後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

信濃三十三番札所めぐりー3回目続き

2013年08月06日 | 神社・仏閣巡り

*16番清水寺 真言宗智山派 本尊・千手観世音菩薩 愛称・保科観音
   長野市の東方、菅平高原・保科温泉に向かう保科の集落にあり、牡丹の寺で有名、戦前は2,000株もあったが戦争中野菜畑にされ戦後
   地元の協力で復活現在600株が育っている。境内の100本以上ある紅葉も綺麗だそうで今秋には行ってみたい。
   住職の説明では、聖武天皇の頃、僧行基が1本の桑の巨木から三体の千手観音像を造り、清水寺に1体、この後回る7番札所・桑台院
   と、11番札所・明真寺に安置したという。古くは幾つもの山門やお堂が並ぶ壮大な寺であったが、
大正5年の保科村の大火で全てが消
   失した。同14年に本堂だけ再建され、仁王門、三重塔、大日堂は未だに再建されておらず、観音堂は昭和50年に懸崖づくりの耐火構
   造に再建された。観音堂までは直線の急な参道が約1キロあるが、九十九折の車道が整備されており 、生憎のどしゃ降りの中だったが
   バスが観音堂まで行けたので幸いだった。

         
                            観 音 堂 内 千 手 観 音 菩 薩 

        
               清水寺本堂                                観音堂えの九十九折道路 

*十一番明真寺 真言宗  本尊千手観世音菩薩 愛称 清滝観音・養蚕観音
    僧行基が刻んだ3体の1体が本尊だが格子の中に安置されており拝観出来ない。
    松代の町から東方に4キロほどの皆神山の裾の菅間という小さな集落の外れにある。

      

  左は観音堂で阿弥陀堂は離れた所にある。
   奈良時代坂上田村麻呂が東国制覇の折、祈願所として堂を建立したいわれ、
  最盛期には36坊・7堂伽藍をそろえ、山岳信仰の一大霊場として栄えたと伝え
   られている。

   
   

 

 

*7番桑台院  真言宗 本尊千手観世音菩薩  愛称虫歌観音
   僧行基が刻んだ3体の1体が本尊で、住職の説明では像高およそ4m強奈良興福寺の立像が520cmでそれに次ぐ像高の立像ではな
   いかという。参拝は千住観世音菩薩の上半身だが住職の配慮で隣室から全身の菩薩立像が拝観出来た。
   「桑台院」という寺院名が養蚕との関わりうかがわせる通り、この地方では古くから養蚕が盛んで「むしおだの観音さん」または
   「むしうたの観音さん」と親しまれ、蚕を病害から守り、養蚕の隆盛を祈願する人々が熱心に参拝したという。

      

   左は桑台院 観音堂   

    

 

 

 

 

           
             千手観世音菩薩 立像上半身                  千手観世音菩薩 立像                               
  

  




 

 

  

 


信濃三十三番札所めぐりー3回目 

2013年08月05日 | 神社・仏閣巡り

信濃33札所めぐり3回目である。天気予報では15時頃から雨で残念ながら的中14時ごろから降り始めた。

今回のコース
     倉科・5番妙音寺───森・6番観竜寺───松代・4番風雲庵───番外・善光寺・大本願・徳行坊で昼食
        ───保科・16番清水寺───松代・11番明真寺───松代・7番桑台院
  
   長野駅東口7時に出発17時30分に東口に帰った。

*5番妙音寺 曹洞宗 本尊・十一面観世音菩薩 愛称・竹ノ尾観音
   京で仏師となった青年が、故郷の美しい恋人を忘れられずに、思いを込めて彫ったものを、征夷大将軍に託したと言う伝説がある。
   明治初年の廃仏稀釈後に再興され、一時は里の人々に竹ノ尾の観音さんと親しまれ賑わったそうですが、今は手入れも されておらず
   朽ちかけた農家の様な本堂に山号額が掛けられているだけだった。

        
             妙音寺参道                               朽ちかけた農家の様な本堂 

          
         本堂に掛けられた山号額                     本堂の中に安置されている 十一面観音菩薩 

*6番観竜寺 真言宗智山派 本尊・千手観世音菩薩 愛称・森の観音様
   開基は諸説不明、江戸時代に再建、戦後荒廃、尼僧さんが住んでいた時期もあったそうだが、昭和五十年代より住職がおらず地元の
   信徒が守りっている。あんずの里として知られる森の集落の高台にあり、「森のお観音さん」という愛称で親しまれて いる。
   地元の信徒世話役が扉をあけて説明、帰りに杏ジュースを土産にくれた。観音堂内陣に安置されている本尊などの仏像は撮影禁止、
   外陣には天井絵奉納額などあった。

            
               観竜寺参道                                観 音 堂                 

            
                           外 陣 の 天 井 絵 (この奥の内陣に仏像が安置されている)

*4番風雲庵 元黄檗宗 本尊・聖観世音菩薩  愛称・清野観音
  川中島合戦の戦勝を祈願する武田信玄が寄進して古寺を再建し、風雲庵の名称で深く信仰したと言われており、  廃仏毀釈で一時は
  廃寺になったが、信仰篤い近在の人々の尽力で復興し地域ぐるみで守り続けている。
  観音堂は開けられず観世音菩薩像は拝観出来なかった。     

