食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

灌漑農法ー四大文明の食の革命

2020-04-21 08:28:35 | 第二章 古代文明の食の革命
灌漑農法
乾燥した平原で農耕を始めた人々は、水を雨に頼っていた天水農法に比べて、自らの手で毎日水やりをした方が農作物は良く育つことに気がついたはずだ。しかし、水を川から運ぶのは大変だ。特に農地までの距離が長くなると大変な重労働になる。これでは、多くの人口を養うだけの広い農地を作ることはできない。

そこで古代人は画期的な方法を開発した。それが、水路やため池、井戸を農地の近くに作ることで水を利用しやすくした「灌漑(かんがい)農法」だ。

水路は川の近くに作った方が労力は少なくて済む。また、氾濫しやすい川の近くでは、ため池も作りやすい。井戸の水も川の近くの方が出やすい。そこで、農地の近くまで水路が引かれ、ため池が作られ井戸が掘られた。

メソポタミア平原には紀元前5500年頃から堤防と用水路、貯水池が作られ、灌漑農業が始まったと考えられている。チグリス・ユーフラテス川の水位は、水源となる山岳地帯からの雪解け水によって春にピークを迎えるが、この水を貯水池まで導き、大量の水分を必要とする夏まで蓄えたのだ。

エジプトの灌漑は定期的に起こるナイル川の氾濫を利用したものだった。ナイル川下流域では水位が7月からゆっくり増え始め、9月にはゆるやかな氾濫を起こした。この氾濫は11月まで続いた。灌漑には複雑な水路は必要なく、堤防に穴をあけて目的の地域に水を引き入れるだけで良かった。そして、水がひいた後には肥沃な土壌が残された。秋頃ここにムギ類の種をまき、初夏に収穫を行った。このような洪水を利用した灌漑農法が紀元前3500年までに始まった。

一方、インダス川流域では、紀元前9000年頃に農耕と牧畜が開始されたと考えられている。やがて、紀元前3000年頃にインダス川流域の肥沃な平原で水路の開発が進み、灌漑農法をともなったインダス文明が作られて行く。

また、中国の黄河流城では、紀元前6000年頃までにアワなどの雑穀の栽培が始まっていた。この地域での灌漑は、主に井戸を掘ることで行われた。同じ頃、長江流域ではイネの栽培が開始されていた。これらの流域でも遅くとも紀元前4000年頃までに、水路を巡らせた灌漑農法による水稲栽培が始まったと考えられている。