後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

信玄の里&神代桜・真原桜並木

2018年04月19日 | 日帰りツアー名勝巡り

4月9日日帰りツアーで信玄の里・山高神代桜・真原桜並木へ行って来た。

  行程: 長野駅――ー信玄の里ーーー信玄館(昼食)ーーーモンデ酒造見学ーーー真原桜並木ーーー実相寺(山高神代桜)

企画は大阪の(株)STEPトラベル、バスは高山村の「わらび野観光バス会社、バスガイドは「バスガイド派遣会社」のガイドだった。バスガイドの派遣会社があるとは全く知らず、認識不足で驚いた。ある会社の特別企画なので全員が長野駅で乗車、一路山梨県に向かい9時過ぎ石和町の「信玄の里」に到着した。到着して以前訪れるたことを思い出した。宝石庭園であった。

*信玄の里―宝石庭園
   宝石で埋め尽くされた日本庭園の他、水晶研磨 伝承館があり売店では高価な宝石のネックレス・イヤリングなどが展示展示されていた。
   
  信玄の里のHPによると、「
山梨県北部に位置する御岳昇仙峡の奥地金峰山で水晶の原石が発見されたことが、甲府での水晶細工の起源といわれ、江戸時代に京都より職人が
  呼ばれ金剛砂を用いて鐡板上で水晶を磨く事を伝えたとされている。水晶製品は山梨の特産品として日本中に認知されるようになり、その技術を基にして山梨は日本一の
  宝飾の町に発展した。水晶研磨 伝承館では歴史の一部が紹介されている。」とあった。

 
  
            

        
                                 宝 石 で 埋 め 尽 く さ れ た 日 本 庭 園

* 信玄館
  信玄館は恵林寺の前にある土産品と食堂である。恵林寺に参詣に行く方のマイカーや観光バスの駐車場でもある。恵林寺は既に2回ほど参詣したことがあり、当初ツアーの
  案内では信玄館で昼食とあったが、まさか恵林寺の前の会館とは知らなかった。恵林寺の参詣はツアーのコースに含まれていないので、昼食時間も少なく、昼食後足早に
  恵林寺を参詣した。

  ○恵林寺:山号は乾徳山(けんとくさん)。臨済宗妙心寺派に属する寺院である。本尊は釈迦如来、開祖夢窓疎石で甲斐武田氏の菩提寺として知られる。
       庭園は名勝に指定されている。      

         
             山  門                                 開 山 堂                          禅寺のなかでもめずらしい、日本有数の大庫裡

 *昼食後ワインの製造工程をモンデ酒造で見学、美味しいワインを試飲する。酒好きの私には堪えられない。

見学後真原桜並木・山高時代桜に向かう。
数年前に山高神代桜を身に行ったがその時は桜の開花が遅れており未だ蕾の状態だった。今回申込み時点2月下旬では、今年の桜の開花は相当早いようだった。予想通り 神代桜は
既に散っており、真原桜並木も満開の峠は過ぎていた。真原桜並木は初めてだったので楽しめた。

*真原桜並木
 真岡の桜並木は今まで知らなかった。今回初めてである。武川町の眞原(さねはら)地区に広がる牧草地の道路脇の桜並木で、約750mもの桜のトンネルが伸びているという。
 
昭和20年代に入植してきた人達が土地の発展を願い、昭和40年代にソメイヨシノを植樹したのが始まりだそうだ。 

        


        

 *山高神代桜
  山高神代桜(じんだいざくら)は武川町の実相寺境内にそびえる、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ 日本三大桜の一つです。推定樹齢1,800年とも2,000年とも
  言われるエドヒガンザクラ
樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、日本で最古・最大級の巨木として、大正時代に国指定天然記念物第1号となったという。
  また、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されているそうだ。

        
        実相寺本堂                                          実 
装 寺 の 黒 松                  

         
 山高神代ザクラ;樹齢2,000年ともいわれるエドヒガン桜の古木;樹高約10m:根元周約11m枝はり東西約17m南北約13m       境内に未だあった花の残った桜