         
           参道階段と観音堂                                 山号の額

*客番・善光寺
   善光寺は殆どの札所めぐりの結願寺となっている。地元でなじみのある善光寺は初詣でなどで毎年参詣しているが、今回徳行坊の
   案内で「戒壇めぐり」と忠霊殿にある善光寺の宝物と大本願の宝物を拝観した。「戒壇べぐり」は二度目だが両方の宝物を拝観するのは
   初めてだった。善光寺の本尊は上杉・武田の争いで甲府に安置されたこともあったが、宝物は長野・甲府・米沢・に分散されているそう
   だ。忠霊殿の宝物には数年前善光寺を訪問されたチベットの元元首チベット仏教の法王ダライ・ラマが寄進した曼荼羅は見事なもの
   だった。大本願の宝物での一室には、中央に前立本尊を模した一光三尊如来像、右に明治天皇の位牌、左に旧朝鮮王朝が寄進した
   白い仏像が安置されていた。天皇の位牌が寺院にあるのは考えらずここだけだそうだ。皇室に関係のある門跡の寺院でもないそうだ。

          
          今まで気がつかなかったが、境内の大香炉の左側にある親鸞聖人の銅像で、背景に聖人にゆかりの松が植えられている。
          本堂外陣の「親鸞聖人のお花松」は「びんずる尊者」の左側にある。


東京・鎌倉

2013年06月15日 | 神社・仏閣巡り

6月5日東京に嫁いだ娘2人が、今年1月の誕生日で喜寿をむ迎えた母のお祝いをしたいというの出掛けた。東京は4~5年振りだと思うが東京駅が昔の駅舎に復元されて初めてだ。娘姉妹は東京なので時々会っているようだが、親子揃うのは1年振り位になるだろうか。姉の方の連れ合いと妹の子供(孫)と6人んで会食した。長女の亭主も酒好きで、次女の子供も24歳の女子だが、祖父に似たか酒が好きなようだ。シャンパンで乾杯の後、酒好きの3人で清酒4合瓶2本空にした。

5日東京駅に9時40分に着いて、予約してあった「はとバス」で靖国神社・国会議事堂を回った。靖国神社参詣は5~6拾年ぶりで、国会議事堂は初めてである。今回の見学コースは衆議院だった。修学旅行の学生の等見学者が多かったが、要所要所に衛士がおって誘導し、思いの他スムースに見学出来た。、有名な赤い絨毯は毎年少しずつ張り替えているそうで、新しい絨毯の所は厚みの感触が伝わった。両院の真ん中の正面玄関からの通路は案内人の説明によると、入り口から天皇の控室までは直線の廊下で、影が出来ないよう照明は廊下の両側に上向き設置されていた。

              
            新装なった東京駅の正面                                    東京駅丸の内南口

             
             靖国神社本殿                      近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した大村益次郎
                                            の銅像で、明治26年(1893)、日本最初の西洋式銅像として建造。
                                             
                              
          ホテル28階からの東京タワー          国会議事堂 左-衆議院 右-参議院 (中は撮影禁止)               

6日は折角の機会だったので20年ぶりに鎌倉を訪れた。鎌倉駅近くの寿福寺と尼寺の英勝寺を回ったが、英勝寺は定休日で参詣出来なかった。期待していた綺麗な庭園のある英勝寺が参観出来ないのは残念だった。

*寿福寺
   本尊は釈迦如来、寺号は詳しくは寿福金剛禅寺。  鎌倉五山の第三位で境内は公開されておらず参観出来ない。
   高浜虚子、大仏次郎の墓がある。
                                                                                       

  左は寿福寺山門     

   境内裏手の墓地には 陸奥宗光高浜虚子大佛次郎などの墓があり、
   
さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と
   源実朝の墓と
伝わる五輪塔がある。

        
    北条政子の五輪塔      源実朝の五輪塔

   
寿福寺を参詣後、鎌倉駅前のにぎやかなショッピング街小町通りを散策昼食する。午後は鎌倉駅前13時発の江の電観光バスに乗る。

  コース  鎌倉駅───建長寺───鶴岡八満宮───鎌倉宮───長谷観音寺───長谷大仏─── 鎌倉駅

予定では16時鎌倉駅着の予定が中学生の修学旅行シーズンで道路が大渋滞1時間遅れの17時に鎌倉駅に着いた。
修学旅行シーズンの旅行は止めた方が良いかも。

*建長寺
   臨済宗建長寺派の大本山で本尊は地蔵菩薩である。山号は巨福山(こふくさん)寺号は建長興国禅寺で鎌倉五山の第一位。
   境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。

                  
               建 長 寺 山 門                            本尊 地 蔵 菩 薩

*鶴岡八幡宮
 
 三大八幡宮一社に入るといわれており全国の八幡宮の中では有名である。祭神は応仁神天皇・比売神・神功皇后で
  相模国一宮 旧国幣中社である。

  

