3月6~7日1泊2日で京都府八幡市の「石清水八幡宮」と「冬の京都文化財特別公開」にQAK-TOUR(アルピコトラベルのツアー)のバスツアーで行って来た。
石清水八幡宮は今年2月9日国宝に指定されたばかりだ。「冬の京都文化財特別公開」は今年は50回記念で、公開場所は南禅寺天寿庵・建仁寺開山堂・六道珍皇寺・東福寺三門・東福寺即宗院・大徳寺本坊・大徳寺芳春院・相国寺法堂-方丈・相国寺養源院・相国寺長得院・真如寺(相国寺山外塔頭)・妙心寺玉鳳院・妙心寺霊雲院・妙心寺天球院・東寺五重塔・東寺灌頂院の12ヵ所で今回の参観は太字の5か所だ。他に嵐山を散策、天龍寺も参詣した。
参加者38名で一人参加は私だけで、バス座席も片側1人で占めゆったり出来た。
長野駅東口を5時50分乗車、途中更埴IC・松本IC・飯田IC等で乗車38名となり、夕暮夜間の石清水八幡宮参詣で16時半頃夕食のため、早めの昼食を、11時養老PAで摂り一路大徳寺に向かう。
ツアーコース
5時50分長野東口ーーーー大徳寺特別拝観ーーーー嵐山自由散策ーーーー夕食16時半~17時半――――18時半石清水八幡宮――――
20時30分ホテルーー翌日9時30分ホテルーーーー真如寺ーーーー相国寺ーーーー養源院ーーーー昼食ーーーー長野駅東口
*大徳寺 山号;龍宝山 宗派;臨済宗大徳寺派 寺格;大本山 本尊;釈迦如来
境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20ヵ寺を超える塔頭が立ち並ぶ。茶の湯文化とも縁が深いという。
本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具中国伝来の書画など、多くの文化財を残っている。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。
勅使門(重文) 三門(重文)
金毛閣と呼ばれる三門は大徳寺最古の建造物で,大徳寺中興の祖一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により一階を創健。60年後千利休によって
2階2層門となった。楼上に利休木像を置いたことから、秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因と言われている。
仏殿(重文) 法堂(重文)
☺大徳寺本坊(特別公開のため撮影禁止、以下の写真・説明文は京都市観光協会発行のガイドブックから、転用許可j済み)
特別公開されている方丈は、通常6室に分かれているが、大規模な方丈建築で8室に分かれている。大燈国師の像を安置する「雲門庵」が
設けられている。方丈内部には狩野探幽代表作の「山水図」「芦雁図」等の重要文化財の障壁画は、江戸初期を代表する絵師・狩野探幽の
代表作だという。方丈庭園は特別名勝・史跡で江戸時代初期の枯山水庭園である。
方丈(国宝);桁行30m、内部画8室に分かれており豪商・後藤益勝の寄進 方丈内部には80面以上の障壁だあ理すべて狩野探幽作
方丈襖絵「山水図」(重文) 唐門(国宝)と庭園;唐門日光東照宮之日暮門の元になったという
唐門は国宝で豊臣秀吉の聚楽第の遺構といわれ、豪華な金具・彫刻を一つ一つ鑑賞すると日が暮れてしまうほど見事であるということから
「日暮門」とよばれている。
方丈庭園;かっては遠く比叡山や東山を望むことが出来たという 方丈庭園;2つの大石を立て、手前に水分石をはいして滝口を表すという
☺芳春院 宗派;臨済宗大徳寺派 寺格;大徳寺塔頭 本尊;釈迦牟尼仏
慶長13年(1608),加賀藩主・前田利家の正室・まつが、玉室宗珀を開祖として創建した前田家の菩提寺。平成28年400年遠忌を迎える
まつの法号から「芳春院」の寺名がつけられたという。
大徳寺庫裏からの芳春院への参道 芳春院の門
以下3枚の写真は観光協会発行のガイドブックからのコッピー転写(許可済み)。
呑湖閣へ向かう橋、「打月」の額がある。 呑湖閣;琵琶湖の水を呑み干すという意。 本堂南に広がる枯山水庭園「花岸庭」
呑湖閣;本堂北側に立つ優美な二重楼閣で、閣上から比叡山を東に臨み、その先に広がる琵琶湖野水を呑み干すという意を込めて名付け
られた。金閣(金閣寺)・銀閣(銀閣寺)・飛雲閣(東本願寺)と並んで「京の四閣」とも言われている。(内部は非公開)
☺大徳寺境内
芳春院を拝観後バス駐車場に帰る道すがら、大徳寺が千の利休にゆかりのある寺院ということから、大徳寺・塔頭では茶会が開かれて
おり、そこで使われる干菓子が和菓子屋本家玉壽軒の「紫野」という銘菓だという。塔頭の瑞峰院の受付においてあるというので立ち