          
      日本の名勝の桜の苗木が移植されている                     左の写真左手前の淡墨桜の小櫻ーーー奥が山高神代桜の小櫻

               
     山形県長井市の久保桜の子桜                  岐阜県高山市の臥竜桜の小桜                福島県三春町の三春の滝桜の小桜     

 


典厩寺の桜

2018年04月07日 | 名勝旧跡巡り

3日発行の ながのライフを楽しむ観光・イベント情報春号 「お出掛け通信ながの」に、典厩寺の桜が載っていた。長野の桜といえば城山公園・松代城跡・光林寺・素桜神社の神代桜・塩生の巡礼桜 は知っていたが、典厩寺の桜は今回のパンフレットで始めて知った。長野市の桜を検索してみたら、他にも 篠ノ井茶臼山の桜並木・大岡の天宗寺の合唱桜・鬼無里高橋のしだれ桜 と知らない桜の名勝があった。長野市に50年近く在住していながら、未だお訪れたことの無い桜の名勝があることに驚いた。

Wikipediaによれば典厩寺は「長野市篠ノ井杵淵にある曹洞宗寺院である。山号は松操山(しょうぞうさん)。川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓がある。かつては瑠璃光山鶴巣寺と号して薬師如来を本尊としていた。561年(永禄4年)の川中島の戦いで、武田信玄の弟・武田信繁が当地八幡原で討死したことに因み、合戦から60年後、
松代藩主真田信之が信繁の官職「左馬助(さまのすけ)」の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改
めて菩提を弔った」とある。

      
            典厩寺入口                               典厩寺本堂                            武田信繁の墓

       武田典厩信繁 公信玄の実弟)の墓(長野市篠ノ井杵淵)
                                       G
rave of Nobushige Tennkyu Takeda

   武田典厩信繁は、大永5年(1525)、父武田信虎と母大井夫人のあいだに次男として生まれた。 信虎は文武両道に優れる
  信繁に家督を譲ろうと考えていたが、天分10年(1541)、信玄により駿河に追放されると、信繁は武田家副将として、
 信玄の領国支配、軍事行動を補佐した。信繁は嫡男信豊に家臣団の倫理規定ともいえる99ヶ条からなる「武田信繁家訓」を
 与えている。これは江戸時代に武士のこころ構えとして広く読まれていた。 信繁は永禄4年(1561)9月10日の第4回
 川中島合戦で信玄本陣を守り壮絶な死を遂げた。その遺骸は鶴巣寺に埋葬され、典厩塚とよばれた。享年37歳。
 その死は「惜しみても尚惜しむべし」と評され、敵の上杉謙信からも、文武両道に優れた名勝としてその死を惜しまれたと
 いう。 その後、鶴巣寺は真田信之の命により典厩寺と改められた。信繁公の墓碩には「正操院殿鶴山巣月大居士」と刻まれ
 ている。                                           「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会                                                              


*境内の桜 住職によると樹齢200年という

     

    

 

 

 


童謡詩人金子みすゞの童謡詩

2018年03月31日 | 演奏会

3月18日長野市芸術館リサイタルホールで,声楽家で作曲家の山崎浩(現清泉女学院短期大学教授)氏作曲の金子みすゞ童謡と、本人作詞作曲作品の演奏会があった。
出演者は山崎浩氏本人、並びに声楽家の沼田秀美(ソプラノ)・上村まり子(メゾソプラノ)で、上村まり子は長野市童謡と唱歌を愛する会の長野市芹田支部の指導にも当たっている。
妻がその会に参加しており入場券を頂いたが事情があって行けず、折角頂いた入場券なので替わりに聴きに行った。前半は金子みすゞの童謡詩13曲,
後半は山崎浩作詞作曲の6曲だが、後半は所要があっては失礼した。

