27日(日)10時から上山田普携寺で義兄の7回忌法要があった。普携寺は曹洞宗で私の実家の宗派と同じ本山は永平寺である。7回忌は命日から数えて万6年目に営まれ法要で、年回忌は亡くなった翌年に営まれる1回忌、その翌年が3年目を迎えるということで3回忌、以降7回忌・13回忌・23回忌・27回忌・33回忌・50回忌とある。33回忌を年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いそううだ。
平均寿命をまっとうして亡くなった方の33回忌の供養を、連れ合いが営むのは大変難しことだろう。義兄の33回忌は26年後だから、2月に傘寿を迎えた姉は114才で、33回忌法要を営むなら子息ということになるのだろう。
長男子息のはからいで、故人を偲んでの宴席をセットして頂き、上山田温泉の旅館で1泊した。一ヵ月前に姉の米寿を祝う宴席があったばかりだが、ほぼ同じメンバーでカラオケもあって楽しい宴会となった.
法要の後、夕食まで時間があったので、千曲川万葉公園を散策した。公園の中にマレットゴルフ場もあった。日曜日だが公園にはマレットゴルフ1組だけ、他に釣り人が2名だけであった。快晴だが冷たい風が強く、寒い日だったので人出が少なかったのかどうか。
万 葉 公 園 - 千 曲 川 河 川敷
温泉の開祖の碑 温泉中興の祖
坂井量之助翁(1859~1905) 畑山国三郎翁の頌徳碑(左)
歌詞千曲川の記念碑 平成3年 秋 作詞者山口 洋子
*マピオン大百科より
坂井量之助
坂井家は江戸時代から続く下戸倉宿の名主。15代目の量之助は明治期には戸長から貴族院議院互選人となった。私財で戸倉温泉を掘削・開湯し、戸倉駅誘致に尽力したが、温泉施設は毎年千曲川の水害で流失して損害を被り、坂井家は2度の破産に見舞われた。1905年(明治38年)に戸倉駅開業を待たずに没した。
坂井家は1596年(慶長元年)以来の酒蔵でもあり、現在も戸倉駅付近で旧家を改装した酒屋として営業している。1760年(宝暦10年)建築の母屋をはじめとして、宝暦、寛政、慶応、明治、大正、昭和期の酒蔵が残され、国の有形文化財に登録されている。
畑山国三郎
上水内郡牟礼村に生まれ、若いうちから長野市で事業で成功する。坂井の後を継ぎ、千曲川の築堤や架橋、温泉掘削や施設の整備を行い、現在の戸倉上山田温泉の礎を完成させた。
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