寄り購入した。近くに千体地蔵塚があった。
瑞 峰 院 瑞峰院 境内庭園
千 体 地 蔵 塚
*嵐山自由散策
大徳寺本坊&芳春院特別公開拝観後、嵐山には14時頃到着する。
嵐山といえばと渡月橋、眺めは程々に立ち並ぶ土産物店を眺めながら、近くの「天龍寺」境内を散策する。
渡 月 橋
天龍寺は 山号;霊亀山 宗派;臨済宗天龍寺派 寺格;大本山、京都五山一位 本尊;釈迦如来 で庭園は特別名勝・史跡に指定されており、
重要文化財も多数ある。
天 龍 寺 庭 園(曹源池)
天龍寺総門 天龍寺勅使門
天龍寺法堂 天龍寺庫裡
◎石清水八幡宮特別拝観ではエジソン発明の竹の炭素電球の点燈のこともあって、夕暮れ以降の参観のため嵐山で早めの夕食、17時半にはすませ
石清水八幡宮のある男山山麓の京阪電車八幡市駅前ケーブルカー乗り場に向かう。
*石清水八幡宮
京阪電車八幡市駅前で、バスからから男山ケーブルに乗り替え石清水八幡宮に行く。このツアーは団体貸し切りで拝観することになってお
り、山頂駅には八幡宮の宮司が出迎えていた。男山は八幡市の市街地の中にポツンとある標高143mの小さな山(丘の感覚)で頂上に
八幡宮がある。
石清水八幡宮は今年2月9日国宝に指定された。国宝に指定された文化財は [石清水八幡宮本社10棟(本殿・摂社武内社本殿・瑞籬・幣殿
及び舞殿・楼門・東門・西門・廻廊3棟)及び附(つけたり)・棟札3枚] だそうだ。今回案内の宮司さんから10棟を案内説明して頂いた。
祭神は本殿中央に 応神天皇、西に比大神、東に神功皇后が祀られている。この三座の神々を総称して、八幡三所相大神(八幡大神)と言わ
れているという。
源氏一門は八幡大神を氏神として尊崇し、その信奉は格別で全国各地に八幡大神を勧請し、源義家は石清水八幡宮で元服し、自らを
「八幡太郎義家」と名乗った事は有名である。
私の生まれ故郷の千曲市などでは、千曲市八幡の「武水分神社」を”やわたのおはちまんさま”と親しまれていたが、ここ石清水八幡宮も
”やわたのはちまんさま”と親しまれているそうだ。
石 清 水 八 幡 宮
☺宮司さんが最初に案内したのは石清水八幡宮と関係のない「エジソン記念碑」「竹の炭素電球」だ。
「エジソンは日本からのお土産として研究所にあった扇子を見つけ、その骨の竹を使って炭素電球を試作してみると、電球の寿命が飛躍的に
延びることが解った。竹は繊維が太く丈夫、長持ちするフィラメントを作るのに最適で、究極の竹を求め研究員を世界中に派遣し、日本を
訪れた研究者が京都の槇村正直京都府知事から竹の名産地であった八幡市の「八幡竹」を紹介された。日本各地の竹で実験を繰り返し、
最も長持ちのする最高の竹を発見、その竹が京都・男山周辺の真竹だったわけだ。この竹を使用した電球は何と平均1,000時間以上も
輝き続けたという。
男山との深い縁を踏まえ、昭和9(1934)年に石清水八幡宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立された。そして昭和33(1958)年には、
エジソン彰徳会により、エジソン白熱電球の実用化成功に最も大きな役割を果たした竹に縁の地である当宮境内に記念碑が移転され、
さらに記念碑建立50年に当たる昭和59(1984)年10月18日には、デザインを一新し建て替えられたそうだ。
エジソンの令嬢スローン夫人は昭和39年に当宮を訪れ、「これほど立派な記念碑はアメリカでも見たことがない」と感激さたという。
エジソン記念碑 八幡の竹で作った炭素電球
19時半過ぎ拝観が終わり、一般の拝観者もいないのでケーブルカーも運転しておらず、山麓までタクシーに分乗、20時半今晩の宿
京都ロイヤルホテルに着いた。
◎翌日2日目 7日
出発が9時半で時間があったので、ホテル周辺や近くの鴨川付近を散策した。
鴨川にかかる三条大橋 三条大橋と川端大道交差点にある高山彦九郎皇居望拝の像
高山 彦九郎は、江戸時代後期の尊皇思想家である。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人(「奇」は「優れた」という意味)。
吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人である。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物である。
京都府京都市三条大橋東詰(三条京阪)に皇居望拝(誤って土下座と通称される)姿の彦九郎の銅像がある。初代は1928年に作られ、法華経と伊勢神宮で入魂した柱が納められ、東郷平八郎が台座の揮毫をした。(Wikipediaより抜粋)