恥ずかしいいことであるが金子みすゞという童謡詩人については全く知らなかった。今回の演奏会の資料によれば、金子みすゞは明治36年の生まれで20歳ごろから童謡雑誌に
投稿を始め、結婚相手によって詩作の道を絶たれ離婚、最愛の1人娘を連れ去ろうというかっての夫に、自らの死を以て抗議し、26才のわかさで死を選んだ。
 みすゞが命がけで遺した詩集(手書きの手帳)は、死後52年をへた1,982(昭和57)年児童文学者矢崎節夫氏によって奇跡的に全作品512編が発見され、翌々年全集が出版さた。
すぐに多くの作曲家やシンガーソングライターらが作曲するようになり、1編の詩にたくさんのメロディーが存在するという事態になった。これは普通にはあまり例のないことで、例えば
北原白秋の「砂山」に山田耕筰と中山晋平が作曲れがいくつか知られているだけだ。もっともゲーテの{野ばら」には100曲近い曲があるそうだ。山崎浩氏も現在みすゞ作品
には66編作曲曲しているという。

今回みすゞ作品13曲の詩の中でも「お仏壇」は、生家での昔の仕来たり、子供の頃の家庭を思い出させる詩である。

*お仏壇 
    お背戸でもいだ橙(だいだい)も、      だけど、やさしい仏さま、        家にゃお庭はないけれど、            そしてやさしい佛さま 、     
    町のみやげの花菓子も 、          ぢきにみんなに下さるの。       お仏壇にはいつだって、             それも私にくださるの。    
    佛さまのをあげなけりゃ、          だから私はていねいに、          きれいな花が咲いてひるの。           だけどこぼれた花びらを、  
    私たちにはとれないの。           両手かさねていただくの。         それでうちの中あかるいの。           踏んだりしてはいけないの。 
    
    朝と晩とにおばあさま、            朝と晩とに忘れずに、           忘れていても、佛さま、           黄金の御殿 ようだけど、
     いつも燈明(あかり) をあげるのよ。     私もお禮(れい)をあげるのよ。     いつもみていてくださるの。         これは、ちいさな御門なの。   
    なかはすっかり黄金(きん)だから、     そしてそのとき思うのよ、         だから、私はそういうの、         いつも 私がいい子なら、     
    御殿のように、かがやくの。           いちんち忘れていたことを。       「ありがと、ありがと 、佛さま。」       いつか 通ってゆけるのよ。

 


ながの灯明まつり

2018年02月12日 | イベント・祭り

2月9日長野灯明まつりを見に行く、昨年も見に行ったが記憶が薄れている。長野灯明まつりは1998年の長野オリンピック開催を記念し、2004年から始まった祭りだそうだ。今年は第十五回を迎えることになる。「ゆめ常夜灯」は善光寺が五輪カラーにちなみ五色でライトアップされ、「ゆめ灯り絵展」は善光寺表参道に企業や小学校の作品が展示されている。長野駅東口広場にも昨年14回「ゆめ灯り絵展大賞」を受賞した「長坂みず穂女史」の作品・千曲市在住の切り絵師 「風間由香里女史」の作品・ 長野市在住の切り絵作家「柳沢京子女史」の作品が展示されていた。

        
           仁 王 門                                  三  門                                鐘  楼

*5色の善光寺

        

      

 

        
              経  蔵                                         白色光でライトアップされた「濡れ仏」と六地蔵

      
      表参道の ゆめ灯り絵展                   長野駅東口広場の「ゆめ灯り絵」左からの 長坂みずほ穂女史の[四季折々」・
                                         風間由香里女史の「コスモス」・柳沢京子女史の「自身・雷・加持・おやじ」      

 

 

 


12月の日記

2018年02月01日 | 旅行

12月1日(土)晴れ
 今日から1週間ピロリ菌の除菌剤抗生物質投与を1週間行う。朝夕食事後飲む。7日まで1週間禁酒である。

7日(金)
 ピロリ菌除菌地王薬最後の日禁酒の期間最後の日だ。

8日(土)
 午前40分散歩。久しぶりに晩酌が出来た。

9日(日)晴れ
 10時からのヨーガに行く。

10日(月)晴れ
 10時からの太極拳に行く。2回先生の都合で休みだったので久しぶり。

11日(火)
 13時20分市川クリニックへ診察に行く。

12日(水)曇り

13日(木)晴れ
 午前高田整形外科へ診察・リハビリに行く。後貞子の買い物でヨーガは休んだ。

14日(金)晴れ
 1尾0時過ぎ貞子を唱歌に卓球に送る。帰り伊藤耳鼻科で診察。甲状腺血液検査の結果異常が解り午後3時市川クリニックへ診察に行く、その足でかめいわペインクリニック
 へ行く。