  鎌倉八幡宮とも呼ばれる。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の
   八幡社の中では知名度が高く、境内は国の史跡
指定されている。

  参道を通らず脇から入ったので、この写真は本殿からの参道である。

 

 

 

*鎌倉宮
   明治2年2月、明治天皇護良親王を祀る神社の造営を命じた。6月14日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡
   の現在地に社殿が造営された。祭神である護良親王は、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、
   尊氏の
弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺められたという。
   本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承がある。
   案内の宮司は誠にユニュークな方で、
駄洒落を交え笑いに包まれる中で解り安く説明され印象深かった。、

*長谷観音 
   寺号は海光山慈照院といい、一般に長谷観音と言われている。本尊は十一面観音。坂東33観音霊場4番札所である。
   
空海(弘法大師)が刻んだという伝承をもつ弁才天像(宝物館に収蔵)を祀る弁天堂がある。このためかこの寺院の御朱印は
   弘法大師である。他に厄除阿弥陀・大黒天・十一面大悲殿の3種類の御朱印があった。
   十一面観音像は、観音霊場として有名な奈良長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。  

             
                長谷観音本堂                                   裏山の紫陽花

*長谷大仏
   
「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)は大異山高徳院清浄泉寺の本尊である。
    境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されている。

  
 像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トン   
 真言ないし天台系の信仰に基づく阿弥陀像であるという。
 
材質は通常「銅造」とされているが、正確には青銅(銅、錫、鉛等の合金)だそう
 だ。


信濃三十三番札所めぐりー2回目

2013年06月03日 | 神社・仏閣巡り

今回は2回目の信濃33番札所めぐりである。回る札所は中信・南信と長野市である。信濃33寺は南信が少ない。東北信に集中している。今回で中南信はすべて回った事になる。コースは以下の通り。

  長野駅東口7:00───27番牛伏寺(松本市、内田)───22番仲仙寺(伊那市、西箕輪)───24番阿弥陀寺(諏訪市、上諏訪唐沢)
   ─── 昼食(上諏訪、野沢工房)───21番常光寺(長野市、篠の井岡田)───12番無常院(長野市、小市)───8番西明寺(長野市、
   小田切)───長野駅東口18:00

牛伏寺・仲仙寺は以前長生会(日詰老人クラブ)の旅行で行った事があって、今回訪ねて思い出した。

*27番牛伏寺 真言宗智山派 本尊十一面観世音菩薩 愛称うしぶせ観音
  10万坪余りの敷地を持つ信濃三十三番札所中最大規模の厄除け霊場だそうだ。国の重要文化財を8体有する文化財の宝庫として
  も知られている。寺名については、からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭のが倒 
  れたれたことから「牛伏寺」の名がついたという。なお、参道途中に建つ牛堂には2頭の
牛が祀られている。
  
       
     十一面観世音菩薩の前立本尊                     大悲閣 前立本尊が安置されているお堂
  本尊は国の重要文化財に指定されて建立された保存堂に保管されている。

       
      牛伏寺本堂前の庭園                                 参   道

*22番仲仙寺 天台宗 本尊十一面観世音菩薩  愛称羽広観音
  馬の守護仏として名高く、馬を引き連れて参拝する風習が戦前まで続いたそうで堂内には馬絵が沢山ある。
  子供達が卒業記念に描いて納めた千匹馬の額が飾られていた。

        
            仲 仙 寺 本 堂                     小学生が卒業記念に奉納した合作の千匹絵馬

       
  馬は絶対人を踏まないことから交通安全の寺で有名            参道脇の深紅の楓

*24番阿弥陀寺  浄土宗 本尊 十一面観世音菩薩 愛称岩屋観音
   諏訪市上諏訪から二葉高校の脇通って霧ヶ峰牧場方面に向かうと、阿弥陀寺の参道入口に着く。ここから急な坂道の参道で、 
   三十三番札所の中で小諸の布引観音に次ぐ難所である。本堂の左手上にそそり立つ岸壁の中程にある懸崖造りの建物が岩屋堂で
   十一面観世音菩薩像が安置されており、子授けのご利益があると信じられているという。
   本堂は長野善光寺大本願野本堂であった「旧本誓殿」を平成八年に解体移設し、当山の本堂にしたという。善光寺大本願のお上人様が修
   行していたお堂を移築したということで大屋根には菊のご紋が輝いている。

      
            本    堂  「本 誓 殿」                   観音堂への参道から見える諏訪湖

          
            参道の途中にあった鐘堂                        観音堂  十一面観世音菩薩   

*21番常光寺 十一面観世音菩薩  愛称 岡田観音
    寺院は無く、リンゴ畑の一面に小さい観音堂だけが建っていた。安置されている十一面観世音菩薩像は伊那の常円寺にあった
    のが塩尻の常光寺に移され、廃物希釈の際古美術商の手に渡り 、岡沢彦治郎氏が古美術商を説得し買い戻したという。
    しばらく自宅に安置した後に、観音堂を建立し、以前の寺名「常光寺」を冠して21番札所を復活させたという。 道路が狭くバスが入らず
    大分歩いた。          