豊臣秀次公の墓 瑞泉寺 秀次公の墓
立札の文面
この堂の中央に安置された地蔵菩薩像は、秀次公一族の処刑の際、四条・大雲院の僧
「貞安上人」が刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に引導を授け続
けた、と伝わる尊像です。極楽浄土へ死者を導く「引導地藏尊」として京洛の人々に今日
なお尊敬されています。
各位の参拝をお願いします。 住職
9時ホテルを出発 真如寺・相国寺・養源院に向かう。
*真如寺 山号;萬年山 宗派;臨済宗相国寺派 寺格;相国寺山外塔頭、十刹(臨済宗で五山に次ぐ寺格の十の大寺)本尊;阿弥陀如来
鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つである。五山十刹の十刹にも数えられている
そうだ。
五山とは京都の禅宗様 (臨済宗)の寺格、官寺制度。
京都五山
・南禅寺ー別格 ・天龍寺ー第一位 ・相国寺―二位 ・建仁寺―三位 ・東福寺ー第四位 ・万寿寺ー第五位
十刹(じっせつ、じっさつ)とは、五山制度に基づく寺格の一つである。五山の下・諸山の上。日本では臨済宗の寺格をいう。
京都 十刹
・等持寺ー第一位(天龍寺派寺院等持院として残る)・臨川寺 ー 第二位(天龍寺派寺院として残る)・真如寺 ー第三位(相国寺派寺院と
して残る) ・北禅寺(山城国安国寺)ー 第四位(→後に廃寺)・宝幢寺 ー第五位(鹿王院として残る)・普門寺 ー 第六位(東福寺の
常楽庵として残る)・広覚寺 ー第七位(→後に廃寺)・妙光寺 ー 第八位(建仁寺派寺院として残る)・大徳寺 ー 第九位竜翔寺 ー第十位
(大徳寺派寺院として残る)
Wikipediaより
真 如 寺 参 道 入 口 真 如 寺 庭 園
法 堂(仏殿)「大雄殿」 須 弥 壇(観光協会ガイドブックよりコッピー転写)
法堂は禅宗様の建物で、中二階風の構造になった須弥壇があり,仙洞御所から寄進された本尊・宝冠釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊社者像の
三尊が安置されている。その奥に続く開山塔には多くの高僧の位牌などが祀られているという。
*相国寺 山号;萬年山 宗派;臨済宗相国寺派 寺格;大本山 京都五山二位 本尊;釈迦如来
足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺である。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。
また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭だそうだ。
法堂は重要文化財でわが国最古の法堂で、一重裳階付入母屋造りの唐様建築だという。
相 国 寺 総 門 参 道
鐘 楼 法 堂 重要文化財で「無畏堂」と言う。仏殿を兼ねており現存する報道の中で最古のもの
庫 裡 方 丈
方 丈 北 側 の 枯 山 水 庭 園
方丈南表側の白濱の平庭 方丈庫裡通路内の庭園
以下2枚観光協会ガイドブックからのコッピー転写(許可済み)
法堂の内部 本尊と蟠龍(狩野光信) 蟠龍 まだ天に昇らないを蟠龍を描いた法堂天井画 鳴き龍で有名
*方丈
方丈は、文化4年(1807)に再建されたもので、江戸後期の絵師・原在中画描いた「中国
普陀落山図」「琴棋書画図」などの壁画緬が残っている。方丈南側には白濱の平庭、北側
には掘り込み状の枯流れがつくられ深山幽谷を表した枯山水庭園があり、対照的な2つの庭
園見どころである。
左;枯山水庭園
右;168畳の広さをもつ方丈は部屋ごとにことなる画題の襖絵で飾られている
*養源院
臨済宗相国寺派の塔頭寺院 で開祖曇仲道芳が終生黒衣で通して禅室「養源軒」に隠棲したという。のちに後に弟子の横川景三が養源軒を
相国寺境内に移したもの。
戊辰戦争の際には、養源院が薩摩藩の野戦病院、となりイギリス人医師のW/ウィリスにより、日本で初めてクロロホルム麻酔を使った外科
手術が行われたという。本堂には本尊の薬師如来像と「毘沙門天像(多聞天像)」が安置されている。
養源院門 ( 奥に多聞天を掲げた本堂) 本 堂
以下2枚観光協会ガイドブックよりコッピー転写(許可済み)
毘沙門天像 慶派仏師の作と伝わる増像高い約170cmの寄木造り 近衛家の「桜御所」から移築した書院「相和亭」
書院「相和亭」から池泉式庭園 書院「相和亭」のガラス戸のガラスは明治時代のものだという
13時頃京都東IC付近の飲食店で昼食、帰途につき、予定通り20時長野東口に到着する。