15日(土)

16日(日)
  10時からのヨーガに行く。ほんねん最後の日。

17日(月)
  10時からの太極拳に行く。16時池田眼科へ診察に行く。

18日(火)

19日(水)

20日(木)
 10時高田整形へ診察に行く。老人生坐骨神経痛と言われる。

21日(金)曇り
 14時かめいわペインクリニックへ行く。

22日(土)曇
 10時高田整形へリハビリに行く。夕方善光寺・表参道のイルミネーションを見に行く。その際大本願西側の酒倉西の門の駐車場を利用、正月用西の門之酒を購入する。

23日(日)祝日「天皇誕生日」 晴れ
 平成の天皇誕生日は今回最後である。貞子を今年最後の「童謡と唱歌の会」へ送迎する。

24日(月)振替休日 晴れ
 午後40分散歩。ついでにコメリでカミソリ・シュミテクト購入する。

25日(火)晴れ
  夕方貞子の西友買い物の際、高木で酒2升・正月用ワイン購入する。

26日(水)晴れ
 10時山本床屋に行く。そのまま東急へ珈琲を買いに行く。16時かめいわペインクリニックへ右ひざの注射に行く。

27日(木)曇り
 午前中庭木の冬こしらえをやる。白いビニールの紐が醜いので黒っぽい柔らかい金属針かねを使う。ヨーガに行くのを忘れる。

28日(金)曇り時々雪
 10時高田整形へ診察&リハビリに行く。

29日(土)曇時々雪
 コメリでAー4ファイルを買う。1冊のばら売りなく10冊包みを購入する。

30日(日)早朝晴れ後曇り時々小雪
 しめ飾りを玄関に飾る。14時48分のあさまで裕子帰省が東北・新潟・北陸各新幹線が遅れ裕子の迎えも中止、1時間半遅れ15時過ぎ帰京する。

31日(月)晴れ
  朝から居間のパソコンに位置変更などを行う。15時過ぎまでかかる。色々あったが今年も無事終わる。


11月の日記

2018年02月01日 | 旅行

11月1日(水)晴れ 
 午前シュウマートへ靴を買いに行く。 14時45分からのヨーガに行く。午後「花岡」タンクに灯油を入れに来る。

2日(金)晴れ
 貞子を卓球に送迎する。15時40分程散歩。途中コメリでプラグ2個購入する。

3日(土)祝日(文化の日)晴れ
 10時散歩1時間、途中コメリで接着テープ購入する。

4日(日)晴れ後曇り
 10時からのヨーガに行く。夕方西友買い物(貞子)のついでに高木酒店で酒2升購入する。

5日(月)晴れ
 10時からの太極拳に行く。次期申込みを行う。

6日(火)雨後曇り
 9時15分からの健康体操に行く。11時高田整形へ行く。九州・富美・裕子と自家用に林檎を牟礼林檎農協へ注文する。

7日(水)晴れ
 10時予約の日赤循環器科へ診察に行く。

8日(火)雲り
 9時15分からのシルバー健康体操に行く。帰り高田整形でリハビリ。

8日(木)晴後曇
 8時30分芦沢医院へ胃の検査に行く、11時までかかる。慢性胃炎だが治療の必要なしとの事。15日の大腸検査の説明を受ける。2時45分からのヨーガに行く。
 帰り高田整形でリハビリ、5時半帰宅。

9日(金)雨後曇り
 14時予約の「かめいわペインクリニック」へ行く。

10日(土)晴れ
 午後1時間散歩する。

11日(日)晴れ後曇
 10時からのヨーガに行く。午後2階のクーラ-外冷却器の日除け破損しているので修理する。

12日(月)曇り
 10時からのヨーガに行く。15時たかだせいけいへリハンビリに行く。

13日(火)曇り
 9時15分からのシルバー体操に行く。14時西友への貞子の買い物のついでにアメリカンで「シュミテクト(90g)」を購入する。
 16時予約の市川クリニックへ診察に行く。