  
        
            常 光 寺 観 音 堂                          ご  詠  歌

*12番無常院 浄土宗 本尊 馬頭観世音菩薩 愛称 子育観音中見堂
   
  善光寺と同じ「立葵」を寺紋とし、古くから善光寺7院のひとつに数えられてきた由緒ある寺院である。秘仏である銅製鋳造の本尊も
  「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像で、善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と推定され、長野市の 文化財
  に指定されている。秘仏で公開されていない。
  
 境内の中身堂大悲殿は、今回の12番札所でご本尊の三面八臂の馬頭観世音菩薩で「赤子の夜泣き鎮め」、「受験合格」、「無病息災」
 「家内安全」など、悲願成就の観音さまとして多くの皆さまから親しまれ信仰されているという。

          
       馬頭観世音菩薩が安置されている中見堂                     馬頭観世音菩薩

           
                 無常院本堂 本尊  一光三尊阿弥陀如来                 山      門

*8番西明寺 浄土宗  本尊千手観世音菩薩 愛称 吉窪観音
   寺名は北条時頼が出家して名乗った「西明寺入道」にちなんだものという。西明寺本堂は無く千手観世音菩薩が安置されいる観音堂が
   あるだけだ。観音堂は村人のよりどころと親しまれているそうだ。

         
           西明寺 観音堂                                 千手観世音菩薩  

 

 


信濃三十三番札所めぐりー1回目の続き

2013年04月10日 | 神社・仏閣巡り

*二十番鷲峯山長安寺 千手観世音菩薩(愛称岩井堂観音) 真言宗智山派  松本市会田四賀
  長安寺は廃寺となり、かつて岩井堂はこの寺のお堂だったそうだ 。お堂の周囲は岩山で数十体の石仏群・岩壁には大小の
  磨崖仏や、弘法大師が刻んだとされる爪彫り(魔崖浮き彫りの)大黒天があった。

     
            岩  井  堂 (観音堂)                            千 手 観 音

    
                                           石造仏群の1部

*二十六番栗尾山満願寺 千手観世音菩薩 真言宗智山派 安曇野市穂高
  725年頃、裏山の奥にある長者ヶ池から出現した一寸八分の黄金仏像を、聖武天皇の勅願によって堂宇を建て安置したの
  が始まりと伝わる、「信濃高野」の異称もある古刹だそうだ。

  信濃三十三番札所の中で三番目に急勾配の長い参道だそうだ。確かに年配者にっとってはきつかった。参道の入口にある
  「微妙橋」は、欄干屋根付きの太鼓橋で極楽浄土への結界を表しているという。

  本堂には、亡くなった後の四十九日の苦しみを現す、「地獄極楽変相之図」が飾られている。 血の池地獄、針山地獄、
  閻魔大王の裁判所などの地獄の絵だが、お寺ならではの妙な説得力がありそうだ。 

      
             参 道 入 り 口                              微 妙 橋

       
           満 願 寺 本 堂                                 山 門

  

     

     
            地獄極楽変相之図 最初の図              地獄極楽変相之図の1部

*二十五番天陽山盛泉山 千寿手観世音菩薩(愛称水沢観音) 曹洞宗 波田町
  ここから1.5キロほど山へ入った水沢山に「通称水沢観音」とよばれる若沢寺があった。江戸時代には「信濃日光」と呼ばれた
  ほどで、全山に素晴らしい建築物が数多くあり栄えていたそうです。明治の廃仏毀釈により、お堂等の建物は取り壊されて廃
  寺となり、再建されたのは明治20年代で、この寺の住職と村の有志の努力によるものだそうです。

       
              盛泉寺 本 堂                        山 門       大慈閣(水沢観音堂)

   
       盛泉寺本尊 釈迦牟仏                      若沢寺からっ移された仏像の1部                                    


     独特の光背がある不動明王 

wikipedia百科事典によれば。
水沢観音堂は、廃仏毀釈により取り壊された若沢寺にあった救世殿を盛泉寺に移し、観音堂として1895年(明治20年代後半)ころ再建したもので、銅造菩薩半跏像、銅造伝薬師如来坐像御正体残闕、銅造菩薩立像、木像(不動明王立像)、真言宗祖師像(木像弘法大師坐像・木像興教大師坐像)2体、絹本不動明王掛軸などを収納している。建物は1984年(昭和59年)に改築された。子授け、アカギレ、イボ等にご利益があるとされる。若沢寺は、長野県内でも有数の古刹で、江戸時代後期には信濃日光と称されるほどの規模を持ったが、明治初年の廃仏毀釈で取り壊されて廃寺となった。当寺が信濃三十三観音霊場の第25番札所であるのも、若沢寺からの継承である。山門前の六地蔵も、もとは若沢寺にあったもの。

  



 

 
    

 

 
        


信濃三十三番札所めぐりー1回目

2013年04月05日 | 神社・仏閣巡り

過日新聞折り込みに信濃三十三番札所めぐりのチラシがあった。発行元を調べたら札所めぐりが専門の観光会社で、信濃三十三番札所めぐりもいろいろコースがあった。特段と観音仏に帰依している訳ではないが寺院・仏像に興味があるので、中でも一番早く回れるコースで行って見ることにした。3・5・7・9・11各月1回の計5回で三十三番札所めぐりの計画だ。

