御開帳が始まり回向柱は善光寺だけではないというので、4月23日善光寺の参拝方々回向柱のある寺院を回って来た。
本堂内陣は前立本尊を参拝する人々が列をなし、待つのが不得手なので諦め、外陣での参拝にした。本堂東側にはお戒壇巡りの方々が列をなしていた。
仲見世通りの賑わい(山門から) 本堂東側お戒壇巡りを待つ方々
本 堂 前 の 回 向 柱 世尊院釈迦堂回向柱
回向柱とは、卒塔婆の一種で、御開帳期間中に本堂前に立てられる約45cm角高さ約10mの柱。前立本尊の御手(右手)と「善の綱」に
よって結ばれているため、前立本尊に触るのと同じ御利益あるといわれている。 善の綱は、青・黄・赤・城・黒の5色の糸を撚ったもので
金の糸、5色の糸、白い糸をつないで1本に仕立ててあるという。右手に結ばれた金の糸が5色に変わりやがて本堂前に出ると白い糸に結ば
れ其の白い糸が回向柱に結ばれている。
回向柱は世尊院釈迦堂の前にも建られており、釈迦堂には日本唯一の等身大銅像の釈迦涅槃像が安置されている。釈迦堂の回向柱にも釈迦涅
槃像の右手に結ばれた「善の綱」が回向柱に結ばれている。
善光寺御本尊阿弥陀如来は来世の仏、世尊院釈迦堂の釈迦如来は現生の仏といわれ、両方の回向柱に触れることにより両方に血縁ができ、
現生と来生の幸せが約束されると信じられるということだそうだ。
回向柱に書かれている文字(本堂に向かって正面が南面)
*南面と西面に梵語で上から「空」「風」「火」「水」「地」の5文字で、宇宙の構成要素を表しているという。
*5文字の下には、南面に「奉開龕前立本尊」・ 西面に「光明編照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨」と阿弥陀信仰の功徳が書かれて
いるという。
回向柱はこのほか大観進・西方寺・往生寺・西光寺にも建てられている。
大勧進 回向柱(今年が初めてだそうだ) 西 方 寺 二 尊 極 楽 堂 回 向 柱
←西芳寺二尊極楽堂の阿弥陀尊像
2009年作成開始され2009年仏像が完成、2010.6.21ダライ・ラマ法王による開眼法要が
行われた。お堂も同時に建てられ、仏像は約2m40cmで上に天井画、周囲に八菩薩の壁画
が描かれている。仏像のなかには前もって届けられた釈迦牟尼仏像が胎内物として安置され
ているそうだ。
仏像の中心にはチベットのソクシン(命の柱)と日本の塔婆があわせ立てられているとい
う。回向柱はこの塔婆と同じものだそうで全面にお経が書かれている。
西 方 寺 山 門 西方寺は大本願の菩提樹で長野県県庁の仮庁舎でもあった。
往生院回向柱 往生院御影堂
往生院は、元々あった真言宗寺院を鎌倉時代に法然上人が改宗したという。源頼朝が荒廃した善光寺を再建する際に仮堂(権堂)として以降、
善光寺が火災に見舞われるたびに権堂となり、一帯の地名にもなったと伝わる。
西 光 寺 西光寺記念木
西光寺の記念木は善光寺本堂前に立つ回向柱の残りの杉材を使って建立されたものだそうだ。松代回向柱寄進建立会が贈呈したもので高さは
善光寺の半分以下で前回の御開帳時にも送っており今回は2回目だそうだ。同寺の本尊と「善の綱」と結ばれて折り回向柱と同じだ。
西光寺は、長野市中央通りにある浄土宗の寺院で、通称はかるかや山と呼ばれている。開祖・刈萱上人とその御子信照坊道念(幼名石童丸)
のお2人が刻んだ2体の「刈萱親子地蔵尊」(市指定重要文化財)を御本尊として安置してある。また、絵解きを現代に蘇らせた「絵解きの
寺」としても知られ、江戸時代の2幅の「刈萱道心石童丸御親子御絵伝」が寺宝として伝わっているそうだ。
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