14日(水)曇り後晴れ 
 今日1日明日の大腸検査の為食事制限。20時・22時下剤服用。就寝からあさ6時まで5回の排便。
 午後綿内「清水寺」へ紅葉を見に行く。観光客が多かった。清水寺から奥のしゃかどうまで歩いて登った、40分くらいかかったか旧坂の階段で疲れた。帰りは車道を下った。

15日(木)晴れ
 7時から下剤2時間で2L飲む。その後10時に下剤呑む。排便回数7時までに5回、11時までに8回、13時15分に芦澤医院に大腸内視鏡検査に行く。2時から3時頃まで検査
 4時半結果の説明を受ける。ポリーブ3個悪性ではないとの事。切除したポリーブを検査に出し結果は10日後。ピロリ菌もようせいで次回薬を称するとのこと。
 5時帰宅。

16日(金)晴れ
 10時貞子を卓球に送迎、その間高田整形でリハビリ。午後梅ノ木と槿の枝を切る。裏側の すだれ・日除けを撤去する。

17日(土)晴れ
 11時1時間散歩する。

18日(日)晴れ
 10時かrのヨーガに行く。

19日(月)曇り
 10時からの太極拳に行く。

20日(火)晴れ
 9時15分からのシルバー健康体操に行く。来期のシルバー健康体操を申し込む。

21日(水)晴れ
 10時山本床屋に行く。午前大豆島JA SSガソリン22L入れる。午後貞子を手話ダンスに送迎する。

22日(水)晴れ夕方小雨後曇
 10時半1時間散歩する。午後みどりのマツモトキヨシ薬局で口呼吸防止テープ・東急デパ地下で酒井豊君への快気祝いの焼酎(熊本県知事章受賞)を購入する。
 ヨーガに行くのを忘れる。82銀行で5万円おろす。夕方酒1本高木で購入する。

23日(金)祝日(勤労感謝の日)晴れ時々曇り
 11時35分着の「はくたか」で富美帰省する。そのまま如月蕎麦屋で昼食。

24日(土)晴れ
 10時久しぶり大室温泉へ富美と3人で行く。夕方4~50分散歩する。

25日(日)晴れ
 貞子を唱歌に送迎。10時からのヨーガに行く。午後囲碁大会・忘年会。

26日(月)晴れ後曇
  7時芦沢医院へ早朝予約に行く。8時40分芦沢医院へ診察に行く。大腸ポリーブは癌の恐れないそうだ。ピロリ菌血液検査(胃カメラ検査の際採血)で除菌が必要で、
  今回除菌の薬処方される。1週間禁酒で時期を決めて飲む必要があるという。12月1日からに決める。
  午後鈴木泌尿器科で診察、尿検査での潜血は暴行前立腺に癌などの兆候もなく問題ないとの事。排尿が良くないので薬を2か月分もらう。

27日(火)晴れ
 9時15分からのシルバー健康体操に行く。今期最後の体操である。帰りユウパックで富美に食品を送る。

28日(水)曇り
 チョコトリップへ明日の光明寺日帰りツアー申し込む。東急ライフへ腕時計電池交換(2個)に行く。らいふになかで酒2本・おやき5個購入する。帰り綿半で猫寄せ付けない
 薬2種類購入する。野沢のとみき漬物へ野沢菜漬申し込む。

29日(木)晴れ
 チョコtリップのツアーで長岡京市の光明寺と京都清水寺へ行って来た。そうちょう6時10分出発10半帰宅した。詳細はブロッグで、帰り梓川SAでのトイレ休憩で突然
 右足府kらはぎ激痛が走り、歩行が大変となった。

30日(金)晴れ
 貞子を卓球に送迎、その際高田整形で右足を診察単なる疲れ都診断され、足の疲れをとるリハビリを行う、脊椎管狭窄症之リハビリに追加した。
 午後2時かめいわペインプリニックで坐骨神経痛の治療に加えて右足膝のヒアロンサンを注射する。

 

 

 