参加してまず驚いたのは総べての寺院で般若心経・十句観音経・普回向を唱えることだ。やはり観音信仰者の札所めぐりだと実感した。1回目3月23日のコースは次の8観音だった。 
 
  麻績・1番法善寺───2番宗善寺───3番岩井堂───坂北・15番岩殿寺───本城・17番関昌寺───四賀・20番長安寺

  ───穂高・26番満願寺───波田・25番盛泉寺  

案内人は札所めぐりを企画した観光会社の社長で、住職のいない寺院・観音堂では般若心経等を先導して唱え、寺院・観音堂の故事来歴を説明してくれた。住職が居たのは1番法善寺だけだった

*一番仏眼山法善寺 聖観世音菩薩 曹洞宗 麻績村
  曹洞宗の寺院で、親子2人の住職がいる。今日は若住職がお焼香のやり方・木魚・鐘の鳴らし方その意味など説明した。
  ここの若住職は一風変わっており僧衣を纏うのは葬儀・法要の時だけだそうで、今日も普段着だった。木魚はのリズムに合せ
  お経を唱え、大木鐘は進行の合図、小さい鐘はお経が終わる知らせだそうだ。希望者が木魚と大きい鐘を担当した。

  ← 法善寺本尊 聖観世音菩薩

          
     法善寺本堂            法善寺山門

 

 



*二番宗善寺楊柳山 十一面観世音菩薩 元曹洞宗 麻績村
  

  ←宗善寺十一面観世音菩薩

       ←安置されているお堂
 
  曽洞宗の寺院だったが廃仏希釈で廃寺されており観音像のお堂だけが
  残されており、管理は法善寺がしているようだ。お堂への参道入り口
  に、観月の名勝姨捨山の里に因んで麻績村が信濃観月苑を開苑して
  いる。一般にはこちらの方が知られるている。

*三番笹命山岩井堂 馬頭観世音菩薩(愛称古司の尻つみ観音) 筑北村坂井 

 ←岩井堂馬頭観世音菩薩

      ←安置されているお堂      

   愛馬を葬った継信(源義経の家来)から手厚い供養を依頼された
   村人が、後に堂を建立し、馬頭観音を祀るようになったという。 
   集落の管理で近隣の民家が面倒をみている。

 


*一五番富蔵山岩殿寺 馬頭観世音菩薩 天台宗 筑北村坂北
  中世には七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたとされ、岩殿山とその南の富蔵山一帯に広がる天台修験道場の中心
  寺院として格式と隆盛を誇ったが、江戸、昭和の大火で堂塔のほとんどが消失した。信濃三十三観音札所は当寺の前住職が
  生前、寝食を惜しんで復興に尽力され、現在に至っている。戦前「富蔵の草競馬」が開催されていた富蔵山の麓にある寺院で 
  ある。本堂入口の両脇には馬の木像がある。 又、境内では毎年年末に修験道の行者などが行う「火渡り」があるそうだ.


 ← 岩殿寺本堂
          
     本堂左脇の馬像          右脇の馬像
    

 


    
         本尊馬頭観世音菩薩                            岩殿寺のかや葺き山門 

*一七番福寿山関昌寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗 筑北村東条
   お寺は、住職不在の民家風。直ぐ傍を篠ノ井線が走っていて、大正時代に萱葺き屋根は汽車の煙から火事になり、
   鉄道省からの見舞金で現在の民家風の堂が再建されたという。
   本尊の十一面観音像は、明治以前には近くの今見堂の本尊であったが、廃仏毀釈で堂が廃止れたさい、関昌寺に
   移されたた。 かなり離れた所に有る龍沢山碩水寺が朱印所になっている

      
            山門も無く案内板だけ                                              関昌寺本尊 十一面観世音菩薩

 

                              

                                 

 
                                   


岐阜市古川の三寺まいり

2013年01月24日 | 神社・仏閣巡り

飛騨市古川町恒例の1月15日の「三寺まいり」に行って来た。三寺は浄土真宗の円光寺・本光寺・真宗寺の三寺である。
当初、真宗寺・本光寺は東本願寺派、円光寺は西東本願寺派だったが、1705年真光寺・本光寺が西本願寺派に転派したことにより、どの寺の檀家も分け隔てなく三寺をお参りすることが出来るようになった。

古川の三寺まいりは毎年9日から16日まで親鸞聖人の徳を偲びながら御七夜の行事が行われ、特に15日の晩は聖人のご往生になる前夜として、各寺共徹夜で読経、ご伝鈔の朗読・説教の聴聞が行われるので、これにならって西本願寺三寺を巡拝し各寺で勧行に参加する習わしとなった。これが現在も引き継がれ毎年1月15日三寺をお参りするようになった。古川の手作りの大和ろうそくも夜を徹しての行事の為、本堂を照す必要から生じたということのようだ。

