食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ワインの歴史(4)ローマからガリアへ

2020-06-10 18:02:46 | 第二章 古代文明の食の革命
ワインの歴史(4)ローマからガリアへ


今回は、古代ローマの時代にワインがガリアに伝わった話だが、ワインの話題に入る前に「ガリア」について見て行こう。

ローマが勢力を拡大していた頃にヨーロッパを支配していたのがケルト人だ。ケルト人と言う呼び方はケルト語を話す人々を意味するギリシア語の「ケルトイ」からきており、ギリシア人から見てケルト語を話す異民族ということになる。

彼らは中央アジアの草原で生活していたが、馬と車輪付きの戦車や馬車を使ってヨーロッパに渡来したと考えられている。ケルト人の最初の居住地は南ドイツと推測されているが、紀元前7世紀以降はドイツに加えて現在のフランスやスペイン、ブリテン諸島、そして北イタリアなどに広がった(図の黄色の部分)。ただし、すべてが同一民族かという点については、近年の遺伝学的な解析から疑問視されている。特にブリテン諸島のケルト人は、イベリア人や先住民との遺伝的なつながりが深いと考えられている。


また、ケルト人は多数の部族に分かれており、お互いに仲が良いというわけでなく、部族間の争いも絶えなかったと推測されている。とは言っても、文化的な共通性は高い。

ケルト人は金属加工に長け、紀元前2300年頃から始まるヨーロッパの青銅器時代と紀元前800年頃から始まる鉄器時代に優秀な金属加工品を次々と生み出した。例えば、鉄の輪をつなげた鎖帷子(くさりかたびら)を世界で初めて作ったと言われている。このような優秀な武器がケルト人勢力の拡大の一因と考えられる。

また、二頭の馬に引かせた戦車に乗りながら投石や槍・弓矢による遠方攻撃を行うとともに、白兵戦では防具をほとんどつけない身軽ないでたちで長い槍や長剣を用いて戦うやり方は、大きい盾を持った歩兵を中心に戦うローマ人を大いに苦しめた。

紀元前390年にはケルト人の一部族のセイノス族が北イタリアに侵入し、ローマ軍と戦い勝利した。その3年後にはセイノス族はローマを包囲し、略奪を繰り返したという。

こうしてローマ人は北方のケルト人との戦いを始めることになるのだが、彼らは敵対するケルト人を「ガリア人」と呼んだ。ローマ人が「ガリア」としたのは、彼らが侵攻し征服することになる北イタリアからフランスにおよぶケルト人の支配地域(図のオレンジ色の部分)のことである。

最初は苦戦したローマ軍ではあったが、戦い方を工夫することによって次第に優位に立つようになり、紀元前190年頃には北イタリアからガリア人を一掃した。さらにローマ軍は、西側にあるガリア南部地域に侵攻し、紀元前120年までにローマの属州とした。

ガリア全域を支配下におさめたのがカエサル(英語読みでシーザー、紀元前100~前44年)だ。紀元前58年から紀元前50年まで行われたガリア遠征で、カエサルはガリアの地をほぼ征服し、すべてをローマの属州として行った。

ガリアの歴史を理解したところで、ワインの話題を始めよう。

「ワインの歴史(2)」で、ギリシア人が紀元前600年頃に貿易のためにマルセイユ(マッサリア)を築いた話をした。ギリシア人はブドウの苗もマルセイユに持ち込みワイン作りを始めた。そして、このマルセイユからヨーロッパ全土にブドウが広がっていく。

ただし、ギリシアから持ち込まれたブドウは暖かい気候を好み、ガリアの北方では育ちにくかった。ところが、ローマが支配することによって平和(パックスロマーナ)がもたらされるとともに、ローマから進んだ農業技術が導入されることによって、寒さに強い新しいブドウの品種が作り出された。その中でも高品質なワインを作ることができたのが「アロブロジック」と呼ばれる品種で、これが現在の「ピノ」種につながると言われている。これは2世紀もしくは3世紀のことである。ちなみに、ピノ種の一つ「ピノ・ノワール」はカベルネ・ソーヴィニヨンと並んで、現代の高級赤ワインの定番品種となっている。

ローマに征服される前のガリア人のお酒と言えばビールだった。しかし、戦争によってローマ人と接するようになって、ガリア人も次第にワインを飲む機会が増えていった。そして、ローマ人の支配下に入ると、移住してきたローマ人に倣って本格的にワイン作りを始めたと考えられる。先のアロブロジックを生み出したのも、ガリア人のアロブロゲス族だった。

ローマ人の方も、ガリア人の優れた技術を取り入れた。例えば、ガリア人が生み出した鎖帷子はローマ人が取り入れ、鉄の輪を小さくして防御力を高めるなど洗練されたものになって行く。

このようなガリアとローマ間の技術交流によって、ワイン醸造にも画期的な進歩が生まれた。それが「木樽」の使用だ。ギリシア人もローマ人もワインの貯蔵・輸送には陶器製のアンフォラを使っていた。しかし、アンフォラは重くて壊れやすい。一方、木樽は軽くて丈夫なのだ。ガリアには森林地帯が広がっていて木材が大量に手に入るため、ガリア人は木樽を貯蔵と運搬に使用していた。これを見たローマ人がワインの貯蔵と運搬に木樽を使うようにしたのである。

歴史上の偶然の出来事はとても面白い。このワインと木樽の出会いが、ワインを格段に進化させたのである。

一般的に、ワインを木樽に詰めた時に生じるのが「熟成」と呼ばれる現象だ。ワインは木樽に詰められると、木を通して適度に酸素にさらされることによって穏やかに酸化されて行く。この過程で、タンニンやカテキン、アントシアニンなどの成分に化学反応が起こり、味がまろやかになるとともにワインの色も安定した良い赤色になるとされている。また、樽の成分がワインに溶解することで、深みのある風味になる。さらに、ここに酵母が存在していると、酵母によって樽の成分が良い香りに変換されるのだ(これを樽発酵と呼ぶ)。現代でも高級ワインの醸造には樽発酵が使われることが多い。

このように、美味しいワインを造る上で、樽に詰めるというステップはとても重要だったのだ。ローマ人もワインを木樽に詰めることによってさらにおいしくなることを知って、びっくりしただろうと思われる。

尚、ワイン醸造に使用する木樽には様々な木が使用されたが、オークが最も適していることが分かり、現代まで多くのワイン造りにオークが使用され続けてきた。