平成30年善光寺初参詣

2018年01月02日 | 神社仏閣参詣

暮れに東京の次女が帰省していたので、2日2人で善光寺へ参詣に行く。今年は昨年より参詣者少し少ないようだった。本堂へは1回待ちで外陣に入り、
参拝出来た。
大観進の護摩堂は,拝殿狭く参拝者列をなし混雑していた。久しぶりに大本願も参拝する。

        
             仁 王 門                三  門                  本  堂                                  


談山神社と室生寺旅行 其の二

2017年12月20日 | 神社・仏閣巡り

2日目8時半ホテルを出発、「なら和み館」で買い物休憩、、「なら和み館」の前の道路の向かい側に庭園があった、、バスガイドに聞いたが知らないというので見に行く。旧大乗院庭園で名勝だと看板があった

       
      旧大乗院庭園案内図                                                            庭園案内図の下側から望む  

「なら和み館」を9時出発談山神社に向かう。談山神社は奈良市の南桜井氏
市と明日香村の境付近の山手にある神社で、所在地は奈良県桜井市多武峰319で
 ある。10半頃到着50分程見学した。3,000本のかえでで紅葉が圧巻というが残念ながら時期が遅く色あせていた。

 *談山神社
  談山神社(たんざんじんじゃ)は、Wikipediaや談山神社HP等によれば、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山
  大明神・談山権現)。紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)である。
  
大和七福八宝めぐり(三輪明神長谷寺、信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられている。
  
藤原鎌足の長男定慧和尚が父の遺骨の一部を多武峰に会葬し、十三重塔、講堂を建立し妙楽寺と称したさらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を
  建て、鎌足の神像を安置した。
これが談山神社の創設である。建造物が多く拙社、末社併せて八社ある。

    摂社:東殿(恋神社)
      末社:惣杜・神明神社杉山神社山神神社・比叡神社・稲荷神社・龗神社
                注  : 本社に付属する関係深い社を摂社,それにつぐ小社が末社
  重要文化財
 も多数あるというが、社殿が多く案内人がいないので、境内案内図頼りだが時間の関係もあり、中々か確認出来なかった。
    需要文化財
         
十三重塔 権殿・本殿・拝殿・東透廊・西透廊・楼門・東宝庫・西宝庫・摂社東殿・神廟拝所・閼伽井屋・
     
末社惣杜本殿・末社惣社拝殿・末社比叡神社本殿・摩尼輪塔

     〇十三重塔
       室町時代 享禄五年 1532年再建、桧皮葺、高さ16.17m
       屋根は桧皮葺で初層のみが特に大きく二層以上は軸部が低い。現存する唯一の木造十三重塔 だという。
  

        
                                             談 山 神 社 入 口                                                右:神廟 正面;権殿:右奥十三重塔                           

                                           
        末社・惣社拝殿                                                         末社・比叡神社社 本殿                                                    十三重の塔                                        
            
                          桜門                          本殿                                                                摂社東殿(恋神社)

                                                                                                                                   境 内 の 未 だ 見 頃 の 紅 葉

*室生寺
  室生寺には11時半過ぎ到着1時間程見学する。ここは2度目で記憶も定かではなかったが、シャクナゲと奥の院までの長い階段で昔の参詣を思い出さ
  せてくれた。

  室生寺は真言宗総本山室生寺派大本山で「女人高野」の名で知られている。高野山が女人禁制なのに、古くから女性に開放された名刹である。
  山号は「室生山」の文字を略した「宀一山(ベンイチサン)」と号するそうだ。開基(創立者)賢憬(賢璟)、本尊釈迦如来である。奈良盆地
  東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の
  建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。

   前回は奥の院御影堂を参詣したが、今回年相応の体力か、最後の階段50~60段程残して無理をせず体大事と引き返した。

        
        室生寺入口太鼓橋              室生寺表門                   仁王門                 

                
    鎧坂(本堂への階段)          国法 金 堂                   国法 本堂(灌頂堂)                   