明治、大正時代野麦峠を越えて諏訪へ糸引きの出稼ぎにいった娘たちが、1年の奉公を終えて着飾って瀬戸川の川べりを歩き、勤行に加わり男女の出会いが生まれたことから縁結びが叶うお参りとして知られるようになった。飛騨古川の小唄に「嫁を見立ての三寺まいり・・・・・」の歌詞があるそうだ。

三寺まいりのイベント
 ☆雪像ろうそく ☆千ろうそく ☆祈願とうろう流し 
   その他「和装姿で三寺まいり」を気楽に楽める様、着物一式のレンタルも行っいる。

     
       円光寺山門と本堂                本光寺山門と本堂               真宗寺山門と本堂

         
             雪を固めて作った高さ2mのろうそく                   16時から点灯された

         
       
           ろうそくの灯は灯油ランプのようだ。

       高さ2mの雪像ろうそくは、交差点を中心に縦・横それぞれ    
           の目抜き通りに、100mを超えて立ちならんでいる。

   
       
          
       
      祈願成就を願うとうろうを瀬戸川に流す町の人。         千本ろうそくの中心部分(まだ僅かである)

        
     千本ろうそくを灯すイベントに参加する娘さん・・・・瀬戸川沿いに願いを込めて白いろうそくを灯してお参りし、願いが
     叶ったら次の年に赤いろうそくを灯してお礼参りをします。通路の脇に白・赤のろうそくと祈願とうろうを販売している。

       
       千本ろうそくのお参りは21時までだが、総てにろうそくが灯されるだろうか、ろうそく立てはおよそ500本
       程度の様であった。祈願とうろうも此の瀬戸川を流れてくる。
 
     左の写真は古川町の「三嶋和ろうそく店」で、全工程を手作業で
   行っており、工程の全てが手づくりというところは、全国でもここだ
   けといわれている。
   
   江戸時代から続く手づくりの和ろうそくで、「生掛ける(きがけ」)和
   うそく」といわれ、原料はすべて天然の植物性だそうだ。

     生掛とは「幾度も幾度も塗る(塗りつける)、重ねる」の意味だそうだ。


湖東三山紅葉狩り

2012年12月08日 | 神社・仏閣巡り

11月28日湖東三山の紅葉を見に行って来た。湖東三山とは琵琶湖東側、名神高速道路、奏荘PA付近の高速道路沿いにある天台宗龍応山西明寺・松峰山金剛輪寺・釈迦山百済寺の三寺院である。何れも由緒ある名刹であるが、むしろ紅葉の方で知られている。十数年前訪れたが記憶が薄れていたので再度行ってみた。

1.西明寺
  本尊薬師如来開基は三修上人で、西国薬師四十九霊場第三十二番札所である。平安・鎌倉・室町時代には17の諸
  堂に 、300を数える僧坊があったそうだ。本堂は鎌倉時代の代表的な建造物で国宝の第1号に指定されている。本堂に
  通じる長い石段の参道の途中左側には名勝庭園「蓬莱庭(池泉鑑賞式)」のある本坊がある。境内には国宝の三重塔・重
  文の二天門がある。寺宝も数多く仏像・建造物等七っの重文がある。

  国宝三重塔は丁度塔内壁画が特別拝観(11月8日~30日)の時期で拝観出来た。塔の心柱は地表の礎石に立っていると
  思っていたが、此処には心柱が見えず、案内の人の説明によると4本の柱で支えられている心柱専用の2階に立っていると
  のことだ。この4本の柱(四天柱)の中に須弥壇があり本尊の大日如来が安置され、四天柱・須弥壇の天上・1層の廻りの壁、
  床板を除く全面に、菩薩像・仏具・花鳥文・法華経変装図が極彩色で描かれているというが、仏画の知識もないので説明に頷
  くだけだ。

  参道の両側・境内の紅葉は丁度見ごろで綺麗だった。又、手入れの行き届いた苔に覆われた庭園「蓬莱庭」は見事であった。
  又樹齢約250年といわれる天然記念物の不断桜が参道脇にあり、春・秋・冬に開花するといわれるている。秋の開花で小い 
  小梅の様な花がちらちら咲いていたが綺麗とは思えない、三季節に咲くので珍しいだけの様だ。  

2.金剛輪寺
  行基菩薩が開山したて寺で、後に延暦寺の慈覚大師が来山密教修法と西方阿弥陀仏の信仰を教化して天台の大寺となっ
  た。本堂は鎌倉時代の和様式の代表的な建造物として国宝に指定されている。他に重文に指定されている三重塔や二天門
  がある。生憎三重塔は屋根の葺き替え工事中で、全体が覆われており見れなかった。

  本堂には秘仏本尊観世音菩薩・前立本尊をはじめ阿弥陀如来像・十一面観音立像等の仏像が安置されている。其の多くが  
  重要文化財に指定されている。本尊は行基が一刀三礼で掘り進めたところ木肌から一筋の血が流れ落ちたため 、直ちに彫
  刀を折り粗彫りのまま本尊としてお祀りされたと言われており、後に「生身の観音」と呼ばれる様になったという。

