「若里の市村神社」「中条日下野字臥雲の三本杉」
「中条日下野字天神平の杉」の三ヶ所を古樹巡りしたものだった。

注;長野市指定保存樹木・樹林(長野市Hpにより)
   地域のシンボルとなる樹木は、都市の美観風致の維持を目的として、保存樹木および保存樹林として指定し、市民共通の財産として保全します。
        保存樹木、保存樹林を保護するため、病害虫の防除や枯損の防止などの維持管理経費の一部を補助します。
    保存樹木 104 ヶ所 保存樹林  58 ヶ所

日詰区内にあった保存樹
   *塚田邸庭園の赤松

         

         
               

*芹田下神社のケヤキ(芹田下神社は日詰区の鎮守社、芹田上神社は稲葉中千田にある)

                       
                      芹田下神社  鳥居左右に保存樹木がある

                      
                                   鳥 居 の 右 側 の 保 存 樹 木

                       
                鳥 居 左 側 の 保 存 樹 木

 


昼神温泉・花桃の里

2017年05月10日 | イベント・祭り

GWの終わりの6日、日帰りのバスツアーで長野県下伊那郡阿智村の花桃を見に行って来た。GWで東京ん嫁いでいる娘2人も帰郷しており4人ツアーに申し込んでおいた。7時10分長野駅を
出発参加者19にだった。天気予報は午後には雨になそうで気がかりだ。花桃の開花情報によると昼神や清内路方面R256沿いの花桃街道は満開が過ぎ、散っているようだが、園原方面の
花桃の里は未だ咲いているようだった。高速中央道飯田山本ICを降り一般道を阿智村へ向かい、昼神温泉を左手に過ぎ、花桃の里花桃祭の会場横の駐車場に到着、降りた途端小雨が降り出したがすぐに止みほっとした。花桃祭の会場に入ると付近の満開の花桃が目に入った。会場は賑わい混雑していた。
付近を2時間程散策する。赤・ピンク・白の花桃が満開で綺麗で見ごたえがあった。

         

        

        
    

 花桃を満喫し昼神温泉「湯本ホテル 阿智川」へ向かい12時前到着、ゆっくり昼食を摂り入浴する。ホテルに綺麗な庭園があった

         
                         湯 本 ホ テ ル 阿 智 川 の 庭 園                                      ホテルの洞窟温泉(左が洞窟入口)

 
        洞窟温泉にあった「昼神温泉の由来」(右上の写真の右手)
  昼神郷湯の瀬の洞(現在地)には昔から旅人や近郷の里人で賑わうひなびた湯屋があり戦国時代には武田信玄の隠し湯もあったと
 伝えられていたが、明治20年代梅雨明けの豪雨による大崩落のため湯屋も埋没忘れ去られていました。ところが、昭和48年JR中津川線
 トンネル工事のための地質調査のボーリングの際、偶然にも温泉が湧出し再び昼神温泉として蘇えりました。その記念すべき湯元が、
 当館露天風呂上の洞窟内にあり170米奥からナトリウム硫黄泉がとうとうと湧出し、尽きることがありません。昼神温泉は色白の肌、
 美人作りの湯として、神経痛・リュウマチ・糖尿病等諸疾患に大変能く効く名泉として定評があります。県下随一の露天風呂、洞窟風呂に
 ゆっくり浸り、庭園からの湯の洞山に続く大自然を眺め、野趣溢れる温泉情緒を存分に満喫下さいませ。

 

昼食入浴後14時昼神温泉を出発16時過ぎ長野駅ユメリア駐車場に帰った。雨模様の天気予報も外れ、幸いにも「花もも」も満開でよい旅だった。

 


GW善光寺表参道イベント

2017年05月10日 | イベント・祭り

長野市中央通で5月3から6日にかけて、イベントがあった。その中で3~5日の「ながの花フェスタ2017」、4日の「ながの獅子舞フェステバル」5日の「仏都花まつり」を見に行って来た。
他にも「ナガノコレクション2017」・「表参道芸術音楽祭」・「NAGANO善光寺よさこい」があったが余裕がなく見なかった。

*ながの獅子舞フェステバル
  伝統芸能の継承を狙いに長野市が初めて開く、市内各地の獅子舞・神楽の保存会68団体が中央通りで演武するものだ。保存会の中には市指定無形民俗文化財に指定されているものが
  3保存会・市選択無形民俗文化財に指定されているものが2保存会があるという。中でも驚いたのは、私の生まれ故郷千曲市桑原の隣の集落千曲市八幡中原(銘酒「姨捨正宗」の蔵元
  長野銘蔵の所在地)から伝承を受けた中原流太々神楽囃子(新町地区信級)・中原神楽系(篠ノ井地区作見)があったことだ。子供の頃、故郷桑原村神社の祭りに中原の神楽が奉納
  された思い出があって懐かしかった。

                               
        信州新町無形文化財 信級太々神楽囃子                   信級中原流太々神楽囃子保存会                     権堂お囃子保存会・権堂獅子連出品の巨大な獅子     

        
                                        地元長野市稲葉日詰の 日 詰 神 楽 保 存 会 の 演 武

 *「ながの花フェスタ2017」
  16回目を迎える花の祭典で、チュウリップの花びらなどで路上に絵を描く「花キャンパス」や、花苗ポットで絵を描くタべストリーガーデンなどがあった。

             
                                   中央通り新田町~大門町にある花苗ポットで絵を描いたタベストリーガーデン


            
                                                  ダ ベ ス ト リ ー ガ ー デ ン

 

           
                                        チ ュ ウ リ ッ プ の 花 び ら で 路 上 に 絵 を 描 い た  「花キャンパス」

             
                                         チ ュ ウ リ ッ プ の 花 び ら で 路 上 に 絵 を 描 い た  「花キャンパス」

 *仏都花まつり
  釈迦の誕生を祝う灌仏会の催しで95回目だそうだ。中央通りの駒沢大学ブラスバンドとボーイスカウトの鼓笛隊のパレード、本願寺長野別院からの稚児行列があった。
  山門前で甘茶かけや法要(灌仏会の行事の一つのようだ)があったそうだが、これは見れなかった。

                            
                                                   中 央 通 り を パ レ ー ド す る 駒 沢 大 学 ブ ラ ス バ ン ド


                
                                                          ガ ー ル ス カ ウ ト パ レ ー ド

                  
                                                                 稚  児  行  列