         
              国法 五重塔                 奥の院 常燈堂(位牌堂)      参道の紅葉&シャクナゲ            

   五重塔は日本で最も小さく高さ16・1mだという。それがけっして小さく見えないのは急な石段のせりあがりにあるそうだ。

参詣後13時頃室生寺を出発、途中名阪国道脇の道の駅「榛テラス」で昼食、帰途に着き長野駅に21時頃到着した。
        





 

 

 


談山神社と室生寺旅行 其の一

2017年12月09日 | イベント・祭り

11月30~12月1日オークツアの旅行(1泊2日)に行って来た。参加者は1人での参加は私が1人、夫婦・家族連れや女性2~4人のグループで合計49名であった。

  日程
  1日目: 長野駅東口ーーー途中名神高速草津SAで昼食――春日公園(東大寺・2月堂)ーーー唐招提寺ーーーホテル
  2日目: ホテルーーー談山神社ーーー室生寺ーーー名阪国道(国道25号)・道の駅「針テラス」で昼食ーーー長野駅東口21:00

20年程前、春日公園界隈や室生寺は訪れたことがあるが、記憶は薄れており談山神社は初めてなので参加した。談山神社は紅葉で有名だが今回は既に終わりに近く色も褪せておりi残念だった。10日ほど遅かったようだ。

◎東大寺
  東大寺には 大仏殿法華堂二月堂戒壇堂があるが、駐車場で待っていた専門の案内人が大仏殿と2月堂を案内してくれた。

  *大仏殿

    正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。創建から2度に
    わたって焼失、
鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱と
    した。そのため、創建時に11間
(86m)あったが7間(57m)となった。それぞれの再建された大仏殿の模型も展示されていた。
              現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、
現在でも世界最大級の木造建築であるという。日本の国宝に指定されている。
              
              
安置されている大仏は正式には「盧舎那仏坐像」で「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている

   
  
      
         南 大 門
                                 中 門                        大 仏 殿

                

             
       左脇侍 虚空蔵菩薩                     盧舎那仏坐像               右脇侍 如意輪観音  

   大仏の大き
       座高:14.98m 顔縦:5.3m 手のひら:1.48m 広げている右手:2.56m  蓮華座高:3.04~3.05m


  *展示されていた焼失後再建された大仏殿の模型

                            
                     大仏殿鎌倉期再建時模型(平成16年)         大仏殿江戸期再建時模型(平成14年)
   それぞれ奈良少年刑務所の受刑者が精魂込めて実物の約1/50の大きさに再現したもので全国矯正展で法務大臣賞を受賞したもので、
   所内総合訓練施設木造建築科・
木材工芸科の訓練生30名が製作したものだと説明文にあった。 

  *2月堂  
    旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の
    戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おお
    かんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。
    建物は2005年12月、国宝に指定された。    

             
       二月堂への参道                      二 月 堂                          閼 伽 井 屋  

    重要文化財 閼伽井屋 鎌倉時代初期 
  
 この
閼伽井屋は、修二会に際し毎年3月12日(13日午前1時過ぎ)この屋内にある井戸より
 本尊十一面観音菩薩にお供えする御香水(閼伽
水)を汲む儀式を行うところである。
 天平勝宝四年(752)実忠和尚が二月堂で初めて修二会をおこない諸神を勧請し際、若狭の国の
 遠敦
明神が献じたものであるところ「若狭井」とも呼ばれる。
 現在の建物は、13世紀初期に再建されたものであろう。

 

  

  *2月堂参道脇には東塔跡あり、東塔が復元されるそうだ。大仏殿への参道脇には鏡池がった。

         
      鏡池越しの中門と大仏殿             鏡   池                2月堂参道脇の東塔跡          

 ◎唐招提寺
  
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院で、南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊廬舎那仏
  開基(創立者)は鑑真である。、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財がある。

        
                             大門より金堂を望む                    金  堂        

         
          
講 堂                     鼓楼(舎利殿)

  鼓楼:金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物で、名称は「鼓楼」だが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、
 「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれている。

        
     開山御廟                 開山堂                 鑑真大和上御身代わり像
 

 鑑真大和上御身代わり像:開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため
             現在の位置へ移築された。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として
             参拝されていたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25(2013)、
             大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶した。