  境内の紅葉は見ごろで本堂脇の「血染めの紅葉」は言い伝え(前述の彫刻のとき流れ出た血で染まった)の通り鮮やかに紅
  葉していた。参道脇の名勝庭園は「池泉回遊式庭園」で桃山・江戸初期・中期の三庭から名っているそうだが、綺麗な庭園で
  あった。

3.百済寺 
  聖徳太子の御願いにより百済(くだら/ひゃくさい)人の為に創建された古刹である。十一面観音を本尊とし、御堂は百済の「龍
  雲寺を模して創建された。、その後天台の寺院となり拡大され「湖東の小比叡山」と称された程の塔頭300坊余りの大寺院と
  なったが、信長の焼き討ちに遭い焼失した。その後本堂・仁王門・山門等が再建された。

  本坊の喜見院の庭園は別称「天下遠望の名園」で山上願望の見事な庭園である。この庭園だけがかって訪れた時の記憶が
  残っていた。その時は残念ながら高台の遠望台に行けなかった。今回は時間もありゆっくり遠望台まで回遊出来た。遠望台
  からは湖東の平野が展望出来、素晴らしいい眺めだった。

 今回のツアーでも綺麗な紅葉・国宝の寺院等、何時もの通り記録に留めたかったが、残念ながらカメラが故障で撮影出来ず残
 念だった。三寺院とも長い階段が続き年配者は大変だが、百済寺だけが階段脇になだらかな脇参道が出来て良かった。

 

 

 


京都世界遺産めぐり

2011年11月15日 | 神社・仏閣巡り

過日1泊2日のバスツアーで「比叡山延暦寺・2条城・下鴨神社・西本願寺・金閣寺・清水寺」を巡ってきた。西本願寺は初めてだが,その他は以前訪れたことがあるが、記憶が定かでない所もあるので参加してみた。団体観光は時間に制約されるので、史跡・神社仏閣などじっくり拝観するには適していない。時間と余裕さえあれば単独で行くのが良いが、何といっても計画されたツアーは宿・乗り物等の手配も必要なく年寄りには手っとり早く便利である。

初日の夕方ホテルに向かう途中珍しい雲を見た。もう少し遅いと夕焼けに染まり綺麗だったろう。

                 

 延暦寺
  延暦寺開館で昼食、その後延暦寺の総本堂である「根本中堂」を拝観する。住職の説明 
  もあったが、本尊の釈迦如来が参詣者の目線と同じ高さにあるのはめずらしい。本尊の前
  には千二百年間灯り続けている不滅の法灯が3基安置されている。長野善光寺本尊前の
  3基の不滅の法灯は千4百年間灯り続けていると言われている。根本中堂の建物は国宝・
  回廊は国重要文化財に指定されている。

  境内は比叡山山頂付近1体が境内で東塔・西塔・横川の3か所にあって東塔から西塔へ
  は40分程度、横川は西塔から1時間20分も離れている。御朱印所も東塔地域7ヵ所・
  西塔地域1ヵ所・横川地域2ヵ所ある。このたったの40分のこのツアーでは、とても回れない
  じっくり拝観するには個別に来るより仕方がない。

                                
           根本中堂                           大講堂

          
       東塔拝観入り口にある 伝教大師最澄の言葉
       「1隅をてらす者、是れ国の宝なり」の石塔

             
                        比叡山からの琵琶湖遠景

二条城
 ここは数年前に拝観したので今回は庭園を主体に見たかったが、京都市内が皇太子殿下が
 文化祭でおいでになっているらしく規制が敷かれ大渋滞、到着が大分遅れ拝観時間が短く
 二の丸御殿を拝観することで終わり、二の丸庭園は覗いただけで終わった。

        
          二条城国宝の2の丸御殿と車寄せ 

下鴨神社 
 此処も数年前に拝観したところである。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭
 が京都三大祭り一つ「葵祭」である。5月15日に行われ、優雅な行列(500人)が御所を出
 発下鴨神社から上鴨神社へ向かうものだ。

              
           下鴨神社 この奥に2つの拝殿がある

西本願寺
 浄土真宗本願寺派の本山である。石山本願寺(大阪)の11代宗主、顕如上人の三男准如
 が後を継ぎ12代宗主となたのが今日の西本願寺である。徳川家康が不遇をかこっていた
 長男の教如に目をつけ本願寺勢力の分割を謀って、寺地を寄進して東本願寺を別立させ
 たのが今日の東本願寺(浄土真宗大谷派)だそうだ。大谷祖廟は親鸞上人の墳墓を改め、
 廟堂を建てて聖人の御影像を安置したのがの起源で,東西分派後近くの現在地に祖廟とし
 て造営されているという。

