後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

信濃三十三番札所めぐりー1回目

2013年04月05日 | 神社・仏閣巡り

過日新聞折り込みに信濃三十三番札所めぐりのチラシがあった。発行元を調べたら札所めぐりが専門の観光会社で、信濃三十三番札所めぐりもいろいろコースがあった。特段と観音仏に帰依している訳ではないが寺院・仏像に興味があるので、中でも一番早く回れるコースで行って見ることにした。3・5・7・9・11各月1回の計5回で三十三番札所めぐりの計画だ。

参加してまず驚いたのは総べての寺院で般若心経・十句観音経・普回向を唱えることだ。やはり観音信仰者の札所めぐりだと実感した。1回目3月23日のコースは次の8観音だった。 
 
  麻績・1番法善寺───2番宗善寺───3番岩井堂───坂北・15番岩殿寺───本城・17番関昌寺───四賀・20番長安寺

  ───穂高・26番満願寺───波田・25番盛泉寺  

案内人は札所めぐりを企画した観光会社の社長で、住職のいない寺院・観音堂では般若心経等を先導して唱え、寺院・観音堂の故事来歴を説明してくれた。住職が居たのは1番法善寺だけだった

*一番仏眼山法善寺 聖観世音菩薩 曹洞宗 麻績村
  曹洞宗の寺院で、親子2人の住職がいる。今日は若住職がお焼香のやり方・木魚・鐘の鳴らし方その意味など説明した。
  ここの若住職は一風変わっており僧衣を纏うのは葬儀・法要の時だけだそうで、今日も普段着だった。木魚はのリズムに合せ
  お経を唱え、大木鐘は進行の合図、小さい鐘はお経が終わる知らせだそうだ。希望者が木魚と大きい鐘を担当した。

  ← 法善寺本尊 聖観世音菩薩

          
     法善寺本堂            法善寺山門

 

 



*二番宗善寺楊柳山 十一面観世音菩薩 元曹洞宗 麻績村
  

  ←宗善寺十一面観世音菩薩

       ←安置されているお堂
 
  曽洞宗の寺院だったが廃仏希釈で廃寺されており観音像のお堂だけが
  残されており、管理は法善寺がしているようだ。お堂への参道入り口
  に、観月の名勝姨捨山の里に因んで麻績村が信濃観月苑を開苑して
  いる。一般にはこちらの方が知られるている。

*三番笹命山岩井堂 馬頭観世音菩薩(愛称古司の尻つみ観音) 筑北村坂井 

 ←岩井堂馬頭観世音菩薩

      ←安置されているお堂      

   愛馬を葬った継信(源義経の家来)から手厚い供養を依頼された
   村人が、後に堂を建立し、馬頭観音を祀るようになったという。 
   集落の管理で近隣の民家が面倒をみている。

 


*一五番富蔵山岩殿寺 馬頭観世音菩薩 天台宗 筑北村坂北
  中世には七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたとされ、岩殿山とその南の富蔵山一帯に広がる天台修験道場の中心
  寺院として格式と隆盛を誇ったが、江戸、昭和の大火で堂塔のほとんどが消失した。信濃三十三観音札所は当寺の前住職が
  生前、寝食を惜しんで復興に尽力され、現在に至っている。戦前「富蔵の草競馬」が開催されていた富蔵山の麓にある寺院で 
  ある。本堂入口の両脇には馬の木像がある。 又、境内では毎年年末に修験道の行者などが行う「火渡り」があるそうだ.


 ← 岩殿寺本堂
          
     本堂左脇の馬像          右脇の馬像
    

 


    
         本尊馬頭観世音菩薩                            岩殿寺のかや葺き山門 

*一七番福寿山関昌寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗 筑北村東条
   お寺は、住職不在の民家風。直ぐ傍を篠ノ井線が走っていて、大正時代に萱葺き屋根は汽車の煙から火事になり、
   鉄道省からの見舞金で現在の民家風の堂が再建されたという。
   本尊の十一面観音像は、明治以前には近くの今見堂の本尊であったが、廃仏毀釈で堂が廃止れたさい、関昌寺に
   移されたた。 かなり離れた所に有る龍沢山碩水寺が朱印所になっている

      
            山門も無く案内板だけ                                              関昌寺本尊 十一面観世音菩薩