   注
     1.東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、
                     実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始され
た。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
                    修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、
      二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。(東大寺HPによる)

     2.2日目の談山神社と室生寺は 其の二に譲る。

 

  


大矢田紅葉谷と横蔵寺の紅葉

2017年11月27日 | イベント・祭り

11月17日ちょこTripの「大矢田紅葉谷と横蔵寺の紅葉」の日帰りツアーに行って来た。6時40分長野駅東口ユメリア駐車場を出発、11時半大矢田神社駐車場に着いた。

大矢田神社一帯の楓谷は、約3000本のヤマモミジの原生林があり、樹齢1000年以上の古木もあるという。1930年(昭和5年)、指定名称楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されている。また2004(平成16年)飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに指定されている。普通紅葉は山頂から徐々に麓に降りてくるが、此処の紅葉は麓が先に色ずき、だんだんに紅葉が山頂二登っていくという。神社の裏に回って見ると、山は未だ緑であった。添乗員の説明によると神社裏山は日当たりが良く、麓の神社界隈は日当たりが悪く気温が山より低いので先に紅葉するのだという。

大矢田神社はウィキペデアによれば本殿は江戸時代初期の1672年寛文12年)、拝殿は1671年(寛文11年)再建であり、ともに重要文化財に指定されている。また、楼門1723年享保8年)再建であり、美濃市指定文化財である。

  
大矢田神社   *主祭神;県建速須佐之男命、天若日子命  *社格;豪奢    *本殿の様式;三間社流造り

        
           楼   門                               大矢田神社拝殿                           
 大矢田神社本殿                                                                           

☆大矢田の紅葉

        

        

☆横蔵寺紅葉
  大矢田からバスで約1時間横蔵寺に到着する。

 *横蔵寺(よこくらじ)
   岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。
   
伝教大使(最澄)が自作の薬師如来を祀ったことでも知られており、延暦20年に創建された。如来像をはじめとし、22体の国の重要文化財が安置され、その他にも
   多くの仏像や絵画、書籍を蔵しており、「美濃の正倉院」とも呼ばれているという。紅葉の名所でもあり秋のシーズンには特に多くの参拝客が訪れる。

         
           横蔵寺本堂                                観音堂                             五重塔

   
 ← 瑠璃殿(宝物殿):国の重要文化財に指定されている仏像など22件のうち、秘仏とされ、60年に一回しか開帳されない
    本尊の『木像薬師如来』と、他に21件が安置されている。中に入ると、金剛力士像、その隣から十二神将がズラリと
    並び、大日如来など様々、部屋の中、三方に、重要文化財が並んでいた。横蔵寺最古の仏像の『木像大日如来像』は、
    寿永2(1183)年の銘があり、三重塔の本尊として作られたことが明らかになっているそうです。
 



 

 

 

 ← 瑠璃殿(宝物殿)入口横にある案内版  
 以下横蔵寺発行の絵葉書より
 
                         
 御本尊薬師如来(重文) 大日如来(重文)  深沙大将(重文)  曼荼羅立像    金剛力士立像
                      

 


 ← 舎利堂:「入定妙心法師の舎利仏(ミイラ」が安置されている。
    妙心法師は天明元年(1781)横蔵生まれ。長野善光寺で妙心の号を得る。富士行者として富士山にこもり修行、
    生食を断ち、蕎麦粉と清水を食す。富士山の北東にある御正体山に登り、断食三十一日にして入定を果たしたという。
    入定年は文化十二年(1815)と文化十四年(1817)の両説がある。
    妙心法師のミイラは、入定後御正体山の上人堂に安置されていたが、明治維新後の廃仏毀釈により、山から下ろされ
    見世物になっていたが、その後山梨県庁、
甲府病院が引き取っていまる。甲府病院の医学資料となっていた時、
    明治天皇もご覧になったことがあるという。横蔵時の住職や遺族らの要望により、明治23年(1890年)に出身地
    近くの「横蔵寺」に移されたということです。                    
    生きたまま仏になるために地中に自ら入ることを〝入定〟と言うそうです。
   

*横蔵寺境内の紅葉と苔