 残念ながら金閣・銀閣とともに京都の三名閣の一つと言われている、国宝の飛雲閣は立ち入り
 禁止で拝観出来なかった。

                           
      重文 西本願寺本堂(阿弥陀堂)      国宝 西本願寺唐門 

                     
          唐門の中央右側の彫刻はキリンビールのラベルのキリンの絵と同じ   
            
金閣寺(鹿苑寺) 
 何十年振りか過去の記憶は全くない。金閣はお釈迦様の骨が祀られていると言われ舎利殿
 とも呼ばれている。京都の観光客が2番目に多いところだそうだ。もっとも多い所は清水寺だ
 そうだ。金閣寺は臨済宗相国寺派の禅寺だが、多分参詣に来るのでは無く、観光が目的
  だろうと思う。私もしかりお参りする気は全くない。それにしても金ピカの荘厳さは見事であ
 る。境内の茶室「夕佳停」の南天の床柱と「萩の違い棚」が有名,又「陸船の松」と言われる  
  葉松が珍しい。京都の神社仏閣の中で此処は全く雰囲気が違い、金閣寺が寺院という感じが
  無くま さに観光スポットである。

             
                              金閣寺


        
茶室「夕佳亭」の南天床柱と萩の違い棚            陸船の松

清水寺
 数十年前に訪れたのだが鮮明な記憶が読みかえらない。本堂(国宝)の清水の舞台は有名で, 
 写真で見慣れているので感慨はあまりわかない。先月長野水野美術館では、「ご本尊十一面
 千手観世音菩薩立像(御本尊御前立)」、奥の院の「ご本尊三面千手観音(写真)」をはじめとす
 る秘仏三体など、重要文化財を含む仏像、曼荼羅、屏風、書が多数出展差されていた。今回
 拝観したのは「ご本尊前達立像」と奥の院「ご本尊三面千手観音」だけだが、至宝の出開帳の
 ようにじっくりまじかで拝観出来ず、出開帳の至宝総てを拝観出来ないのは、ツアー観光では
 止むを得ないだろう。

                  
 奥の院前からの本堂舞台と三重塔 奥の緑色の屋根は修復中の朝倉堂(重文)
    
       
                   音羽の滝と茶屋滝の家

           
                     三重塔

         
             観光客で賑う清水寺仁王門と西門・三重塔

 

            

  

 

    


鞍馬寺&貴船神社参詣

2010年12月04日 | 神社・仏閣巡り

11月22日観光ツアーで「鞍馬寺と貴船もみじ灯篭」へ行ってきた。叡山電鉄出町柳駅まで観光バス、電車で鞍馬駅へ。下車後、自由散策、午後7時までに叡山電鉄貴船駅へ集合ということである。バスを降りたら雨であった。途中は小雨が降ったり止んだりだったのにがっかりだ。前日と翌日は晴天、あいだの22日だけが雨とは、何と魔の悪い事か。

鞍馬・貴船に明るい方々はそれぞれ、思い思いのコースに散って行った。不案内の10人足らずの人は添乗員の案内で, 山門~由岐神社~鞍馬寺~奥の院魔王院~鞍馬寺西門~貴船神社本宮~奥宮 と傘をさしながら回った。

きつい坂道・階段で上りは兎も角下りは、急な山の中の悪路を、しかも傘を差して一歩一歩踏みしめながら降ったので大変だった。案の定、帰宅後 翌日から脹脛が痛くなり、痛みが治まるのに1週間近くかかった。

鞍馬山は丁度紅葉のまっさかりで、山門から由岐神社~鞍馬寺までのコース沿いや、鞍馬寺境内の紅葉は見事であった。下りのコースは何もなく山道の悪路を、ただひたすら鞍馬寺西門を目指して歩いた。

西門からは貴船」の町並みの道路・貴船川のもみじがライトアップされていた。ゆるい坂道で丁度良い散策コースである。貴船神社本宮と奥社を参詣する。午後4時を回っていたので軽い食事をと思ったが、貴船は料亭の街並み、料亭は軒を連ねているが、食堂などなかなか見あたらない。何とか見つけ軽い食事をとった。

貴船のもみじ灯篭が有名だったので参加したが、期待外れだった。目を見張る程綺麗だとは思えなかった。電車線路の市原駅~二ノ瀬駅缶「もみじのトンネル」は本当に綺麗だった。電車も徐行したが、先頭か後尾しかみれないのでじっくり見るには現地へ歩いて行くほかない。丁度最後尾に乗っていたので幸運だった。

時間があったので、出町柳駅駅前に鉄板焼きのお店があったのを思いだし、添乗員の了解を得て一足先に電車に乗り出町柳駅に向かった。(すでに数人が出町柳駅に向かったようだ)。目当ての鉄板焼き屋(飲み屋だった)は満員であきらめ、他の飲み屋で時間まで過ごした。NHK朝ドラの大阪鉄板焼きにちなみ京都の鉄板焼きも同じかと思ったが食せず残念であった。

予定より早めに全員揃い帰途に着いた。大変な1日だったが色色な意味で思い出にに残る旅であった。

               
                   鞍馬寺仁王門                       仁王門遠景        大杉(願掛け杉)

    
     由岐神社(鞍馬の火祭の神社)                           鞍馬寺金堂

        
                      貴   船   神   社   の   紅   葉

     
      木の根道(岩盤で根が地表に表れている)                     鞍馬寺奥の院「魔王殿」

                 
             貴船神社本宮                             貴 船 神 社 奥 宮